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「引退後、即社長就任」渡部博文の“前例なきキャリア”への船出

ゲスト:渡部 博文さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

株式会社レノファ山口代表取締役社長/株式会社ESPORTES代表取締役社長/元プロサッカー選手

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、2022シーズンにJ2・レノファ山口FCで現役を引退し、同年にクラブの代表取締役社長に就任した渡部博文さん。引退後に即社長就任という、サッカー界では異例の転身を果たした渡部さんに、播戸さんがその裏側のストーリーや今後の展望などを聞きました。

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    渡部博文さんは1987年7月7日生まれ、山形県出身。専修大学卒業後の2010年に柏レイソルでJリーグデビュー。栃木SC、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、レノファ山口FCでのプレーを経て、2022年に現役を引退した[写真提供]レノファ山口FC

    「冗談だと思った」社長就任オファー

    播戸 渡部さんは2022シーズン終了後にレノファ山口FCで現役を引退し、株式会社レノファ山口の代表取締役社長に就任されました。どんな経緯で就任に至ったのでしょうか。

    渡部 昨年(2022年)9月に引退発表をし、その1週間後くらいに当時の代表取締役社長だった小山文彦さん(現代表取締役会長)へあいさつに伺ったんです。そのときにセカンドキャリアについて聞かれたので「まだ模索中ですが、2年前に防府市で始めた児童福祉事業を伸ばしながら、違うこともやっていこうと考えています」とお話ししました。

    渡部 すると小山さんから、「レノファの社長をやってみませんか」と言われて、「え?!」と(笑)。さすがに冗談だろうと思っていたら、小山さんが用意されていたプレゼン資料を見せてくださったんです。そこにはすでにぼくのプロフィールなども記載されていて、過去の経営状況が分かる情報や、将来のビジョンに向けたKPI(組織目標達成のための重要業績評価指標)も含まれていました。その上で、あらためて「本気で覚悟を決めてレノファで仕事をしませんか」と言われました。

    2022シーズンはチームでキャプテンを務めていた渡部さんだが、引退直後の社長就任オファーは「正直、予想もしていなかった」と話した[写真]清水真央

     

    播戸 どう返事をされたんですか?

    渡部 正直、引退を決めてまだ1週間で「はい、分かりました」とは言えず、「ちょっと考えさせてください」と伝え、小山さんにも「まだシーズン中ですし、しっかり考えてみてください」と言っていただきました。

    播戸 そこからどんなふうに社長就任に気持ちが傾いていったんですか?

    渡部 正直、オファーをいただいてからぼくの中には「クラブ経営をしたことがない自分にできるのか?」っていうネガティブな気持ちと、「引退してすぐの選手にこんなオファーをいただけることはそうそうないな」というポジティブな気持ちの両方があったんです。
    ただ、少なからず自分の事業を通して経営に携わってきたことや、現役時代にキャプテンをさせてもらった経験もあった中で、最終的には「セカンドキャリアの第一歩目としては面白いんじゃないか」という考えに至りました。で、12月に返事をさせていただいて、12月15日に就任しました。

    2022年12月16日、記者会見で前社長の小山文彦会長(写真右)とともに渡部さんの代表取締役社長就任を発表した[写真提供]レノファ山口

     

    播戸 打診を受けてから気持ちを固めるまでは2〜3カ月かかった、と。

    渡部 そうですね。その間は、ワールドカップ・カタール大会も現地へ観戦に行きましたし、サッカーをもっと広い視野で見たり、ビジネス界の方をはじめいろんな方に会って話を聞いたりしながら過ごしていました。

    播戸 周りはどんな意見が多かったですか?

    渡部 以前から付き合いのある、信頼できる数名の経営者の方に相談したところ、異口同音に「やったほうがいい」という意見でしたね。「チャレンジすることに失敗はない」ということを皆さん口々におっしゃっていましたし、そういう声にも押されて自分の中にも楽しみな気持ちが湧いてきたところはあります。

    播戸 小山さんからは、渡部さんのこういうところに期待している、みたいな話もされたんですか?

    渡部 そうですね。小山さんにある強みと、元選手であるぼくが持っている強みは違うと思うから、それぞれが強みを活かして仕事をしていけばレノファはもっと良くなっていくんじゃないかという話はしていただきました。実際、今も社内ミーティングには二人とも出席し将来的なビジョンについて話し合うこともありますが、基本的にぼくはレノファのことを知ってもらうために、イベントで話すとか、パートナー企業さまへのあいさつ回りとか、表に立つ仕事が多いです。

    播戸 クラブとしてはこの先、数字的なことを含めて、どんなビジョンを描いているのでしょうか。

    プロサッカークラブの経営に強い関心を寄せる播戸さん。渡部さんが描くレノファ山口FCのビジョンを聞いた[写真]清水真央

     

    渡部 J1昇格への道筋というか、パターンは大きく分けて2つあると思うんです。予算があって、選手を獲得しながら昇格したクラブと、予算規模はさほど大きくないけど、昇格できたクラブと。ただ、ぼく自身は昇格した後も長くJ1に定着していくクラブを目指すなら、やっぱりある程度は、会社の予算規模を膨らませながらチームが強くなり、J1に昇格するのがベストだと思うんです。

    渡部 そこでいうと、昨年のレノファの予算はおおよそ12億円弱くらいなんですが、それを倍とまではいかなくても、そこに近い20億円くらいの予算には引き上げたい。ちょうどレノファは3年後にクラブ創設20周年を迎えるので……もちろん、早めに昇格できるに越したことはないので毎年そこは目標に描きながらも、クラブ規模も、並行して大きくしていけるように数字を上げていきたいと考えています。
    また観客動員も、昨年は1試合あたりの平均入場者数が約3,600人だったんですが、最低でも6,000人くらいはあたりまえに入る状況をつくりたいと思っています。

    播戸 クラブの業績としても売り上げを大きくしながら、そこにチームの成績も伴わせて、なおかつ、そこについてきてくれるサポーターも追っていくとなると、大変ですね!

    渡部 大変です。ただ、サッカー界はすごくデータ化されているので自分たちに必要なデータ、数字をしっかり押さえていければ、成果は出ると思っています。

    播戸 選手としてもレノファに2年間在籍されたり、ご自身の事業を展開する中では、山口県の方たちの県民性みたいなものも理解されたんじゃないかと思います。それを踏まえて、観客動員を増やす策として描いていることはありますか?

    渡部 これはぼくが山口県に来たときから感じていることなんですが、山口県の方たちはすごく地元愛が強いんです。例えば「どこ出身ですか?」って聞かれたときに、ぼくなら「山形出身です」って答えますが、山口の人たちは皆さん「山口の防府市です」とか「山口の宇部です」というように、自分の住んでいる地域への愛着をすごく感じられる答え方をされます。

    渡部 そうした特色も文化も異なる地域を一つにまとめることはすごく難しいですけど、ぼくはスポーツ、サッカーならその垣根を越えて一つにできる力があるんじゃないかと思っているんです。だからこそ分散都市という地域性をうまくレノファのホーム、維新みらいふスタジアムで一つに取りまとめていく戦略をしっかり練っていきたいと思っています。

    山口県全19市町をホームタウンとするレノファ山口FC。クラブビジョンには「地域とともに、新たな価値を創る」を掲げ、地域に根ざしたクラブづくりを貫いてきた[写真提供]レノファ山口FC

    事業の経験をクラブ経営に活かす

    播戸 現役時代に、個人事業として山口の防府市で児童福祉施設を始めたと話されていましたが、それは今も継続していますか?

    渡部 継続しています。

    播戸 その会社はどんな経緯でスタートされたんですか?

    渡部 浦和レッズやヴィッセル神戸などでプレーされていた相馬崇人さんが経営されている株式会社Kids Developerという会社があり、児童発達支援事業や放課後等デイサービスなどを全国約50カ所で運営されています。その事業に興味を持ち、ヴィッセル時代には相馬さんの背番号「3」をぼくが受け継いだという縁もあって、自分からアプローチし事業の話を聞かせていただきました。

    渡部 そこから交流が始まり、実際に施設を見学に行ったり、自分なりに子どもたちの発達について調べていくうちに、全国的にそういった発達の遅れに悩みを抱えている方々の需要があることに気がついたんです。そのタイミングで相馬さんから「運動療育で子どもたちの悩みを解決したい」という話を聞き、現役中に始められるのではないかと。
    そこから運動が脳に与える影響や、発達障害について学んでいくうちに、この仕事なら自分が長年にわたって携わってきたスポーツの経験を活かせるんじゃないかと思い、レノファへの移籍が決まった際に山口県で需要がありそうならやってみようと考えました。

    2021年9月に山口県防府市で放課後等デイサービス施設「KID ACADEMY SPORTS防府校」を開校。運動療育をメインとした放課後等デイサービスを行っている[写真]本人提供

     

    播戸 実際に需要はあったんですか?

    渡部 ありましたね。サッカー以外の時間を使って、山口県の市町を走り回っていろんなことを調べたら、特に防府市で需要があることが分かり、防府市で事業をスタートさせることにしました。準備期間は、行政の手続きや学校訪問、求人募集、面接、仲間を集めて思いを伝えたり……と、とにかく一人で全部やっていたので、大変でした。

    播戸 一から会社を立ち上げて、リクルーティングなども含めて組織をつくった経験は、現職に活かされましたか? 数字的なことにもご自身で向き合って形にしていったということですよね?

    渡部 そうですね。Kids Developerさんからサポートを受けつつ、事業計画書や資料を用意して銀行回りもしましたが、思った以上に大変でした。将来的なビジョンなど根掘り葉掘り聞かれましたが、ぼくがこの先ずっと山口にいる可能性が低いなどの理由で借入れを断られた銀行もたくさんありました。

    播戸 正直、日本ではアスリートの社会的地位が低いというか。財産があるとか、人間性がどうとか、キャリアがどうとかは関係なく、「信用がないんだな」と感じることはぼくも多いです。表向きはきれいごとを並べられても、暗に「あなたたちはアスリートとしては稼げたかもしれませんが、将来については信用できません」と言われている気がして……それは結構ダメージを食らいますよね。

    播戸さんは現役中の2011年、自身が代表を務める株式会社ミスタートゥエルブを設立するなど、競技活動と並行してビジネスを経験してきた[写真]清水真央

     

    渡部 ぼくもJ1リーグを含め10年以上のキャリアを積み上げてきましたけど、それって社会ではまったく通用しないんだな、と。プロサッカー選手という肩書がなくなったら、こんなにも信用がないのか、ということをまざまざと見せつけられて、軽いショックはありました。
    ただ、苦労して一から事業を始めた経験は今、レノファで仕事をするにあたってもすごく活かされているなとも思うので、これから引退する選手にもぜひ臆さずに思い切ってチャレンジしてほしいと思います。

    播戸 Jリーグの歴史も30年を数え、選手OBだけでも5,000人以上を数える中で、近年はセカンドキャリアで指導者、解説者だけでなく、いろんな仕事に就かれる方も増えましたからね。渡部さんのように「いきなり社長になりました!」みたいなロールモデルが出てきたのはサッカー界にとってすごくいいことだと思います。

    渡部 例えば今の野々村芳和チェアマンをはじめ、いわてグルージャ盛岡の秋田豊さんやセレッソ大阪の森島寛晃さんなど、ほかの仕事を経てJクラブの社長に就任された方はいますけど、現役引退後、即社長になったのはおそらく自分が初めてですからね。一つのロールモデルにはなると思うので、頑張りたいと思います。

    レノファを地域に愛されるクラブへ

    播戸 大学卒業後、2010年に柏レイソルからプロキャリアをスタートさせた中で、現役中にセカンドキャリアを考えたタイミングはありましたか?

    渡部 最初はまったくなかったです。それは自分がプロの世界についていく、生き残っていくのに必死だったからかもしれません。それこそレイソル時代は毎週、「次は誰がスタメンになるんだ?」というような熾烈な競争があったので、そこに自分がどう食い込んでいけるかだけを考えて毎日を過ごしていました。ただ、2015年にベガルタ仙台に移籍したくらいから少しずつ考えるようになった気もします。

    播戸 何か行動にも移したんですか?

    渡部 そうですね。といっても、不動産投資をしてみようかな、という程度ですけど、それをやろうとすることで、どういう知識が必要で、どんな手続きがいるのか、みたいなことはひととおり勉強しますからね。仕事としては成立しなかったですが、知識は多少増えた気もします。

    渡部 でも、最初はそれでいいと思うんです。何か新しいことをやろうと行動することで学ぶこと、見えることは絶対にあるし、その経験を積み上げていけば、いつか必ず何かにたどり着く。仮に積み上げている最中に、違うなと思ったらやめてもいいですしね。とにかくやってみることが大事だと思います。

    セカンドキャリアのきっかけは「例えば何かを売ってみるとか、小さいことでもいいと思う」と、行動することの重要性を語った[写真]清水真央

     

    播戸 まさしく! 踏み出したことで見えてくることはたくさんありますよね!

    渡部 ぼくは何か新しいことを始めるときには、いつもサッカー選手になろうと決めたときの感覚を忘れないようにしようと思っています。というのも、ぼくたちがサッカー選手になれた理由って、ピッチの上でめちゃくちゃいろんなことをアウトプットしたからじゃないですか? おそらくは誰よりもサッカーのことを考えて、練習量なのか、質なのかは人それぞれだけどサッカーのためにとにかく行動して、それをプレーとしてアウトプットした結果、プロになれた。

    渡部 それと同じで、どんな仕事をするにしても、インプットだけでは意味がない。卓上でサッカーの戦術をどれだけ勉強してもうまくならないように、やっぱり行動して、アウトプットしていかないと、道は開けない。そのスタンスは今の仕事を含め、新しいことを始めるときにはいつも心に留めています。

    播戸 経営者としての理想像はありますか?

    渡部 正直、ぼくは変に経営者になろうとは考えていなくて、「選手あがりの経営者」という感覚でいいと思っています。そういう雰囲気が出せたら、きっとファンやサポーターの皆さんにも身近に感じてもらえるはずですしね。なので、自分が経営をするんだ!というよりは、このクラブに関わる人みんなが意見したり、提案したり、ときに愚痴を言ったり、それをぶつけ合って、みんなでレノファをつくっていきましょう、クラブを大きくしていきましょう、というスタンスを心がけています。ただ最終的に決断する人間は必要なので、そこはしっかり自分自身でいろんなことを見て、感じて、決断していきたいと思っています。

    「サッカーチームは、経営陣のものと思わないほうがいい」と持論を語った渡部さん。「このクラブに関わる人みんなでレノファを大きくしていきたい」と話した[写真]清水真央

     

    播戸 渡部さんには元プロサッカー選手、実業家、レノファの社長といろんなフェーズがありますが、渡部博文という一人の人間として大事にしていることがあれば教えてください。

    渡部 「成長と貢献」という言葉は大事にしています。思えば、サッカーを始めたばかりのころは、自分が成長することしか考えていなくて、とにかく自分のためにサッカーをしていました。それが誰かのためになるとか、誰かに影響を与えるものになるとは考えたこともありませんでした。

    渡部 でも、そうやって生きてきた結果、いろんな方に応援してもらったり、プレーを見てもらったり、指導をしていただいたり、自分に関わってくれる人が増えるにつれ「自分に関わってくれる人や仲間のために、もっとできることはないか」と考えられるようになり、それがサッカーを頑張る理由にもなった。そしたら、誰かのために頑張ろうとすることで、自分がより成長できると気づいたんです。以来、「成長と貢献」は常にセットで自分の芯に据えています。

    播戸 最後に、レノファ山口で描く夢について聞かせてください。

    渡部 まずはスタジアムに毎試合、1万人の人たちが集まるようになることと、最初にお話ししたクラブ予算のところで20億円の壁は越えたいです。あと、これはすごくありきたりな表現ですが、「愛されるクラブ」になることですね。よくJリーグの世界では地域に根づくとか、ホームタウンという言葉が使われますが、それって1〜2年でできることではないと思うんです。

    渡部 地域密着型の代表的なクラブである川崎フロンターレを例に挙げても、長い時間をかけて今の姿があると思っています。ぼくが通っていた専修大学はフロンターレの近所にあって当時はよく練習試合をさせていただいたのですが、それこそまだJ2リーグを戦っていたような時代だったこともあり、駅でチケットを配ったり、選手が地域のいろんな店に足を運んでPRをしたり、地道な営業活動をされていたんです。でも、そこから今やあれだけ愛される、Jリーグきっての人気クラブになりましたからね。ぼくたちレノファもそんなクラブを目指したいと思います。

    播戸 山口県はかつての長州藩として知られる場所でもありますからね。「われらの長州がJ2リーグの規模に収まっていていいんか」みたいなプライドも県民性としてあると思うので、ぜひスポーツで、サッカーでトップを目指してもらいたいと思います。今日はありがとうございました!

    レノファ山口FCでスパイクを脱ぎ、2023年は社長として新シーズンを迎えた渡部さん。クラブ経営者としての新たなチャレンジに注目したい[写真]清水真央

    text:高村美砂
    photo:清水真央

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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