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一度フェンシングから離れてよかった。戻ってきた自分にこそできる、スポーツへの恩返し

杉山 文野さん

元フェンシング女子日本代表/日本フェンシング協会理事/日本オリンピック委員会(JOC)理事/東京レインボープライド理事

日本フェンシング協会理事、そして日本オリンピック委員会(以下JOC)理事として、フェンシングをはじめとするスポーツ界全体の発展に尽力する杉山さん。しかし、かつてはフェンシングから「逃げるように」引退し、長い間関わりを絶っていたという。

トランスジェンダーの当事者としてLGBTQ+の啓発活動をけん引した経験を携え、再びスポーツの世界に戻ってきた彼だからこそ目指せる、これからのスポーツのあり方とは。

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    競技生活も、別の領域での経験も、いま取り組む日本フェンシング協会理事やJOC理事の活動に不可欠だった[写真]ワンダースリー木村周平

    フェンシングが教えてくれたこと、
    じっと抱えていた苦しさ

    ———フェンシングとの出会いを教えてください。

    10歳のとき、同級生のお母さんがフェンシング協会の関係者ということでお声かけいただき始めました。当時は競技人口がいまよりもずっと少なかったこともあって、練習に打ち込むほどすぐに結果が出ました。自分よりも長くやっている同世代の子たちにもどんどん勝てるようになって、のめり込んでいきましたね。小学生から大学院生まで取り組み、23歳のときには日本代表選手として海外各地を転戦しました。

    フェンシングに限りませんが、当時はいわゆる体育会系の気質が強く、礼儀や上下関係に非常に厳しかったです。いまの時代には敬遠されがちですが、私個人の肌には合っていました。いまの自分の土台を作ってもらったと感じますし、かけがえのない仲間ともたくさん出会うことができました。フェンシングにはとても感謝しています。

    フェンシングを選んだ理由は「男女共通のユニフォームだったから」。2004年にフェンシング女子日本代表として世界選手権にも出場した[写真]本人提供

    ———引退されたのは、25歳のときですね。

    初めて日本代表選手になった翌年の選考会で落選し、それを機に引退しました。一度選手になったらコーチや監督へとキャリアを進めて生涯競技に携わっていくのがスタンダードだった中、半ば逃げるような形で退いたことで、15年間苦楽を共にしてきた仲間や監督に対して後ろめたさを感じました。

    ———なぜ「逃げるような気持ち」だったのでしょうか?

    かなり経ってから言語化できたことですが、トランスジェンダーであることを誰にも打ち明けることができず悩んでいたことが大きかったのだろうと思います。女子選手としてプレーしていた当時、自分らしくあることと、競技を継続することがどうしても両立できなかったんです。LGBTQ+というキーワードすらまだ誰も知らない時代で、なかなか周囲の理解を得られませんでした。いつもどこか不安で、100%競技に集中するのが困難だったのだと思います。もちろん、どんな境遇でも素晴らしい成績を残すアスリートはいますが、私の場合はそうではありませんでした。

    大学院では選手として活躍しながら、ジェンダーやセクシュアリティをテーマとした研究に取り組んだ[写真]ワンダースリー木村周平

    自分らしく生きるために、啓発活動をスタート

    ———大学院修了後は、スポーツ以外の領域でさまざまなことに挑戦されていますね。

    バックパッカー生活や一般企業への就職などを経て、2013年から本格的にLGBTQ+の啓発活動を始めました。東京レインボープライドのイベント運営を中心に、飲食店の経営、街の清掃ボランティア、企業や学校向けの講演会など。世の中の誰かのためにというよりも、自分らしく生きること、就職・パートナー・子育てといったいわゆる「ふつう」の日常生活を送るためにアクションを起こしたら、いつの間にかさまざまな肩書きを持つようになっていました。

    何をしていても、中心にあるテーマは「違いを知り、違いを楽しむ場をつくる」こと。自分と違う人たちを避けるのではなく、積極的に関わってお互いを知っていく。それこそが、本当の意味で「すべての人」が参加できる社会づくりへの第一歩になると考えています。

    ———LGBTQ+コミュニティを代表して発言する際、気をつけていることはありますか?

    発言が独りよがりにならないよう、普段からいろいろな人の意見に耳を傾けています。自分と異なる意見の人、自分のことを批判する人のところにこそ足を運び、しっかり話を聞く。取りこぼされる人がいないよう、一人でも多くの声を吸い上げて反映することが大切だと思っています。

    一口にLGBTQ+といっても、さまざまな立場や考え方、境遇があって、一括りにできないことは活動を通して身に染みて理解しています。だからかつては、公の場で話すときは特に主語を「私」として、「私たち」と言うことを意識的に避けていました。「あくまでも私の場合ですが……」というふうに。

    しかし、あることをきっかけにこのスタンスを改めました。2015年の渋谷区パートナーシップ制度制定に関わったときのことです。この制度は、国内で初めて行政がLGBTQ+に対して社会的配慮をする姿勢をとった出来事で、当事者はもちろん社会的にも大きな意味のある動きでした。その後、同様の趣旨を持つ制度の導入が全国に広がるきっかけになりました。

    この制度制定にあたって有識者会議が開かれたとき。医師や弁護士といったさまざまな専門家が集まる中で、LGBTQ+の当事者は私だけだったんです。それぞれが専門領域を代表して発言する中で、私だけその責任を恐れていては言葉に力が宿らない。そう気づいて、初めて「『私たち』で語らなければ」と腹を括りました。

    長く務めた東京レインボープライドの代表を2024年に退任。活動は「すべての人」のものとし、世代交代を図った[写真]本人提供

    外の世界で得た経験を、スポーツに還元したい

    ———スポーツと再び関わるきっかけとなった、日本フェンシング協会とJOCの理事にはどのように着任されたのでしょうか?

    2021年に日本フェンシング協会理事の改選が行われた際、当時の会長であり北京・ロンドン五輪銀メダリストの太田雄貴さんから声を掛けてもらったことがきっかけです。彼とは小学校時代からの友人で、私からもLGBTQ+の啓発イベントのための応援メッセージを依頼するなど、気軽にやり取りする仲です。「フェンシング界をより良くするために、手伝ってほしい」と誘ってもらって、二つ返事で引き受けました。引退してから長い間関わるチャンスを逃していたので、フェンシングに恩返しができるいい機会だと思ったんです。当初はフェンシング協会だけのつもりだったのですが、同じく改選があったJOCの理事もご縁あって着任することになりました。

    再びフェンシングに関わるようになったいまでは、あのとき一度離れてよかったなと思います。外に出ていろいろな世界を経験できたからこそ、フェンシング界やスポーツ界を俯瞰して、良いところも改善すべきところもよりクリアに見ることができています。LGBTQ+の啓発活動で培った経験やノウハウを還元することもできる。紆余曲折を経験した自分にだからこそできる貢献の形があると自分なりにやりがいを感じています。

    旧友である太田雄貴さんからの誘いを機にフェンシング協会理事、JOC理事に着任した[写真]本人提供

    ———今後、スポーツ界をどのように変えていきたいですか?

    達成したいミッションは大きく二つ。一つは、DEI(多様性・公平性・包摂性)の推進です。国際憲章には、「スポーツの実践は、すべての人の基本的な権利である」と明記されていますし、オリンピック憲章にも、「すべての個人は、(中略)いかなる種別の差別も受けることなく、スポーツをすることへのアクセスが保証されなければならない」とあります。だけど、現状ではまだこの「すべての人」に含まれていない人たちがいる。これを解消したいです。

    そしてもう一つのミッションは、選手の心理的安全性の確保。例えばLGBTQ+の場合、カミングアウトする・しないに関わらず、何かのはずみで嫌悪感を抱かれて周囲との関係が壊れてしまうかもしれないという不安があります。チームに理解がなかったらパスが回ってこなくなるかもしれない、協会に理解がなかったら代表選考に影響があるかもしれない……と、競技以外のことにエネルギーを割かざるを得ないんです。最近ではさまざまなハラスメント問題も話題に上がる機会が増えていますが、LGBTQ+に限らずスポーツに関わるすべての人が、何かの脅威におびえたり不安を感じることなく競技に集中できる環境づくりを目指しています。

    例えば、JOCから選手たちに対するアンケートの構成や内容について意見を出したことがあります。すべての質問が異性愛者で婚姻して子どもを持つことを前提に設問されていたので、これでは回答できない人がいることを指摘させていただきました。また、各競技の協会向けに研修を行うこともあります。マイノリティに属する人たちが実際にどんなことに困っているのか、どんな配慮が必要なのか。トランスジェンダーであることをオープンにしたJOC理事は私が初めてなので、これまでは「そんな人たちが本当にいるのか」という議論からでしたが、スポーツ界にも多様な人がいるという前提から議論がスタートできる、これが私の果たす大きな役割の一つだと思います。

    スポーツ団体への講演や企業研修も行う。「すべての人」が競技に集中できる環境を整えることは、パフォーマンスの引き上げにもつながる[写真]本人提供

    知ることが、隔たりをなくしていく

    ———講演会や研修で、スポーツとLGBTQ+の抱える課題について話すと、どんな反応が返ってきますか?

    一番多いのは「知らなかった」という声ですね。例えば、昨今スポーツ界で注目されている課題の一つに、トランスジェンダーの競技参加があります。トランスジェンダーと一言で言ってもさまざまなケースがあり、また個人はもちろん競技特性や競技レベルなども絡んでくるので、一朝一夕で結論が見出せるものではありません。「男が女の競技に出ちゃいけないでしょ」と単純に捉えている人も少なくありませんがそんなに簡単な話ではありません。そこで、学術的な観点からスポーツと人権のこれまでの経緯を解説したり、医療の観点から性別移行時のホルモン値の変化について解説したり、法律の観点から国際的な判例を紹介したり。さらに私が、こういったトピックが世界中でアスリートへのリスペクトを欠いた政争の具として利用されているという、政治的な背景を指摘する。ここまで話してやっと、問題の根深さが伝わります。まだまだ遠い道のりです。

     でも、「初めて知ることばかりだった。難しい課題だけど真剣に考えていかなければいけないと気づいた」と言ってくれる参加者がいるように、まずは知ってもらうことに意味があると考えています。認知を広めることで、一緒に考えてくれる人を増やしていきたいです。

    パリ五輪でも話題になった、LGBTQ+の競技参加。複合的な課題だが、知ることで共に考える仲間を増やすことができる[写真]ワンダースリー木村周平

    ———「すべての人」がスポーツを楽しめるようにするために、今後は何に取り組んでいくべきだと思いますか?

    公平なルールづくりのために一部の人を排除するのか、包摂するのかという議論ではなく、違いがある多様なすべての人を包摂した上で、どのようにすれば公平なルールになるかを検討することが大事だと思います。スポーツと一言で言っても、子どもたちが楽しむスポーツなのか、0.01秒を争うトップアスリートなのか、フェンシングなのか乗馬なのかなど、その競技レベルや競技特性によっても異なるので、全員を画一的なルールで縛るのではなく、さまざまなレイヤーで分けながら丁寧に議論する必要があります。

    まだまだ道のりは長いかもしれませんが、そういった議論をさまざまなステークホルダーと共に積み重ねながら少しずつ形にし、スポーツを本当の意味で「すべての人」のものにしていきたいですね。

    Profile

    杉山文野(すぎやま・ふみの)さん

    10歳のとき「男女でユニフォームが同じだから」という理由からフェンシングを始め、2004年に日本代表入りを果たす。翌年25歳で引退するまで、15年間打ち込んだ。その後は書籍の出版やイベントの運営などさまざまな手法でLGBTQ+の啓発活動に取り組み、2021年に日本フェンシング協会理事およびJOC理事として再びスポーツに関わっている。属性問わずすべての人がスポーツの恩恵を受けられる社会づくりを目指す。プライベートでは2児の父として、新しい「ファミリー」の形を実現している。

     

    interview & text:上根せり奈/dodaSPORTS編集部
    photo:ワンダースリー木村周平

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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