ホテルのドアマン、サーキットへ 「お客さまと一緒に勝利を味わえる喜び」
荒井 将哉さん
株式会社トムス レース事業本部 スポンサー運営部
モータースポーツを観戦したことはあるだろうか。国内の公認サーキットで開催されるレースは年間90回。人気カテゴリー「スーパーフォーミュラ」では昨年過去最高の20万人を超える観客を動員した。しかしサッカーや野球と比べれば、まだまだ触れる機会は少ない。知る人ぞ知る世界だ。
そんな業界に、まったくの畑違いから飛び込んだ人がいる。出かけるときはいつもレンタカー、レースを観戦したこともない、元ホテルのドアマン。
「でも意外と経験が活きる場面もありました」
チーム「トムス」でスポンサー運営を担当する荒井さんが、自身の転職ストーリーを語ってくれた。
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富士スピードウェイで開催されるスーパーフォーミュラ大会直前、設営真っ最中の現場を取材。荒井さんの的確な指示のもと、トムスのユニフォームを着たスタッフたちが手際よく作業を進める[写真]中野賢太
自分たちの手でつくりあげる「スポンサールーム」
———着々と設営が進んでいますが、ここは何の会場なのでしょうか。
スポンサーさまをご招待する「スポンサールーム」です。この会場で、迫力あるレースを間近で観戦しながら、お食事やドリンクもお楽しみいただきます。今週末は100人ほどのお客さまがいらっしゃる予定です。カテゴリーによって差はありますが、多いときは200人を超えることもありますよ。
———チームが自前で会場をつくっているのですね! てっきり業者さんが入っているのかと思いました。
備品のほとんどは会社が所有しているものです。今日も御殿場にあるトムスの工場から、トレーラーでイスやテーブルなどを運んできましたよ。もちろん手間はかかりますが、快適な場所を提供したいので、自分たちの手で会場をつくり上げています。
———「スポンサー運営」というお仕事ですが、名前からは少し内容が想像しづらいです。
よく言われます(笑)。スポンサー運営部の中でもいくつか担当がわかれますが、私の仕事はスポンサーさまのご招待における事前準備や会場設営がメインです。お客さまのリストをもとに、パスや駐車券をサーキット側に手配したり、部屋数などの調整をしたりします。あとは会場内で配布ランキング表やルールブックの更新も行います。本番の前々日くらいからサーキット入りして、1日がかりで会場を設営し、当日の会場運営まで担うというのが、大まかな流れです。
———「スーパーフォーミュラ」以外のカテゴリーも担当されているのですか?
そうですね。トムスはスーパーフォーミュラのほか、SUPER GT、スーパーフォーミュラライツなど複数のカテゴリーに参戦していて、そのほぼすべてに関わっています。毎週のようにレースがあるので、だいたい月の半分以上は出張ですね。
テーブルやイスも含めほとんどが自社の備品。普段から精密な部品を扱う会社だけあって、備品の管理も徹底しているという[写真]中野賢太
設営のビフォーアフター。数時間かけて、立派な会場ができあがった [撮影]佐古雅成
“おもてなし”の世界から“熱狂”の現場へ 「はじめは戸惑いの連続」
———前職は一流ホテルで働いていたと伺いました。なぜまた思い切ったキャリアチェンジを?
昔から人と話すのが好きだったこともあって、接客がしたくてホテル業界を選びました。ドアマンやプロトコールと呼ばれるVIP専用の接遇やオペレーションを担当していましたね。8年くらい働いて仕事自体は大好きだったんですが、コロナ禍に突入したあたりから将来性を心配するようになって。そんなときに、職場で働いていた先輩から紹介されたのがきっかけで、トムスに入社することになりました。
———では、もともとモータースポーツや車に興味があったわけではないのですね。
期待を裏切るような答えで申し訳ないのですが(笑)、レースとも車とも縁遠い人生を送ってきました。興味がないというより、あまり触れる機会がなかったんですよね。ドライブは好きですけど、出かけるときは基本レンタカーですし。この仕事を紹介されたときも、「同じ接客の仕事だから」というので入ったので。
———入社当初は戸惑うことも多かったのでは。
聞けば聞くほど、この業界の人って「根っからの車好きで」とか「整備士からはじまって」とか、とにかくモータースポーツへの愛が強い。ホテル業界にも「接客」が好きな人はいるけれど、「ホテルそのものが好き」で働く人は少ないと思うんです。スポーツ業界ならではの熱量が魅力的に映った半面、そんな世界で素人が通用するのか。不安も大きかったですね。
———どのように仕事に慣れていきましたか?
まずはスポンサーさまの名前と顔を覚えることからですね。テントを立てたこともなかったので、備品の扱い方もイチから学びました。それからレースのルール、マシンの知識……。資料をつくったことも、パソコンでメールを送ったこともなかったので苦労しました。
現在はリーダーとして複数のスタッフを束ねる。「先を読んで入念に事前準備すること、即レスポンスすることを常に意識しています」[写真]中野賢太
「お客さまと一緒に楽しめる」 スポーツならではの“距離感”
———来場されるお客さまはどんな方が多いのですか?
企業のトップもいらっしゃれば、従業員の方が福利厚生の一環として利用されるケースもあります。さまざまなお客さまと接するため、コミュニケーションもその都度使い分けることを意識しています。柔らかい接客を好む方、フォーマルな接客を求める方、瞬時に見極めて臨機応変に対応する。ホテルマン時代に叩き込まれた経験がこんな場面で活きていますね。
———“おもてなし”のスキルは無駄にならなかった。お客さまと会話する機会もよくありますか。
毎戦いらしてくれるお客さまも多く、どんなに忙しくても、お客さまへのご挨拶は欠かしません。先方も私の名前を覚えてくれていて、「昨日の予選はこうでしたよね」などレースの話や雑談を交わすこともよくあります。先日、お酒が好きなお客さまから「今度飲みに行こうよ」と誘われました(笑)。フレンドリーというか、堅苦しすぎない距離感が好きですね。
———人と話すのが好きな方にとっては、うれしい環境ですね。
遠方から足を運んでくださるお客さまのためにも、観戦体験の向上を目指しています。たとえば今回の大会では、特別解説者をゲストに招き、モニター横に実況席を設けました。無線でのやり取りも実際に会場で聞きながら解説するので、観戦がより臨場感あふれるものになるんです。特別な演出だけでなく、部屋のレイアウトひとつでもお客さまの体験は変わるので、レースのたびに小さな改善や工夫を積み重ねています。
トップチームともなると年間支出額は数億円を下らないといわれる世界。「スポンサーさまがいなければ、チームは走ることもできない。感謝の気持ちをもって仕事に臨んでいます」[写真]中野賢太
———最近、成績絶好調のチームトムス。会場も盛り上がるのでは?
昨シーズンはスーパーフォーミュラで坪井選手がチャンピオンになり、SUPER GTでもチーム優勝を飾ったので、すさまじい熱狂ぶりでした。強いチームにいるんだなと、一員として誇らしい気持ちになりました。決勝レースでは窓際に人だかりができて、みんな固唾をのんで結果を見守るんです。ゴールした瞬間は、スタッフもお客さまも一緒になって喜び合います。
取材後のレースでは、トムス坪井選手が第6戦で1位に輝き、第7戦でも3位に入賞。盤石な走りを見せた[素材提供]日本レースプロモーション
踏み出しにくい場所にこそ、面白い世界が待っている
———出張が多いという話が出ましたが、負担には感じませんか?
前職は働く場所が毎日同じなので、昔からなんとなく出張に憧れがありました。いろいろな土地に行けますし、楽しそうなことがあるとすぐに動きたくなる性格なので、まったく苦ではなかったですね。メカニックさんをはじめ他のスタッフとも宿泊するホテルがだいたい一緒なので、レースがひと段落したら一緒に飲みに行けるのも楽しみです。
———レース後の飲み会は、かなり盛り上がりそうですね!
いろんな現場の話を聞くのが面白いですね。「このレースがどうしてああいう展開になったのか」といった裏話から車の構造、部品の話まで。知識が増えてくると、モータースポーツの奥深さにどんどんハマっていきます。
———プライベートにも影響を感じたりしますか?
オフの日でもモータースポーツ関連の動画を見るようになりました。あとは、仲のいいメカニックさんに誘われて、生まれてはじめてカートに乗りに行ったり。
前職とのギャップに友達からも驚かれますよ。でも、中には「実はレース大好きなんだよ」という人もいて。今までそんな話をしたことがなかったので、こちらもびっくりしました。後日サーキットに遊びに来てくれたときには、その友達の子どもさんにグッズをプレゼントしたりして。なんだかうれしかったですね。
———モータースポーツ業界に興味を持ちはじめた方へ、伝えたいことはありますか?
一歩踏み出しにくい業界だと思うんです。専門知識を持つ人がゴロゴロいるし、どうしても引け目を感じてしまうのはよく分かります。でもそこを飛び越えてみて、今、すごく楽しいんですよね。仕事をしているうちに、どんどん好きになっていくのもこの業界の面白いところなんじゃないかなと思います。ぜひ勇気を出してほしいです。
PROFILE
荒井 将哉(あらい・まさや)さん
前職は老舗の高級ホテルでドアマンなどの経験を積む。コロナ禍をきっかけに転職を決意し、トムスへ入社。現在はスポンサー運営部でスポンサー招待・接遇に関するオペレーション全般を担当。お台場にある本社、御殿場の工場、全国のサーキットを飛び回る。チームリーダーとして、新卒2名の育成にも力を注ぐ。
interview & text:大迫龍平/dodaSPORTS編集部
photo : 中野賢太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










