ビジネスマンに転身してから今がいちばん楽しいかもしれません │パ・リーグ球団 仕事図鑑2024
髙木 大成さん
埼玉西武ライオンズ 事業部 部長
パ・リーグ各球団で活躍する球団職員の皆さんに、現在携わっているお仕事内容とそれぞれの転職にまつわる経験談を伺いました。転職理由を掘り下げることで見えてきた、やりがい、情熱、夢…そこには、独自のキャリアストーリーがありました。
Index
髙木 大成(たかぎ・たいせい)さん
埼玉西武ライオンズ
事業部 部長
前職:プロ野球選手
選手からビジネスマンへ転身
私は元プロ野球選手として、非常に珍しいキャリアを歩んでいると思います。1996年にドラフト1位で西武ライオンズへ入団し、1997年から2年連続でゴールデングラブ賞を獲得しました。そのときは主に3番・一塁で出場し、リーグ二連覇に貢献しました。
プロ野球で一定の活躍をした選手なら、一般的には指導者やスカウトの道を選ぶ人が多いでしょう。しかし私はそうしませんでした。2005年に引退した際、ライオンズから「球団職員」の選択肢をいただけたからです。当時32歳。スーツに着替えて仕事を覚えるぎりぎりのタイミングだと考え、球団職員の道を選びました。
まずはファンサービスを2年間担当し、続いて事業に関するプレスリリースやメディア誘致などを行う広報、年間シートの販売や球場看板の広告主を探す法人営業を担当しました。大苦戦の毎日でしたが、「反復練習なら負けない」と自分に言い聞かせ、仕事の基礎を身につけていきました。
ただし、その試練は序章にすぎませんでした。のちに想像もしなかった仕事に就くことになります。
実は私は引退後西武グループの事業持株会社の位置づけだった株式会社コクド(現:西武・プリンスホテルズワールドワイド)に入社し、株式会社西武ライオンズへの出向という形を取っていました。ところが西武グループの再編によって株式会社コクドが株式会社プリンスホテルに吸収合併され、私の所属元も変わったんです。その後しばらくはライオンズで勤務しますが、2011年12月、突然グランドプリンスホテル高輪への異動が告げられました。
そこでいきなり高輪・品川エリアにあるプリンスホテル群の宿泊企画と宣伝を担当するマネジャーに任命され、5,000室を埋めるためにさまざまな宿泊プランを考えることに。アルバイトを含めると1,000人が働いており、部下が一気に増えました。心のどこかにプロ野球界への未練があったのですが、そういう気持ちって部下に伝わってしまうんですよね。腹をくくり、ディナーショーの受付から非常口の警備まで手を動かせることはなんでもやりました。
このとき助けになったのが、ライオンズ時代の上司の言葉です。プリンスホテル出身の方で常々こう言っていたんです。「球場の座席とホテルの客室を売るのは同じだ」と。確かにそのとおりで、いかに稼働率と単価を上げるかなど共通点が多い。客室関連の数字をすぐに読めるようになりました。
結局プリンスホテルで約5年半勤め、2017年4月にライオンズへ再び出向しました。今振り返ると、ビジネスマンとして成長させるためにあえて野球以外のビジネスに触れさせてくれたんだと思います。そのことで人脈が一気に広がりました。
試合映像の制作と販売を担当
今、私はライオンズにおいてメディアライツなどを担当しています。試合中継の映像を制作し、テレビ局に販売するのが主な仕事です。例えば私たちの本拠地で開催する福岡ソフトバンクホークス戦の映像を販売するために、福岡のテレビ局に営業するといった感じです。
今年(2024年)オイシックス新潟アルビレックスBCがイースタン・リーグに参入したので、新潟にも営業へ行っています。新たなBS放送局が続々と開局しているので、そこへの営業にも力を入れています。
テレビ業界のプロに囲まれて、生放送の緊張感と影響力の大きさを味わえる今の仕事が、ビジネスマンに転身してからいちばん楽しいかもしれません。放映権収入は金額が大きく、目標を下回ると当社の財務にも関わってきます。大きな責任とやりがいを感じています。
その一方で、選手のセカンドキャリアについても思いを巡らせています。ライオンズでは事業サイドでステップアップする元選手がまだまだ少ないです。去年引退した選手が球団職員になったので、そういう例をさらに増やしていきたいです。引退後の仕事の選択肢が多ければ、もっとプロ野球選手を目指す子どもが増えるはずですから。
interview & text:木崎伸也
photo:松本昇大
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










