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JFA理事・宮本恒靖の新航路 “経営視点”で育む日本サッカーの未来

ゲスト:宮本 恒靖さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

日本サッカー協会理事/国際委員会委員長/会長補佐/Jリーグ理事/元サッカー日本代表

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、同じくサッカー元日本代表で、現在は日本サッカー協会(JFA)理事を務める宮本恒靖さん。

宮本さんは現役時代、各世代の日本代表チームキャプテンを務め、2度のワールドカップ出場を果たし、海外のクラブでも活躍。現役引退後は、国際サッカー連盟主宰の大学院修士課程「FIFAマスター」を日本人元プロ選手として初めて修了したことでも話題に。その後、ガンバ大阪のアカデミー・トップチームの監督を歴任し、2022年にJFA理事に就任されました。

現役時代から語学力や戦術理解にたけた“知性派”として知られた宮本さん。これまでのキャリア選択の背景や今後の展望など、ガンバ大阪時代のチームメートでもある播戸さんがインタビューしました。

Index

    2022年3月、JFA理事に就任した宮本さん。45歳の若さで新設の会長補佐と国際委員長を兼務する形で抜擢された[写真]山内優輝

    ピッチの「外」の世界

    播戸 今日はツネさん自身のキャリアについての考え方や仕事との向き合い方をはじめ、スポーツ界にはどんな仕事があって、どういうスキルが求められているのか、といった話を聞ければと思っています。

    宮本 なんか、硬いな(笑)。いつものラフな感じで大丈夫だよ。

    播戸 いやいや、仕事なのでぼくはラフにはいかないですけど、ツネさんは心をラフに、本音を聞かせてもらえたらうれしいです! ガンバ大阪の監督を退任されてから、今年(2022年)の3月から日本サッカー協会(JFA)の理事に就任されました。それ以外にもJFAの国際委員長や会長補佐、Jリーグ理事も兼務されています。具体的な仕事の中身を教えてください。

    宮本 多岐にわたるのでかいつまんで説明すると、47都道府県サッカー協会(47FA)と協力体制を敷きながら、各協会で行われる会議に参加して、サッカー環境の整備や各都道府県が抱える問題、課題を話し合ったり、女子サッカーの発展・普及について考えたり。プラス、9つの地域ごとにある連盟と連携して各都道府県より広い範囲でいろんな取り決めを行うこともあるし、JFAの価値を広げていくための新規事業やプロモーション活動のミーティングに参加することもある。
    この4月にはFIFAワールドカップカタール大会の組み合わせ抽選会やFIFA総会にも出席したし、8月には北海道・帯広で行われた日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会に足を運んで試合を観戦した。今月はJFAの団長としてU-19日本代表のラオス遠征にも同行することになっている。

    播戸 クラブユースサッカー選手権大会は、ぼくも現地にいたのでツネさんが表彰式で盾を渡す姿を見ていました。せっかくの表彰式なのに顔が険しすぎるというか、もう少し笑顔があればいいなと思いました(笑)!

    宮本 そう(笑)? 同大会で優勝したセレッソ大阪の金晃正監督は、自分がガンバ大阪ジュニアユースのU-13の監督をしていたときに、セレッソのU-13の監督をされていて、懇親会などでも何度か顔を合わせていたから、懐かしくもうれしくも感じたし、現場ならではの空気を久しぶりに体感できて、すごくいい時間を過ごさせてもらった。

    播戸 ぼくも最近、U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ2022で街クラブ選抜チーム「大和ハウスDREAMS」の監督をさせてもらったんですけど、やっぱり現場でしか感じられない特別な空気ってありますよね! しかも監督業はことさら特別というか。あらためてこんなにアドレナリンが出る職業はないなって感じました。

    U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ2022で“監督デビュー”を飾った播戸さん。初采配ながら選抜チームとしては史上初となるベスト8進出に導いた[写真]山内優輝

     

    宮本 監督という仕事はよく「中毒性がある」といわれるけど、中でも勝利したときは、本当に特別な熱を感じる瞬間だと思う。ただ、悔しさを味わう瞬間のほうが多いけどね。実際、J1リーグでいうなら、優勝できるのはたったの1チームで、残りの17チームは悔しい思いでシーズンを終えるわけだから。目の前の1試合を勝つことを求めながらも、シーズンを通してチームをマネジメントしていかなければいけない難しさもある。もちろん、それが醍醐味でもあるのだけど。

    播戸 もともと「監督」はやってみたいと思っていたんですか?

    宮本 それこそガンバでプロキャリアをスタートして3年目くらいのときに、当時のアントネッティ監督に「おまえは将来、監督になるだろうな」って言われたことがあったけど、正直、自分としてはピンときていなくて。でも時間の経過とともに自分でも少しそこを意識し始めるようになり、25歳でC級コーチライセンスを、30歳を過ぎてB級ライセンスを取得した。ただ、当時は是が非でも監督になろうという感じはなく、正直なところ、それ以外の道もあるんじゃないか、と考えながらだった。とはいえ、サッカーを離れることはないと思っていた。

    播戸 指導者になるのも選択肢の一つという感覚だったと?

    宮本 そうだね。引退がちらつき始めて自分と向き合ったときに、プロサッカー選手としての時間は濃い時間ではあったとはいえ、それだけでは次のステップに向かうにあたって物足りないなと感じていた。それは指導者になるにしてもそうだし、もう少し大きなくくりで、サッカー界で生きていくためにとか、一人の人間としてということとしても。だからこそ、例えば解説業をしてみるとか、プレーする以外のサッカー界を知ることで、自分にいろんなものをインプットして引き出しを増やす必要を感じていた。

    播戸 オーストリアのレッドブル・ザルツブルクでプレーしたのち、ヴィッセル神戸に移籍したのが2009年、32歳のときでした。いつごろから引退がちらつき始めたんですか?

    宮本 年齢的なものも踏まえて、ヴィッセルに加入するときから、自分が次のキャリアで何ができるのかを見つける時間にしたいなと思っていた。特に2年目になって試合にあまり出られなくなったあたりから考えることが増えた。そういう状況で3年目を迎え、シーズンが進む中で、次のチームを探すのか、引退するのかをより考えるようになり……。でも、どれもいまひとつピンとこなくてどうしようかなと思っていたら、国際サッカー連盟が運営する「FIFAマスター」という学びの場があると知り、これはやりたい!と気持ちが動いた。

    2011年のシーズン終了をもって34歳で現役生活に幕を下ろした宮本さん。引退後、日本の元プロサッカー選手として初めてFIFAマスターを修了した[写真]山内優輝

     

    播戸 現役に未練はなかったですか?

    宮本 いきなり引退しようとなったわけではなく、徐々に試合に出られない時間が長くなっていく中でその考えに至ったから。控えメンバーとして、アップのときからいつでも試合に出られる準備はしていたとはいえ、いざ試合が始まったら、ピッチのラインの中にいる選手と、一歩またいだ外にいる選手とではまったく違う世界にいることを突きつけられるしね。ピッチに立てる試合が少なくなるにつれ、どんどんラインの内側と外側の距離を感じるようになり、気持ちが引退に向かっていく感じはした。

    宮本 その中で、最後のシーズンもほとんど試合に絡めなかったんだけど、最終節を前にレギュラーの選手がぎっくり腰になってしまい、急きょ出場のチャンスが巡ってきた。そのときには自分の中で引退を決めていたから、アウェイながら家族もスタジアムに呼んで、引退試合と思って臨んだ。結果、0-2で負けはしたけど、試合を戦ってキャリアを締めくくれたのは良かったし、気持ちの踏ん切りもついたから、試合後、クラブに「引退します」と気持ちを伝えた。

    スポーツ経営学からの再出発

    播戸 2012年9月にFIFAマスターに入学してから卒業までの約1年間はどういったことを学んだんですか?

    宮本 イギリスのレスターで主にスポーツの歴史的背景を学ぶカリキュラムを受講した後、ミラノでマーケティングやスポーツ経営学を学び、最後に法律学を学んだんだけど、全カリキュラムを終えて、なぜその順序で授業をしてきたのが理解できた。
    例えば、この文京区の本郷に何かを作るとなったときに、ここの土地にはどういう人たちが住んでいて、どういう歴史的背景があるのかを分かっていないと、マーケティングのプランも立てられない。じゃあプランを立てるとして、数字やデータを読み解くために経営学がいるし、最後は法律的な手続きが必要だから、法律の観点も必要だ、と。そういう物ごとの仕組みを学んだり、「サッカー」を選手とは違う視点で見る機会が増えたのもすごくいい経験になった。

    播戸 「選手とは違う視点」とは?

    宮本 例えば、スタジアムでスタッフやメディアの皆さんが首から下げているADカードってあるでしょ? そのADが「入れるエリアを区別するためにある」という認識は選手時代からあったけど、それを法律的な視点で見ると「その人の持っている権利を守る」という意味がある、と。そんなふうに一つのことを違う観点で考える機会が多かったのはすごく面白い学びだった。

    播戸 FIFAマスターの修了後はテレビの解説や、2014年にはFIFAワールドカップブラジル大会のテクニカルスタディグループの一員として出場国の分析などに携わられました。その後、2015年に古巣・ガンバ大阪でアカデミーのコーチングスタッフに就任し、その過程でS級ライセンスも取得されています。現場以外で仕事をする可能性も広げていた中で、指導者を選んだのはどうしてですか?

    2016年にガンバ大阪ユースの監督に就任。U-23監督を経て2018年にトップチームの監督に就任し、2021年5月まで指揮を執った[写真]Getty Images/J.LEAGUE

     

    宮本 FIFAマスターから戻り、いろんなことを経験していく中で、そのときの自分にできることと、強みは何かを考えたときに、今は指導者だな、と。現場以外の環境で学んだものは多かったとはいえ、当時の自分ではそれを活かして動かせられるものはまだないと感じたし、一方で指導者としてなら伝えられることが多いと思った。

    宮本 実際、ガンバのジュニアユースのコーチから始まって、ユースチームの監督、U-23の監督、トップの監督をやっていく過程では、監督としての仕事というものに感じる魅力、面白さも膨らんでいった。監督としてのキャリアが続くのなら、いずれ日本代表監督を目指していきたいという思いもあった。もっとも、そんな簡単にはいかないだろうな、とは思っていたけれど。

    播戸 2018年7月にガンバのトップチーム監督に就任し、約3年間にわたって指揮を執りました。「そんな簡単ではない」というところでは、いつか終わりが来ることも覚悟していた、と?

    宮本 もちろん。監督は勝たせるのが仕事だと思っていたし、試合の内容やクラブを中長期的にどう変化させていけるのかも考えながら指揮を執っていた中で、退任になった2021シーズンの1勝4分5敗という結果では足りていないと自覚していたから。クラブの経営陣がそう判断するのは当たり前だと思っていた。

    宮本 ただ、単なる監督業というより、自分が育った古巣、ガンバというクラブをもう一度強くすることに大きなモチベーションを感じてトップチームの監督業をスタートさせていたからね。それがいざ終わった後に、監督としてそれを超える魅力的なプロジェクトがあったのかといえば正直なかったから、すぐに違うチームで監督を、という考えにはならなかった。

    播戸 どのくらいの期間、フリーの立場でいようと思っていたんですか?

    宮本 それは特に決めてなかった。ただ、辞めてから、ものすごく自分が消耗していたことに気づいた(笑)。考えたら監督時代は、オフの日もビデオを見て、次の週の練習を考えて、って過ごしていたからね。ぼくの場合、分析や練習の構築まですべて自分でやりたかったというのもあって、とにかく一年中、休む間もなく走り続けていたから、まずは心のリフレッシュに努めた上で、自分の中にどういう感情が湧き上がってくるのかを見ようと思っていた。

    2020シーズンはリーグ2位の成績を残し、チームとして4年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得するなど奮闘した監督時代。粉骨砕身で走り抜けた当時を振り返った[写真]山内優輝

     

    播戸 その中で、今の仕事を選択されましたが、監督業ということも自分の中には残しながらの選択だったんですか?

    宮本 監督業は求められなきゃできないというのもある。一方で、監督業という観点で、自分にとってガンバの監督を超える魅力的なプロジェクトは現時点ではないと感じている。今は自分が一番面白いと思えている現職をしっかりやろうと思っている。
    ただ、当然ながら現場での仕事とはまったく中身が違うし、接する人たちも違う。そうであればこの先、必然的に今のキャリアでのボリュームがどんどん大きくなって、いずれはこちらのフィールドにシフトしていくことになるかもしれない、ということは何となく感じている。

    播戸 仕事の面白さとしてはどうですか?

    宮本 監督業に比べると心のボルテージの振れ幅みたいなものは全然違うけど、いろんなことを順序立ててプランニングするとか、サッカーをより広い視野で見ること。人と人をつないだり、いろんなことを時間をかけて構築していく面白さは感じている。今はコロナ禍でまだまだいろんな制限があって、タッチできていないことも多いし、会えてない人もたくさんいるけど、この先はもう少し世界を広げていける気もする。

    サッカーを「文化」にするために

    播戸 選手としていろんな経験をして、世界も見て、ワールドカップにも出場して、FIFAマスターも修了したツネさんだからこそできる仕事として、現時点で描いているものはありますか?

    宮本 日本って、サッカーの仕事をしている人はサッカーを身近に感じられているだろうけど、そうじゃない人にとってのサッカーは、遠い世界にあるものというか。自分から情報を取りに行かなければ、サッカーが生活に入ってくることはほぼない。それはある意味、ヨーロッパのようにサッカーが「文化」として根付いていないということでもあるけど、その点においてサッカーを文化にしていくための働きかけはまだまだできるんじゃないかと思う。

    宮本 もちろん、日本のサッカー界もこの10年、20年でいろんな発展をしてきて、例えば日本代表も海外でプレーしている選手のほうが多い時代になったし、レベルは間違いなく上がっているとは思う。でも、一方で人気や選手の知名度は、そのレベルとは並行して右肩上がりにはなっていない。そうした状況をいかに変えていくのかも考えていかなきゃいけないことの一つだと思う。

    日本サッカーの競技レベルは向上した一方で「文化として根付いていない」と話した[写真]山内優輝

     

    播戸 そういう思いを実現に向かわせるために、サッカー界にどういうスキルを持った人材が増えていけばいいと思いますか?

    宮本 JFAは今、基本的に新卒採用がないからね。社会人として培ったそれぞれのスキルを活かして仕事をしている人がほとんどで、スポーツやサッカーに関わりがあり、かつサッカー界の発展に力を発揮したいという熱い思いを持った人たちが集まっている。そういう意味では、まずその人たちの持っている力がもっと引き出されて、相乗効果を求められるような連携が図れるようになれば、より組織として発展していくだろうなというのは一つ感じていることではある。

    宮本 加えて、新たな人材ということでいうと、JFAに限らずクラブ経営のところに、もっとサッカー経験者が増えればいいのにな、と思う。サッカーを経験して、クラブ、チームの動かし方、発展の仕方の絵を描ける人材が、クラブ経営者や決定権のある仕事に就く流れがもっと生まれたら、サッカー界ももっと変化のスピードが上がるんじゃないかなと、と。それと同時に、選手がセカンドキャリアを考えるときに、「指導者や現場以外の道もある」と自然に考えられるサッカー界になればいいなと思う。

    播戸 ぼくらの世代の少し上くらいまでは、将来は監督になりたいという現場志向の人が多かったけど、それこそぼくらの世代くらいから少しずつそうじゃない道を選ぶ人が出てきましたからね。この先、その数がもっと増えて、それぞれの分野、仕事で成果、結果として表れるようになったら、変わることも増えるだろうなとぼくも思います。

    播戸 そういう意味では近年、現場を知っているツネさんがJFAで仕事をしたり、野々村芳和さんがJリーグのチェアマンに就任されたのはすごくいい流れというか。選手やコーチングスタッフの気持ちも分かる、サッカーを知っている人が、経営側の立場に立って仕事をしていくことでの発展は必ずあると思います。

    宮本 サッカーを知っている、ということで言うと、ぼくは必ずしもトップレベルを経験した元選手がすべてとは思っていない。さっきも言ったように、今、JFAにいる職員の方もトップレベルではなくともサッカーに関する知識もしっかり持ち合わせながら、それぞれにいろんな能力を持っている。つまり、そういう人たちも必要だし、さらにそこにトップレベルを経験した人たちも加わることで、それぞれがアイデアや強みを出し合って、適材適所で力が発揮できるような環境ができれば理想だと思う。

    播戸 つまりは多様性、ダイバーシティだと! そんなサッカー界にぜひ導いてほしいと思います。今日はお忙しい中、ありがとうございました。

    宮本 まとめたね(笑)。こちらこそ、ありがとう。

    宮本さんのキャリアを通じて「日本サッカーの未来」について熱く語られた本対談。旧交を温めながら幕を閉じた[写真]山内優輝

    text:高村美砂
    photo:山内優輝

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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