モータースポーツに脚光を。デュアルキャリアに挑むトップドライバー山本尚貴の真意
山本 尚貴さん
レーシングドライバー/日本レースプロモーション アスリート委員会委員長/日本カート協会チェアマン
どんなに輝かしい戦績を残しても、マシンを降りる日は誰にでも平等に訪れる。その現実を見据えながらも、今なお現役として走り続け、次のキャリアを切り拓こうとしているレーシングドライバーがいる。SUPER GTの現役ドライバーでありながら、日本レースプロモーション(JRP)や日本カート協会の一員として、レース運営や次世代の選手の育成・発掘にも携わる山本尚貴さんだ。
「情熱を持った人がモータースポーツの世界で輝き続けられる環境をつくりたい」そんな思いを抱き、後進のため、そして業界のために、山本さんは前例のないデュアルキャリアに挑みながら、未開の地をフルスロットルで駆け抜けている。
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レース・運営・育成すべての領域で挑戦を続ける山本さん[写真]中野賢太
一切の妥協を許さずやり遂げる、トップドライバーのマイルール
———選手×運営×育成という、新しいキャリアが動きはじめました。まずは、選手としての原点について教えてください。
もともと、父親がモータースポーツ、特にF1のファンでした。父の影響で、私も幼いころからテレビでF1をいっしょに観戦していて、物心ついたころにはもうモータースポーツの世界にどっぷりハマっていましたね。アイルトン・セナが、当時の私のヒーローでした。
6歳になったとき、たまたま祖父母の家の近くにカートのコースがオープンしたので、家族みんなで「ちょっと行ってみようか」と。それが競技を始めるきっかけです。コースに着いてカートに乗ったとたん心を奪われ、それからは毎週のように通うようになり、気づいたときにはもうレースが仕事になっていましたね。
運営チームのスタッフに笑顔で話しかける山本さん。選手やスタッフ、ファン、たくさんの人から慕われている[写真]中野賢太
———そこからスーパーフォーミュラで3度、SUPER GTで2度のシリーズチャンピオンに輝くトップドライバーとなりました。国内最高峰の舞台で活躍し続けるために、どのようなマインドで“仕事”と向き合っているのでしょうか?
モータースポーツはドライバーにスポットライトが当たりやすいため、個人競技のように思われがちですが、実態としては“団体競技”だと考えています。エンジニアやメカニックをはじめとするチームスタッフ、またメーカーの方、スポンサーの方といった、たくさんの人たちの支えがあってはじめてドライバーは戦うことができるのです。
1台のマシンには、莫大な労力とお金が注ぎ込まれています。だからこそ、常に100%に近いパフォーマンスが発揮できるよう、日ごろから心身のコントロールを徹底しています。体調やマシンコンディションが良いからといって勝てる世界ではありません。それでも、関係者やファンの皆さんの期待を背負ってレースに挑むわけですから、少なくとも自分ができる範囲のことは一切の妥協なくやり切らないといけないと思い、今日まで過ごしてきました。
「2022年スーパーフォーミュラ第7戦 もてぎ」にて。NAKAJIMA RACING中嶋悟監督と優勝カップを掲げる山本さん[写真]本人提供
モータースポーツ界におけるデュアルキャリアのロールモデルを確立
———SUPER GTの現役ドライバーでありながら、スーパーフォーミュラの運営に関わる「アスリート委員会(※)」の初代委員長に就任されました。
スーパーフォーミュラのドライバーは2024年限りで引退しましたが、JRPから声をかけていただき、運営チームの一員として再びスーパーフォーミュラに関われることに喜びを感じています。
“初代”なので、前任はいないし、前例もありません。私のこれからの行動や姿勢が、そのまま委員長のロールモデルになることに対して、少なからずプレッシャーもありました。ただ、自分発信で起こすアクションでアスリート委員会、そしてスーパーフォーミュラ、もっと言えばモータースポーツ全体を変えられることへの期待感の方が大きかったので、委員長の役割を引き受ける決断をしました。
※アスリート委員会……安全で魅力的なレースの運営や競技の普及に関わる施策について、選手目線の意見を取り入れることを目的に2025年にJRP内で新設された組織
頂点の景色を知るトップドライバーが、運営チームの一員として再びスーパーフォーミュラの舞台に舞い戻る[写真]中野賢太
———日本カート協会の初代チェアマンとして、競技の普及と次世代の選手の発掘・育成にも携わっています。
チェアマンとしての活動、特に育成は人の一生を左右しかねない領域なので、「現役ドライバーと掛け持ちでも大丈夫なのか?」と葛藤がありました。しかし、実際に現場に立って指導を行ってみると、競技への向き合い方や心構えを“現役選手の立場”で子どもたちに伝えることの価値に気づきました。決断は間違ってなかったなと感じています。
また、ジュニア選手との触れ合いの中で得た気づきやエネルギーをレースに還元することもできているので、チェアマンの役割を引き受けて本当に良かったなと。これまで選手の育成や競技の普及に力を注いでこられた先輩方にもご指導いただきながら、微力ではありますがカート業界の発展に貢献したいと思っています。
———ジュニア選手との交流で得た気づきとエネルギーとは?
カートコースでは、目を輝かせて走る選手と、それを熱心に応援するご家族の姿がありました。その光景を見て、「これこそがレースの原点だ」とあらためて感じました。選手は勝ちたい、サポーターは勝たせたい——その純粋な思いに心を打たれたんです。
自分も観客に感動を与え、応援される選手でありたいと、初心を取り戻すことができました。同時に、ドライバーとしてだけでなく、アスリート委員会の委員長としても、スーパーフォーミュラの舞台に同じ熱量と世界観を再現したいと強く思いました。
ジュニア選手と熱心に対話する山本さん。レースへの向き合い方を教える一方で、「彼らの視点や考え方から学びを得ることも大切にしている」と話す[写真]本人提供
国内のモータースポーツをメジャースポーツに
———デュアルキャリアへの挑戦の背景には「ドライバーのセカンドキャリアの選択肢を広げたい」との思いもあったと聞いています。
現役を退いたあとの不安は、誰もが抱えるものです。私自身、スーパーフォーミュラのドライバーを引退するにあたって思い悩む時期もありました。そんなとき、JRPからアスリート委員会の立ち上げと委員長の話をいただき、「ここで実績を残せば、後輩たちに新しいキャリアの道を示せるかもしれない」と感じて引き受けました。
多くのドライバーは引退後、チームの監督やメーカーのアドバイザーといった道に進みます。それ自体は素晴らしい選択ですが、育成や運営など、もっと多様なキャリアが選べる環境があってもいい。選手が自分の望む道を選び、業界全体の可能性を広げられるように——その橋渡し役として、私にできることは全力で取り組みたいと思っています。
———カテゴリーも立場も違う役割を同時に担うのは並大抵のことではないと思いますが、何が山本さんを突き動かしているのでしょうか?
自分の仕事や振る舞いが、選手や業界の未来を左右する。そうやって自分を鼓舞しながら、真剣に活動しています。中途半端な姿を見せれば、「やっぱりドライバーにできることは限られている」と思われてしまう。新しい道をつくるどころか、可能性を閉ざしてしまうことになるからです。だからこそ、情熱を持った人がモータースポーツの世界で輝ける環境をつくりたい。その実現は、自分の行動次第だと常に言い聞かせています。
とはいえ、根っこにあるのは純粋な好奇心とモータースポーツへの愛情です。運営も育成も新しい発見ばかりで、結局のところ“楽しい”から続けているんです(笑)。
「不平不満を言っていたら誰もついてこない。実際に楽しんで仕事をしているので、その姿を多くの人に見てもらいたいですね」と話す[写真]中野賢太
———委員長もチェアマンも、山本さんの存在があったからこそ生まれたポストのように思えますね。
前任がいないぶん、プレッシャーも大きかったですが、同時に“初代”だからこそ自由に挑戦できる楽しさもありました。よく「最初が肝心」と言いますが、良くも悪くも最初の姿勢が今後の指針になる。だからこそ、後任が少し大変に感じるくらい全力でやり切りたいと思っています。「山本があれだけやったんだから、あなたも当然やるよね」と言われるくらいに(笑)。
私は、誰よりもレースに真面目に取り組んできた自負があります。そして、誰よりも強くこの業界が輝き続けてほしいという気持ちを持っています。妥協できない性格で、すべてに全力で向き合わないと気が済まない性分なんです。ドライバー、委員長、チェアマン、すべてに100%を注ぐのは大変ではありますが、それさえも楽しいと感じられるぐらい充実した日々を過ごしています。
———道なき道を切り開いている真っ最中ですが、目標や具体的に成し遂げたいことはありますか?
モータースポーツの世界に、誰もが知るアイコン的な存在を生み出したい。選手は皆素晴らしい努力をしていますが、正当に評価されているとは言い切れません。もっと脚光を浴びるべきなのに、世間からの認知が足りない現状がもどかしいんです。
私自身、スーパーフォーミュラ・SUPER GTでのダブルタイトルを2度獲得しましたが、その実績に見合う反響を得られたとは思いません。だからこそ、次の世代がもっと注目される環境をつくりたい——それが今の目標です。
ニュースターの到来を待ちわびる富士スピードウェイ[写真]中野賢太
———活動の根底には、選手へのリスペクトの気持ちがあるわけですね。「山本さんの情熱がスター選手を生む」と考えると、ますます期待できます。
スター選手は“生まれる”ものではなく、“育つ環境をつくる”ものだと思っています。その意志を持って行動しなければ、国内のモータースポーツはいつまでたってもメジャースポーツになれない。現役として、そして運営や育成にも関わる立場として、私にしかできない役割がまだたくさんあります。
「スーパーフォーミュラのチャンピオンといえば○○」「SUPER GTといえば○○選手」と、顔と名前が自然に結びつくような選手を輩出することが今の目標です。
少年時代に憧れたアイルトン・セナを超える存在を育て、自由に挑戦し続けられる環境を整える。そう考えると胸が高鳴りますし、それが私の原動力になっています。
PROFILE
山本尚貴(やまもと・なおき)さん
1988年7月11日生まれ、栃木県宇都宮市出身。6歳でカートを始め、中学2年生で全日本カート選手権(FAクラス)のシリーズチャンピオンを獲得。高校在学中の2007年にフォーミュラレース、2010年からはSUPER GTにも参戦。2018年・2020年にはスーパーフォーミュラとSUPER GTの両カテゴリーで同時にシリーズチャンピオンを達成。2024年にスーパーフォーミュラのドライバーを引退後も、SUPER GTの現役ドライバーとして走り続けている。現在はJRPアスリート委員会委員長、日本カート協会チェアマンとして、モータースポーツの発展と次世代育成にも力を注いでいる。
interview & text:古田涼/dodaSPORTS編集部
photo : 中野賢太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










