トップアスリートが直面する就職問題。「アスナビ」のキャリア支援で、競技力も人生も支えたい
柴 真樹さん
公益財団法人日本オリンピック委員会 JOCキャリアアカデミー/アスナビ 事業ディレクター
4年に一度のオリンピックで活躍し、勇気や感動、希望を届けてくれるアスリートたち。そんな選手が活動を継続していく上で、「就職」が課題の一つになっているという。民間企業への就職を志望する選手たちを支援するため、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)が実施しているのが、トップアスリートと企業をマッチングする「アスナビ」事業だ。
JOCキャリアアカデミー事業ディレクターの柴真樹さんに、選手たちが直面する引退後の人生も含めたキャリアの問題と、アスリートが企業や社会とつながる意義についてお話を伺った。
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プロスポーツ選手のキャリア支援を行ってきた経験を活かし、現在はJOCキャリアカデミーで事業ディレクターを務める柴さん[写真]中野賢太
トップアスリートが輝き続けるための「就職」という選択肢
———まず、JOCキャリアアカデミーの役割を教えてください。
JOCキャリアアカデミーでは、トップアスリートが不安なく競技に集中してさらなる競技力向上を図れるよう、就職支援やキャリア研修といったサポートを行っています。「アスナビ」もその事業の一つです。オリンピック強化指定選手を主な対象として、アスリートの採用を希望する企業とマッチングすることで、選手が競技活動を続けるようにすることが目的です。私は「アスナビ」の事業ディレクターとして、企業のアスリート雇用を促進していく役割を担っています。
———アスリートのキャリアには、どういった課題があるのですか?
目の前にある課題は、個人競技を中心としたトップアスリートの就職です。次のオリンピック出場を目指す強化指定選手には学生も多いのですが、競技そのもので食べていけるわけではない以上、収入源が必要です。彼らが活動を継続できるよう、卒業後の就職先を見つけなければなりません。
長い目線では、アスリートの引退後を見据えたキャリア形成も大きな課題です。選手にとって現役の時間は決して長くありません。競技活動を終了したあと、喪失感に悩むアスリートが輝き続けるにはどうしたらいいのか。現役時代から引退後も含めた人生をどのように設計するのかを考える機会を作っていきたいと考えています。
———アスリートの就職はそんなに大変なのですか?
有力選手であるほど、さまざまな条件を満たしながら働ける企業を見つけなければならないんです。例えば、オリンピックを目指すトップアスリートの多くは練習時間の確保や試合出場のため、フルタイムで週5日出勤することは難しい。また、オリンピック出場のためには、さまざまな大会で好成績を残してポイントを稼がなければならない競技もあります。海外遠征や必要な道具・物品など必要経費のサポートも、活躍のために欠かせません。競技活動と生活が両立できず、引退を選ぶアスリートが増えれば、競技そのものが衰退することにもつながってしまいます。多くのアスリートに活動を継続する道を見つけ、日本を代表するアスリートの強化につなげることが、「アスナビ」をはじめとした就職支援の一番の目的です。
アスリートと企業をマッチングする「アスナビ」のしくみ
———改めて、「アスナビ」のサービスについて教えてください。
「アスナビ」は、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。定期的に「アスナビ説明会」を開催して、「アスリートの採用に興味を持つ企業」と「各競技団体から委託されたトップアスリート」の接点を作っています。2010年から事業をスタートし、これまで227社/団体に395名(2024年8月時点)の採用が決まりました。企業の規模や業種・業態はさまざまで、これまでアスリートの採用実績がない企業からもお問い合わせをいただいています。
就職支援はアスリート・企業の双方にメリットがある
———企業がアスリートを採用するメリットや狙いは?
初めてお問い合わせをいただく企業は「戦力としてのアスリート」への期待が大きいですね。常に高い目標に挑戦し続けるアスリートには、ビジネスでも通用する資質が備わっています。ただ、フルタイムで働けないケースが多いので、主戦力として勤務するのは難しい。企業によっては、アスリートとしての活動を社内に伝えてエンゲージメントを高める活動や、健康経営を実践するための体操やストレッチのレクチャー、健康的なダイエットメニューの提案など、アスリートが持つ専門性を社員に還元することを業務として設定しているようです。
———アスリートだからこそ果たせる役割があるんですね。
そうですね。一方で、アスリートを社員に迎えることで得られるもっとも大きな機能的価値は「仲間となった選手をみんなで応援することで、社内が一体になる」というエンゲージメント強化だと思います。今、若手人材の早期離職が問題となる中で、意欲高く働き続けてもらうために多くの企業が試行錯誤しています。会社の仲間であるトップアスリートの活躍を通して一体感を得られること、それが同僚社員のやる気にもつながることが、選手を社員として雇用する一番のポイントです。そのためにもアスリートにはできるかぎり社内の仲間と関わりを持ってもらいたいですし、私たちも企業が抱える悩みに対しては時間をかけて向き合い、フォローを行っています。
アスナビ説明会は、アスリートたちの自己PRの機会であり、企業が直接人柄や活動意向を知る場にもなる[写真]JOC提供
———企業からはどんな悩みが寄せられますか?
内容はさまざまですが、検討段階では労務管理をどのように行えばいいのかを悩むケースが多いかもしれません。勤務日数を減らして練習時間に充てたり海外遠征に行ったりする中で、労働時間や賃金をどのように管理するのがよいのかわからないというものです。また、競技費用を会社が負担する際に、どの課目を適用するのかといった経費に関する疑問も寄せられます。私たちから各社の事例やそれぞれの考え方をお伝えできるので、採用に関する懸念を払しょくしていただければと思っています。
———他の会社がどのようにアスリートを迎え入れているのかがわかるのは心強いですね。
「アスナビ」では、企業間で直接交流を持つ機会も設けています。アスリートを採用した企業が参加する「アスナビ情報交換会」では、「従業員みんなで応援に行きたいが、どんなスタイルで実施していますか」といった話題や、経費や労務に関する悩みも相談できる機会になっています。トップアスリートの活躍を契機に、社内が盛り上がっている事例をお伺いできることも多くうれしいですね。
———アスリートの皆さんは引退後も同じ企業で働き続けることになるのでしょうか。
「アスナビ」に参加する企業もアスリートも、「競技を引退した後も長く勤めたい」「勤め続けてほしい」が大前提です。これまでの実績では離職率も低く定着はしているのですが、競技引退のタイミングで退職する方もいるのが事実です。社員として新たな役割を見つけるアスリートもいる一方で、競技に対して恩返しがしたいという気持ちが芽生え、競技の普及や強化のために指導者となる道を選ぶ方もいます。どういったキャリアを選ぶにせよ、大切なのは現役時代にどのような接点を持ってきたのか。閉じた環境で競技だけにのめりこんだ結果、「引退すると何も残らなかった」ということにもなりかねません。それも、「アスナビ」を通して社会とつながっていてほしいと思う理由の一つです。
アスナビ説明会の会場となる味の素ナショナルトレーニングセンターは、トップレベル競技者用トレーニング施設でもある[写真]JOC提供
アスリートが企業の一員となることで生まれる、新しい力
———競技の世界だけを見てきたアスリートの皆さんは、引退後のキャリアに迷うことも多そうですね。
社員として働き続けることを選んだアスリートも、再スタートに悩みや葛藤を持っていると思います。実際に、脚光を浴びてきた現役時代とのギャップを感じて「競技のようなワクワクを感じられない」と戸惑う声も耳にしてきました。そうしたビハインドを小さくするためにも、現役時代から「会社を知る」「業務を知る」という姿勢を持つことが大切だと考えています。競技の世界と異なっていても、これまでとは違う山を登り続けることで見えてくる新しい景色もきっとあるはずです。
企業への就職が決まったアスリートたちは会社の一員として競技活動を継続し、勇気や希望、一体感を届ける存在になっていく[写真]JOC提供
———最後に、今後の「アスナビ」、そしてJOCキャリアアカデミーの展望について教えてください。
まずアスリートの立場に立って考えたとき、「アスナビ」が必要とされない社会になればいいというのが個人的な思いです。多くの企業にアスリート採用のメリットが周知され、選手に直接声がかかるようになってほしい。そのためにも、アスリートが会社の一員となることで生まれる「応援する力」の大きさを周知していきたいと考えています。一緒に仕事をする仲間を応援することで社内が活性化することはもちろん、同じ競技やチームのアスリートを採用した企業が応援会場に集まり、接点が生まれることもあるんです。アスリートが社会とつながりながら活躍することで、企業の社員やその家族を通してファンが増え、競技人口が増えることもあるかもしれません。
「アスナビ」は「就職」という1シーンに絞った支援事業ですが、もっとアスリート人生のさまざまな場面でキャリア支援ができるのではという思いがあります。現役時代から将来について考える機会を設け、さまざまな人と出会い話をすることで人生設計のきっかけを作っていくことができれば、アスリートのキャリアはもっと豊かになり、それが選手層の強化にもつながるはず。トップアスリートへの就職支援に限らず、どのようなサポートができるのかをこれからも模索していきたいと思っています。
interview & text:小南恵介/dodaSPORTS編集部
photo:中野賢太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










