異国の地で、選手に、事業に、子育てに「日本バスケの未来を導きたい」
淀野 潮里さん
ATO International Sports Management Group, LLC代表/元女子バスケットボール選手
大学卒業後に渡米、バスケットボールのセミプロリーグWBCBLを経て、独立プロリーグWABAで選手として活躍した淀野さん。現在はアメリカで起業し、海外に挑戦する日本人アスリートのサポートやコンサルティングを手掛けている。
ミッション達成に向けて常に全力疾走し、一時は選手、事業、そして母親業の3つを同時進行していたほどのタフネスの持ち主だ。彼女を突き動かすのは、選手としてアメリカに挑戦した経験から芽生えた、アスリートたちの未来を思う情熱だった。
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家族から「本でも出したら?」と言われるほど波瀾万丈のキャリアを歩んでいる淀野さんに、これまでのキャリアを聞いた[写真]本人提供
本場アメリカでの挑戦を決意するまで
———まずは、バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。
1歳上の兄からの影響がきっかけでした。彼の習いごとにくっついていく形で、初めてボールに触りましたね。何年か通って、小学3年生くらいから少しずつシュートが決まるようになって楽しかったのを覚えています。でも、このときはまだまだ上級生のお兄さんお姉さんに遊んでもらっているという感覚で、バスケはほかにもたくさんある好きなスポーツの中の一つという感じ。それほど打ち込んではいませんでした。
———幼少期からバスケ一筋ではなかったんですね。本腰を入れ始めたのはいつですか?
中学のとき茨城県選抜に選ばれたことがきっかけで推薦をいただいて、土浦日大高校に進みました。ここでの厳しい練習を経てのめり込み、バスケをやっていく決心をしました。チーム成績は全国ベスト3、個人としても全国ベスト5に選ばれました。その後、小学生からの知人であこがれの存在である有明葵衣選手(元富士通レッドウェーブ選手/現NPO法人Shape the Dream理事)の後を追って、筑波大学に進学。チームは全国制覇を達成、個人としてもオールジャパン選手に選ばれました。
———大学卒業のタイミングで、国内実業団からのオファーもあったそうですね。なぜ単身アメリカに?
実は、大学生活最後の年に病気を発症してプレーできない時期があったんです。悩んだ結果、今後はプレーヤーではなく選手を育てるコーチとしてバスケに貢献しようと考え、コーチングを学ぶためにアメリカ留学を決めました。
ところが、大学でカレッジバスケチームの練習相手としてプレーしたとき、コーチからプレーヤーに誘っていただいて。幸い、半年以上体を休めていたおかげで問題なく動けるようになっていました。「まだ若いんだから挑戦するべき」と背中を押されて、再度方針転換。アメリカでバスケ選手として活動することを決めました。
セミプロリーグ時代は、大学の勉強と並行してプレーしていた[写真]本人提供
体格差、けが、言語の壁……プロ契約までのいばらの道
———アメリカでのプレーの感触はいかがでしたか?
当初から、少なくともディフェンスは通用すると感じました。しつこく張りついていけば、きちんと足止めできる手応えはありましたね。こちらが止めたところから、うまい選手がさらに一歩押し込んでくるのにてこずりながらも、次はどう対応しようかと試行錯誤を楽しんでいました。
一方で、オフェンスでは壁を感じました。最初に戸惑ったのは、ディフェンスがぶつかってくるタイミング。日本人同士のプレーの感覚で「来る」と思うタイミングより、少しだけ早いんです。調子を崩されますし、スピードに乗りきる前に勢いが殺されてしまうので、慣れるまではやりにくかったですね。
また当初、ボールの取り合いでは全然歯が立ちませんでした。いわゆる球際の強さですね。アメリカのジムや公園では、居合わせた人同士でチームを組む「ピックアップゲーム」が日常的に行われています。ファウルを取られることがない審判不在の環境で、互いにラフなプレーでバチバチにやりあっているんです。そこで彼女たちが培ってきたハングリー精神は、当時の私にはまだありませんでした。
それから何よりも体格差、フィジカルの違いはやはりあると感じました。負けず嫌いの私ですが、プレー中にぶつかったりすると、トレーニングでは埋まらない差を認めざるを得ませんでした。
———体格差のハンデはどのように乗り越えてきたのでしょうか?
力のぶつかり合いに持ち込ませない戦い方を身につけました。内側のエリアでパワー勝負になる前に外から決めてしまうことに専念して、とにかく外角からのシュートの精度を磨きました。得意な能力に絞って磨いていくことで、十分渡り合っていけるという確信が早いうちから持てたのは希望でしたね。私が生きる道、私しかできないことは何かを考えて毎日練習に励んでいました。
———ところで、英語は堪能だったのでしょうか?
いえ、それが全然! 渡米前は「アメリカで暮らしてしまえば自然に身につくだろう」と軽く考えていたんですが、甘かった。実はアメリカでプレーすると決めた最初のシーズンに、前十字靱帯を切って10カ月バスケができなくなってしまって。トレーナーの指導でリハビリをしたんですが、英語がおぼつかないせいで意思疎通がぼろぼろ。全然うまくいかなかった。
日米のカルチャーの違いを初めて強く感じたのもこのときでした。日本人同士だったら顔色を見て「大丈夫?」といってもらえるような場面でも、ここでは自分で助けを求めないと誰も察してくれない。バスケができないフラストレーションの中で、言語の壁が追い打ちをかけてきたように感じてしまって、つらかったですね。
———その言語の壁をどうやって乗り越えたのでしょうか?
大きな助けになったのは、新しいトレーナーとして出会った、大学時代の教授Ms. Beckyでした。当時英語が話せなくてうつむきがちだった私に、初めて全力で向かってきてくれた恩人です。「周りと距離をとってる場合じゃないよ!」と息ができないくらい強くハグしてくれたり、背中をバシーンとたたいてくれたり。人との関係が築けなくて孤独を感じていた当時の私には、このエネルギッシュなコミュニケーションが刺さりすぎて! よく泣いてました(笑)。
———恩人との出会いで、前向きになれたんですね。その後の英語習得はどうされたんですか?
つかんだコツはとてもシンプルで、もうとにかくしゃべりまくること。文法やイントネーションのミスなんて気にせず、表情やリアクションも意識的に大げさにして、とにかく意見を伝えること。そうやって強引にでも友達を増やしていくことで英語話者といっしょにいる時間が増え、どんどん話せるようになっていきました。
相手を振り向かせるために本来のキャラクターじゃないというくらいオーバーに振る舞うので、当然とても疲れます。でも、演じてでもまず人と関わることが必要でした。
チームメートと。普段からの関係が試合中の連携にものをいう[写真]本人提供
———共通言語を習得して意思疎通ができるようになることは、プレーにも影響しそうですね。
チームメートとは試合や練習以外でもいっしょに行動する時間がとても長いので、コミュニケーションがとれないと孤立して、パフォーマンスを発揮するどころでなくなってしまう。スラングだらけで全然言っていることが分からなくても「ごめん、分かんない! どういう意味!?」って大きく明るく返すことが大事です。この積み重ねで築いた関係が、そのままチームでの居場所になっていきました。
———その後、見事にプロ契約を果たされていますね。
最初はセミプロリーグWBCBLのチームCarolina Lady Rushで3年間プレーし、トライアウト(入団テスト)を経てプロリーグWABAのチームChicago Steamに移籍。その後、2021年からはChicago Breezeでプレーしました。
念願のプロリーグチームへの移籍が決まったときは大興奮で、契約書にサインする手がふるえましたね……!
選手と事業のデュアルキャリア
———プロリーグの選手としてプレーしていた2020年に、ATO(Across the Ocean)社を立ち上げられました。改めて、事業内容を教えてください。
ATO社は、海外への挑戦を希望する日本の若手選手に対してサポートを行う会社です。アメリカにおける練習の場の提供、コンディショニングケア、英会話レッスン、プロチームとの契約に必要なエージェントとのやり取り代行などを提供します。
そのほか、シカゴ郊外に住む日本人の子どもたちを対象としたバスケスクールも開いています。
———起業した理由は何だったのでしょうか?
日本のバスケのために何かしたいと思ったからです。当時は選手として活動していたし、アメリカバスケの強みをたくさん見つけられた。ここでのバスケが大好きです。だからこそ、最終的には日本のバスケに貢献したいという気持ちが強くあるんです。自分がここで学んだことを還元していきたい。そのために私にできること、私だからこそできることって何だろうと考えて、ATOを立ち上げました。
プロリーグで選手として活躍しながら、後進の育成にも目を向ける[写真]本人提供
———ATO社を通じて実現したいことは何ですか?
これからきっと、若く優秀な日本人選手がどんどん育ってくると思うんです。そして彼らが本場アメリカで挑戦しようと思ったとき、言語やカルチャーの違いによるハードルを引き下げること、バスケに集中できる環境をつくることがATOのミッション。
私が挑戦を始めたときにいてほしかった存在、孤独なときに気持ちを共有できる相手になれたらいいですね。もちろんそれでも壁にはぶつかるし自分で乗り越えないといけないけれど、導いてくれる人がいるかどうかで状況は全然違うはず。そして、自分たちには想像したよりもずっと大きな可能性があるということを、早いうちに知ってほしいです。
———「早いうちに」と考える理由は?
2週間限定のユースプログラムでアメリカに来た10代の選手たちを見ていると、プレーの面ではちゃんと手応えを得られているんです。たぶん、日本のほうが早くから正しいフォームづくりを指導してもらっていて身についているからかな。一方で、英語が話せない、積極的に自分を表現しないといけない、という初めての環境に放り込まれるせいでなかなかチームに入っていけないということがよくあって、もったいない。
こういう壁は、やはり若くて頭も心も柔軟なうちのほうが早く克服できます。10代の子たちなんか、たった2週間の滞在で激変しますよ! これが「早いうちに」と考える理由です。言語やカルチャーの壁なんかさっさと克服してしまって、広い視野でアスリートとしての挑戦に専念できる環境を提供したいですね。
子どもたちを対象としたバスケ教室。教えるというよりも、楽しさをシェアする[写真]本人提供
———2週間のアメリカ滞在プログラムに参加した選手たちの反応は?
まず、もう見た目からしてガラッと変わります。2週間前とは別人というくらい表情が全然違って、明らかに目がキラッキラしてるんですよ。最終日には「人生の財産になりました」って言ってもらえたり、帰国後に保護者の方に様子を聞くと「2週間でいったい何が起きたのかというほどプレーが積極的になりました!」と言ってもらえたり。
いま思い出すだけでもちょっと泣きそうになるくらい(笑)。プレーだけでなく滞在中の生活面もサポートしながらずっといっしょにいて、一人ひとりが悩みながら壁を乗り越えてきたのも全部間近で見ているので、素晴らしい成長に毎回本当に胸がふるえる思いですね。こんなに楽しい仕事はほかにありません。
———選手と並行して会社を運営されていた時期は、どのようにこなされていたのでしょうか?
2021年の10月まではプロリーグチームでプレーしながら、ATOを運営していました。練習の合間に、しかも乳児の息子が寝た瞬間に集中してデスクワークを進める毎日でした! 睡眠時間は3~4時間程度で、正直リカバリーの時間は十分にはとれていなかったと思います。
いまは、選手はいったんお休み中。チームの監督からは次のシーズンのオファーもいただいていたんですが、息子も2歳になってだいぶワイルドに動き回るようになり、さすがに育児・会社運営・選手の3つ同時には手が回らなくなってきたので。コーチングやマネジメントといったATOの運営に集中し、ますますの熱意とプライドを持って打ち込んでいるところです。
大学で学んだコーチングの知識や技術も活きている[写真]本人提供
自分自身を突き動かすもの
———どうして高い壁に挑戦し続けられるのでしょうか?
もともと何もやることがない時間ができるとだらだらしてしまって、しかも後から自己嫌悪に陥る性格なので、常に何か責任あるタスクを求めているところはあるかもしれません。目標に向かって全力疾走して成し遂げる、自分自身が誇れる自分でいたいという気持ちが強いですね。そのために、いまも毎日必死です。
自分の活動を通して、「一度きりの人生、やりたい気持ちとやれる体があるなら何ごとも全力で! 夢はでっかく!」というメッセージを次の世代に伝えていけたらなと思います。
———ATOの今後の活動について教えてください。
2023年春に、プロリーグGWBAと提携した日米交流イベント『Bridge the Gap』の開催を予定しています。特に女性アスリートの国際的な活躍機会の拡大を目的に、2日間にわたるスケジュールで交流試合などを行う催しです。参加する若手選手にとっては、プロリーグのエージェントの前でプレーする絶好のチャンスでもあります。
また、今年7月~8月にはこのプレイベント『Pre-Bridge the Gap』を開催しました。日本トップレベルのステージで活動する女子選手10人が、チームATOとして9日間の日米交流イベントに参加しました。
日本バスケの未来を背負う優秀な選手たちが、初めてアメリカバスケと出会う機会になった[写真]本人提供
———プレイベントを通じて感じた課題は?
今後は、『Bridge the Gap』をはじめとするATOの活動の広報にもっと注力する必要があると感じました。今回のプレイベントは、スポンサーや協賛者と力を合わせたことでとても素晴らしいものになりました。ここからさらに本イベントを盛り上げていくためには、より強力な支援が必要です。
日本の選手がシカゴに来て、アメリカ選手とトップクラス同士の試合をする。そして、互いの文化やバスケ界の現状を共有し合う。そこで得た経験や気づきを自国に持ち帰り、さまざまな形で還元する――。両国のバスケを盛り上げていくにあたって素晴らしい機会になったはずです。
私たちの活動は、知ってもらえさえすれば、もっと多くの人たちから共感が得られるものだと信じています。そのために、これからはSNSを駆使してより積極的に発信し、私たちといっしょに歩んでくれるネットワークを作っていきます。
プレイベントの様子。選手やスタッフだけでなく、ファンや地域の子どもたちも駆けつけた[写真]本人提供
———今後の意気込みを聞かせてください。
プレイベントやユース短期留学に際して日本全国から参加者を募ったとき、想定よりもたくさんの応募が得られたことが大変うれしかったです。日本のプロ選手や若い選手たちが、世界の舞台を視野に努力しているという手応えを感じました。5年後のバスケ界の様子が本当に楽しみ! ワクワクしかない! 彼らが輝かしい未来をつかむための手助けが、少しでもできたら最高です。
チャンスをものにできるかは選手次第。だからこそATOは、機会の提供と環境の整備に全力をかける[写真]本人提供
interview & text:上根せり奈/dodaSPORTS編集部
photo:本人提供
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。











