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「JリーガーからITエンジニアへ」 内村圭宏、“再起動”の舞台裏

ゲスト:内村 圭宏さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

株式会社コラボスタイル 開発部 クラウドソリューションチーム/FC.HOOKS代表/元プロサッカー選手

スポーツ界に関わる「人」にスポットライトを当てる対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌などで活躍した、元プロサッカー選手の内村圭宏さん。

2020年、17年間の現役生活に別れを告げた内村さんが次に選んだフィールドは、IT業界。現在はITエンジニアとして働く内村さんに、その異色のセカンドキャリアを選んだ理由や思いについて聞きました。

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    現役時代は北海道コンサドーレ札幌などでフォワードとして活躍した内村さん。現役を引退してIT業界に進んだ経緯を聞いた[写真]Getty Images

    「引退後のことは常に頭にあった」

    播戸 2020年2月にFC今治で現役を引退されて、17年間のプロ生活を終えられました。一番長く在籍されたのは北海道コンサドーレ札幌ですよね?

    内村 そうですね。札幌は2010年から2018年までの9年間、在籍しました。

    播戸 引退は自分でも納得した決断でしたか?

    内村 まだプレーしたい気持ちはあったんですが、一方で足首の慢性的な痛みが抜けなくて。特に今治は人工芝で練習していたこともあり、練習すると痛くなる、という繰り返しで、ほぼ練習ができなかったんです。
    とはいえ2019年は試合にはそれなりに出場して点も決めていて(26試合出場7得点)、J3リーグ昇格という目標は達成できたので、心のどこかでは「もう少し契約があるかな」と楽観的に考えていたんです。そしたら、きっちり契約満了を言い渡されました(苦笑)。ただ、練習がほぼできなかったことを考えると納得している自分もいました。

    播戸 今治を含め、選手時代は3回ほど移籍を経験されていますが、セカンドキャリアを考えたことはありましたか?

    内村 大分トリニータでプロになったときから周りのレベルの高さについていくのに必死だったので、逆にずっと「プロでは通用しないだろうから、どうしようかな」ということは頭にあったんです。最初は3年契約でしたが、それが終わったら消防士になろうかなって考えたこともあります。それは札幌に移籍してからも同じで、コンスタントに試合に出ていた時期ですら、サッカーをやめたときのことは常に頭にありました。

    内村 日本代表レベルの選手なら、もう少し気持ちに余裕があったかもしれないですけど、ぼくはそうではなかったぶん、将来のこともちゃんと考えておかないとヤバいぞ、と。なので、英語を習ったり、パソコン教室に行ってみたり、居酒屋を出店するにはどうしたらいいのかを調べたり、どのくらいの予算が必要かを計算したりと、妄想レベルでいろいろと考えてはいました。

    プロデビュー後からずっと引退後のことが頭にあったという内村さん。現役時に答えは出なかったが「いろいろ考えるのは好きだった」と話した[写真]清水真央

     

    播戸 その中から、これはいいんじゃないか、というものは見つけられましたか?

    内村 いえ、結局、今治で契約満了と言われるまで固められずでしたね。ただ、あれこれ妄想していたおかげで、お金の動きみたいなことにも興味が生まれ、例えば、税理士さんにお願いしていた確定申告を自分で勉強してやるようになったりと、小さなチャレンジはしていました。
    もともと性格的に、いろんなことを広く浅く知識として得るのは嫌いではなかったのもあったと思います。身になったものはあまりなかったけど、何をするにも楽な道はないということと、引退後は何をするにせよ、数年間は地道に向き合わないといけない、ということを学べたのは良かったです。

    播戸 現職であるエンジニアとしてのキャリアを描き始めたのはいつですか?

    内村 今治に在籍していた2019年秋くらいです。今治は娯楽の少ない場所だったし、単身赴任だったのでサッカー以外の時間はとにかく暇だったんです。なので、その時間を使って図書館に行って本を読んだり、いろんな勉強をしていたんですが、そのときにIT関係のことならパソコンだけで学べそうだなと思い、秋ごろから勉強を始めました。そのときはまだあと3年くらい現役を続けるイメージだったので、3年あればそれなりに形になるだろうと思っていました。

    播戸 つまり、現役中から次のキャリアの準備をしていたということですね!

    内村 そうなんですけど、結果的に1年で契約満了になってしまったので焦りました(笑)。勉強は始めていたもののまだやると気持ちを固めていたわけでもなかったですしね。ただ、いろいろと考えた結果、12月くらいにはIT業界に進もうと気持ちを固めました。現役引退が現実になったときに、自分の中で次のキャリアは「稼げる仕事をする」ということ、妻の実家のある「福岡に住む」ということ、「将来性がある仕事に就く」の3つが譲れない軸だったんです。

    内村 また、いずれはサッカースクールなどの仕事もしたいと思っていたので、副業が許される会社に勤めたいという考えもありました。結果、IT業界なら副業を容認している会社もたくさんあったし、すぐには稼げなくても何年か修業をすれば形になる気がしてIT業界だ、と。その上で一番学びやすそうなエンジニアを選んだ感じです。
    で、就活をするにも、面接で見せられるものは最低限作らなければいけないので、とりあえずオンラインスクールを1カ月くらい受講することにしたんです。その一方で、ハローワーク以外にも、dodaさんをはじめとする転職サービスにもかたっぱしから登録しました。

    播戸 おお! なんともこの企画向きな(笑)! 1カ月という期間でもオンラインスクールで学べることは多かったですか?

    内村 ぼくは短期集中型でぎゅっと詰め込んで受講したんですけど、けっこう楽しかったし、そう思えたから続けられたんだと思います。というのも、サッカー選手って30歳前後からだんだん体とかプレーのキレが衰えてくるじゃないですか? そこからは自分の中でいろんなことをごまかしながらキャリアを積み上げていくことになる。
    でも、引退して一度人生をリセットして、エンジニアの勉強を始めると、衰えを感じ始めていた自分がまた伸びていくのを実感できるんです。それがめちゃめちゃ気持ちよくて、「毎日成長しているな!」って思えるのもうれしかったですね。

    引退後に他分野で得られた成長実感の話には「めちゃくちゃ分かる!」と播戸さんも共感[写真]清水真央

    35歳、社会人1年目

    播戸 新しいことを始めたことでまた右肩上がりに成長していく自分を実感できた、ということですね。

    内村 そうですね。どんどんやれることも増えていきますしね。ぼくは腰痛持ちだったので、デスクワークに耐えられるかを試すためにも、そのころは1日10時間くらい勉強していたんですが、苦にもならなかったです。ただ、自分では成長しているつもりでも、それが社会に通用するものかといえばぜんぜんでした。
    実際、1カ月勉強したくらいでは話にならず、どこの会社もたいてい門前払いでした。ようやく会ってくれる会社が見つかっても営業職での誘いだったり。なので、ハローワークの職業訓練校に登録することにしたんです。もう一度、半年くらいは勉強し直すつもりでした。

    播戸 その間はかなり不安だったんじゃないですか?

    内村 そうですね。めちゃめちゃ不安だったし「自分は何をしているんだろう」という気持ちにもなりました。でも、同時に自分がIT業界で活躍して楽しそうに仕事をしている姿を見てもらえたら、これから引退してくる人たちやサッカー界にもいい影響を与えられるんじゃないかと思って頑張れたというか。
    仕事を探すときもそのことだけを想像して、道を切り開いてやると思っていました。そうしたら、奇跡的にラテラル・シンキング株式会社という札幌に本社を構えるソフトウェア関連のIT企業に内定をいただいて、2020年の4月から働けることになったんです。

    播戸 踏ん張ったことが結果に結びついたんですね!

    内村 そうですね。エンジニアとしての能力というよりは、元プロサッカー選手としての実績を買ってもらって雇っていただいた形でしたが、新しい一歩を踏み出せたのはよかったです。ただ、年齢は35歳になっていましたけど、プロサッカー界という特殊なジャンルで生きてきた自分は、一般的な社会人経験はないに等しいですから。

    内村 IT以前に何もかも全部できなくて「情けないなー」と思う毎日で、最初はかなりしんどかったです。ほかのエンジニアの方に比べたら足元にも及ばないし、周りの人もぼくに関わるといちいち教えなきゃいけないわけですから。明らかに迷惑をかけてしまっていたので肩身も狭かったです。でも、「慣れていくしかない」と開き直って、とりあえず自分にできることだけをしっかりやって、周りに感謝して、謙虚にやるだけだと踏ん張りました。

    「サッカーでいえばインサイドキックもできない人間がプロチームに入ったレベル」と転職時に感じた周囲とのギャップを振り返った[写真]清水真央

     

    播戸 そこから2022年に、現在の株式会社コラボスタイルに転職した経緯を教えてもらえますか?

    内村 前職では2年間、レンタカー業界向けシステムに関連する仕事を任されていたんですが、自分としては2年経ってほかのこともしてみたいという気持ちも湧いてきて。将来自分が向かいたい方向が見えてきたこともあって転職を考え始め、今の会社に出会いました。本社は名古屋ですが、自宅でのリモート勤務が基本で、働き方も比較的自由でいいな、と。ここに入社できれば、そろそろサッカースクールも始められるかもしれないなという思いもありました。

    播戸 前職でエンジニアとしての能力にも自信がついた上での転職になった、と。

    内村 いや……そこは正直ぜんぜんです。数年やったくらいではものにならないってことを今も日々痛感しています。実際面接でも、社長から「エンジニアとして本当にやっていこうと思っている?」と厳しい指摘も受けましたが、自分からは、「厳しい道なのは分かっていますし、この先エンジニアとしてスペシャリストに必ずなれるとも思っていませんが、IT業界で活躍するには大事な過程だと思って向き合っています」と伝えました。
    それはぼくの思いで、会社にしてみれば何を売りに採用試験を受けたんだ?って話ですけど(笑)。その社長ももともとバーテンダーから今のキャリアを切り開いた人で、自身も違う世界からIT業界に飛び込んだこともあってかその思いが伝わり、採用してもらいました。

    播戸 つまりは内村さんの人間的な部分とか、熱意を買ってくれたと。

    内村 そうですね。社長は自分のサッカー選手としての実績どころか、サッカー界のこともほぼ知らなかったと考えれば、本当にぼくのやりたい気持ちに賭けてくれたんだと思います。最初はエンジニアとしてはスキル不足だったので、社内で扱う情報システムの運用保守などからのスタートでしたが、今では開発に関わるエンジニアとしての仕事も任せてもらえるようになりました。

    テレワークに必要なワークフローのクラウドサービスを展開するコラボスタイルに入社。現在は開発チームの一員として福岡の自宅からリモートで業務に携わっている[写真]清水真央

    「アスリートの経験すべてが活きている」

    播戸 しかも、コラボスタイルさんは内村さんの入社後にコンサドーレのスポンサーにもなったんですよね? 名古屋が本社の会社なのにどんな接点があったんですか?

    内村 社長と懇意にされている方が、たまたまコンサドーレの大ファンで、ぼくがコラボスタイルに入社したのをすごく喜んでくださったんです。入社後のあるイベントでも、持参していただいたユニホームを着ていっしょに写真を撮ったりして、その方も社長もすごく喜んでくれて。それがきっかけになって、「内村の古巣のコンサドーレのスポンサーになれば、企業としてアスリートのセカンドキャリアをより応援しやすくなる」ということで、翌月にはあっという間にスポンサー契約が結ばれたんです。

    コラボスタイルは「働きがいのある会社」ランキング(※)の小規模部門で25位になった会社なんですが、そんなふうに社員一人ひとりに対してすごく肯定的で、それぞれの生き方をすごく尊重してくれるので、とても働きやすいです。

    (※)Great Place to Work®︎ Institute Japan 2023年版 日本における「働きがいのある会社」ランキング

    北海道コンサドーレ札幌のエースとして活躍した内村さん。セカンドキャリアでのチャレンジが古巣と転職先の企業をつないだ[写真]Getty Images

     

    播戸 内村さんのようにサッカー界とは違う世界で、一からキャリアを切り開いた人の話はなかなか知る機会がないので、現役アスリートにもすごく励みになるんじゃないかと思います。そうした経験をもとに、あらためて今、現役選手へのアドバイスというか、セカンドキャリアをより有意義なものにするために、現役中からこれをやっていたらいいよ、と伝えたいことはありますか?

    内村 いろんな知識を蓄えておくとか、お金をためること、人の話を聞くことももちろん大事なんですが……なにせぼくの現役時代はそういう先輩方のアドバイスを、ことごとく聞く気になれなかったので言いづらいです(笑)。ただ、一つ言えることがあるなら、サッカーでも何でも、今やっていることに本気で取り組むことが必ず次のキャリアにつながり、活きてくるということは伝えたいです。

    播戸 実際、サッカーをしていた経験が、今のようなまったく違う業界でも活きることもある、と。

    現在はサッカー界をはじめメディアやビジネスなど活動の場を広げる播戸さんも、アスリートのセカンドキャリアの難しさを知る一人。内村さんの事例は「多くの現役選手に知ってもらいたい」と話した[写真]清水真央

     

    内村 自分でも意外でしたが、なんなら全部活かされているなって思います。正直、セカンドキャリアに踏み出そうとしていたときは、それまで熱を注いできたサッカーがすべて意味のないものになっちゃうんだろうなって思っていましたが、結果的に全部、活きています。考え方、人との付き合い方、仕事に向かうマインド、コンディションを常に整えておく大切さ……あとは「ちょうどいい感じでやること」とか(笑)。元アスリートはそのへんの能力は絶対に高いので、存分に活かすべきだと思います。

    播戸 それは励みになりますね! 最後に、引退から3年、エンジニアとして踏ん張ってきたご自身の今後の展望を聞かせてください。

    内村 まずはエンジニアとして、そろそろ作業をしているだけではダメだと思うので、自分からもっといろんなプロジェクトを動かしていけるようになりたいです。あとは2022年に立ち上げたサッカースクールも少しずつ選手が増えてきたので、その中身を充実させながらより選手数を増やしていきたい。そしてこの2つを軸にしながら、もう1つ新しいことを……この2つをつなげる何かなのか、まったく違う仕事なのかは分からないですが、それをこれから探って形にしていきたいとも思っています。

    播戸 ぼくも含め、引退するときは不安もあるはずですが、今日の内村さんの話を聞いて、勇気をもらえた人はたくさんいるんじゃないかと思います。ぼくもいろんな気づきをもらえました。

    内村 ぼくは仕掛けも遅かったし、学歴もないし、そんなに頭も良くないんです(笑)。そのぼくが頑張れたとなると、勉強にも自信がある選手はきっと「内村にできたなら自分にもできるんじゃないか」と思ってもらえるはずなので(笑)、ぜひやりたいことに向かって、勇気を持って一歩を踏み出してもらいたいです。今日はありがとうございました。

    自身のキャリアが「現役選手のセカンドキャリアのヒントになれば」と笑顔を見せる内村さん。第二の人生へのチャレンジはまだ始まったばかりだ[写真]清水真央

    text:高村美砂
    photo:清水真央

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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