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“勝ち筋”をどう見出すか。考えて勝つスタイルが、人と組織を強くする

水鳥 寿思さん

株式会社MIZUTORI 代表/日本体操協会 強化統括責任者/JOC理事/元体操日本代表

柔軟が苦手で、泣きながら練習していた少年。
時を経て、彼はオリンピックの表彰台に立った——。

アテネ五輪で体操男子団体総合金メダルを獲得し、日本代表監督を経て、現在はスポーツクラブを経営する水鳥寿思さん。アスリート、指導者、そして経営者へと立場を変えながらも、中心にあったのは常に“体操”だった。

選手時代に培った経験を活かして指導者として人と組織に向き合い、現在は体操を通じて子どもたちの成長を支える環境づくりに力を注ぐ。水鳥さんのこれまでの歩みと、その根底にある思いに迫る。

Index

    体操は選んだ道ではなく、当たり前の日常だった

    ——まずは、体操を始めたきっかけを教えてください。

    両親が体操教室を営んでおり、気づいたら体操をやっていたという感覚です。ただ、私はとても身体が硬く、柔軟が本当に苦手だったんです。当時は泣きながら練習していましたね。

    ——それは少し意外です。では、物心がついたときにはもう体操があったと。

    はい。6人いる兄弟全員が体操を習っていた時期もありました。私よりも兄のほうが上手で結果も出ていたので、兄への憧れもありつつ「負けたくない」「自分を認めてほしい」という気持ちのほうが大きかったです。体操が好きで続けていたというより、悔しさが原動力になっていたと思います。

     

    幼少期の原体験が、水鳥さんの“ハングリー精神”を育んだ。そして、より高いレベルで体操に打ち込むため、親元を離れて岡山県の関西高等学校へ進学。体操部顧問の恩師との出会いをきっかけに、水鳥さんは選手として大きく成長し、頭角を現していく。後に水鳥さんの強みとなる、目標達成までのプロセスを考え抜く姿勢は、この時期に形づくられていった。

    アテネ五輪で確立した“考えて勝つ”という武器

    現役時代の水鳥さん。アテネ五輪での金メダル獲得をはじめ、長年にわたり世界の舞台で活躍した[写真]本人提供

    ——アテネ五輪出場、そして体操男子団体総合金メダルは日本体操界にとって歴史的な出来事だったと思います。アテネ五輪は、水鳥さんにとってどんな経験でしたか。

    アテネ五輪は、私の体操に対する考え方や価値観に影響を及ぼす大きな転機でした。最も大きかったのは、目標達成までのプロセスを徹底的に考える力を身につけられたことです。アテネ五輪出場、そして金メダル獲得に至るまで、ゴールから逆算して「今何をすべきか」「どうすれば勝てるか」を四六時中考えていました。ときには心理学の先生にも協力してもらいながら、目標設定や自己分析、イメージトレーニングなどに取り組み、自分なりの勝ち筋を模索しました。

    ——かなり戦略的に取り組まれていたのですね。

    ケガも多かったので、限られた時間を少しも無駄にしたくなかったんです。技の選択や得点の積み上げ、練習の優先順位も含めてすべてをロジカルに考えていました。それが指導者としてのチームづくりにもつながっています。チームの目標に対して何を優先し、どういう方針で進めるべきかを考え、整理しながら意思決定する。その土台となっているのは、選手時代に培った考え方です。

    ——アテネ五輪で金メダルを獲得した後も、ロンドン五輪最終予選まで第一線で活躍されました。引退するときに迷いはなかったのですか。

    迷いはありませんでした。引退を迎えたときの感覚は、「ようやくここまで走り切った」という達成感でした。やり残した気持ちはなく、やり切った充足感がありましたね。

    想像もしていなかった指導者への転身

    ——引退後、指導者になった理由を教えてください。

    正直、最初から指導者の道を考えていたわけではありません。競技時代は目の前のことに精一杯で、将来のことまで考えきれていなかったというのもあります。引退後、体操協会の方々と話をする中で、日本代表監督に挑戦してみないかと声をかけていただいたことがきっかけでした。“自分を必要としてくれている”というのが純粋にうれしかったですね。

     

    引退から約半年後には、リオデジャネイロ五輪の体操男子日本代表監督・強化本部長に就任。史上最年少となる32歳のときだった。まさに日本の体操界に新しい風を吹かせる存在として、周囲から大きな期待を背負うことになる。

    選手の練習場に何度も足を運び、「選手やコーチを理解することから始めた」と語る水鳥さん[写真]山内優輝

    ——実際に指導者になってみて、難しさはありましたか。

    ありましたね。練習方法ひとつとっても、選手時代は自分が納得すれば前へ進めましたが、指導者になるとそう簡単にはいきません。私は正しいと思っていても、相手に伝わらなければ動いてもらえない。こちらの意図が伝わらず、選手から「なぜそれをやる必要があるのですか」と問われる場面もありました。

    ——そうした難しさをどのように乗り越えていったのでしょうか。

    アテネ五輪の経験を思い出したことですね。当時は米田功選手がキャプテンを務めていたのですが、彼のリーダーシップを見て、チームは選手発信で動くほうが強いと感じたんです。監督が言うよりも、選手自身が「やりたい」と思えるかどうかが大きい。キャプテンの役割は非常に重要でした。トップダウンではなく、ボトムアップの強さを感じた成功体験があったからこそ、監督になったときも、“どうやってキャプテンや選手の主体性を活かすか”を強く意識していました。

    ——その一方で、日本代表監督という立場としては、トップダウンとのバランスも難しかったのでは。

    もちろん最初は、協会の方針を現場に徹底させるのが自分の役割だと思っていました。しかし、日本代表は各選手にそれぞれ所属とコーチがついている特殊な構造です。私が直接すべてを指導するというよりも、コーチを介して選手にアプローチする構造になっている。そこを踏まえると、無理にトップダウンで進めるよりも、コーチ陣が最大限力を発揮できる状態をつくるほうが、チーム全体としては強くなると考えました。

    ——状況によって指導スタイルも変えていたのでしょうか。

    はい。リオデジャネイロ五輪の後、東京五輪に向けては世代交代が一気に進みました。内村航平選手たちが引退し、若い世代が主力になっていくタイミングで、選手やコーチ陣との信頼関係もまだ十分に築けていない段階でした。そのため、強化方針や育成の方向性について、私自身が選手やコーチに積極的に関わるように意識していました。大事なのは、自分のやり方を押し通すのではなく、組織にとって何が最適なのかを見極めることです。

    “できたから楽しい”。体操で育みたい挑戦する力

    全国8施設、約40名の社員を抱える組織へと成長しており、来年にはさらに拠点拡大も予定している[写真]Mizutori Sports Club提供

     

    現在、水鳥さんは『Mizutori Sports Club』を運営し、子どもたちへの指導とスポーツの普及に力を注いでいる。全国に8施設を展開し、来年にはさらに3施設の拡大を予定するなど、その成長は著しい。

    ——『Mizutori Sports Club』を立ち上げた背景を教えてください。

    もともと競技時代から、体操の普及はやりたいと思っていました。日本代表監督を終えたあと、ジュニア育成の環境を求める声もあり、形にしていきました。ほかの誰かではなく、「自分がやらなければ誰がやるんだ」といったある種の使命感のようなものも感じていました。

    『Mizutori Sports Club』では、新体操やチアリーディングなど多彩なプログラムを展開。スポーツの価値をより多くの子どもたちへ届けている[写真]Mizutori Sports Club提供

    ——クラブの特徴として、体操だけでなくチアや縄跳びなど、さまざまな種目を扱っていますね。

    はい。もちろん、体操をやる子どもが増えるのは分かりやすい普及の形だと思います。ただ、体操の価値はそれだけではないと考えていて。例えば、体操の技術や指導によってチアリーディングが強くなると、それも体操が社会に貢献している形の一つですよね。だから必ずしも体操に限定する必要はないのかなと。体操の技術が活きる領域を広げていくこと自体が、スポーツの普及になると思っています。

    ——クラブとして大切にしている理念を教えてください。

    大きく言うと、“スポーツの価値をどう具現化するか”です。クラブのビジョンは大きく3つ。「技術向上による自己成長」、「スポーツの普及」、「スポーツによる充実感(ウェルビーイング)の提供」です。技術が上達することも価値ですし、拠点が増えて活動の場が広がることも価値。それに加えて、スポーツに触れることで得られる充実感も大きな価値だと考えています。

    ——実際に子どもたちには、どんな成長を期待されていますか。

    最も大切にしているのは、“できなかったことができるようになる体験”です。体操は最初からできる人はほとんどいません。失敗を繰り返しながらできたときの喜びや達成感、自己効力感は、その後の人生にも影響すると思います。ただ楽しいだけではなく、“できたから楽しい”。その積み重ねが次の挑戦につながると思っています。

    “自分にしかできないこと”に挑戦し続ける

    競技時代から大切にしてきた“ロジカルに考える”という姿勢は、現在の経営にも大いに役立っているという[写真]山内優輝

    ——これまでのキャリアを通じて、一貫して大切にしてきたことは何でしょうか。

    やはり、“自分がやる意味があることをやる”ということですね。体操はずっと人生の中心にあり、自分だからできることをやる、という意識は常にあります。現在も、目の前の仕事に対して、自分が納得して取り組めることを大切にしています。また、経営という面でも、簡単な仕事ではないですが、誰かがやらないといけない。自分がその役割を担うべきだと思っています。

    ——最後に、スポーツに関わる仕事を目指す方へメッセージをお願いします。

    自分が誇れる仕事をすることが大切だと思います。スポーツに関わることで、自分も成長できるし、誰かの人生にも影響を与えられる。そういう仕事だと思っています。『Mizutori Sports Club』は働くスタッフの裁量が大きく、それぞれの指導者の考えや強みを活かせる環境です。「ここなら、自分のやりたいことが実現できるかもしれない」そう思える環境をつくっていきたいですし、ぜひ一緒にスポーツを盛り上げていけたらうれしいです。

    “できなかったことができるようになる喜び”を、次の世代へつないでいく[写真]山内優輝

     

    体操界のレジェンドが描く次のステージは、体操の普及だけではない。「スポーツに関わる人が増えれば、社会はもっと豊かになる」。そう語る水鳥さんが見据える先にあるのは、体操の枠を超えた“スポーツの未来”そのものだ。

    現在は経営者として、子どもたちがスポーツに挑戦する環境づくりに力を注ぐ。体操を通じて人を育て、スポーツの価値を社会へ広げていく取り組みは、同じ志を持つ仲間たちとともに、これからも広がっていくだろう。『Mizutori Sports Club』はスポーツに関わり続けたい人にとって、新たな道をひらく選択肢の一つになるかもしれない。

    PROFILE

    水鳥 寿思(みずとり・ひさし)さん

    元体操日本代表。2004年アテネ五輪体操男子団体総合で金メダルを獲得。引退後は日本代表監督を12年間務め、リオデジャネイロ五輪では体操男子団体総合金メダル、東京五輪では男子団体総合銀メダル獲得に貢献した。現在は日本体操協会 強化統括責任者・JOC理事を務めながら、『Mizutori Sports Club』を運営し、スポーツの普及と次世代育成に取り組む。

    interview & text:小川祐奈/dodaSPORTS編集部
    photo:山内優輝

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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