日本のWBC優勝に心を動かされ、野球が特別な存在だと思い返すことができました│パ・リーグ球団 仕事図鑑2025 – 転職“同期”対談
橋永 貴郁さん 横堀 真人さん
株式会社西武ライオンズ
Index
「日本のWBC優勝に心を動かされ、野球が特別な存在だと思い返すことができました」
橋永 貴郁さん(写真左)
株式会社西武ライオンズ
コミュニティ創生部
前職:地域振興業界・写真/カメラサービス業界
「高校生のときに野球業界を目指しそこから逆算して進学先を決めたんです」
横堀 真人さん(写真右)
株式会社西武ライオンズ
営業部コーポレートセールス第3グループ
前職:旅行業界
恩のバトンリレーで野球界に貢献したい
———まずは現在の仕事について教えてください。
横堀 西武ライオンズの営業部は、セールス部門が3つのグループに分かれており、私は西武グループとつながりがある企業に対してシーズンシート、広告、イベント協賛などを販売するグループに所属しています。たとえば、西武グループが導入しているシステムを提供してくださっている会社にシーズンシートなどの提案をするというイメージです。
橋永 私はコミュニティ創生部に所属しており、子どもたちを対象にしたスクールのベースボールアカデミー、ダンスアカデミーの企画・運営を主に担当しています。現在、埼玉県内にベースボールアカデミーが7校、ダンスアカデミーが5校あります。
———横堀さんは2023年3月、橋永さんは同年9月の入社ですね。どれくらい交流がありますか?
横堀 初対面は「同期交流会」でした。ライオンズには中途でも同じ年に入ったら同期という概念があり、私ともう1人の同期が「みんなで集まろう!」と呼びかけて所沢の飲食店で開催しました。会社の公式的なものではなく、あくまで自主的な会です。
橋永 10人くらい参加して盛り上がったのを覚えています。
横堀 あと、球場主体の軟式野球の交流戦があるんです。明治神宮野球場、横浜スタジアム、ZOZOマリンスタジアム、ベルーナドームが持ち回りで毎年12月ごろに開催し、球場の運営会社、およびそこを本拠地にする球団の職員が参加するというものです。私と橋永さんはそのチームメイトなんですよ。私は高校まで硬式野球をやっており、交流戦に外野手として出場しました。
橋永 私は大学で硬式野球部に所属しており、投手だったので、2024年の交流戦では投手を任され、2イニングに登板して1失点でした。2023年はかなり打たれてしまったので、抑えられて良かったです。横堀さんはとても活躍していましたよね?
横堀 活躍したように見えたかもしれませんが、実は1本もヒットを打っていないんですよ。相手守備のエラーで出塁し、味方のヒットで激走してヘッドスライディングでホームへ帰ったので印象に残っているんだと思います。
橋永 無安打とは知りませんでした(笑)。ただ、横堀さんの外野の守備に投手として助けられましたよ。元プロが出たり、ソフトボール経験がある女性職員が出たり、和気あいあいとしたすごくいい大会ですよね。
橋永 貴郁さん│株式会社西武ライオンズ コミュニティ創生部
コロナ禍での挑戦
———2人とも野球経験者ということですが、ここまでどんなキャリアを歩んできましたか?
横堀 私は高校生のとき「いつかプロ野球の世界ではたらきたい」という夢を持ち、そこから逆算して早稲田大学のスポーツ科学部に進学しました。ただ、プロ野球球団の新卒採用の枠は多くはないので、野球とは関連しない会社ではたらいてビジネスの現場を経験してからいつかチャレンジできればと考えていました。私が選んだのは旅行業界。右肩上がりに伸びていたし、スポーツに関係する部署もあったので。ただ、想定外のことが起きてしまいました。新型コロナのまん延です。入社直前の出来事でした。
橋永 私の友人も旅行会社に就職したのですが、業務がストップしたと言っていました。相当に大変だったのではないですか?
横堀 はい、入社式もなく、営業部に配属されましたが、約半年間は自宅待機で営業の経験はほとんど積むことができませんでした。しかし、立ち止まっていても状況は変わりません。子会社のテーマパークへの出向が募集されたので手を上げ、地方のテーマパークで半年間はたらきました。その後、さらに別の出向先で1年半勤務し、自分からアクションを起こしたことで人と違う視点を持てたと思います。
橋永 私は大学4年時に休学したことで、新型コロナの影響はそこまで受けずに済みました。
横堀 なぜ休学したんですか?
橋永 大学で硬式野球部に所属していたものの、プロになるような実力はなく、途中で投手コーチに転身しました。2学年下に現在ライオンズで活躍中の佐藤隼輔選手(※)がおり、チーム運営など含めて自分の中で野球を4年間やりきったという感覚があった中で、猶予期間をつくりたいと思って休学しました。そのときに地域振興の合同会社を起業したんです。古民家を改装して空きスペースをレンタルしたり、地域の物産品を販売したりするビジネスでした。コロナ禍に起業の準備をし、規制が緩和された時期に古民家をオープンしたので、新型コロナの影響は最小限に抑えることができました。
横堀 起業とはすごい! 私の大学でも同級生が起業したという噂を耳にしましたが、実際に会ったことはなかったので。
橋永 私以外のメンバーは味噌や米の生産者、写真家、建築家、デザイナー、ITエンジニアといった方たちで、すべて私自身から提案したというわけではなく、関係者の皆さまに引き立ててもらった部分が非常に多くありました。人とのつながりやさまざまな偶然が重なっての形です。その会社を続けながら、大学卒業後に写真プリントやカメラ販売を行う会社に就職しました。いわゆるダブルワークですね。カメラ販売の会社では企画を担当し、「どんな付加価値をつけたら来店してもらえるか」といったアイデアを練っていました。
横堀 真人さん│株式会社西武ライオンズ 営業部コーポレートセールス第3グループ
人と違う経験が武器に
———そうやって経験を積む中、どのタイミングで転職を思い立ったのでしょうか。
橋永 古民家ビジネスもカメラ販売の会社の企画職もやりがいがあったのですが、「本当に自分がやりたいことなのか」という迷いが同時にありました。そんなときにトリガーになったのが2023年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)です。日本の優勝に心を動かされ、野球が自分にとって特別な存在であることを思い返しました。すぐにいくつかのプロ野球球団の求人に応募したところ、ご縁があったのがライオンズだったんです。古民家の合同会社は共同創業した皆さまが運営を続けつつ、私自身は籍を外れる形でライオンズへ転職しました。
横堀 私は大学卒業から3年を転職の目処に考えていました。球団の営業求人を調べたところ、「営業経験3年以上」と書かれていることが多かったからです。私は出向期間もありましたので、正確には「営業経験3年」ではないのですが、熱意があればなんとかなると考えました。ライオンズに応募したのは、西武グループが西武園ゆうえんちや横浜・八景島シーパラダイスといったエンタメ施設を持っており、テーマパークに出向した経験もアピールできると思ったからです。意図したわけではないのですが、コロナ禍でチャレンジした経験をしたことが武器になりました。
———実際にライオンズではたらいてどう感じましたか?
横堀 日本にプロ野球は12球団しかなく、影響力の大きさを改めて感じました。たとえば自分が営業で携わったお客さまの看板が球場に設置されると、テレビ中継で映るだけでなく、ゲームの世界にも登場する。仕事が目に見える形になるので、ものすごくやりがいがあります。私は野球に育ててもらったという感覚があり、プロ野球界に貢献して恩返ししたい。その気持ちが日々満たされています。
橋永 すごく共感します。「恩返し」に加えて私が好きなのは「恩送り」という言葉です。誰かから受けた恩を直接その人に返すだけではなく、別の人へ送ることも大切にしたい。
横堀 恩のバトンリレー。素晴らしい考え方ですね。
橋永 ライオンズではたらいて感じているのは、ガバナンスがしっかりしており、西武グループの企業体としての規模の大きさでした。社内決裁をはじめ、プロセスは細かいのですが、とるべき手続きを丁寧に踏めば、物事が早く進んでいくと感じています。
横堀 服装に関して言うと、前職の旅行会社は、営業もオフィスカジュアルでした。一方、ライオンズでは基本的に営業はスーツ。今、スーツで出社しているのがすごく新鮮です。
橋永 コミュニティ創生部ではライオンズマーク入りのジャージを着ている人も多いですよ。ただ、私も横堀さんと同じようにスーツで出社しています。スーツを着ると「さあ、仕事だ!」と気持ちが引き締まるじゃないですか。それが好きなんです。
球団も一般の会社と変わらない
———最後に球団への転職に興味を持っている人たちへのアドバイスをお願いします。
横堀 私は大学のときから目標や思いをノートに書くようにしてきました。何かにつまずいたときに見返すと、「あのときはこう考えていたんだ」、「今自分ができるのはこれだ」と客観視できるからです。人って忘れっぽいじゃないですか。文字に残しておくと、何かタイミングが訪れたときにチャンスを掴みやすいのかなと思います。
橋永 私の起業がまさにそうでした。何か物事が動き出すきっかけはどこで生まれるか本当にわからないと思っており、機を逃さないようにアンテナを張ることは大切だと感じます。また、「球団も一般の会社と変わらない」と思います。取り扱う商材や内容が変わるだけで、一企業としてやるべきことは同じです。スポーツ業界を特殊だと捉えると自分自身で壁をつくってしまい、機会を逃してしまう可能性もありますので、気軽に転職先のひとつとして見ていただくと良いのかなと思います。
横堀 最近、SNSで「好きなことを仕事にするのは良くない」という意見を目にするのですが、私はそう思いません。好きなことであれば壁に当たっても頑張れる。ぜひ思いがある方にチャレンジして欲しいです。
(※)佐藤隼輔(さとう・しゅんすけ):2000年1月3日、宮城県出身。仙台高校から筑波大学へ進み、2022年埼玉西武ライオンズにドラフト2位で入団し、左腕の中継ぎとして活躍している。2023年10月、侍ジャパンに初選出された。
interview & text:木崎伸也
photo:松本昇大
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










