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こんな瞬間のために日々仕事をしているんだと感動│パ・リーグ球団 仕事図鑑2025 – 転職“同期”対談

我孫子 遼さん 張 子謙(ウェスリー)さん

株式会社 ファイターズ スポーツ&エンターテイメント

Index

    「こんな瞬間のために日々仕事をしているんだと感動」

    我孫子 遼さん(写真左)

    株式会社 ファイターズ スポーツ&エンターテイメント
    事業本部 営業統括部 法人営業部 法人営業第2グループ

    前職:人事・組織コンサルティング業界

    「大きな夢のためにマーケティングを学びに日本へ」

    張 子謙(ウェスリー)さん(写真右)

    株式会社 ファイターズ スポーツ&エンターテイメント
    開発本部 開発・企画統括部 事業企画部 ツーリズムグループ

    前職:スポーツビジネス業界

    世界とつながる
    ワクワクする球団と街に

    ———まずは現在の仕事について教えてください。

    我孫子 スポンサー営業を担当しており、球場の広告看板やイベント協賛などを企業や団体に販売しています。いわゆる法人営業ですね。2028年に北海道ボールパークFビレッジ(以下「Fビレッジ」)(※1)内に移転する北海道医療大学さんとのプロジェクトも担当しています。

    ウェスリー 僕はインバウンド集客を担当し、海外からの訪問者誘致を行っています。台湾出身でして、2024年5月にファイターズに入社してから日本語を勉強し始めました。日本語が拙かったらすみません。

    ———とても流暢ですね! わずか1年でここまで話せるようになるとは。

    我孫子 本当にすごいですよね。最初は「大丈夫かな?」と思ったけど、瞬く間にうまくなって、2、3カ月後には冗談を交えた日本語を使って場を和ませていましたよ。

    ウェスリー ファイターズには僕と同世代の方が多く、同僚に助けてもらっています。僕からすると我孫子さんの方がすごいと思いますよ。今、海外の営業に携わっているのでわかるのですが、営業はタフさが求められる仕事。それなのに我孫子さんはいつも明るく、みなさんと仲良し。仕事とプライベート、どちらも全力。見習いたいですね。

    我孫子 高校まで野球をやっていたので、元気がありあまっているだけかも。人を楽しませるのが好きなんです。

    ———どういう経緯でファイターズに転職しましたか?

    我孫子 大手総合人材サービスグループの人事コンサルティング会社で営業をしていました。企業の人事制度を変えたり、スキルを高める仕組みを設けたりすることで、社員がより元気にはたらけるようにするという仕事です。東京ではたらいていました。ただ、僕はもともと札幌出身で、妻も北海道出身なので「いつか北海道に帰りたいね」と言っていたんです。そんなときにエスコンフィールドHOKKAIDOができ、「バッターズアイラウンジ by PR TIMES」というセンターバックスクリーンの特別な席の抽選に当たって。妻、子ども、互いの両親で訪れたところ、「こんな空間をつくれるのか」と感動したんです。ちょうどファイターズが職員を募集していたので、挑戦するしかないと思って転職を決意しました。妻はファイターズの大ファンなのでまったく反対しませんでした(笑)。

    ウェスリー 僕はイングランド・プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCでチケットセールスを担当していました。台湾で子どものころからインターナショナルスクールに通っていたので、英語も話せます。大学卒業後はイギリス政府が運営する英語学校ではたらいていたんですが、スポーツビジネスを学びたいと思ってイングランドへ渡りました。

    我孫子 遼さん│株式会社 ファイターズ スポーツ&エンターテイメント 事業本部 営業統括部 法人営業部 法人営業第2グループ

    台湾をサッカーW杯へ導きたい

    我孫子 なぜスポーツビジネスを学びたいと思ったの?

    ウェスリー こんな話をするのは恥ずかしいのですが、自分の最終的な夢は台湾をサッカーのW杯に出場させることなんです。そのためには台湾サッカーのレベルアップが不可欠。台湾でプロサッカークラブを設立したいと考えており、その勉強先としてウェストハムを選びました。

    我孫子 そんな壮大な夢があったとは! 

    ウェスリー ウェストハムのホームスタジアムは6万2千席あるんですが、約4万席がシーズンチケットで販売済み。試合ごとに残りの席が発売されると15分も経たないうちに売り切れてしまうんです。そんなウェストハムでは、国際的なクラブのオペレーションを学ぶことができました。ただ、プレミアリーグは人気がすごすぎて、マーケティングについては別の環境で学びたいと思い、日本へ行こうと思いました。

    我孫子 ファイターズの求人にはどう出会ったのかな?

    ウェスリー 自分からアプローチしました。プロ野球、Jリーグ、Bリーグの関係者にSNSでかなりの数のダイレクトメッセージを送りました。200人以上に送ったところ数人が返信をくれて、その1人がファイターズの方でした。取締役の前沢賢さんたちがスタジアム見学でロンドンを訪れたときに会うことができ、約半年間のプロセスを経て、内定に至りました。

    ———互いに異なる環境からファイターズに来たわけですが、実際に球団ではたらいて何に驚きましたか?

    我孫子 驚いたのはとにかく仕事のスピードが速いことですね。前の会社も風通しの良さで有名だったんですが、そこよりも速い。何かやるとなったときの馬力やエネルギーがすごいんです。例えば試合後にスポンサーさんとイベントをするという企画が持ち上がったところ、マイナス面よりもプラス面に目を向けて一気に話が進みました。

    ウェスリー 僕もファイターズは速いと感じました。最初は戸惑いましたが、今ではファイターズのスピード感に慣れました。僕がもうひとつ驚いたのがはたらく人同士の仲の良さです。イングランドでは仕事は仕事、プライベートはプライベートという感じでオフの付き合いが少なかったのですが、ファイターズではみんなの距離が近い。食事によく行くし、同世代の社員のグループでよく旅行に行きます。あとやっぱり日本は食事がおいしいのが嬉しい。僕は日本のカレーが大好きです。

    我孫子 上司との距離も近いと思います。球団の納会ではその年に入社した社員を代表して僕も壇上に上がったのですが、取締役の方と一緒に即興でトークをさせてもらいました。翌日から職場の人たちから「おもしろかったよ」と話しかけられるようになり、顔と名前を覚えてもらえて良かったです。

    ウェスリー すごく盛り上がっていたのを覚えていますよ(笑)。ファイターズでは僕の敬語が拙くても「気にしないでいいよ」と皆さん言ってくれるので、すごく助けられています。

    張 子謙(ウェスリー)さん│株式会社 ファイターズ スポーツ&エンターテイメント 開発本部 開発・企画統括部 事業企画部 ツーリズムグループ

    最大のモチベーションは、関わる人を笑顔にすること

    ———新庄剛志監督(※2)体制3年目となる2024年、ファイターズはパ・リーグで2年連続最下位から2位へ躍進し、クライマックスシリーズを勝ち上がってファイナルステージに進出しました。選手たちの活躍は仕事に影響しましたか?

    我孫子 はい、ファイターズを好きな方がどんどん増えている感覚があります。隣の部署がシーズンシートを扱っているのですが、多くの問い合わせがあったようでした。個人的にもチームの躍進に心が揺さぶられました。クライマックスシリーズ・ファーストステージ第2戦の9回裏に万波中正選手(※3)が起死回生の同点ホームランを打ったとき、こういう瞬間のために日々仕事をしているんだと感動しました。球場で観ていたのですが、泣いている同僚もいました。一生忘れないと思います。

    ウェスリー 僕は台湾の旅行会社と仕事でやりとりしているのですが、明らかに反響が増えました。2024年12月、清宮幸太郎選手(※4)が台湾シリーズの記者会見のために台北に3日間滞在したときは、ものすごい人気で空港にもファンが出迎えてくれていました。2024年シーズンオフに台湾プロ野球MVPの古林睿煬投手(※5)がファイターズへ入団し、さらに注目度が高まっています。台湾の旅行会社と一緒にどんどん新しいツアーを企画していきたいと思います。

    我孫子 海外からの注目度が上がっているのは嬉しいですね。スポンサーシップの価値がさらに高まります。

    ウェスリー 球場と周辺エリアを含めた「北海道ボールパークFビレッジ」への注目度も高いですよ。僕は欧米のメディアへのPRも担当しているのですが、CNBCというアメリカの大手メディアが「Fビレッジ」を取り上げてくれました。2024年2月にはロサンゼルスのBtoC 旅行博「Los Angeles Travel & Adventure Show」 に「Fビレッジ」のパンフレットを置きました。

    ———中期的にどんな目標を持っていますか?

    ウェスリー 2028年にインバウンド来訪者数30万人の達成を目標にしています。2024年は1.8万人だったので簡単ではないですが、目標は大きい方が燃えますよね。台湾語、英語、日本語を駆使して、外国からツーリストを呼び込みたいです。

    我孫子 僕は「Fビレッジ」がある北広島市に住んで良かったという街づくりに貢献したいです。北海道医療大学さんとスポーツ×健康といったイベントを開催するなど、新しい試みをしたいです。住んでいる方が活き活きできる空間にするのが目標です。僕にとって仕事の最大のモチベーションは、関わる人を笑顔にすることですね。「Fビレッジ」にご来場いただくファンの方もそうですし、スポンサーシップの法人のお客さまもそうですし、いっしょにはたらく仲間もそうです。そして大事な家族も笑顔にしたい。娘たちもファイターズが大好きなので、その期待に応えたいです。

    自分を信じて踏み出す勇気

    ———最後に球団への転職に興味を持っている人たちへのアドバイスをお願いします。

    我孫子 フィーリングが大事なのかなと思っています。チャレンジには困難が伴うし、仕事環境が大きく変わることに対する不安もあるかもしれません。実際、僕はそうでした。それでも好きなことであれば頑張れる。「もしかしたら、おもしろいかも」と感じるものが見つかったら、感覚を信じて一歩を踏み出してみると自ずと道が開けると思います。

    ウェスリー これまでに海外で仕事をすることの難しさを感じる瞬間もありました。けれど大きな目標があれば、現在の感情は問題にならないですよね。夢があればどんどん成長し、困難を乗り越えられます。

    (※1)北海道ボールパークFビレッジ:北海道日本ハムファイターズの球場、エスコンフィールドHOKKAIDOを擁するボールパークエリア全体の名称。

    (※2)新庄剛志(しんじょう・つよし):1972年1月28日、福岡県出身。現役時代は2004年から約3年間、北海道日本ハムファイターズでプレー。2022年に監督として古巣に復帰。監督3年目の2024年、チームを2位に躍進させた。

    (※3)万波中正(まんなみ・ちゅうせい):2000年4月7日、東京都出身。2019年北海道日本ハムファイターズにドラフト4位で入団。2023年に外野手部門でベストナインを初受賞した。2023年から侍ジャパンにコンスタントに選出されている。

    (※4)清宮幸太郎(きよみや・こうたろう):1999年5月25日、東京都出身。2018年北海道日本ハムファイターズにドラフト1位で入団。2024年7月以降、中心打者として活躍。2024年10月、侍ジャパンに初選出された。

    (※5)古林睿煬(グーリン・ルェヤン):2000年6月12日、台湾出身。2024年台湾プロ野球の最優秀防御率とMVPを獲得。2024年11月北海道日本ハムファイターズとの契約合意が発表された。「火球男」の異名を持つ。

    interview & text:木崎伸也
    photo:松本昇大

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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