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外資系コンサルへ転身したオリンピアン・池田信太郎の“課題と向き合う力”

ゲスト:池田 信太郎さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

フライシュマン・ヒラード・ジャパン シニアコンサルタント/元バドミントン日本代表

スポーツ界に関わる「人」にスポットライトを当てる対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、バドミントン元日本代表で、現在は外資系PR会社のコンサルタントなど複数のビジネスを手がける池田信太郎さん。

現役時代は日本人初のプロバドミントン選手として活躍し、潮田玲子さんとの混合ダブルスで出場したロンドン五輪では“イケシオ”ペアとしても注目を集めた池田さん。引退後のビジネスパーソンへの華麗な転身やこれからのキャリアの展望など、プライベートでも交流のある播戸さんがじっくりとインタビューしました。

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    2008年の北京五輪出場後、2009年に日本バドミントン界初のプロ選手となった池田さん。同年に潮田玲子さんと混合ダブルスのペアを結成し、2012年のロンドン五輪に出場した[写真]Koki Nagahama/Getty Images

    2度の五輪出場、プロ転向の理由

    播戸 今日はありがとうございます。信太郎とは以前からの知り合いですけど、こうやってキャリアのことを含めて話すことがなかったので、すごく楽しみです。まず現役時代のことから簡単に話してもらっていいですか?

    池田 分かりました。ぼくは5歳からバドミントンを始めました。親がコーチだったのがきっかけで、年上の人に勝ったり、成功体験がたくさんあって楽しかったですね。でも中学、高校のときは勝てなかった。幼いころからのライバルが気づくと自分よりはるかに大きくなっていたりして、技術だけでは対抗できなくなった。フィジカルで持っていかれることが多かったんです。

    播戸 当時から日本代表とか五輪出場といった目標は持っていたんですか?

    池田 いやいや、ゼロですね。筑波大学に行ってからは「日本代表になれればいいな」とは思いましたけど、最終的に大学4年のインカレで2位になれた程度。就職もどうしようと思い悩んでいたら、たまたま日本ユニシス(現BIPROGY)の枠が空いて、幸運にも入ることができたくらいですから。実業団に入っても「3年以内に結果を出さないと選手としては終わりだろうな」という意識で、余裕はまったくなかったですね。

    意外にも「大学時代は芽が出なかった」という池田さん。インカレ準優勝も「日本代表を目指すとかいうレベルじゃなかった」と話した[写真]冨田峻矢

     

    播戸 それでも、日本ユニシス入社翌年の2004年には日本代表に初選出されていますよね。この短期間でどうやって日本代表に選ばれるまでに?

    池田 当時は日本のバドミントン界に外国人指導者が増えつつあったころで、日本ユニシスにもインドネシア人コーチが2人いたんです。その彼らが「お前はうまいから、もっと努力すれば絶対に強くなる」と言ってくれた。自分は褒められる指導をあまり受けたことがなかったんですけど、信じて取り組んだらグングン伸びました。
    その後、中国人コーチも来たんですけど、猛烈に走らされましたね(苦笑)。想像できないでしょうけど、ぼくたちの競技って、心拍数150をずっとキープした状態で戦わないといけない。アジリティと持久力のスポーツなんで、まず動けないと勝負にならないんです。そのぶん、トレーニングも追い込むんですよ。

    播戸 テクニック重視のスポーツかと思っていたけど、そうじゃないんやね。

    池田 技術があってもシャトルのところまで足が行かないと話にならないんです。社会人になって一番そこを鍛えられたのが大きかった。コーチとの巡り合わせも大きいですね。日本ユニシスのインドネシア・中国人のコーチに続いて、2004年アテネ五輪後に日本代表に韓国人コーチが来たことも一つの転機になりました。彼が練習を視察に来たとき、「彼、いいね。代表に入れなさい」と言ってくれたらしいんです。そこからぼくは日本代表になれた。2008年北京五輪は男子ダブルスで出場し、2012年ロンドン五輪は潮田玲子と組んでミックス(混合)ダブルスに出ることができました。

    2007年世界選手権で日本人男子初となる銅メダルを獲得し、2008年北京五輪に出場した池田さん。2009年に混合ダブルスに転向し、2012年ロンドン五輪では潮田玲子さんとの“イケシオ”ペアとしても有名になった[写真]本人提供

     

    播戸 バドミントンのダブルスの特徴は?

    池田 男子の場合は基本的に1人がゲームメークをして、もう1人がハードワークする形ですね。ぼくは前者で、相手の特徴を消すように動くとか、戦略的にプレーするほうが得意でした。播戸さんも誰かに動いてもらってゴールしようと思ってたタイプですよね?

    播戸 まあそれはあるよね(笑)。

    池田 そういうところは似てますよね(笑)。

    播戸 潮田さんと組んだミックスはまた違う特徴がある?

    池田 女性と組む場合はパートナーが組み立てていくときもあるし、自分も組み立てないといけないので、異性間のコミュニケーションはまた違いますね。

    播戸 今は「多様性の時代」とよく言われるけど、当時はまだそういう考え方が浸透してなかった時代だし、男女混合競技に対する見方も今とは違っていたと思う。その経験は今の時代を生きるうえでプラスですよね。

    以前から池田さんを知る播戸さん。戦略的なプレースタイルだったという話に「分析家の信太郎らしい」と話した[写真]冨田峻矢

     

    池田 すごい財産です。男女のコンビとなると、ちょっとイロモノ的に見られたりもしましたけど、ぼくはこう見えてもまじめなんで(笑)。当時は「どうしてそういう視点でしかスポーツを見れないのかな」という疑問を抱いていました。ただ、時代が流れてLGBTQやダイバーシティの意識も高まりましたし、スポーツの本質的な価値を理解する人も増えた。それを報じるメディアも増えてきたというのはいいことですよね。

    播戸 2012年ロンドン五輪の後は?

    池田 ぼくらの世界は4年周期。ロンドンが終わって、次の2016年リオデジャネイロ五輪は年齢的にもフィジカル的にもきついなと感じたので、次のキャリアを考え始めました。
    実は2008年の北京五輪の後、自分の価値をマーケットに問いかけたくて、2009年にプロに転身したんです。日本バドミントン界では初めてのプロ契約で、その時点で終身雇用と正社員の立場を捨てた。引退したら会社で働けないので、自分で自分の飯を食う算段をしなければいけない。ロンドン五輪の後は、それを具体的に考えながら、完全に引退する2015年までの3年間を過ごしましたね。

    播戸 具体的にはどう動いた?

    池田 2013年3月末で日本ユニシスとのプロ契約が終わったので、自分でスポンサーを探さなければいけなくなったんです。マネジメント会社を通じて何社か話があったんですけど、半年間待っても決まらなかった。「ああこれはダメだ。自分で動かなきゃ」と危機感を覚えました。そこからの1年弱は自分を売る活動を積極的にやりました。最初は池田信太郎という人間の魅力や価値を資料に落とし込もうとしたけど、うまく書けないし、プリントアウトすら失敗ばかり。キンコーズのカラー印刷に6,000円払ったこともありました(苦笑)。

    池田 企業に行っても「あなたはどこで露出してくれるんですか」と言われる。今でこそ、SNSやYouTubeがありますから、フォロワーや登録者数でアピールできますけど、当時はそうじゃなかった。バドミントンはテレビ中継もされないし、テレビ番組にも呼ばれない。それでも何とか思いを伝えるしかない。苦しみながら、資料も10枚だったのが5枚に洗練され、写真もうまく入れられるようになったりとアップデートしていった。それがぼくのビジネススキルの第一歩です。

    ソーシャルメディアが未成熟だった当時、「テレビにも映らないし、戦うところは自分の思いしかなかった」と話す池田さん。自らスポンサー営業を行う中でビジネススキルを磨いていった[写真]冨田峻矢

    コンサルタントへの転身

    播戸 そして、2015年の引退を迎えたと。引退後に何をするかは決めていたんですか?

    池田 そのときはどこかの企業でマーケティングやモノを売るビジネスをやろうと考えていました。でも自分には経験がないから、いきなりビジネスを立ち上げてもどうなるか分からない。どこかでスキルを磨いてからやるほうが最短距離かなと思ったんです。

    池田 そんな中、マーケティングの勉強をする機会があり、今のフライシュマン・ヒラード・ジャパンのエージェントと知り合って、「われわれのオフィスで仕事しないか」と声をかけてもらいました。グローバルトップカンパニーのマーケティングやPR、ブランド構築がメインだと聞いて、これは面白そうだなと心が動きました。実際、大手外資のブランドのある企業のコンサルなんてそうそうできるものじゃない。自分の腕試しにもなると感じ、2017年から契約し、現在に至っています。

    播戸 マーケティングやモノを売る仕事への興味は現役のころから?

    池田 はい。もともとビジネスがしたいっていう思考が強くて、ビジネス本を読みあさっていたんです。選手時代と同じように、引退後の人生でも自分が向かうものを明確に設定しないといけないと強く感じていましたからね。
    正直、自分が重要だと思うのは、競技でメダルを取ったとか、五輪に出たという結果じゃなくて、そこに至るプロセスだと思うんです。ビジネスも同じで、ゴールに向かってチャレンジしていくことが大切なんだと起業家の方々から学ばせていただきました。人を雇用して、人生を預けてもらうなんて、なかなかできることじゃない。ぼくもそのプロセスを歩んでいきたいなと。そのためには自分のスペックを上げないといけないし、勉強しないといけないと痛感したんですよね。

    引退後にビジネスの世界で再出発した池田さん。現役時代の輝かしい実績も「メダルや五輪は過去のこと。結果よりもプロセスが自分の財産だと思っている」と話した[写真]冨田峻矢

     

    播戸 実際にコンサルタントとして企業で仕事をしてみてどうでした?

    池田 仕事にジョインしてみると、バケモノみたいな人がいるわけですよ。「この人のプレゼン、今まで聞いた中で一番すごい」とか「資料がめちゃめちゃ分かりやすい」とかね。逆に課題も見えてきますよね。ビジネスをこうしたいと思っていても、それを達成するためには人事プロセスや予算の決裁権が必要だとか、いろんなことに気づくんですよ。そういったことは本当に学ぶことが多かったですね。

    播戸 ただ、メンタルの切り替えはできたかもしれないけど、仕事のテクニックや経験はどうしても既存メンバーとの差がありますよね?

    池田 そのとおりで、分からないことは多かったです。だけど、バドミントンでも、「こういうショットやサービスが打ちたい」と思って何回も何回も練習したし、できない原因を分析しますよね。それと同じで、できないことがあるんだったら、できるまでやるだけ。資料がうまく作れない、エクセルの計算式ができない……とたくさんの壁にぶつかりましたけど、パソコンをたたけばグーグル先生が教えてくれる(笑)。できる限り自分で努力して、どうしても分からないときに仲間に聞いて、吸収していくように努力しました。
    今は戦略担当なんで、自分のイメージをどう伝えたら一番分かりやすいかを考えているだけで時間は延々と過ぎていきます。夜中の2時3時になることも日常茶飯事ですけど、反復していくしかないですね。

    播戸 スポーツと同じように反復と改善で成長しているのがよく分かるね。苦手なこともあるの?

    池田 それはあります。すべてを自分でやろうとするとキャパオーバーになっちゃうんで、苦手なところはチームに頼ります。タスク分けって重要じゃないですか。ボールを投げて、いつ戻ってくるかの期限を決めていくのがチームワーク。それも考えてやっています。

    播戸 それにしても信太郎はいろんなことをかみ砕いて説明するのがうまいけど、それもビジネスの経験が大きいのかな?

    池田 最初はそうでもなかったんですよ。でもぼくたちはブランドをつくるとか、サービスをデザインするのが仕事なんで、どうすればゴールに到達できるかを分析するんですよね。企業に入ってコンサルするわけですから、サービスの勉強をしなきゃいけないし、クライアントにもプレゼンがうまかったり、伝え方が上手な人がいたりするんで、そこから学んだのも大きいと思います。

    池田さんが常に心がけているのは「できないことを放ったらかしにしないこと」だという。「エラーの原因を探ってできるまで繰り返している」と話した[写真]冨田峻矢

    「アスリートがスポーツから離れることも重要」

    播戸 今、フライシュマンでのコンサルティング以外の仕事もしていると思うけど、仕事の割合は?

    池田 ほかにもいろいろやってますけど、フライシュマンが6~7割ぐらいですかね。やることはたくさんありますから、時間をうまくマネージしていかないといけないですね。コンサルって考えれば考えるほどゴールがない。限られた時間の中で最適化していくことが大事なんです。

    播戸 朝も早いもんな。

    池田 5時とか6時ですね。たまにゴルフのときもありますよ(笑)。

    播戸 元気やなと思うねん、ホンマに。すごいな、そういう働き方。服装もそうだし、仕事も生活もスタイリッシュ。軽井沢に移住して、その家が雑誌の表紙になってたよね。

    池田 東京の家は引き払っちゃったんで、東京にいるときはホテル生活なんですよ(笑)。

    現在は長野県軽井沢町に移住し、ワーク・ライフ・バランスを実践する池田さんを「人生を最適化してる」と表現した播戸さん[写真]冨田峻矢

     

    播戸 信太郎は今、アスリートがスポーツから離れてキャリアをつくるモデルの最先端にいると思う。太田雄貴や鈴木啓太も含めて、現役を退いた人たちがスポーツじゃないところで活躍していることをもっと伝えていってほしいよね。

    池田 いやいや、ぼくなんてマイノリティだし、いいベンチマークなのか分からないですよ。
    ただ、アスリートのキャリアに目を向けると、引退後もスポーツに関わることは重要だと思うんですが、一方でぼくは、スポーツから離れることもとても重要だと考えます。

    池田 スポーツの仕事は大きく言うと、「経営」と「マーケティング」の2つなんですよ。経営は財政基盤をつくって大きな船を動かすこと。マーケティングは自分たちのコンテンツの認知度を高めてマネタイズすること。そこに尽きるんですけど、スポーツ界はやっぱり独特な部分が多い。そこに行く前に、一般のビジネスの世界でベースを上げておいたほうが、いずれスポーツに携わったときに安全運転ができると思うんです。

    播戸 今のスポーツ界は、過去に実績を残した人とか、“人ありき”で成り立っているケースが多いよね。

    池田 そう。それが課題で、各業界のリーダーは経営も分からなきゃいけない。マーケティング、パブリックリレーション、リスク管理、ガバナンス、コンプライアンス、それに加えて今はSDGsやサステナビリティといった社会課題解決意識も持たないといけない。これらの要素を備えていないといい人材は来ない。能力が高い人が最適な賃金で働いてくれたら、スポーツ団体や協会も潤うし、アクセルを踏めるんです。

    池田 そういう人材にオファーを出すにしても、「バドミントンはアジアで人気だから手伝って」と言うのと、「アジアのスポーツ産業はここ数年で飛躍的に変化する。そこで日本の肖像権を売り、マーケット拡大を図ることを考えている。そのグローバル戦略を2年間手伝ってほしい」と言うのとでは、説得力が全然違う。2~3年というタームで最適な人材を引っ張ってこれるようにならなければ、スポーツ界は大きく変わりませんよね。
    スポーツの売り物はコンテンツですけど、社会から求められているのは、「スポーツを通してファンやユーザーが何を受け取るか」ということ。そこに企業は投資するし、それを意識しないと売れない。ぼくは外に出てそういうことを肌で感じているんです。

    播戸 スゴイ話やね。確かに今は企業側も、ビジネスの価値としてスポーツを見ているというよりは、「応援してあげる」というスタンスが中心かもしれない。

    池田 今は貢献心からのスポンサードがメインですね。だけど、日本のサラリーがアメリカの半分くらいになっちゃって、そもそも企業が支払える体力が限られてきている。そういう状況ですから、貢献心だけではいけない。1回はお金を出してくれるかもしれないけど、本質がなければ短期的なサポートに終わってしまいます。
    アメリカなんかはスポーツで儲ける話になっている。スポンサードすることで株価も認知も上がる、コミュニケーションツールのソーシャルメディアのフォロワーも増えるという好循環が起きているんです。日本はちょっと遅いですね。

    「貢献心だけのスポンサードはサステナブルじゃない」と語る池田さん。「スポーツのビジネスとしてのプレゼンスを高めていかないとマーケットも成長しない」と強調した[写真]冨田峻矢

     

    播戸 だからこそ、スポーツ界全体で社会的価値をつくるために変えていくことが必要だよね。

    池田 必要だと思います。いい人材を育てることと、いい人材をスポーツ界に取り込んでいくことを同時にやるべきだとぼくは思います。

    播戸 ぼくは将来的にクラブやリーグ、協会を運営したいと思ってるんで、池田信太郎をぼくが口説いていかなあかんなと感じてます(笑)。

    池田 (笑)。クラブの経営、すごいですよね。ぼくの筑波大学の同期も、サッカークラブのフロントや現場に入っている仲間が多い。サッカーが魅力的で、仕事としてのやりがいがものすごくあるんでしょうね。

    播戸 産業的にはまだまだとはいえ、成り立っていないことはないからね。ここからさらに盛り上げていくためにはどうすべきか、自分に何ができるのかが肝心ですね。信太郎はこの先、どうなっていきたい?

    池田 ぼく、今年(2022年)で42歳なんですよ。「人生100年時代」と言いますけど、あと何年生きられるか分からない。もちろん長生きはしたいですけど、自分が仕事で突っ張っていけるのは50歳までだなと。50、60、70にかけて緩く下降曲線を描きたいと思うんです。だからこそ、50歳までにある程度、自分の社会的価値をつくっておかないといけない。そうしないと自分の目指す達成曲線はできないかなと。正直、焦りはあります。「あと8年しかない」って。

    播戸 信太郎がこれから何を実現していくのかは分からないけど、ビジネスの世界で突き進んでいってほしいなと思うね。「マインドを変えればアスリートはここまで行けるんだ」というアスリートの可能性を示してほしいね。

    池田 ぼくはアスリートが仕事できないとは全然、思っていないんです。やると言ったことを達成し、コミットメントする能力や、コミュニケーション能力なんかはむしろアドバンテージがある。それを前向きにとらえて、積極的に社会に出て仕事すればいいんです。合わなければ転職すればいいし、海外に行って学べばいい。海外のアスリートは現役が終わった後に大学に行ったりしますよね。ぼくは実際、社会に入って勉強するほうが自分のやりたいことに近いと思ってやっていますけど、まずはそうやって学ぼうという姿勢がとても重要だと思っています。

    播戸 信太郎の話はいろんなアスリートに読んでほしいですね。本当に今日はありがとうございました!

    ビジネスパーソンへ転身後も、選手時代と同じくロジカルな思考とコミットメント力で進化を続ける池田さん。「信太郎のようなモデルを多くの人に知ってほしい」という播戸さんのコメントが対談の充実ぶりを物語った[写真]冨田峻矢

    text:元川悦子
    photo:冨田峻矢

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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