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柔道の次は「アイスで世界へ」松本薫の“異色”の転身劇

ゲスト:松本 薫さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

元柔道女子日本代表

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、ロンドン五輪柔道女子金メダリストの松本薫さん。

現役時代、“野獣”の愛称で人気を博した松本さんは、引退後にアイスクリーム業に転身し、自身がプロデュースするアイスクリーム店「Darcy’s(ダシーズ)」の商品開発に従事されています。その異色のセカンドキャリアを歩むことになった理由や、現役時代からこれまでの思いなど、同じ元アスリートの播戸さんがインタビューしました。

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    松本さんは現役時代、2012年ロンドン五輪で金メダル、2016年リオ五輪で銅メダルをはじめ、世界選手権で2度、グランドスラムで6度の金メダルを獲得するなど、女子柔道界を牽引し続けてきた[写真提供]ベネシード

    「3回戦負け狙い」の柔道

    播戸 今日はよろしくお願いします。先ほど松本さんプロデュースのアイスクリームをいただいたんですけど、おいしかったです(笑)。

    松本 ありがとうございます(笑)。体にいいのがコンセプトですし、白砂糖を使用せず、脂質などを抑えているのでアスリートにもお薦めなんですよ。

    播戸 アイスの話もぜひお願いします。最初に、柔道を始めたきっかけを教えてください。

    松本 私は、5人兄弟の4番目だったんです。長男が最初に柔道を始めて、長女、次女と順番に続いたんです。私は、「やりたくない」と言ったんですけど、「アイスクリームを買ってあげるから」と言われ、それにつられて5歳のときに始めました。

    播戸 すでにそこでアイスとつながりがあったんですね(笑)。始めてからは、柔道一直線で、五輪に出たい、みたいな感じだったんですか。

    松本 それが、全然そんなことがなくて、私は大会で3回戦で負けることを目標にしていたんです。道場がめちゃくちゃ厳しくて、いかに今日を生き残るか、みたいなところだったんですよ。試合は3回戦までは塾生がたくさんいるんですけど、4回戦になると人が減って先生に見られるんです。それが嫌だったので相手に気づかれず、先生に分からないように負けていました。勝ちたいとか、強くなりたいとかの意志もまったくなかったです。

    意外にも児童期は苦手なことから逃げるタイプだったという松本さん。「バレないようにわざと負けてました」と笑う[写真]中野賢太

     

    播戸 いつごろから「勝ちたい」と思うようになったんですか。

    松本 中学2年で、全中(全国中学校柔道大会)で3位になったときです。先生は最初、私についていたんですが、途中で姉についたんです。「今だ、負けるチャンスだ」と思い、負けたんですよ。姉も同じように負けたかったんですが、私が勝ち進んでいたので、姉の意地として私より先に負けるわけにはいかなかったようで、「おまえのせいで勝ち続けるハメになった。優勝してくるわ」と言って優勝したんです。そのとき、姉がみんなに「おめでとう」と言われているのをうらやましく思ったんです。翌年、中学3年で初めて優勝を狙って勝ちました(笑)。

    播戸 そこから松本さんは「野獣」になっていくんですか。

    松本さんと深く話すのは今回が初めてという播戸さん。 “負けたかった”という松本さんのエピソードに「抱いていた印象と全然違った」と話した[写真]中野賢太

     

    松本 いえ、まだ先なんです。道場が厳しいので金沢(石川県金沢市)を出たくて、東京の高校に進学したんです。三井住友海上の人たちといっしょに練習していたんですが、みんな「強くなりたい」「世界チャンピオンになりたい」と、熱心に練習をしているんです。私の目標は強くなることではなく、金沢を出ることだったので、がむしゃらに練習する空気が合わなくて……。次第に道場から遠のき、ここにいる意味あるのかなと思うようになって、金沢に戻ったんです。そのとき、柔道をやめられるタイミングだったんですが、今やめたら何も残らない。何かひとつつかみたい、そのために頑張ってみようと思い、17歳で初めて自分から意欲的に練習し、努力をするようになりました。

    播戸 17歳から五輪を目指していくわけですね。

    松本 最初は日本一、次は世界へと段階を踏んで五輪に行く感じでしたね。2008年の北京五輪は補欠だったんですけど、このときは日本で勝てるようになり、世界に出ていくシーズン。まだ自分が出ても勝てないと分かっていたから、逆に選ばれなくて安心しました。次のロンドン五輪は、確実に出て、私のための五輪にする、そのためにどうすべきか考えましたね。

    播戸 ロンドン五輪のときは、綿密に分析して金メダルを取ったんですね。

    松本 金メダルを取れて安心というか、ホッとしました(笑)。

    ロンドン五輪では、女子柔道57kg級で日本初の金メダルを獲得。勝ちへのこだわりが芽生え、“野獣”スタイルで世界一に上りつめた[写真]中野賢太

    ライフステージによる変化

    播戸 2016年のリオ五輪で銅メダルを獲得後に結婚されましたが、きっかけがあったのですか。

    松本 実は前回大会のロンドン五輪の前に結婚を申し込まれたのですが、そのときは結果を出せていないし、負けたら周囲から「だから負けた」と言われるのもイヤなので、まだ早いと思っていたんです。リオ五輪の前にもう1回結婚しようと言ってもらったのですが、そのときは28歳。自分の賞味期限がそろそろ切れる、この人を逃したらヤバいなって思いましたし(笑)、子どもを産むことを考えると、今かなというのがありました。柔道か子どもか、ということでいうと、そのときは子どもが欲しかったのでリオ五輪後に結婚したんです。

    播戸 結婚翌年の2017年に第1子を出産されましたが、2020年の東京五輪は視野に入っていたのですか。

    松本 実は、子どもが生まれたら東京五輪を目指す、生まれなかったら柔道をやめようと思っていました。私は、自分のために頑張ることができなくて、ロンドン五輪は母のため、リオ五輪は父のために頑張った。だけど、東京五輪は誰もいなくて、自分の頑張りを引っ張ってくれる存在が必要だったんです。旦那? 旦那は“相棒”なのでちょっと違うんですよ。幸い子どもが生まれて、「この子のために東京を目指す」と決心しました。

    2016年の結婚会見では「妻でも野獣、ママでも野獣」のコメントが話題に。東京五輪を目指し、産後1カ月でトレーニングを再開したという[写真]中野賢太

     

    播戸 出産後、柔道に戻ったとき、体の変化や違和感はありましたか。

    松本 ヤバかったです(苦笑)。「なんじゃこりゃ」みたいな感じですね。体が反応しないし、動けないし、投げられるし、相手は「松本さんを投げられた!」って喜んでいるんですよ……。「ふざけんな」って思いましたもん(笑)。復帰戦まで1年間あったんですけど、想像以上に調整が進まなくて大変でした。

    播戸 女性アスリートは、松本さんのように結婚、出産というライフステージが変わるとき、いろんな決断を迫られます。そこで迷っている人に、どんな言葉をかけてあげたいですか。

    松本 結婚も出産もやってみないと分からないので、「やりなさい」ですかね(笑)。ただ、そこから育児をして復帰するのは本当に大変です。両親など家族が見てくれるといいんですが、うちはそれができなかった。スポーツ庁が女性アスリート支援として育児サポートをしていますけど、それもまだ十分に機能しているとは言えない。女性アスリートが結婚し、出産して復帰するには、家族のサポートなど環境を整えることがすごく重要だと思います。

    播戸 環境を整えるという点では、一番身近な男性の意識も変えていかないといけないですよね。育児はもちろん、練習や合宿の時間の確保とか、男性も社会もいっしょになってサポートできる体制ができるといいですね。

    松本 それができればママさん選手が増えていくし、競技にとってもプラスになりますからね。

    女性アスリートが育児と競技を両立していくためには「環境を整えることが重要」と話した[写真]中野賢太

    世界に出ていくアイス

    播戸 2019年に現役を引退されますが、その先、何をしようか考えていたのですか?

    松本 私は子どものころから「柔道をやめたい」と思っていました。『キャプテン翼』はボールが友達だけど、私は道着が友達じゃなかったんです。やめたら何をしようかなと考えていましたけど、結局、答えが見つからないまま引退してしまって(苦笑)。でも、やめたときは、これでやっと柔道から解放される、自由だって思いましたね(笑)。そのとき、所属会社の社長に「何ができますか」って聞いたら「アイスあるけど」って言われて、「やります!」と即決でした。

    播戸 会社がアイスクリームの事業をされていて、そこに入られたわけですね。もともとアイスクリームを作りたいという気持ちはあったんですか。

    松本 なかったです(笑)。ただ、思い返せば小学校のとき、大人になったらなりたい職業とか夢を書くところには、ケーキ屋さんかアイスクリーム屋さんと書いていましたね。でも、学校の先生に「松本さんは柔道を頑張っているんだから柔道のことを書きなさい」と言われて、しぶしぶ「オリンピック選手になる」と書き直したんです(笑)。

    現役引退時、「柔道は嫌いじゃないけど、好きってわけでもないことに気づいた」と話した松本さん。全力で駆け抜けた柔道人生を終え、アイスクリームづくりにセカンドキャリアを移した[写真]中野賢太

     

    播戸 柔道始めるきっかけもそうですし、小さいときからアイスクリームとつながりがあったんですね(笑)。でも、未知の現場に入るといろいろ大変だったんじゃないですか?

    松本 材料を煮詰めてしまったり、ヘラを焦がしたり、もう一からでしたね。あと、今所属している会社の社歴としては長いのですが、いわゆる“会社勤め”はしたことがないので、電話対応ではお客さんに伝えることを忘れるし、名刺の出し方すら分からない。みんなには、「社会人としては白帯なので一から教えてください」って言いました。

    播戸 社会人として白帯っていいですね(笑)。アイスクリームってお店も種類もたくさんあるじゃないですか。その中で、どういうところで差別化をしようと思ったのですか。

    松本 ロンドン五輪で金メダルを取って帰国した際、自分へのご褒美として大好きなパフェを1日5食とか食べていたら体に異変が起きて……。そのときに、「毎日食べられるアイスはないのかな」と思ったことがきっかけで、体に良くて「誰でも安心して食べられるアイスクリーム」をコンセプトに、グルテンフリーのアイスを作っています。

    乳製品や白砂糖を使わず「罪悪感なく食べられるアイスクリーム」というダシーズの商品コンセプトには、健康管理に日々向き合うアスリートらしい松本さんの思いが込められている[写真提供]ベネシード

     

    播戸 柔道の経験がアイスクリーム作りに活かされたことはありますか。

    松本 柔道は階級があるので、常に体重を意識しますし、私はけがも多かったので、食には気をつけていたんです。そうしたら細胞と会話ができるというか、これは取り過ぎたらダメ、とか分かるようになったんです。体重が増える前って、まずむくんで、皮膚が痛がゆくなって、それを感じなくなると太るんです。アイスを試作し、みんなに食べてもらったとき、むくみはないか、皮膚のピリピリ感はないかを見て、みんなの体重が増えてなければOKですね。

    播戸 そういう感覚を体が覚えているのはすごいですね。次の展開とかも考えているんですか?

    松本 食パンと100%オーガニックコーヒーをこれから出していきます。アイスクリームは、スポーツに絡めていきたいですね。金沢で「松本薫杯」という少年少女の柔道大会があるんですけど、参加賞でアイスを提供しているんです。試合がイヤだなって思っている子もアイスを食べると笑顔で試合場に出ていくんですよ。いずれ世界から子どもたちを呼んで、みんなでいっしょに柔道をして、アイスとスポーツで世界をつなぎたいですね。今、アイスを通販しているのですが、いつか世界でも販売し、世界の柔道仲間がそれで生計を立て、柔道場やスポーツの発展に貢献してくれたらいいなと思っているので、「ダシーズ」を“世界に出ていくアイス”にしたいなと思っています。

    取材の合間に播戸さんをダシーズ店舗内に案内。松本さんのいち押しアイスは「豆乳焦がしキャラメル」だそう[写真]中野賢太

    「社会科見学」というセカンドキャリア支援

    播戸 アイスクリームの事業がセカンドキャリアにつながっていることはよく分かったのですが、松本さんが現役時代からずっと今の会社に所属しているのは理由があるのですか。

    松本 現役のときって、いろんなところから声がかかるし、今の会社よりも給料が高くて、結果を出せばお金をもらえるところもあったんです。でも、そこを選ばなかったのは、引退したらスパっと切られてしまう可能性が高いからです。やっぱり引退が近くなるにつれ、先が見えない不安が大きくなるし、怖くなるんですよ。やりたいものも見つからない。それでも「いっしょに歩んでいこう」と言ってくれたから今の会社にいるんですけど、それは社長がセカンドキャリアをすごく重視しているからでもあるんです。

    大学卒業後にベネシード柔道部に入部以来、現在も所属している松本さん。現役引退後の選手のサポートに力を入れている点が入社の決め手だったという[写真提供]ベネシード

     

    播戸 なぜ、アスリートのセカンドキャリアのサポートに熱心なのですか。

    松本 過去に、社長が応援していた元五輪選手が孤独死したんです。日本を背負った選手の死に方がこれでいいのか、自分にできることはないのか、ということでアスリートのセカンドキャリアを支援するようになったんです。そこで私に声をかけてくれて、今に至るんですが、日本もアスリートのセカンドキャリアに前向きな経営者や企業がもっと出てきてくれるとうれしいですね。

    播戸 ぼくは、サッカー選手を引退して3年半になりますが、アスリートのセカンドキャリアのために何ができるかをずっと考えています。今は経営者をはじめ、いろんな方に会って話を聞いて、知見を広めている段階ですが、松本さんは何か自分で動くことを考えていますか。

    現役時代に設立したスポーツマネジメント会社・株式会社ミスタートゥエルブを運営する播戸さん。個人としてもアスリートのセカンドキャリア支援に向けたさまざまな活動を行っている[写真]中野賢太

     

    松本 一つは「社会科見学」ですね。アスリートにうちに来てもらってアイスを作ってもらい、作る過程やお客さんに提供されるまでの流れを経験してもらう。作る楽しさや大変さを知り、自分の今後に役立ててほしいなと思っています。あと、私が思うのは、現役世代にもっと事前にセカンドキャリアのことを意識させることも大事かなと思いますね。

    播戸 アスリートは、どうしても競技のこと、目の前のことに必死ですもんね。

    松本 そうなんですよ。よく合宿の講習会とかで聞く話って、「アスリートの栄光の話」が多いんですよ。それってだいたい本に書いてあるので、選手にとっては退屈なんです。私たちは“その先”のことを知らないので、引退後やセカンドキャリアについて話をしてくれる人を呼んで、アスリートに早い段階で遠くない将来を考えさせることも大事かなと思いました。

    播戸 ぼくもセカンドキャリアをサポートしていきたいと考えているので、今回は参考になりました。

    松本 これからアスリートのセカンドキャリア支援で何かいっしょにできたらいいですね。

    播戸 そのときは、ぜひよろしくお願いします! 今日はありがとうございました。

    終始笑顔の絶えなかった今回のクロストーク。ポジティブでエネルギッシュな元アスリートの二人が切り開く新しい道に注目したい[写真]中野賢太

    text:佐藤俊
    photo:中野賢太

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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