「チャンスは必ずやってくる」 躍進する女子アイスホッケーを舞台裏で支える、あきらめない人。
佐藤 深雪さん
公益財団法人日本アイスホッケー連盟 常務理事
女子アイスホッケーがおもしろい。2025年、日本代表はアジア大会2連覇、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック出場権獲得(4大会連続5度目)、カナダ代表相手に史上初の得点奪取と華やかなニュースが続いた。
その熱狂を、舞台裏から真っ直ぐな眼差しで見守る人がいる。日本アイスホッケー連盟常務理事、佐藤深雪さん。「今は自分が現役の頃とは別のスポーツ」というさりげない謙遜に、ふと歴史の奥行きが覗く。元日本代表選手にして、元ビジネスパーソン。競技の内と外を知る彼女はいま何を思い、はたらくのか。ライフストーリーを通して、その瞳の奥に迫った。
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ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックを翌月に控え、日本アイスホッケー連盟もバックアップに奔走する。忙しい合間ながら取材に快く応える姿に人柄がにじんでいた[写真]山内優輝
「女の子をチームには入れられない」
——15歳でクラブのトップチームに入られています。早熟だったのですか。
いいえ、チームに入ったときは、まだアイスホッケーをしたことがありませんでした。中学生の頃、日本アイスホッケーリーグ(男子トップリーグ)のファンだった父とテレビ観戦に熱くなるうち、すっかり好きになってしまって。「滑りにいきたい!はじめたい!」と言ったらホッケー用のスケートを買ってくれたのです。母は「女の子がアイスホッケーなんて」と渋い顔をしていました(笑)。ところが、 地元のリンクへ問い合わせたところ、女子のジュニアチームはないといわれまして。女の子を男子のチームには入れられないし、まだ滑ることもできない中学生を、小学生のチームに入れるわけにもいかないと。
——せっかく気持ちが芽生えたのに、もどかしいですね。
それでも、どうしてもやらせてほしいと頼みました。すると「そんなに熱心な子はめずらしいし、早くはじめるに越したことはない。社会人チームの国土計画女子アイスホッケークラブ(→コクドレディースアイスホッケークラブ→現 SEIBUプリンセスラビッツ)に掛け合ってみよう」と言ってくださって。異例中の異例で、練習生として入部させていただきました。もちろんチームで最年少。 イチから教えてもらって、20代半ばまで所属していました。
——未経験での入団とは驚きです。その後1992年に日本代表に選出されました。トッププレーヤーに成長されたんですね。
トップだなんて、そんな大それたものではありません 。女子選手が少なかったですし、今のように代表の座を熾烈に争うわけではありませんでした。当時は世界選手権の規模も今より小さくて、開催頻度は2年に1度。出場国が少ないので、いきなり強豪のアメリカやカナダと対戦するんですよ。強化合宿は大会直前に1週間程度。もちろん勝てるわけがないし、それどころかアジアでも勝てない。私が代表に選ばれたときはアジア予選がはじまったときでしたが、中国に負けて世界選手権への道は絶たれてしまいました。退部を決意したのは、それから3年ほど経った後のことです。
コクドレディース(現 SEIBUプリンセスラビッツ)時代の佐藤さん(後列中央)。日本女子アイスホッケーを黎明期から支える名門は、これまでに多くの日本代表選手を輩出した[写真]本人提供
2度の転機をもたらした、焦燥感。
——挫折感からでしょうか? それとも他に理由が?
先輩の多くはチームの母体となる会社ではたらいていましたが、私はチームとは関係のない企業ではたらいていたのです 。大学で英語を専攻し、英語を生かせる仕事を探して、就職したのは外資系の製薬企業でした。フルタイムではたらいて、定時になったらダッシュで氷上練習やトレーニングに向かう毎日(笑)。職場の上司や同僚は応援してくださっていたものの、体力的にきついし、実際体調を崩しがちになっていました。
それに、新人の頃はまだしも、2年目3年目ともなれば仕事の重みも増していきます。社会人として「アイスホッケーばかりやっていて大丈夫かな」という焦りもありました。そして、ちょうどアジア予選のあとにイギリス本社へ短期間の出向を命じられたのです。約半年とはいえブランクの影響は思った以上に大きくて、帰国直後は体調不良でプレーを断念。翌年復帰しましたが、パフォーマンスが上がらず、ついに体力的な限界を感じて……という経緯です。
——その後ビジネスパーソンとしてどのようなキャリアを歩まれましたか?
はじめは主に翻訳と海外法人に対する渉外業務。その後、IT部門におけるユーザー教育、プロジェクト管理やプロセス管理、コンプライアンス等へと仕事の幅を広げていきました。特段、キャリア志向が強かったわけではありませんが、たくさんのことを学ばせていただいて、今振り返っても大変よい経験ができたと思います。ただ、40代のときに価値観の変化があって——。迷うことなく、2014年に退職しました。
「私がホッケーをはじめたころ、周囲は大人になってからはじめたという方ばかりでした。女子もジュニアからはじめる選手が増えたのは数年後。いずれにせよ今も昔も『好きだから続ける』という気持ちは変わりません」[写真]山内優輝
——価値観の変化というと?
きっかけは東日本大震災です。あのときボランティアとして被災地へ行き、地元の方々とふれあう機会があったのです。 そこで家族や地域のつながりの大切さに気づき、仕事ばかりしている自分に疑問がわきました。家族や友人との時間もとれていない、なにかあったときに後悔するんじゃないか、チャレンジできるうちに何か違うことをやりたいなと。
——チームを退団したときの姿と重なりますね。その頃から連盟でのお仕事を?
退職後に、コクドレディース時代の先輩に誘われたのです。時間があるなら、東京都アイスホッケー連盟の女子担当役員として手伝ってもらえないかと。「いいですよ!」と即答でした 。好きなホッケーのお手伝いができるならと、喜んではじめたのです 。それから日本アイスホッケー連盟の役員と知り合い、国際アイスホッケー連盟との連携を強化したいから、協力してくれないかとお声がけいただき、国際委員会の委員を務めることとなりました。
コクドレディース退団後もビジネスパーソンとしてはたらく傍らプレーを楽しみ、現在も東京都のシニアチーム「レッドアロー」で活躍中(写真は2014年)[写真]神戸恵
「え、50歳で最年少?」
——あっという間に「いろいろなこと」がカタチになっていったんですね。企業から連盟へ行かれて、何か違いは感じましたか?
はっきりと風土の違いを感じました。まず、組織の画一性です。私がはたらいていた企業は外資系ということもあり、ダイバーシティへの取り組みが比較的早くから進んでいました。一方、日本のスポーツ団体はというと、JOCが女性活用を呼びかけはじめた頃。体感として、20年ほどのひらきがあったと思います。
おそらく連盟にも危機感があって、私を登用することで女性活用の端緒としたいというねらいがあったのかもしれません。入った当時、理事は私以外全員男性でした。けれど、ジェンダー以上に課題を感じたのが年齢です。というのも、そのとき50歳の私が最年少でしたから(笑)。
——また最年少からのスタートですね。古くからの文化が壁になっていたんでしょうか?
仕方がない側面もあると思いました。連盟の職務はボランティアでありながら多忙です。はたらき盛りの年代の方が、仕事や家庭と両立するのは簡単ではありません。ジェンダーに関しても、アイスホッケー経験者は圧倒的に男性が多いですからね。
「文化」という観点でいえば、たしかに古い体質が続いていたことは事実です。一方で、女性だから居心地が悪いとか、意見が言えないということは全くありませんでした。むしろみなさん、温かく迎え入れてくださって。もしかしたらちょっと戸惑っていたのかもしれませんけれど……(笑)。連盟役員の先輩方には、長年の経験やノウハウを教えていただいたこと、さまざまな経験の機会をいただき、育てていただいたことに感謝しています。よいところは次の世代にしっかりと継承できるよう、「橋渡し」の役割を果たしたいと思っています。
国際アイスホッケー連盟との交流は今も盛ん。盤石な組織運営、先進的な女性活躍の事例など、一歩先を行く存在として参考になることは山ほどあるそう[写真]本人提供
“その瞬間”に立ち会う喜び。
——連盟では具体的にどのような活動をされていますか?
連盟の組織は、「事業」「強化」「普及」「総務」の4つの本部と、 それぞれの下に複数の委員会があり、活動は多岐にわたります。
数多くの大会の主催や運営に、ジュニアを含む男女日本代表の活動や海外遠征が重なります。いずれも数カ月前から準備が必要で、並行することも多く、特に冬場は忙しくなります。また、年間を通して普及活動や組織基盤の整備など、どれも重要で欠くことのできないたくさんの活動を行っています。
その中で、私の役割は統括本部長として組織をクロスファンクションで連携させ、円滑に活動できるようサポートすることです。
具体的には、月1回の業務執行会議と四半期に1度の理事会への出席。くわえて年間の事業計画や予算の策定と実行、さまざまな事案の協議・検討などです。役員・委員は皆それぞれ仕事を持っているので、早朝や夜間・休日を中心としたウェブ会議も少なくありません。電話やチャット、メール、ときには対面とさまざまな形で密にコミュニケーションをとりながら活動しています。また、大会運営やイベントでは、実働部隊の一員として細かい裏方作業も行います。現場の仕事は好きですので、これはとても性に合っていて楽しいです。
——大変、お忙しいですね! 10年以上も続けられている理由が気になります。
もちろん上手くいかないこともあれば、ストレスもあります。けれど、大会やイベントが成功したときの達成感はとても魅力的で、どの仕事も終わってみれば「楽しかった」と思えるのです。
原点は、連盟に入って間もない頃に現地で携わった平昌2018冬季オリンピックの最終予選でした。会場は苫小牧、対戦相手はドイツ、キャプテンは「スマイルジャパン(※)」を象徴する大澤ちほ選手。大接戦の末に日本が勝利し、満員のリンクが揺れるように沸きました。仕事とはいえ、その瞬間に立ち会えたことが本当に嬉しかった。鮮烈な体験でした。
※アイスホッケー女子日本代表の愛称
2017年2月12日、北海道・白鳥王子アイスアリーナ(現 nepiaアイスアリーナ)で行われた、平昌2018冬季オリンピック最終予選。日本はドイツを3-1で破り、2大会連続で五輪出場を決めた[写真]©JIHF PHOTO, Nagayama
多様な個性が、組織のスピードを変えた。
——ビジネスパーソンとして培った経験はどのように生かしていますか?
さまざまな場面で生きています。企業との風土の違いは、視点を変えれば、新しい色を塗る余白があるということなのです。例えばITやコミュニケーションです。当初は情報共有や情報発信力が弱く、テクノロジーの導入にも二の足を踏んでいました。時代の変化に乗り遅れてしまっていると危機感を持ち、率先して新しい取り組みにチャレンジさせてもらいました。
特に役立っているスキルの一つは、文章力です。社内外の文書やサイトコンテンツ作成、翻訳の経験を生かして、連盟の広報や情報発信に積極的に携わっています。どんな仕事においても、文章力は必須だと実感しますね。
英語力に関しても、国際的な場やワークショップ参加などで生かせるシーンがたくさんあります。海外からの評価を獲得するのは、選手だけの仕事ではありません。運営に携わる私たちがいかに日本の「顔」として積極的に発言し、発信していくかが大切です。いまでは海外経験豊富な理事も増え、国際的に存在感を示せるようになってきました。
——お、連盟の顔ぶれも変わってきたということですね。
ええ、ここ数年で組織の新陳代謝がかなり進みました。「スポーツ団体ガバナンスコード」の影響も大きいです。女性理事、外部理事が増え、委員には20代や30代の若い方もいます。元選手、ビジネスやマーケティングの知見を持つ方、スポーツ関係の有識者など、メンバーのバックグラウンドは多種多様になりました。
十人十色 だからこそ意見が言いやすいですし、今のメンバーは皆、新しい取り組みに抵抗がありません。特に大きく変わったのは、決断と実行のスピードです。ビジネス経験が豊富な方は、タイミングが勝敗を分けることを知っています。「今やらなければチャンスを逃す」という感覚が、連盟の推進力になっています。
——組織が加速しているんですね。目下、具体的に取り組んでいることがあれば教えてください。
さまざまな制約がある中でも、新しいアイディアや工夫、発想の転換で、できることから取り組んでいます。日本代表の国際大会の配信、タイムリーなSNS発信、メディアへの露出、それからグッズの企画・販売などに力を入れています。最近では、人気キャラクターとのコラボグッズや、日本代表選手の「推し活」をするためのホッケージャージやグッズを販売しています。
いずれも人気のあるスポーツでは当たり前の活動ですが、アイスホッケーは今やっとそのスタートラインに立ったところ。課題は競技人口が広がっていないことですから、とにかくより多くの人にアイスホッケーを身近に感じてほしいのです。ファンを増やして、一緒に応援しようというムードをつくっていきたいですね。
楽しそうに滑る子どもたちを見れば、今も昨日のことのように思い出す、父に連れられてリンクへ行ったあの日、先輩に必死でついていった練習生時代 [写真]山内優輝
スケートが滑れなくたっていい
——女子日本代表の躍進と重なるようです。
彼女たちが大活躍する今こそ大きなチャンスですから、裏方もがんばらないといけません。一時期は閉鎖が相次いでいたリンクも、ここ数年は新設のニュースが続いているところです。子どもたちへの普及活動も、これまでは初心者、つまりアイスホッケーをやっている子を対象にした「教室」がメインでした。しかし2年前から、アイスホッケーに全く触れたことがない子に楽しんでもらう「体験会」を開始すると、これが大好評で! これから全国に広げていきたいと考えています。
——15歳の佐藤さんが聞いたら、飛んで喜びそうですね。運営も、ファンも、競技も、外に開いていきたいと。
ええ。例えば、全くスケートが滑れない方が連盟にジョインしてくださったら、もっとおもしろいことができると思うのです。実際、海外の競技団体ではそういう方もめずらしくありません。私がそうであったように、どんな経験も必ず生かせますし、得意なことをさらに伸ばすこともできます。若い方、新しい視点を持っている方なら、変革のキーパーソンになるチャンスもあるでしょう。少しでも興味があれば、ぜひ自信をもって飛び込んできていただきたいです。
——佐藤さん自身、チャンスを掴み続けてきましたね。あきらめない少女だった、あの日から。
「女の子はダメ」「未経験じゃダメ」といわれても、「どうしてもやりたい!」と食い下がったことで、私は道が開けました。大切なのはその瞬間が訪れたときのために、いつでもスタートできる準備をしておくことだと思います。チャンスって、いつ来るか分からないですからね。
PROFILE
佐藤 深雪(さとう・みゆき)さん
東京都出身。中学3年生でアイスホッケーと出会い、同時に社会人チーム「国土計画女子アイスホッケークラブ(→コクドレディースアイスホッケークラブ→現 SEIBUプリンセスラビッツ)」に練習生として入部。その後、20代半ばまで同チームで活躍する。聖心女子大学卒業後、外資系製薬企業に就職。社会人としてはたらくかたわら、日本代表として1992年女子世界選手権アジア予選に出場。ほどなくコクドレディースを退部し、2014年まで同企業に勤務。その後、東京都アイスホッケー連盟理事に就任し、日本アイスホッケー連盟理事にも就任。両連盟の活動を行いながら、医療関係の翻訳や医療系非営利団体の事務局業務に携わる。現在は、東京都アイスホッケー連盟の専務理事と事務局長を兼務しながら、日本アイスホッケー連盟の常務理事・統括本部長を務める。トップリーグから退いた後も競技は続け、現在もクラブチームでパックを追う。
interview & text:林 太一/dodaSPORTS編集部
photo:山内優輝
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。









