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日本スポーツ界の牽引者・川淵三郎 今なお衰えぬ「地域社会貢献」の志

ゲスト:川淵 三郎さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

日本トップリーグ連携機構会長

スポーツ界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、Jリーグ初代チェアマン、日本サッカー協会第10代会長として日本サッカーの発展に大きく貢献された川淵三郎さん。

その功績はサッカー界にとどまらず、国際バスケットボール連盟(FIBA)タスクフォースのチェアマンとしてBリーグ創設を主導し、現在は日本トップリーグ連携機構会長として、85歳の今も日本スポーツ界の未来のために尽力されています。そんなスポーツ界を代表するリーダーである川淵さんを「自分の目標」と公言する播戸さんが、たっぷりとお話を伺いました。

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    1993年、Jリーグ初代チェアマン川淵さんの開幕宣言とともに、日本初のプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕。日本サッカー協会会長、日本バスケットボール協会会長を歴任し、その類いまれなリーダーシップで日本スポーツ界を牽引してきた[写真]Getty Images/J.LEAGUE

    「サッカーだけで一生を終えたくなかった」

    播戸 本日はインタビューをご快諾いただき、ありがとうございます!

    川淵 播戸から頼まれたら断れないよ(笑)。

    播戸 1993年に川淵さんたちがJリーグをスタートさせて約30年。かつては「日本のスポーツといえば野球」の時代から、一気にサッカーが台頭していく時代に変化していったと思います。ただ、ここに来てサッカー人気が薄れてきたようにも感じるのですが、川淵さんはどのように見ていらっしゃいますか?

    川淵 Jリーグが発足したころの熱狂と比較すれば、サッカー人気も落ち着いてきて、興味と関心が薄れつつあるとは思うね。日本がワールドカップに出るようになり、中田英寿、本田圭佑というスーパースターが現れて、多くのファンを惹きつけてきた。一般的な目線からすると、チーム以上に「誰を中心に見るか」というのがある。技術的には進歩しているけれど、彼らに代わるようなスーパースターが現れていないという点も影響しているように思うね。

    播戸 ヒデさん、圭佑はそのパーソナリティや発言などでも注目されました。サッカー以外の部分でも人々の関心を引くというところも大切なのかもしれませんね。

    川淵 彼らはファッションもそうだったね(笑)。一流選手は競技以外で吸収したことも発信力につなげているように思う。

    播戸 川淵さんの時代はサッカーもアマチュアの世界でした。仕事と掛け持ちしながら、サッカーをしなければならなかったわけですよね。

    川淵 ぼくの場合は練習が終わったら、会社のほかの人との付き合いのほうが多かった。知識を吸収することで人間的な膨らみも出てくる。サッカーだけで一生を終えたくないという思いもあったから、本なんかも意識的に読んでいたよ。

    川淵さんは1961年に古河電気工業に入社し、サッカー部でプレー。日本代表では通算70試合出場、18得点を記録。1970年に現役を引退した[写真]山内優輝

     

    播戸 今の時代の選手も、セカンドキャリアを考えると現役のうちから勉強したり、人脈を広げたり、知識を入れていくことは大事なんでしょうね。

    川淵 絶対に必要だと思うね。ぼくは古河電工で品質管理の勉強を部屋で缶詰めになってやったり、分析の手法を学んだりなどとサラリーマン教育を受けてきた。これがあったからJリーグを創設してから試行錯誤しながらでもやってこられた。サラリーマン教育がなかったらJリーグのような組織を動かせなかったんじゃないかな。今の選手たちは新聞をあまり読まないと聞く。ひと通り読むだけでも社会性がつくから、習慣にするだけでもずいぶんと違ってくるように思う。

    播戸 逆に、今の選手たちはサッカーに専念できるようになった半面、競技を一生懸命やることがすべてになってしまっているような気がします。

    川淵 引退してサッカーを離れたときに、社会や経済の情勢や世の中の動きをまったく知らないとなると一人前の大人としてなかなか社会に出ていけない。人間的な幅を持たせておけば、たとえ指導者になっても活きてくるはず。サッカーの世界だけしか見てない、見ようとしない人だと選手を教えるにしても限界があるんじゃないかとぼくは思うけどね。

    播戸 川淵さんはJリーグのチェアマン時代、選手のセカンドキャリア支援にも力を入れていらっしゃいました。取り組みの中でどういった課題を感じられていましたか。

    現役時代に起業し、ビジネスの経験を積んできた播戸さん。現在は自身の経験を活かしアスリートのセカンドキャリア支援にも取り組んでいる[写真]山内優輝

     

    川淵 当時、選手全員にヒアリングしたらセカンドキャリアのことを考えている選手なんてほとんどいなくて、契約満了と言われてから、さあどうしようかってなっていた。セカンドキャリア支援事業として引退後にどういった会社が採用してくれるか、勉強したいときにどういった大学が受け入れてくれるかを模索する中で、こういったものは本人に自覚がないとまず難しいと感じたね。

    播戸 Jリーグ初期にプレーしていた人が引退し、その後の姿を現役選手が見ることはセカンドキャリアで何をすべきか考えるきっかけにはなったと思うんです。

    川淵 みんながみんな指導者になったり、クラブに残ったりできればいいけど、そうはいかない。繰り返しになるけど、社会に出ていくには人格、知識、経験が必要になる。人間としての膨らみを日常から身につけていく努力をしたほうがいい。社会情勢、経済情勢など世の中の動きを知っていないと、仕事をしていくにしてもうまくいかないと思う。

    必要なのはスポーツへの愛情

    播戸 川淵さんは、サッカー、バスケットのみならず、日本のスポーツ界全体を見ていらっしゃいます。この業界で働くにはどういったスキルやマインドがあったほうがいいと考えますか?

    川淵 ぼくから言わせれば、一番はスポーツが好きかどうか。ぼくは基本的にあらゆるスポーツが好き。スポーツを仕事にしたいと思うなら、スポーツに対する愛情が大前提じゃないかな。このスポーツを発展させるにはどうしたらいいのか。自分なりにのめり込んでやることが大切になってくるから。ただ自分の話をするとね、Jリーグができる前、ぼくは日本サッカー界にしらけていたんだよ。

    播戸 えっ、どうしてしらけていたんですか?

    川淵 1984年のロサンゼルス・オリンピックのアジア予選、ぼくが日本サッカー協会の強化本部長で、森(孝慈)が日本代表の監督だったんだけど、コテンパンに負けちゃって責任を取って強化本部長を辞めたのよ。日本サッカー協会はこう変わるべきだって建白書のようなものを書いて出したんだけど、何の返事もない。こんな協会どうにもなんねえやって、自分のなかで一度見切りをつけたんだよね。しらけたというか、客観視してサッカー界を見るようになった。でもこれはすごく大事だったね。

    播戸 しらける前は日本サッカー協会を変えてやるって、意気込んでいたんでしょうね。

    川淵 いやいや、そうでもないんだよ(笑)。サッカーをもう一度なんとかしようって思ったのが、その数年後に古河電工で関連会社への出向を命じられたときなんだ。建白書を出してからはサラリーマン人生をより充実したものにしようと思って仕事に没頭していた。当時、ぼくは古河電工名古屋支店の金属営業部長として働いていて、いずれは本社に戻って重役になれるだとうと思っていた。だけど、関連会社への出向を命じられ、サラリーマンとしての先が見えてしまったんだよね。

    川淵 そんなときに「JSL(日本サッカーリーグ)の総務主事をやってもらえないか」っていう話が舞い込んだ。そのころ、JSLはプロ化に向けて動き出していて、自分の人生をしっかり生きた証しとして何か残したいって思った。そこからだよ、本気になって日本サッカーを立て直したいってのめり込んでいくのは。

    勤めていた古河電工で関連会社への出向を命じられたことを機に、サッカー界改革への思いが高まったと話す川淵さん。スポーツ界で生きるには「スポーツへの愛情が不可欠」と説く[写真]山内優輝

     

    播戸 サッカーはほかの国内スポーツと比べても組織面、財政面など、基盤はしっかりしているように思うのですが、その点はいかがですか?

    川淵 プロ野球界がどうなっているかは分からないけど、そのほかのスポーツとの比較でいうと組織のガバナンス、財政面ではサッカー界は図抜けているよね。日本サッカー協会の理念は「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」。グラスルーツのところにも手が届いているし、理念をきちんと具現化できているんじゃないかとは思うね。

    播戸 昔の協会はどうだったんですか?

    川淵 プロ化以前の思い出話をさせてもらうと、遠征は東南アジアが多かった。泊まるホテルも古くて、ヤモリが床にはっているようなところでね。それでも遠征できるのはありがたいことだった。それにマッチフィーをもらえて協会の利益も上げられたから。

    播戸 サッカーが盛り上がってからは逆ですもんね。海外の代表チームを呼んで、マッチフィーを日本側が払う、と。

    川淵 それだけ財政に余裕ができたってこと。まあ、40年前くらいの話なんて若い人は想像できないと思うよ。ぼくが日本代表監督だったころ、ワールドカップスペイン大会(1982年)のアジア予選で香港の空港に着いたらメディアが集まってきてね。同じ飛行機に誰か有名人でも乗っていたのかなって思っていたら、インタビューさせてくれ、と。マネジャーも通訳もいないから、ぼくが英語のインタビューに応じて、今振り返ってもよく受け答えできたなって思うよ(笑)。

    アマチュア時代を回想しながら、日本サッカー界の組織面・財政面での変化を振り返る[写真]山内優輝

    「想像を超えた」地域社会貢献

    播戸 今、日本サッカー界は過渡期を迎えていると思います。もっと多くの方々に応援してもらうためにはどのようなことに取り組んでいくべきだと思いますか?

    川淵 Jリーグを見ても気になるのは観客の平均年齢が上がっていること。つまり若い世代の新しいファンがあまり増えていない。もう何年も前になるけど、横浜DeNAベイスターズの試合を見に行ったら、若い人や女性ファンが多かった。1イニングが終わるごとに短いイベントをやっていて、ファンも楽しんでいた。グッズ販売やグルメもたくさん種類があったり、配置を工夫していたりして、一生懸命努力しているからスタジアムは超満員になるんだろうね。

    川淵 Jリーグがスタートしたころは毎年のようにクラブの社長を欧州に連れていって、勉強してもらった。プロのクラブチームをどう運営していくか皆さんまだ理解できていなかったから、熱心に勉強していたね。サッカーはプロ野球に先んじてファンサービスに力を入れたりしていたけど、今はちょっと努力が足りないんじゃないかとも思う。国内のほかのスポーツでも海外でも参考になるものはいっぱいあるわけだから。

    播戸 Jリーグが提唱する「Jリーグ百年構想」には、「芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくる」「サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること」とあります。ここにはどんな思いが込められているんでしょうか。

    日本サッカー協会(JFA)SDGs推進チームメンバーでもある播戸さんは、JFAの社会貢献活動「アスパス!」のSDGs活動を推進している[写真]山内優輝

     

    川淵 100年かかってでもスポーツを生活の一部としてエンジョイできるような日本にしますよ、ということ。ドイツやイングランドなどのスポーツ先進国は100年以上の歴史があって、今のように人々の生活に根ざしたものになっている。地域のコミュニティに根差した場所づくりは必要。そういった意味で、Jリーグのクラブが地域社会に貢献する活動を年間2万件も行っているのはとてもうれしい。地域社会のプラスになることを、行政サイドとタイアップしながらウインウインの関係で努力することが各クラブで当たり前になっている。これはぼくの想像を超えていて、ぼくが望んだことでもある。

    川淵 その一方で、お客さんにたくさんスタジアムに来てもらうこともやっていかないといけない。例えば、誰もが知る国際的なスター選手を獲得するために、入場料金を少し高く設定して「協力してください」って呼びかけをしながら、自分たちの力で財源をつくる努力をすることだって考えてもいいんじゃないかな。地域社会への密着や新しい場所づくりにつながっていくには、やっぱり百年はかかる。それが「Jリーグ百年構想」というワードに込められている。

    播戸 今後、日本のスポーツはどのような姿になっていくべきだと思われますか?

    川淵 誰でも気軽にスポーツを楽しめる場が全国各地どこにでもあるということだろうね。例えば、車いすバスケを体育館でやろうとする場合、床が傷つくから使ってくれるなとなる。でもぼくが首都大学東京(現東京都立大学)の理事長をやっていたときに、体育館で検証してもらったことがあって、専門家は「問題ない」と言ってくれた。パラリンピックでボッチャを見て面白そうだなって思っても、実際にはそれができる場ってなかなかない。そこが日本スポーツの一番の問題だと思う。

    播戸 場を提供する側からすると、稼働率や収益性などがまず頭にあるんでしょうね。

    川淵 そこは行政サイドのバックアップも必要になる。今、子どもたちの運動能力テスト(体力・運動能力調査報告書:スポーツ庁)を見ると1985年をピークにしてガクンと落ちている。走り回れる場所、スポーツできる場所があれば本来は心配しなくていいはず。体幹というのは走ったり、水遊びしたり、木に登ったりして自然に鍛えられていくものだから。これはスポーツ行政に携わる人たちの使命だとぼくは思うよ。

    Jリーグ創設とともに「地域密着」の理念を掲げた川淵さん。「地域に根差したスポーツクラブ」の実現に向け今なお尽力し続けている[写真]山内優輝

    スポーツの本質は「楽しむ」こと

    播戸 2022年11月にはワールドカップカタール大会が開幕します。川淵さんは日本代表をどのように見ていますか?

    川淵 優勝候補のスペイン、ドイツと同じグループに入り、「ラッキー」だと思ったよ。メディアはえらいとこに入ったって論調で、新聞の見出しに「死の組」なんて書いていたけど、ぼくは良かったなって。一つひとつの試合をエンジョイするという意味ではこれほど楽しみな組み合わせはないよ。

    播戸 同感ですね。

    川淵 2006年のワールドカップドイツ大会で日本代表がグループリーグで敗退したときに、地元のドイツ人の女性がやってきて、「あなたたち、何を悲しんでるのよ。まだ新参者でしょ。もっと楽しみなさい。ガッカリするほうがおかしいわよ」って言われたんだ。そういう感覚、日本人はなかなか持てない。だからこそ、スペイン、ドイツと同じグループになる今回はエンジョイしてほしいなって思うね。

    ワールドカップカタール大会優勝候補のスペイン、ドイツと同組に入った状況を歓迎。播戸さんも強く賛同した[写真]山内優輝

     

    播戸 スポーツを楽しむということでいうと、最近、川淵さんご自身が体を動かしているのはもっぱらゴルフだとか。歩いてサッカーをする「ウォーキングフットボール」ってどうですか? というのも、先日ボールを蹴ったことがないという女性の方や子どもたちといっしょにプレーしたんですけど、これはすごくいいなって思ったんです。

    川淵 最初にウォーキングフットボールが日本に入ってきたとき、はやらせたほうがいいなって思ったんだよ。サッカーを今までやったことのない年配の方、女性、子どももみんなでできる。なんせ走っちゃいけないんだから。タックル禁止で危ないことしちゃいけないから安全にエンジョイできる。初心者であっても、シュートってこんな感じなんだって感覚を得てもらうだけでも大きいと思うよ。協会でも広めていこうってやっているよね。

    播戸 これ、サッカーの普及や振興にもなると思うんですよね。

    川淵 年代や経験に関係なく楽しめるからね。ただ、サッカーをやっていた人間からすると、意外と難しいよね。

    播戸 どうしても走り出しちゃいそうになります(笑)。

    川淵 そうそう(笑)。

    播戸 サッカーでは70歳以上の大会(O-70)もありますけど、もうサッカーはやられてないですか?

    川淵 もう何十年もやってないね。O-80の大会もつくってほしいな。80歳くらいの年配者がやるとけっこう激しくなるよ。今の選手みたいにテクニックのない世代だから、パワーと頑張りだけ。頑張らなくていいところで頑張っちゃうから危ないな。やっぱりウォーキングフットボールにしよう!

    播戸 その際はぜひ、ごいっしょさせていただきたいと思います。今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!

    長年にわたり日本スポーツ界を牽引してきた川淵さん。尽きせぬスポーツへの愛情と地域社会貢献の思いが映し出された対談となった[写真]山内優輝

    text:二宮寿朗
    photo:山内優輝

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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