元プロサッカー選手、異端の経営者へ。挑戦と葛藤の軌跡
髙橋 周大さん
株式会社SpinOwl 代表取締役/元プロサッカー選手
プロサッカー選手になりたい——子どものころに抱いた夢を叶えた髙橋さん。現役引退後は約10年にわたり、ビジネスパーソンとして営業、スポーツマーケティング、新規事業創出に携わった。2020年にはアスリートの挑戦や地域の中小規模農家を支援する会社を興し、代表取締役を務めている。ミッションは、「すべての人の挑戦と成長を支える」。激動のキャリアを歩む髙橋さんに、これまでの挑戦の軌跡を伺った。
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早稲田大学卒業後、2006年にJ2・水戸ホーリーホックに加入した髙橋さん。Jリーグ、JFL、関東サッカーリーグなどでプレーした[写真]本人提供
全治半年の大けがが、キャリアの転換点に
———サッカー選手だった当時、引退後について考えることはありましたか?
まったくなかったですね。試合に出るとなったら、目の前のことに集中するだけ。結果を出すのに必死で、そんなに先を見据えられるほどの余裕もなかったです。水戸ホーリーホックで1年プレーして解雇通知をもらった日はショックでしたが、翌日からはどうしようかなと思いながらも吹っ切れてはいましたね。その後はトライアウトを受け、JFLの横河武蔵野フットボールクラブ(以下、横河)からお誘いただきました。
JFLはプロリーグではないですが、「アルバイトをしながらでもサッカーは続けられる。とにかくサッカーができる場所が残ってよかった」とほっとしていました。ただ、練習の初日に左足首の脱臼骨折をしてしまい、それが人生の転機になりましたね。全治半年で、手術は1ヵ月先。病院のベッドの上で、ただただ座っているだけの日々が続いて、そのときに「サッカーがなくなったら、俺の価値って何なんだろう」とひたすら自問しました。
プロアスリートとビジネスパーソン双方の経験を活かし、現在は「株式会社SpinOwl」で代表取締役を務める[写真]中野賢太
———治療中はどのように過ごしていましたか?
本を読んだり、英語の勉強を始めたり、サッカー以外で今できることはないかを必死に考え、すぐに行動に移しました。「何か力をつけないとやばい」「勉強していろいろ見聞を広めないとだめだ」という焦りしかありませんでした。
退院までの間、「自分はこの先何がしたいんだろう」と、今後の人生についても真剣に考えたときに、自分がそれまでサッカー以外のキャリアを考えたことがなかったことに気づきました。そんなときに、社会人になった大学の同級生たちが、楽しそうに仕事の話をしている姿を目の当たりにしながら、ビジネスの道に進むのも悪くないなと思ったんです。退院した1年後には現役を引退し、興味のあった旅行業界で営業として働くことにしました。
初期衝動を大切に、よりワクワクするほうへ
———その後、ナイキジャパンに転職したきっかけについて教えてください。
横河を離れた後も社会人チームでサッカーを続ける中、スポーツ業界で働きたいという思いが強くなっていき、チームの仲間に相談していました。チームにナイキジャパンの関係者がいて、「スポーツマーケティング部でバスケットボール担当を募集しているみたいだけど、興味あるなら受けてみれば」と紹介してもらったことが転職のきっかけです。
サッカーの仕事にこだわる気持ちはなく、むしろバスケットボールはやったことがないから面白そうだと、ものすごく興味が湧きました。スポーツマーケティングは、プロアスリートやスポーツチームとコミュニケーションを取りながら事業拡大を目指す部署。面接の際に、アスリートの心理がわかる自分の強みを高く評価していただけたのはうれしかったですね。
ナイキジャパンでの海外出張時の一枚。プロアスリート時代の経験と人脈を活かし、事業拡大に貢献した[写真]本人提供
———ナイキジャパンには何年在籍されましたか。
7年在籍し、ずっとスポーツマーケティングを担当しました。退職のきっかけは、会社で早期退職希望者を募る社内広報があったことです。自分は対象外でしたが、30代半ばだった当時、「髙橋周大として、この先何ができるんだろう」と今後の人生について深く考えるようになりました。身近には社会人チームでプレーしながら強い意思で人生を切り開いている経営者もいて、「俺もこうなりたい。こうならないとだめだ」という決意が湧いてきました。
———大企業を辞めることに不安はありませんでしたか?
それがまったくありませんでした。早期退職制度が広報された半年後にはもう辞めていましたから。退職後は別の会社で勤めながら、フリーランスとしてスポーツに特化したギフティングサービス事業の業務委託を受けていました。ギフトを通して、ファンの方がチームや選手を応援できるサービスに携わった経験は起業のアイデアにもつながり、ワクワクしながら取り組んでいましたね。
行動し思いを発信した結果、自然と応援してくれるファンがつくことを自らの人生で実証してきた[写真]中野賢太
すべての人に挑戦するきっかけを提供したい
———株式会社SpinOwlの事業についてご紹介ください。
主に3つの事業があります。1つ目の「アスリートバックアップ事業」は、アスリートとファンが絆を深めるファンコミュニティの運営、企画を推進する事業です。2つ目の「食と健康事業」では、アスリートの縁のある土地で農業イベントを開催するなど、地域の生産者さんの思いやこだわりを世に発信しながら、甘酒をはじめとするオリジナル商品の企画・販売も手掛けています。3つ目がスポーツ業界向けのクリエイティブ制作やイベントの企画・運営を行う「プロモーション事業」。いずれの事業も幅広いジャンルのアスリートが新しい挑戦をできるように、運営・サポートに力を入れています。
———会社設立までの経緯についてご紹介いただけますか。
以前の会社を辞めて独立した2018年から起業までの2020年は、もがきにもがいた期間でした。不動産会社の社長をしている大学の先輩に、経営者になるための実力をつけたいと相談したところ、「新規事業を立ち上げるタイミングだから一緒にやらないか」とオファーをいただき、事業運営を任せてもらえることになったのです。
当時は自分なりに新規事業のアイデアを模索し、事業化に向けて奔走したのですが、目の前の景色は変わらず、成果を出せない日々。そこで気づいたのが、"何のために"、"誰のために"働いているのかという疑問でした。そのことを考え続け、自分が大切にしたいバリューが見えてきました。そのバリューを実現させたいという思いが創業のきっかけになりました。
———大切にしたいバリューとはどういったものでしょうか。
お金もうけよりも、「すべての人に挑戦するきっかけを与えたい」という思いです。自分自身、プロとして結果を残せなかったので、創業するなら有名・無名に関わらず、幅広い選手を応援するビジネスをしたかった。売り上げが見込めて、広告としての価値がある選手や商品だけを扱うのは何か違うという思いがありました。そこで「この思いに共感してくれる人と新しいことをやりたい!」という気持ちが湧き、親友の徳永悠平に声をかけました。
徳永はちょうどそのときV・ファーレン長崎で現役を引退して、家業を継ぐタイミングでした。彼も選手時代の影響力を正しく社会に還元したいという強い思いがあった。家業と並行して、農業の担い手不足が問題になっている長崎で「地域社会や農家さんのためにとにかく何かやりたい」と始めた農業の取り組みが、食と健康事業のベースになっています。
プロバスケットボール選手・ベンドラメ礼生さんの聖地巡礼ツアー。出身地の宮崎で、地産野菜の魅力をファンに届けるイベントを開催した[写真]本人提供
スポーツの力を社会貢献に活かす
———日本のスポーツ業界の発展に必要なことは何だとお考えですか?
スポーツの枠を飛び越えて、新しいことに挑戦するアスリートがどんどん増えていくことです。海外のアスリートと比較すると、チャリティー活動をライフワークにしていたり、文化人として発言力を持っている人が圧倒的に少ない現状があります。SpinOwlでさまざまな事業を展開しているのも、「日本のアスリートももっと社会の課題に向き合ってほしい」「現役中も、引退後も影響力を活かして新しいことにどんどん挑戦し、そこで得た経験を社会に還元してほしい」という思いからです。
プロサッカー選手・山中亮輔さん(写真左)が企画したアパレルカスタムイベント。山中さんお手製のデザインをファンの私服にペイントするなど大盛況だった[写真]本人提供
———事業運営で大切にしていることは?
ファンコミュニティの運営などを行うアスリートバックアップ事業では、現在15名の現役アスリートに参画いただいていますが、分野に関係なく本人の「やりたい意思」を大切にしています。われわれがすべてお膳立てするスタンスではなくて、一緒に成長し、ファンの方や地域に価値を提供していくためには、意思をもったアスリートが不可欠です。
今後の目標として、アスリートのやりたい気持ちや人生のストーリーに寄り添い、僕自身も一緒に夢を叶えていけるような存在でありたいと思っています。自分もアスリート時代に漠然とした不安があり、もがきながらいろいろなことに挑戦したので、彼らの気持ちが分かるのかもしれません。
———最後に、今後の事業の展望について教えてください。
「地元のビーチのゴミ清掃を通して、環境問題の深刻さに気づいてほしい!」「無農薬野菜のすばらしさを世に発信したい!」そんな思いでイベントを企画し、参加するアスリートがたくさんいます。自ら企画したイベントで、新しいスキルや気づきを得て楽しそうにしているアスリートを見ると本当にうれしい。その経験はきっと、彼らのセカンドキャリアにも活きてくると確信しています。
社会への影響力を持つアスリートの挑戦によって、思いに共感する人の輪が広がることで、スポーツ業界や社会の発展につながっていく。そんな未来に向けて、自分自身も新しい挑戦を続けていきたいと考えています。
Profile
髙橋 周大(たかはし・しゅうた)さん
大学卒業後にJ2・水戸ホーリーホックに所属した後、JFL・横河武蔵野フットボールクラブなどでプレー。選手引退後、旅行会社で営業、ナイキジャパンでスポーツマーケティング、不動産会社で新規事業推進を経験。2020年、株式会社SpinOwlを設立。アスリートとファン、地域をつなぐファンコミュニティの運営・サポートなどの事業を運営している。
interview & text:藤波篤司/dodaSPORTS編集部
photo:中野賢太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










