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テレビ制作へ転職した元Jリーガー「裏方としてサッカー界を盛り上げたい」

ゲスト:鈴木 悟さん × ナビゲーター:加地 亮さん

株式会社イングス/朝日放送『Jフットニスタ』ディレクター/元プロサッカー選手

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・加地亮さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、元プロサッカー選手で、現在は朝日放送テレビ『Jフットニスタ』の制作ディレクターとして活躍する鈴木悟さん。31歳でプロサッカー選手からテレビ業界に転身した鈴木さんのキャリアや思いを、セレッソ大阪時代のチームメートでもある加地さんが引き出します。

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    現役時代は主に左サイドバックとして活躍した鈴木さん。J1・J2通算で225試合に出場し、9得点を記録した[写真]本人提供

    現役引退後、テレビ業界へ

    加地 お久しぶりです! というか、ちょくちょく現場で顔を合わせているので、そんなに久しぶりでもないですけど(笑)。

    鈴木 いつもお世話になっています(笑)。2022FIFAワールドカップ・カタール大会の関連番組に引っ張りだこで忙しそうだね。楽しませてもらっています。

    加地 悟さん(鈴木)とはセレッソ大阪の同期ですが、同じプロ1年目ながら大学出身の悟さんがずいぶん、大人に見えたのを覚えています。あと、日産のGT-Rに乗っていたのも印象的(笑)。あのマニュアル車を乗りこなしまくっているのを見て、「この人は絶対にできる人や」と確信しました!

    1998年にセレッソ大阪へ入団した二人。大学出身の鈴木さんと高校からプロ入りした加地さんは4学年差の同期の関係になる[写真]フォトレイド

     

    鈴木 そこ!?(笑) 当時の加地は…めちゃめちゃ足が速くて、鬼の走力を備えているのに、なぜか試合になるとやたらと足がつっていた印象がある(笑)。

    加地 後半15〜20分くらいになると必ずつっていました。今になって思えば、森島寛晃さんや西澤明訓さんら、そうそうたる選手がそろう中で試合に出してもらった過緊張もあったのかもしれない。悟さんはセレッソ大阪のあと、京都サンガF.C.に移籍されましたが、引退は意外と早かったですよね?

    鈴木 セレッソで6年、サンガで3年の9年間プレーして、31歳で引退したんだけど、当時のサンガではぼくが最年長だった。のちに加地たち、“黄金世代”と呼ばれる1979年組が選手寿命を延ばしてくれたけど、当時は30歳を過ぎたら大ベテランの扱いだったから、ぼく自身は「9年もできた」という感覚だった。それにセカンドキャリアでやりたいことが決まっていたから、あっさり引退できたところもある。

    現役時代からセカンドキャリアを意識していたという鈴木さん。引退も「すんなり切り替えられた」と話す[写真]フォトレイド

     

    加地 現役時代から準備をしていたということですか?

    鈴木 準備はしていないけど、やりたいことは決まっていたという感じ。というのも、セレッソでほぼほぼ試合に出ていた状況で契約満了を告げられたから。「これでクビになるんだ」という現実を突きつけられて、ちゃんと次の人生を考えておかなきゃいけないと思った。

    加地 それが、テレビ業界での仕事だった、と。

    鈴木 そう。現役時代、ぼくたち選手の一番近くで仕事をしていた新聞記者やテレビ関係者ら、メディアに関わる人たちの仕事に興味を持ったというか。特にテレビ関係の方とは仲良くさせてもらっていた中で、サッカーに関わりながら楽しそうに働いている姿を見て興味を惹かれた。そこからセカンドキャリアにこの仕事を描くようになり、それなら、セレッソ時代にできた人脈を継続するためにも関西圏のチームに移籍しようと思ってサンガを選んだ経緯もあった。

    2004年に移籍した京都サンガF.C.で3シーズンプレーしたのち、2006年のシーズンをもって現役を引退。関西圏のチームで築いた人脈は引退後にも活きているという[写真]本人提供

     

    加地 当時、選手からテレビ業界の仕事に飛び込む人はあまりいなかったんじゃないですか?

    鈴木 おそらく初めてかな。でもぼくとしては、だから良かったのもある。先駆者やモデルケースがあるとそれにならって…みたいな感覚に陥りそうだけど、前例がなければ自分の思うようにやれると思ったから。

    加地 現役時代はインタビューされる側だったのが、する側に興味を持つって面白いですね!

    鈴木 それはぼくが静岡出身だったからかもしれない。というのも静岡って、ぼくが子どものころからサッカーに関わることが毎日のようにテレビで放送されているような土地柄だったから。小学生から高校生までアマチュアの大会が生放送されたりすることも珍しくなかったし、朝の番組ではまずサッカーから取り上げられたり、夕方にサッカー番組が放送されるのが当たり前の環境にあった。高校生になればテレビ局から取材されることも多かったしね。地元の新聞の裏一面はよく、サッカーが独占していたよ。

    加地 さすが、サッカー王国!

    鈴木 だから、セレッソに加入したときに「関西ってこんなにサッカーが取り上げられないんだ」と驚いた記憶がある。

    加地 関西で常時、取り上げられるスポーツといえば、プロ野球の阪神タイガースくらいだったんじゃないかな。

    鈴木 そうだよね。しかも仮にサッカーが取り上げられても、すごく時間が短いからか、自分の話したことが一部だけ切り取られて、違う意味合いを持って伝えられてしまうこともあって…。そういう状況を少しでも変えられたらいいなという思いもあった。

    自身も選手時代、取材で話した内容が意図とは違った形で報道されることがあったと話す[写真]フォトレイド

     

    加地 テレビ業界で具体的にやりたい仕事があったんですか?

    鈴木 ディレクターだね。もっといえば、ゆくゆくはサッカー番組でそれができれば理想だと思っていたし、それがサッカー界の発展や盛り上げにつながるんじゃないか、という考えもあった。

    加地 出演する側で、とは思わなかったですか?

    鈴木 ぼくはサッカー選手としてトップクラスの選手にはなりきれなかったから。引退してすぐなら解説などの仕事もあるかもしれないけど、それこそ加地ら元日本代表クラスのネームバリューのある選手が解説をするような時代がくれば、間違いなく需要がなくなるのは想像できたから。それに…自分はやっぱり選手時代と同じで、華やかな選手を陰でサポートする役割のほうが性格的に合っている気もしたから、裏方としてサッカー界を盛り上げるほうが自分らしくていいなと思った。

    サッカー界の発展のために

    加地 今の会社にはどうやって入ったんですか? テレビ局ではなく制作会社を選んだ理由を聞かせてください。

    鈴木 勝手なイメージながら、31歳でテレビ局の中途採用は現実的じゃないと思ったのと、現役時代から仲良くしていたテレビ局の方にセカンドキャリアの相談をしていた流れで、テレビ業界の方が集まるイベントに誘ってもらって。そこで、テレビやラジオの企画・制作会社である株式会社イングスの社長を紹介してもらい、自分のやりたいことを話していたら「じゃあうちに来るか」と言ってもらって、翌日から行くことになった。

    加地 とんとん拍子ですね! すぐにディレクターになれたんですか?

    鈴木 いやいや、それはさすがに無理(笑)。社長にも「31歳ならこの世界では中堅の部類に入るけど、下積みをしっかりしないと業界のことを学べないよ」と言われていたしね。だから最初はアシスタントディレクターからスタートさせてもらったんだけど、当時のイングスはスポーツ関連の仕事はほぼなくて。結果、バラエティ系の番組制作に関わることが多かったんだけど、ぼくとしてはそれは理想だったというか。土地柄的に、関西にサッカーを根づかせるには、最初はバラエティとくっつけないとサッカー単体では露出を見込めないだろうとうすうす感じていただけに、すごくいい経験になった。

    イングス入社後はバラエティやインフォマーシャル番組に約7年間携わったという。現在は関西のJリーグクラブを中心に情報を発信するサッカー専門番組『Jフットニスタ』の制作ディレクターを務める[写真]フォトレイド

     

    加地 どんな仕事から始めたんですか?

    鈴木 最初のころはロケに同行して、音声マイクを担いだこともあったし、24時間の番組ロケでは倉庫の裏でドミノのコマにスプレー缶で色付けする作業などもやった。当時の先輩ディレクターから、「元Jリーガーにこの仕事はやらせづらい」と気を遣われたけど、そこはあえて自分から手を挙げてやろうとしたよ。腫れ物に触るような扱いをされてしまうと、仕事も覚えられないと思ったから「こういう細かい作業は意外と好きなのでやらせてくださいよ!」と言っていっしょにやらせてもらったりね。で、それをやりながら週末は、スカパー!の中継でフロアディレクターをさせてもらったり、休みの日を利用してKBS京都でサンガの試合の解説をすることもあった。

    加地 スポーツ以外のジャンルを担当したのはどのくらいの期間ですか?

    鈴木 バラエティ番組やインフォマーシャルの番組を担当したのは…トータル7年くらいかな。インフォマーシャル番組では、クライアントに話を聞いて一から原稿を作ることもあったし、原稿はほかの会社にお願いして自分は全体的な絵を考えるとか、より商品が効果的にPRできる方法を考えることもあった。でも、そういう経験のおかげで、ディレクターになって例えばニュース番組を作ります、ってときに、全体の絵を描きながらいろんなことを予測して動ける部分はすごくある。そういう意味でも改めて、下積みって大事だなって感じたよ。

    加地 現場での瞬発的な対応力みたいなものは、サッカー選手だった経験が活かされることもあるんじゃないですか?

    鈴木 間違いない。何かハプニングが起きたとしても「やばい、どうしよう」ではなく、次の展開をすぐに考える癖がついているしね。というか、ハプニングをどうつないで、展開させていくのかを考えるのが面白かったりもする。それは今、関わっているスポーツ番組もしかりで、スポーツなんてそもそもアクシデントの連続だから先を見て、予測して、準備しておくのは現役時代と同じだよ。

    選手時代は堅実な守備が持ち味で、幅広いポジションをこなすマルチなディフェンダーだった鈴木さん。リスクへの準備や対応は「仕事もサッカーも同じ」と語る[写真]フォトレイド

     

    加地 7年の時を経て、今は当初の目標どおり朝日放送テレビのサッカー専門番組『Jフットニスタ』のディレクターをされるなどスポーツに関わる仕事もされています。どうやって理想の仕事にたどり着いたんですか。

    鈴木 これも基本は人脈のおかげ。イングスが主催する年末のゴルフコンペで、朝日放送の方にあいさつをさせてもらったのをきっかけに、あるとき、「スポーツ番組を作るのを手伝ってもらえませんか」って声を掛けてもらいイングスから出向することになった。ただ、最初からサッカー番組を担当したわけではなくて。ゴルフの中継に行ったり、プロ野球関連の番組に携わったり、高校野球や関連番組の『熱闘甲子園』などを手伝っているうちに、『Jフットニスタ』が始まることになり、ディレクターを任されることになった。

    加地 サッカーに関わる仕事は楽しさが違いますか?

    鈴木 サッカーに育てられた人間として、関西のサッカーをみんなに知ってもらえる番組ができたというのは素直にうれしい。基本は関西Jクラブが中心の番組とはいえ、例えば下のカテゴリーにいるクラブでも…奈良クラブやFC大阪がJ3リーグに昇格しますとなれば、取り上げることができるし、それは視聴者の方に「サッカー」を知ってもらう機会にもなるから。

    加地 最近はただでさえサッカー番組がどんどんなくなっていることを考えると、すごく貴重ですよね!

    鈴木 いろんなコンテンツも増えたとはいえ、やっぱりテレビにはテレビにしかない特別な力があると思っているから。実際、ワールドカップ・カタール大会を見ていても、あれだけいろんな番組でサッカーが取り上げられれば、それは間違いなくサッカーへの関心を高めることにもつながっているはずだしね。それだけに、ワールドカップが終わったときにすでにJリーグのシーズンが終わっているのが残念。

    加地 それはぼくも同感です。ワールドカップで活躍した選手が、Jリーグでも見られますよ!となれば、視聴者のサッカーへの興味も引き継げるはずなのに、ワールドカップ終了後、翌年(2023年)のJリーグ開幕まで2カ月強もの時間が空いてしまうとなると、熱がまた下がってしまう気がする。そういう意味でも、悟さんが作っている『Jフットニスタ』のように定期的にサッカーが取り上げられる番組は貴重なので、ぜひ継続してもらいたいです。伝える側の立場としてサッカー界を盛り上げる上でもっと今後こうしていきたい、こうなってほしい、という考えはありますか。

    試合解説やメディア出演などさまざまな形でサッカーと関わる加地さんも情報発信の重要性を説く[写真]フォトレイド

     

    鈴木 もちろん、ぼくが今担当している番組を継続させることも一つだけど、普段のスポーツニュースやワイドショー的な番組にも、サッカーに関わる人がもっと出演できるような流れをつくれたらいいな、とは思う。例えばワールドカップ期間中は各番組がこぞって日本代表を取り上げていて、そこに加地たち元選手がゲスト出演していることは多いけど、そうじゃないところは、元々のコメンテーターの人たちがサッカーを語っている、と。そういうポジションに元サッカー選手が座ることが増えていけば、普段からもっと「サッカー」を知ってもらえる機会になるし、ひいてはサッカー選手の認知度アップにもつながるんじゃないかと思う。

    転職の一歩目は「興味」から

    加地 先ほど、セカンドキャリアに進むにあたって、特に準備はしていなかったと話されていましたけど、実際に仕事を始めてみて、こういう準備をしておけばよかったと思うことはありましたか?

    鈴木 そうだなぁ。ぼくの場合、引退するまでパソコンすら触ったことがなかったからなぁ…。

    加地 マニュアル車を運転するくらいやから、パソコンもめちゃめちゃできそうなイメージがありますけどね(笑)! どうやって覚えたんですか?

    鈴木 入社してからとにかく「分からないから教えてくれ」の連続(笑)。周りは迷惑だったはずだけど遠慮している場合じゃないから、とにかく教えてほしいとお願いして助けてもらった。

    加地 元サッカー選手としてのプライドみたいなものは邪魔をしなかったですか?

    鈴木 分からないことを聞くのに抵抗はまったくなかった。それに、そこで変なプライドを表に出してしまったら「じゃあ、この業界に来るなよ」って話で終わってしまうと思ったから。自分からやりたいと飛び込んだ限りは、前に進むしかないと思ったし、逆にそこから逃げるほうが自分のプライドが許さない気がした。

    加地 悟さんは自分のやりたいことが明確に定まっていたからセカンドキャリアへの道を描きやすかったかもしれないですけど、最近はそれを見つけられなくて、なんの仕事に就けばいいのか、どこに転職すればいいのか悩んでいる人は多い気がします。

    鈴木 ぼくはとりあえず、興味があることからやってみればいいんじゃないかと思う。もちろん、それぞれに生活もあるから何を第一優先に考えるかは決めなきゃいけないけど、それを前提に自分のいる場所でできること、少しでも興味が惹かれることを見つけて、やってみればいい。それによって本当にやりたいことに気づくかもしれないし、そこからさらにいろんな人との関わりが増えれば自分にハマる仕事が見つかる可能性も上がるはずだしね。なんなら、気乗りはしないけどやってみたら案外天職だった、ってこともあるかもしれない。

    キャリアに迷う人には「まずは興味があることから始めてみては」とアドバイス。行動することで「本当にやりたいことに気づくこともある」と話した[写真]フォトレイド

     

    加地 悟さんは、仕事を通していろんなスポーツ界を見てこられた中で、今後、スポーツ業界にどんな人材が増えていけばより発展していくと思いますか。

    鈴木 今の新しい人たちは、とにかくいろんなアイデアが豊富だからね。「あれもしたい」「こういうこともやってみたい」という熱量はすごくある。ただ残念なのは、まだまだそれをくみ取ってくれる上司が少ないこと。例えばサッカー界にしても、これまでやってきた方法でもやれてきたからこそ新しいチャレンジに臆してしまうというか。実際「これでやってこられたし、変える必要はないでしょ」的な考えを持った人が多い気がする。そうなるとなかなか発展はしないから。若い人たちは、若い人たちなりの発想、アイデアを臆することなく発信していってほしいし、逆に既存の社員さんたちには、将来を見据えて変化させていくことを恐れず、労をいとわず、新しいことに取り組む環境をつくってもらいたい。その両方があって初めて発展があるんじゃないかな。

    加地 テレビ業界にも、もっとアスリートが増えたらいいなって思いますか?

    鈴木 どうかな。仕事の中身が重すぎて、気軽に「来いよ」とは誘いづらいかも(笑)。でもやりたいと思うなら、さっきの話じゃないけどぜひ飛び込んできてほしいけどね。そうやってアスリートがこの業界に増えることも、テレビの世界でスポーツやサッカーの露出が増えることにつながっていくかもしれないから。そのために、ぼくもしっかり頑張らないとな。

    加地 ぼくも同期として負けないように頑張ります。今日はありがとうございました!

    同期入団から約24年の時を経て実現した本対談。引退後もそれぞれ違う立場からサッカー界の発展に貢献し続けている[写真]フォトレイド

    text:高村美砂
    photo:フォトレイド

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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