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スポーツ経営請負人・山谷拓志「“オール静岡”で世界一のクラブへ」

ゲスト:山谷 拓志さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

静岡ブルーレヴズ株式会社 代表取締役社長

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、ジャパンラグビーリーグワン・静岡ブルーレヴズ代表の山谷拓志さん。

元アメリカンフットボール選手の山谷さんは、バスケットボールの宇都宮ブレックス、茨城ロボッツで代表を歴任し、数々の実績を残してきた経営者。スポーツ業界で活躍されてきたヒストリーや、ラグビー界で描く今後のビジョンまで、播戸さんがじっくりとインタビューしました。

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    2021年、ヤマハ発動機はラグビー新リーグ開幕に向け、国内ラグビー界初のチーム運営会社を設立。チーム名を「静岡ブルーレヴズ」と新たにし、代表取締役社長に山谷拓志さんを迎えた[写真提供]静岡ブルーレヴズ

    50代での挑戦

    播戸 山谷さんは現在、静岡ブルーレヴズの社長を務められていますが、それ以前はバスケットボールのリンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)や、つくばロボッツ(現茨城ロボッツ)を経営されていたと聞いています。バスケからラグビーという流れは、かなり異色だと思うんですが、どんな縁で現職に就かれたんですか。

    山谷 2005年に、リンクアンドモチベーションという会社でコンサルタントをしていたときに、今の静岡ブルーレヴズの前身にあたる「ヤマハ発動機ジュビロ」の仕事をさせていただいて、選手向けの研修や学生向けのリクルート冊子の制作を請け負っていたんです。その後、リンク栃木ブレックスを経て茨城ロボッツの代表を務めていた2020年の秋、当時お世話になったヤマハ発動機の方から突然連絡をいただき、話を聞いていく中で、「社長をやりませんか」とオファーをいただきました。

    自分はそのとき、茨城ロボッツをBリーグの2部から1部に上げないといけなかったので「難しいです」とお断りしたんです。でも、プロジェクトの話を聞いていくと、自分がやるべきことではないかと気持ちが盛り上がってきまして(笑)。

    播戸 気持ちに変化が起きたのは、ビジネスとして刺激がある内容だったからですか。

    山谷 そうですね。ラグビーのプロ化でチームを立ち上げるにあたり、チーム名から企業名をとって、しかもジュビロという知名度のある名前をつけないという決定をされていたんです。それってすごいなと思いましたし、その潔さは響くものがありました。周囲からは、あれだけ選手を抱えて試合数も少ないラグビーでプロなんて、絶対にやめておいたほうがいいと、さんざん言われました。

    でも、自分の人生を振り返ると、30代で最初に経営に携わったリンク栃木ブレックス(当時)は選手もお金もない中でスタートし、40代のときに経営したつくばロボッツ(当時)は運営法人が破綻し、赤字を抱えてマイナスからのスタートだった。そういうフェーズが好きですし、いつも厳しい状況から立て直してきたことを考えると、50代でもう1回チャレンジしたいと思ったんです。

    山谷さんが代表を務めたリンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)はJBL昇格後に初優勝を果たし、3期連続黒字決算を達成。その後、運営破綻に陥っていたつくばロボッツ(現茨城ロボッツ)の再建を担い、経営を立て直し2020-21シーズンには念願のB1昇格を果たした[写真]清水真央

    田臥勇太選手を獲得した狙い

    播戸 少し話を戻しますが、最初に代表を務められたリンク栃木ブレックスは、バスケットボールのチームですよね。山谷さんは、バスケの経験やスポーツクラブの経営の経験はあったんですか。

    山谷 バスケもスポーツクラブ経営も経験はなかったですね(苦笑)。当時、仕事をしていたリンクアンドモチベーションの社長に「うちがスポンサーになるから(栃木の社長を)やってみたら」と言われたのですが、何の経験もないのに、よくそんなやつにやらせるもんだなって思いましたよ。2部リーグ加盟にあたり、選手とお金集めに奔走しましたが、最初は「なんでバスケも栃木も知らないやつが来たんだ、帰れ」と言われました(苦笑)。

    播戸 経験やつながりがない中での強化や営業は簡単ではなかったと思います。周囲の方々からどうやって信頼を得たんですか。

    山谷 とにかくいろんな人に会って「お願いします」と頭を下げ、すぐにお礼のメールを出し、頼まれたことはすぐにやる、そういったことをきちんとやっていくことから始めました。同時にファンを増やしたり、スポンサーを獲得したり、経営者として結果を出していくことも大事でしたね。そこで初めて、ちゃんとやっているな、結果を出しているなと信頼を得られるようになりました。あと、チームが注目されるように、ビッグネームの選手を獲得することにも挑戦しました。

    播戸 サッカーでいえば、ヴィッセル神戸のイニエスタ選手みたいな感じですか?

    播戸さんは元選手としての視点、そして経営者としての視点から、山谷さんのクラブ経営とチーム強化に注目する[写真]清水真央

     

    山谷 世界ではなく、日本人のトップですね(笑)。1年後に1部リーグに上がった際、田臥勇太選手を獲得したいと考えました。当時、彼はNBA再挑戦を目指しているし、日本のいろんなチームも狙っているから無理だよ、と、いろんな人に言われました。それでもあきらめずにアメリカに行き、直談判したのですが、「無理です」と断られました。ただ、アメリカから戻ってしばらく経ったころに田臥選手のエージェントから電話がかかってきて、日本に戻るとのこと。獲得できるわけがないと思いながらオファーを送ったら2時間後にサインが入ったFAXが送られてきたんです。最初はだまされているのかなって思いましたね(笑)。
    加入後は予想どおりすごい戦力になってくれましたし、2009-10年シーズンは優勝し、地域密着型のチームが初めて日本一になったことで話題になりました。ただ、田臥選手を取ったのは別の狙いもあったんです。

    播戸 戦力以外に、どんな狙いがあったんでしょうか。

    山谷 栃木の人にチームの存在を知ってもらうことです。どういうことかというと、栃木には地元ローカルテレビ局や地域の新聞があるんですが、ほとんどの人は東京キー局の番組を見て、新聞は全国紙を読んでいるんです。キー局や全国紙で取り上げられるのは東京やメジャーなスポーツばかり。栃木のバスケのチームを報じることはなく、新聞の記事になることもほぼないんです。
    でも、田臥選手を取ればキー局のテレビや全国紙、雑誌などが取材に来て、報道されるわけじゃないですか。すると市民や地元の経営者がそれを見て、「栃木にこんなチームがあったのか」と知り、応援してくれるようになるんです。マスメディアを使って地元チームを知ってもらうのはすごく重要なので、そういう意味でも田臥選手が必要でした。

    2008年、リンク栃木ブレックス(当時)は日本人初のNBAプレーヤーである田臥勇太選手を獲得し、大きな話題を呼んだ。Bリーグ初代王者となった立役者のみならず日本バスケ界の看板選手として活躍した[写真]Getty Images/Takashi Aoyama

    チームは強く、勝たないとダメ

    播戸 ある意味、“イニエスタ効果”と同じですね(笑)。栃木の後は、つくばロボッツ(当時)の仕事をされるなど、2つのチームを立て直すのは容易ではなかったと思います。その原動力となったのは何だったんですか。

    山谷 30歳でリクルートを辞めてからは、いろんな縁で頼まれて安請け合いしちゃう感じで、それで苦労するんですけどね(苦笑)。じゃあなぜ受けてしまうのかというと、選手としてプレーしていたアメフトが影響しているんだと思います。ぼくはオフェンシブラインだったのですが、そのポジションはボールを持って走ったり、得点したら反則、という“ドM”のポジションなんですよ(笑)。だから頼まれたら断れず、縁の下の力持ちをやるのが染みついているんだと思います。

    播戸 (笑)。2つのバスケのクラブを再建され、今はラグビーで新しいことに挑戦されていますが、スポーツチーム経営の面白さは、どういうところにありますか。

    自身もスポーツクラブ経営に強い関心を寄せる播戸さん。“プロ経営者”・山谷さんの核心部分に迫っていく[写真]清水真央

     

    山谷 栃木での経験が大きいのですが、社長就任当時、宇都宮駅前の商店街はシャッターが閉まっているお店ばかりで閑古鳥が鳴いている状況だったんです。2010年に初めてリーグ優勝したときに宇都宮でパレードをしたんですよ。そうしたら1万人ぐらい集まって、みんな、「こんな光景久しぶりだ」って喜んでくれたんです。デパートの空き地での優勝報告会にも3,000人もの人が来て、これだなって思いましたね。地方で元気がないと思われているところで、これだけの人を感動させて、集められる。スポーツの力というか求心力のすごさを感じましたし、チームが持っている地方を盛り上げる力、元気にする力はすごいなと思いました。

    播戸 地方でのチームの持つパワーは、都市圏のチームよりも大きく感じます。ぼくがプレーしたコンサドーレ札幌も、地元では選手はスターのような扱いで、応援がすごいんですよ。2000年シーズンに勝ち続けてJ2で優勝し、J1に昇格したときは、ファンや道民の熱が本当にすごかったです。

    2000年にJ2・コンサドーレ札幌に移籍した播戸さんは、同シーズンに15得点を記録し、チームのJ2優勝・J1昇格に大きく貢献。その得点力と明るいキャラクターで多くのサポーターから愛された[写真]Getty Images/J.LEAGUE

     

    山谷 播戸さんのコンサドーレの例もそうですが、やっぱり強くないとダメですし、勝たないとダメなんです。弱くても「地域貢献なので」というなら、勝ち負けを争うスポーツじゃなくてもいい。スポーツで地域の人たちが感動するのは、強いチームになって優勝して、日本一になるからです。宇都宮の経験でそれが大事だなと思いましたし、だからスポーツクラブを経営する人は100年かかっても日本一を目指さないといけないと思っています。宇都宮での光景を、今度は静岡で見たいですし、そういう感動を静岡の人に味わってもらいたい。それがチームを経営する面白さであり、醍醐味だと思います。

    播戸 静岡でラグビーを応援してもらうために取り組んでいることは何かありますか。

    山谷 地道にいろんな人に会って、ラグビーの良さ、面白さを理解していただく活動は、栃木や茨城のときと変わりません。夜な夜なの営業も楽しいです。30代、40代でやっていたような、飲み会に行って「チケット買ってください。お願いします」みたいなノリはさすがに50代では難しいだろうな、って思ったら意外とできましたね(笑)。「買います」と言ってもらえたらキャッシュレスのQRコードを出して、その場で買ってもらっています(笑)。とにかく、いろんなところに接点を持ち、地域の人と関係を深めていくのは、どんな土地にいっても大事なことですね。

    みずからチケットを手売りし、「1晩で10万円売り上げたこともありました」と山谷さん。そのフットワークと営業力に播戸さんも感心しきり[写真]清水真央

    静岡ブルーレヴズを世界一のビッグクラブへ

    播戸 クラブ経営において、サッカーなどほかのスポーツの取り組みを参考にすることはありますか。

    山谷 スポーツビジネスの世界でサッカー、Jリーグというのは30年やってきて大先輩なわけです。そこにすぐに追いつけといっても難しいですが、ぼくらは今後、サッカーとの違いを明確にして、ラグビーの良さ、自分たち独自の取り組みを推進していかないといけない。でもすでに、面白いことができているんです。今年(2022年)3月に清水エスパルスのホームであるIAIスタジアム日本平で試合をしたんです。Jリーグのライバルチームの「ジュビロ」という以前の名前だったら絶対にできないじゃないですか。

    でも、「静岡ブルーレヴズ」という名前だとエスパルスファンもウエルカムなんです。しかもうちのスポンサーには、エスパルスのオフィシャルパートナーの鈴与さんも入っていただいている。これってサッカーファンからしたら想像もできなかったでしょうし、かなり話題になったんです。これは“オール静岡”というコンセプトを掲げたラグビーだからできたことなんですね。

    「静岡から世界を魅了する、日本一のプロフェッショナルラグビークラブをつくる」というチームビジョンを掲げる静岡ブルーレヴズ。静岡県を代表するクラブとして日本一を目指す[写真提供]静岡ブルーレヴズ

     

    播戸 サッカーファンからすると想像できないことですね。

    山谷 事業的にもこの秋、スタジアムに近いところに事務所を移転し、1階にカフェを併設したオフィスを作ります。飲食をしながらラグビーをテレビで見たり、選手が来て、触れ合える空間づくりは、これからもやっていきたい。そうしてサッカーと違うことをすることで、お互いに切磋琢磨して地域のスポーツを盛り上げていきたいですね。

    播戸 そのためには優秀なスタッフも必要ですね。山谷さんは、スポーツクラブ経営において、どんな人材を必要としているのでしょうか。

    山谷 われわれの商売は形あるものを売るのではありません。チケット1枚の紙代が3,000円するのではなく、「その試合を見る権利」が3,000円なわけです。目に見えないものをいかに相手に納得させられるか、そういう経験がある人はぼくらの仕事ができると思います。だからスポーツ関連の仕事の経験がなくても問題ありません。その人の職務経歴書を見れば、「こういう経験があるなら、うちではこんなサービスができるな」などある程度分かりますし、そこから実際に会って、人柄やコミュニケーション能力を見ていく中で決めています。

    リクルートやリンクアンドモチベーションでは組織人事コンサルティングを経験した山谷さん。組織における人材の重要性について深く知っている[写真]清水真央

     

    播戸 山谷さんは、静岡ブルーレヴズの将来のビジョンをどう考えていますか。

    山谷 播戸さん、ラグビーのクラブで世界一の売り上げってどのくらいか分かりますか?

    播戸 サッカーでいうとバルセロナが947億円ぐらい(2019-20シーズン総収入)ですが、ラグビーは100億円ぐらいですか。

    山谷 いえ、ラグビーは世界トップで50億円ぐらいなんですよ。50億円というとJ1リーグでは中堅クラブの売り上げです。うちはまだそのレベルにも行かないのですが、50億円以上を目指して、10年後に静岡で世界ナンバー1のビッグクラブになりたいと思っています。ただ、自分たちがスポンサーを探してお客さんを増やしても、収益のメインである試合が増えないと届きません。試合数の増加を前提条件として考えているのですが、それがクリアになれば、きっと実現すると思っています。

    山谷 すでに日本にはサッカーでいうバロンドールを取るような選手が来ていて、世界一流の選手がプレーする競技レベルのリーグになっています。そこに経済レベルが追い付けば、サッカーや野球、バスケではできなかったビジネスモデルが生まれるかもしれない。そうしたら静岡で世界一のクラブができるんじゃないかなと思うので、なんとかやってみたいですね。そうしてラグビーの価値をもっと高めていきたいです。

    播戸 クラブで世界一を目指すというのは、大きなビジョンであり、夢がありますね。サッカーや野球にはない潜在的なビジネスチャンスがラグビーにはあるんですね。

    山谷 ある、と信じています(笑)。ただ、もちろん段階があります。バスケでは日本一の風景を見させてもらったので、ラグビーでもまずはそれを見たい。静岡は富士山がある県なので日本一は宿命だと思っています。そして、世界一を目指していきたいですね。

    播戸 50代での3度目の挑戦、世界一への取り組み、楽しみにしています。今日は、ありがとうございました。

    「世界一のビッグクラブを目指す」という壮大なプランが明かされ、対談は熱を帯びた。静岡ブルーレヴズ、そして山谷さんの今後の挑戦に注目したい[写真]清水真央

    text:佐藤俊
    photo:清水真央

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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