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「コンマ2ミリで勝敗は変わる」エンジニアが向き合い続けるレースと人生の“変数”

一瀬 俊浩さん

ThreeBond Racing レースエンジニア

「雨の日は、路面のコンディションも一変するんです。2週間前から天気予報が気がかりでした」

持ち直した空模様に、エンジニアはほっとした表情を浮かべた。濃い霧がようやく晴れ、日本一の山が姿をあらわす。ここ富士スピードウェイで、もうすぐ日本最速のレースがはじまる。

F1に次ぐ速さを誇る「スーパーフォーミュラ」。一瀬さんは、これまで何度も所属チームを表彰台に載せてきたエンジニアだ。実は昨年、彼のある決断が業界を騒がせた。

「予測のつかない “変数”と向き合う」——。マシンと夢を追い続けたエンジニアが、たどりついた分岐点とは。レース前日のピット裏をたずねた。

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    富士山のふもと御殿場に位置する日本最大級のレーシングコース「富士スピードウェイ」。スーパーフォーミュラ2025 第6戦・7戦直前の現場を取材した[写真]中野賢太

    「エアコン設定も“コンマ”読み」レースエンジニアの日常

    ———練習走行(※)直前の貴重な時間にありがとうございます。週末からいよいよ本番レースがはじまりますが、それまではどんな作業を?

    だいたい練習走行の前日の朝にサーキット入りして、走行プランを立て、セットアップ(※)を決めて……という流れですね。走行がはじまったらドライバーと無線でやり取りしながら、パソコンでデータを分析し「どのタイミングで新品のタイヤを投入するか」「いつピットインするか」といった戦略を練って本番に備えていきます。

    ※練習走行……コースやマシンの状態を確認するための走行。通常、レース本番前の金曜日に実施される
    ※セットアップ……サスペンション(車体の底部とタイヤをつなげる部品)のばねの硬さやウイング(車の後部に装着されるパーツ)の角度、車の車高などの調整作業のこと

    ———チーム内はどんな役割分担になっているんですか?

    チームによって多少の違いはありますが、僕が担当しているトラックエンジニアのほかに、パフォーマンスエンジニア、データエンジニアがいて、それぞれ分業しています。各担当と相談しつつ、最終的なセットアップを決める「責任者」がトラックエンジニアです。整備を行うメカニックやマネージャーへの作業指示も出しています。

    チーム「ThreeBond Racing(スリーボンドレーシング)」でトラックエンジニアを務める一瀬さん。最高速度時速300kmを超えるスーパーフォーミュラでは、ほぼ全車が1秒未満でしのぎを削る[写真]中野賢太

    ———スーパーフォーミュラはエンジン以外すべて同じ競技車両を使う「ワンメイク」レースです。性能差が少なくても、エンジニアのさじ加減で結果が大きく左右されるものですか?

    セットアップと一口にいっても、膨大な項目があるんです。何万通りのパターンの中から設定を絞っていく。「車高を地上高コンマ2ミリ下げて」なんていうオーダーが当たり前の世界です。たったコンマ2ミリの差でも、タイムが全く違ってくる。「あとコンマ1ミリいける?」「いやいや、このままで行こう」。そんなのが日常会話です。この間、家で奥さんに「エアコン0.5度下げて」と頼まれて、つい「コンマ5?」って聞き返しちゃって(笑)。呆れられました。

    ———それほど「コンマ」の感覚が染みついている(笑)。シビアな数字の世界で、一瀬さんが気をつけていることは。

    あらゆる設定数字に根拠を持つことですね。机の上の研究と違って、レースの世界って予測のつかない“変数”がとにかく多い。天候はもちろん、気温も無視できません。寒いと空気密度が大きくなるので、地面に車を押し付ける力「ダウンフォース」が強まります。つまり、摩擦が上がり、スピードが上がる。夏と冬ではダウンフォースの量が何十パーセントも違うんです。

    ———そんなに!想像以上に差があるんですね。私たちの「天気が気になる」とは次元が違うのがわかります(笑)

    タイヤのゴムの作用も大きいです。走れば走るほど、タイヤは路面になすりつけられグリップがあがる。「ラバーがのる」という言い方をしますが、数秒単位の差が出ます。そういう “変数”が無数にあるので、たとえ結果が良くても自分の戦略が当たったのか、たまたまコンディションが味方したのか。その見極めがすごく難しい。主観に惑わされず、分析とシミュレーションを重ねて、すべての数字に裏付けを得ることを心がけています。

    車両やタイヤなどの規格が変更されると、それまでのデータはほぼ無意味に。わずかな条件の違いで勢力図がガラリと覆るのも競技の見どころのひとつ[写真]中野賢太

    寝ても覚めても「クルマ漬け」の青春時代

    ———そもそもモータースポーツと出会ったきっかけは?

    親が言うには、物心つく前から車のおもちゃが好きだったらしいです。自分にとっての原体験でいうと、小学生のときですね。走り屋をテーマにしたアニメ『頭文字D』の中で「ガムテープデスマッチ」っていうのが出てくるんですよ。ハンドルと右手をガムテープでぐるぐる巻きにしてレースする回(笑)。嘘だろ、と。そんな状態で車ってカーブを曲がれるのか。その物理現象をいつか証明してみたい、説明できるようになりたいと思ったのが原点だと思います。

    ———生まれながらの「エンジニア脳」だったんですね。

    ドライバーにも憧れはありましたが、やはりプロを目指すには相応のバックグラウンドがないとダメ。それで中学くらいからエンジニアの道を意識しはじめて。大学も「交通機械学科」を専攻し、「学生フォーミュラ」という学生によるレーシング競技のチームにも入部しました。車両の設計から製作、走行まで全部自前でやるという本格的な大会です。大学に泊まり込んで、寝ないで部品を作って。大変でしたが、同じ熱を持った仲間にはじめて出会えたと感じました。

    学生フォーミュラ時代の一瀬さん(写真中央)。プロとなった今では現役の後輩たちに向けて講演会を行うことも[写真]本人提供

    ———みんなやっぱり卒業後はモータースポーツ業界に就職するんですか?

    それがそうでもなくて。業界に入ったのは同級生の中でも1人か2人くらい。僕は迷いなくこの道と決めていましたが、就職活動は難儀しました。今でこそ各社がウェブで求人を出していますが、当時はそういったものがほぼ無かった。業界の1社1社にメールを送って直談判(笑)。どうにかこうにか、ご縁があって、あるチームのSUPER GT(※)のデータエンジニアからキャリアがはじまりました。

    ※SUPER GT……市販車を改造した高性能な「GTカー」で争われるレースカテゴリー

    エンジニアの眼で見定めた「自分の限界」

    ———その後めきめきと頭角をあらわし、2017年頃からスーパーフォーミュラへと主戦場を移します。2021年・2022年には2年連続チャンピオンという快挙を成し遂げました。

    優勝の喜びも大きいのですが、一番うれしいのはドライバーが満足してくれたときなんです。めったにないですが(笑)。「TEAM MUGEN」で野尻(智紀)選手と組んでいた2021年のRd.5もてぎ戦は今でも忘れません。前年まで結果が低迷していて、絶対に落とせないレースでした。選手と何度も意見をぶつけ合った末、最終的に僕が出したのは当初のプランとはまるで違うセットアップ。でもみんな「一瀬さんを信じるよ」と託してくれて。結果は全セッショントップでした。予選では1秒差をつけた。予選後に選手が車を降りてきて開口一番「今回の車は完璧だった。言うことないね」と。それが本当にうれしかった。

    ———そんな絶頂期にあった一瀬さんですが、2024年強豪「TEAM MUGEN」を去ります。当時苦境にあえいでいたチーム「ThreeBond Racing」への電撃移籍は関係者やファンの間でも一大ニュースになりました。その裏には、ある“挫折”体験があったと聞いています。

    レースエンジニアに一番求められることって「瞬間的な決断力」なんです。マシンは時速300キロ。1秒でも判断をミスったら、ピットインするタイミングを逃します。そういう瞬発力が、30歳を過ぎたあたりから徐々に衰えはじめたのを感じました。事実、チャンピオンを獲得した翌年は結果が振るわなかった。優秀な後輩たちも、どんどん実力を伸ばしている。そのうち抜かれるだろう。彼らがいるなら、もう僕がここにいる必要はないんじゃないかと思いはじめて。

    ———数字とシビアに向き合ってきたからこそ、自分の限界も直視した。悔しさはありませんでしたか?

    後輩への劣等感よりも、周囲の期待に対して結果が出せない自分が許せませんでした。そのあたりから、レースエンジニア以外の生き方も考えるようになって。前々から「レーシングシミュレーター」に関わる業務にも興味があったので、思い切って起業しようと。同じ時期に旧知のメカニックから「所属チームが苦しい状況にある」と連絡があって、イチからチームを作るのも面白そうだと思い、業務委託という形で「ThreeBond Racing」へのジョインを決めたんです。

    ———一般の世界でいう同業他社への転職に近いと思うのですが、すぐになじめましたか?

    最初はぎこちなかったですね。チームが違えば、流儀も違う。指示しようにも、誰が何を得意とするのかわからない。ドライバーと接点をとれる機会も少なくて。そうした変化への慣れなさが、今シーズン前半の苦戦に直結したかなと思います。その中でも、スタッフと冗談を言い合ったり、一緒にケータリングを食べたり。雰囲気を大事にしながら、時間とともに打ち解けてきた感じです。

    「ThreeBond Racing」のドライバー三宅選手(写真右)、塚越監督(写真左)と。昨年は最下位に終わったが、一瀬さん加入直後の2025年開幕前テストで上位タイムを叩き出し、関係者を驚かせた[写真]本人提供

    「もっと業界をオープンに」 挑戦は続く

    ———立ち上げた会社ではレースエンジニアの業務以外にどんなチャレンジを?

    シミュレーター開発です。最近はどこも予算が厳しく、走行機会がどんどん減っていて、結果としてシミュレーション技術への需要が高まっています。車両運動を再現し、セットアップ状況を予測することもはじめています。ゆくゆくはドライバーが走行して評価できるようなレベルにまで持っていきたいです。

    挑戦という点でいうと、レースエンジニアとしても大事にしていることがもう一つあって。毎レース、必ず何か新しいトライを取り入れる。「停滞は衰退」をモットーとして、自分でプログラミングして計算ツールを組んだり、パーツ開発に挑んでみたり。

    子どもを寝かしつけた後、セルフカスタムの自宅シミュレーターで数時間走行し分析するのが“精神安定剤”。「モータースポーツ以外の趣味はありません」ときっぱり[写真]本人提供

    ———レースでもそれ以外でも、試行錯誤するのが大好きなんですね。ブログやSNSを通じた情報発信にも積極的に取り組まれていますよね。

    この業界って、昔は求人も全然なく、かなり閉鎖的な世界でした。ピット内の映像も公開しない。マシンの中身も見られない。その時代は「現場で見て学べ」スタイルで済んだのかもしれませんが、これだけデジタル化が進む中で、それってどうなのと。少しでも若い人たちに興味を持ってもらえたらという気持ちで情報発信しています。

    ———「スポーツ業界」と聞いて、体育会系の雰囲気や激務を想像してしまう人も多いのかもしれませんね。

    そういうのは、もう昔の話です。今スーパーフォーミュラと並行してSUPER GTのチームも掛け持ちしているのですが、最近子どもが生まれたのもあって「フルリモート」で仕事していて。現場行ってないんですよ。

    ———えっ!レース本番の日も?

    はい。走行中の無線をパソコンに飛ばしてもらって。今どき、データもクラウドに全部アップできますから。自宅で分析して、Bluetoothのイヤホンから「こういうセットアップにしてくれ」って遠隔で指示を出しています。今のところ自分に限った特殊な例ではありますが、技術の進歩とともに働き方も変わっていくと思います。

    ———どんな局面でも、 “変数”と逃げずに向き合う。そして、それを乗り越える過程を楽しむ。一瀬さんのお話には、どんな仕事にも通じるヒントがあるように思いました。最後に、今後の目標を教えてください。

    チームとしては今年残りのレースで予選Q1通過とポイント獲得を叶えたいです。自身の目標は会社を大きくすることですね。シミュレーターや最先端の技術をどんどん導入していきたいです。それとやっぱり夢は、いつかドライバーとしてレースに出てみたい。もう実は狙えそうなカテゴリーの目星もつけはじめているところです。

    PROFILE

    一瀬 俊浩(いちせ・としひろ)さん

    大学卒業後、レース業界入り。2年目にはSUPER GTのトラックエンジニアとしてデビュー。2019年からスーパーフォーミュラ「TEAM MUGEN」のトラックエンジニアも担当。2021年、2022年と2年連続のシリーズチャンピオンに導く。2025年に独立し合同会社EMD設立。同年、スーパーフォーミュラ「ThreeBond Racing」のトラックエンジニアに就任。

     

    interview & text:大迫龍平/dodaSPORTS編集部
    photo : 中野賢太

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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