スタンドが蒼色に染まるのを見て鳥肌が立ちました │パ・リーグ球団 仕事図鑑2024
石曽根 徹也さん
埼玉西武ライオンズ 事業部 リーダー MD・エンターテインメントグループ
パ・リーグ各球団で活躍する球団職員の皆さんに、現在携わっているお仕事内容とそれぞれの転職にまつわる経験談を伺いました。転職理由を掘り下げることで見えてきた、やりがい、情熱、夢…そこには、独自のキャリアストーリーがありました。
Index
石曽根 徹也(いしぞね・てつや)さん
埼玉西武ライオンズ
事業部 リーダー
MD・エンターテインメントグループ
前職:広告業界
柔らかい発想でイベントを企画
私はMD・エンターテインメントグループの一員として、埼玉西武ライオンズの本拠地・ベルーナドームにおけるイベントを担当しています。イベントを企画し、実行・運営するのが主な仕事です。
例えば今年(2024年)のホーム開幕戦では、試合前のセレモニーを担当しました。ライオンズではファンの声援をチームカラーにちなんで「青炎」(せいえん)と呼んでいます。青炎を力に選手が活躍する世界観をつくりたいと考え、青炎隊長兼始球式をお笑いコンビ・オードリーの春日俊彰さん、国歌独唱をクレイジーケンバンドの横山剣さんにお願いしました。
埼玉県所沢市出身の春日さんは芸能界屈指のライオンズファンとして知られ、これまでに何度もイベントに登場していただいています。春日さんが来るとチームが勝つというジンクスが生まれたほどで、今回も開幕セレモニーと力強い始球式で盛り上げていただき、3年ぶりのホーム開幕戦勝利を後押ししてくれました。
また、ライオンズ初となる「生え抜きの2000安打」を達成した栗山巧選手(※)が、クレイジーケンバンドの名曲「あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。」を登場曲に使っているんですね。ライオンズが今年のチームスローガン「やる獅かない」を発表したときにクレイジーケンバンドさんがSNSで反応してくれていたので、きっと受けてくれるはずだと思って、横山さんにオファーを出しました。著名人のキャスティングはイベント担当者の腕の見せどころの一つです。
個人的にイベントを考える際に発想のヒントの一つにしているのが「青炎」のような言葉遊びです。ダジャレや掛け言葉を考えていると思考が柔らかくなる気がするんです。普段から企画アイデアをノートに書き留めておき、毎年1月になったら具体的に1年間のイベント計画に落とし込んでいきます。自分の中で新シーズンへの期待が膨らみ、すごく楽しい時間です。
広告代理店で調整力を磨いた
私が大学卒業後に最初に就職したのは、プロモーションイベントや携帯電話の販促にスタッフを派遣する人材会社でした。そこに約3年間勤め、取引先だった広告代理店からヘッドハンティングされて広告業界に飛び込みました。イベントやプロモーションのプロデューサーを任され、約6年間さまざまな広告の仕事を経験できました。
あるとき会社の仕事として、プロ野球の放映権を持っている企業とスポーツカフェを出すことになったんですね。毎日のように試合を目にし、自分の中に眠っていた「いつかプロ野球に関わりたい」という思いが日に日に強くなっていきました。
私は子どものときから野球をプレーしており、大学でも野球部に所属していました。とてもプロを目指せるレベルではありませんでしたが、大学3年のときにマネジャーに転身したことが分岐点になります。裏方としてチームに貢献できる喜びを感じ、いつかプロ野球界で働きたいという思いが生まれました。
約3年前、家庭の都合で埼玉に引っ越すことになり、ライオンズの公式HPを見たところ、偶然にもイベント担当の求人が出ていたんですね。これも何かの縁だと思い、転職を決意しました。
今ライオンズで前職の経験がすごく役立っています。イベントには他部署との連携が不可欠で、そういう調整は広告代理店時代にまさにやっていたことなんですよ。自分の主張を押しつけず、まずは相手側の意見に耳を傾けるのが私の流儀。結果的にそのほうが近道だと思います。
この仕事をしていて最もうれしいのは、やはりイベント当日にファンの方たちで埋まった球場を目にする瞬間です。昨年8月、「ライオンズフェスティバルズ2023」を担当して期間限定ユニフォーム「蒼空ユニフォーム」を制作したのですが、スタンドが蒼色に染まっているのを見て鳥肌が立ちました。好きな野球に携わることができてすごく幸せです。
(※)栗山 巧(くりやま・たくみ):1983年9月3日生、兵庫県出身。2002年埼玉西武ライオンズにドラフト4位で入団。2008年に最多安打のタイトルを獲得。2021年に史上54人目の2000安打を達成した。
interview & text:木崎伸也
photo:松本昇大
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










