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徳永悠平「家業に農業、甘酒作りも」地元長崎で日々挑戦中

ゲスト:徳永 悠平さん × ナビゲーター:加地 亮さん

株式会社マルトク 取締役副社長/元サッカー日本代表

スポーツ業界に関わる「人」にスポットを当てる対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・加地亮さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、同じくサッカー元日本代表で、現在は地元長崎の企業・株式会社マルトクの副社長を務める徳永悠平さん。かつて現役時代は同じ右サイドバックの“ライバル”でもあった二人が、アスリートのセカンドキャリアをテーマに、熱いトークを繰り広げてくれました。

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    5年におよぶプロキャリアを送り、日本代表や五輪代表でも活躍した徳永さん。2020年に現役を引退後、地元長崎で父親が経営するコンクリート二次製品の製造販売を行う株式会社マルトクに入社し、新しいキャリアをスタートした[写真]Getty Images/Christopher Jue-JL

    将来を見据え大学進学を選択

    加地 めちゃめちゃ久しぶりよね。いつ以来やった?

    徳永 たぶんJ1リーグで対戦したのが最後だから……10年ぶりとか?! 遠いところ(取材地・長崎県雲仙市)まで、ありがとうございます。今日の今日まで加地くんが来てくれるのか半信半疑でした(笑)。

    加地 ぼくと悠平はFC東京でポジションを争った仲やからね(笑)。当時、悠平が早稲田大学から強化指定選手として練習に来ると、決まってぼくがメンバー外になってたもんな。スタンドからいつも「いいプレーするなぁ~」「対人強いし、いいクロスあげるな~」って思いながら見てたわ。

    約10年ぶりの再会が実現した本対談。当時、日本代表でもレギュラーだった加地さんとFC東京でポジション争いをした過去を回顧した[写真]清水真央

     

    徳永 いやいや、当時の強化指定選手は練習参加がメインだったから、いつもぼくが試合に出ていたわけじゃないですよ! ただ、同じ右サイドバックだったぶん、加地くんは絶対にぼくのことが嫌だろうなって思っていたし、ぼくの中ではプロになって一番、競争した選手ってイメージがあります。

    加地 しかもチームメートが結構、そのことをイジってきて、わざわざ「お前ら、しゃべれよ」とかって言うから余計に話しにくくなってたよな(笑)。

    徳永 土肥(洋一)さんとかにめちゃめちゃイジられました(笑)。

    加地 実際、悠平がスタメンで出るときは、ぼくは分かりやすくベンチ外やったからさ。そうなったらコンディション的なことも意識せずに追い込めたぶん、めちゃめちゃ練習した覚えがある。

    徳永 ぼくの中でも加地くんがめちゃめちゃ練習していた印象があります。クラブハウスにもすごく早く来て準備していましたしね。自分にはないストイックさを目の当たりにして、「この人、すごいな」って思って見ていました。

    加地 そもそもやけど、悠平はなんで早稲田大に進学したの? 国見高時代は高校サッカー選手権大会で連覇したくらいだから、もっと強い大学やプロからオファーはあったでしょ?

    徳永 まず、そのころから将来は父親が経営する会社を継ぐかもしれないと考えていたので、親もぼく自身も、大学に進学したほうがいいだろう、と考えていたんです。その中で、早稲田大からけっこう早いタイミングで推薦をいただき……国見の小嶺(忠敏)監督からも「お前は絶対に大学に行ったほうがいい」と言われて、「名門の早稲田大に行けるのならいいよな」って感じで決めました。なので、ほかにどんなオファーがあったのかも知らないんです(笑)。

    国見高2年時は1学年上の大久保嘉人氏らとともに高校総体、国体、選手権の三冠を達成。翌3年時には選手権連覇を果たしJリーグからも熱視線を送られたが、プロ入りはせず大学進学を選択した[写真]清水真央

     

    加地 ただ、肝心のサッカーについては、当時の早稲田大は強くなかったはず。そこにはモヤモヤしなかったの?

    徳永 入ってからモヤモヤしました(笑)。4年生のときにようやく関東1部リーグへの昇格を決められましたけど、ぼく自身は一度も大学のトップリーグでプレーできないまま卒業しましたしね。

    加地 裏を返せば、その成績でも悠平自身は強化指定選手になったり、大学4年のときにユニバーシアード代表に選ばれたのはすごいよな。でも、確か4年生のときはあまりFC東京の練習に来なかったよね?

    徳永 そうですね。4年生のときはキャプテンに選ばれたので大学でしっかりプレーしたい、やらなきゃいけないって思いもありました。またプロに進むにしても自分をフラットな状態にしてチームを選びたかったので、一度FC東京から離れたほうがいいかな、と思ったんです。結果的には知っている人が一番多いからという理由でFC東京を選んだんですけど。

    加地 ライバルの加地亮もガンバ大阪に移籍するしな、と?

    徳永 いやいや、強化部長からは「もしかしたら移籍するかも」とは聞いていましたけど、ぼくがFC東京入りを決めたときには、加地くんが最終的にどうするかは知らなかったです。逆に加地くんはなんで移籍を決めたんですか?

    加地 ぼくはまず、2005年にガンバからオファーをもらったんだけど、そのときはドイツW杯のアジア最終予選の真っただ中だったからあまり動きたくないと思って残留を決めたのね。そしたら翌年もまたオファーをもらって……2005年にガンバはJリーグで優勝したのに、2年も続けてオファーをもらえるなんてありがたいなって思ったし、そのときにはW杯出場も決まっていたのでチャレンジしてみようと思った。

    2006年、2年越しのオファーを受けガンバ大阪に移籍した加地さん。同年には日本代表としてドイツW杯本大会に出場し、Jリーグではベストイレブンを初受賞するなど活躍した[写真]清水真央

     

    徳永 W杯出場は本当にうらやましい。ぼくに現役時代の心残りがあるとしたら、そこだけですね。日本代表には選ばれましたけど、W杯には出られなかったので。

    加地 でも五輪はアテネとロンドンの2回経験したやん? ぼくは五輪に出たかったわ(笑)。しかも、ロンドンはオーバーエイジ枠で出場って……サイドバックってポジションを考えてもすごいことやと思う。FC東京で複数ポジションをやっていたのも大きかったかもね。

    徳永 そうですね。プロになってからは右サイドバックだけではなく、左でもプレーしたし、センターバックやボランチでもたまにプレーさせてもらいましたからね。その経験は長くキャリアを続けることにもつながったのかなって思っています。

    引退後、家業での再出発

    加地 2018年にはFC東京から地元のV・ファーレン長崎に移籍して、2020年で引退したけど、決め手は何だったの?

    徳永 正直、長崎に行くと決めたときから3年で引退しようと決めていたんです。そのころには確実に、将来は家業を継ぐと決めていたので、セカンドキャリアに向かう時間にしようと思っていました。ただ、だからといって、何か準備をしたとか、家業について勉強したわけでもなかったので、本当にマルトクでの仕事は、引退してから一から学びました。

    加地 Jリーグという華やかな世界に15年もいて、そこからまったくの異業種の仕事を一から覚えていく難しさはなかったの?

    徳永 最初はどんな仕事があるのかを一から学んでいく感じだったので想像以上に大変でした。ただ、大変ながらも、引退してすぐに就ける仕事があるのは恵まれているな、とも思っていました。そもそもぼくは指導者には向いていないと自覚していたので、引退後はサッカーとはまったく関係ない仕事をしようと思っていたんです。でもだからといって、そんなすぐに何ができるわけでもないじゃないですか? サッカー界を見渡しても、引退後、次の仕事を探すことに苦労する元選手も多い。そう考えても、面接を受けたり、仕事を探す苦労をせず今の仕事に就けたのは、セカンドキャリアの入り口としてはすごく恵まれていたし、今もすごく感謝しています。

    取材の合間に職場を案内してくれた徳永さん。普段は本社でのデスクワークや営業先への訪問など多忙な日々を送っているという[写真]清水真央

     

    加地 今の仕事を始めてから1年経って、仕事がものになってきたという実感はある?

    徳永 そうですね。去年(2021年)はどちらかというと仕事を覚えることに一生懸命でしたけど、最近になってようやく……営業に行って価格交渉をしたり、取引先を開拓したりするようになって、ようやく仕事をしている感じはします。

    加地 プロサッカー選手を仕事にしていたときと比べて、自分が一番変化したところってどんな部分だと思う?

    徳永 プロサッカー選手だったときは、ある意味、自分が結果を残すことだけを考えていればよかったけど、今は約20人の従業員や家族の生活も背負っているということですね。以前、従業員の一人から「頼むぞ。うちは子どもがまだ小さいけん、4人ば育てんといけん」って言われたことがあるんですけど、そういう声を聞くとあらためて、従業員やその家族までしっかり背負って仕事をしなくちゃいけない、信頼してもらえるように結果を出さなきゃいけない、という思いになります。その自覚は、この仕事に就いてから芽生えたものだし、自分の考え方としても一番変わったところだと思います。

    加地 そういえば、引退後に悠平が農業を始めて、スタジアムでスイートコーンを売っている、って記事を見たんだけど、あれも仕事の一つなの?

    徳永 あくまで本業はマルトクですが、ほかのこともやってみたいという思いもあったので、休みの日を使って農業をやっていたんです。正直、そのときは、そこまで本業が大変だと思っていなかったのもありました。

    加地 ほかのこともやってみたいというのは分かるけど、それがなぜスイートコーンの栽培だったの?

    農業は「完全に未経験で始めた」という徳永さん。農家の友人に教わりながら、自ら農機を運転して畑を耕し、スイートコーンを栽培した[写真]本人提供

     

    徳永 長崎って食べ物がすごくおいしいですからね。こっちに戻ってきて、それをあらためて実感し、これを活かさない手はないな、と。それで自分でも何か作ってみようと、いろいろ教えてもらったり、調べたりした結果、スイートコーンなら初心者でも比較的育てやすいと知ったんです。そこで、友人の畑を借りて引退直後の2月に種をまき、5月ごろにできたので、子どもたちを呼んで収穫イベントを行いました。

    そしたら、V・ファーレン長崎に声を掛けていただいてトランスコスモススタジアム長崎で販売させてもらえるようになったり、インスタグラムを見た役所の人に声をかけていただいて、ふるさと納税の返礼品として扱っていただけるようになりました。ただ、あまりにも農業が大変すぎて本業とバランスが取れなくなりそうだったので農業はやめて、今は知り合った農家さんのお米を使って、甘酒を作っています。

    加地 なぜにまた甘酒を?!

    徳永 農家さんをいろいろと回って、農作物のことや長崎の農業の現状について話を聞いているうちに甘酒が体にいい、アスリートにも向いているよ、と教えていただいて、作ってみたいな、と。ただ、本業との兼ね合いも考えて、ぼくはアイデアを出す側に回ったほうが自分のやりたいことが無理なくできそうだなと思ったので、福岡の酒造会社さんと組んでいっしょに作ることにしました。まだ完成していないので今日は持って来られなかったですが。

    加地 飲みたかったな~。甘酒が体にいいって初めて知ったよ。

    徳永 ぼくも現役時代は知らなかったんですが、すごく体にいいんです。甘酒が苦手だという人でも、商品によっては飲みやすいものもあるし、今自分が作っている甘酒もすごく飲みやすい味に仕上がると思います。

    加地 Jリーガーにも飲んでもらおう!

    徳永 せっかくサッカーをしてきたんだから、どこかでスポーツと関わっていたいと思っていたし、食でアスリートのサポートができたらいいな、という考えもあっての「甘酒」だったので、サッカー選手に限らず、いろんなアスリートに飲んでもらえたらうれしいですね。
    また、農家を回っている中で、農作物の廃棄問題にも直面しました。

    例えば、島原ではイチゴの栽培が盛んですが、まだおいしいし傷んでいるわけでもないのに、いろんな理由で廃棄されてしまうものが多い。農家をしている友人や知人からそんな話を聞いて、ゆくゆくはそういったイチゴを廃棄せず活用して、イチゴ味の甘酒を作れたらいいなって思っています。

    地元農家の方と積極的に対話をする中で見えた、農家が抱える課題の解決にも動きたいと話す。「その行動力がすごい」と加地さんも感心しきりだった[写真]清水真央

    セカンドキャリアは一本道じゃない

    加地 それにしても、本業でしっかり生活ができているのに、やりたいと思ったことをすぐに行動に移して、それを実現しているのがすごい! そんなにあれもこれも、とやっていたら毎日、相当忙しいでしょ?

    徳永 忙しいですけど、いろんな人たちとの出会いもあって、すごく楽しいです。ただ、さっきも話したようにあくまで家業が本業なので、その軸足はブレさせてはいけないと思っています。

    加地 もうすっかり今の仕事が板に付いて見えるけど、サッカーへの未練はない?

    加地さん自身は現在、夫妻で経営する「CAZI CAFE(カジカフェ)」で働きながら、サッカー解説やメディア出演などの活動を行っている[写真]清水真央

     

    徳永 まったくないです。仕事が忙しくてJリーグもほとんど見ないですね。子どもはサッカーを見ていますけど、ぼくはどちらかというとゴルフチャンネルを見ていることが多いです(笑)。ゴルフは営業のときの会話の糸口にもなりやすいので、上達していっしょにラウンドする人に迷惑をかけないようにしよう、と。

    加地 接待ゴルフか! すっかり社会人に順応してるな(笑)。でも、先のことは分からないから、何年後かには家業の後継者を育てて、自分はサッカー界に戻ることもあり得るんじゃない?

    徳永 かもしれないです(笑)。まじめな話、やりたいことって1つじゃなくていいと思うんです。セカンドキャリアとしてスタートしたからといって絶対にそれを貫かなきゃいけないということでもない。新しい世界を見ることでやりたいことが変わっていくこともあると思いますしね。今はぼくも家業が第一でサッカー界に戻ることはまったく考えられないけど、将来的な可能性はゼロじゃないと思っています。

    指導者のキャリアは「まったく考えなかった」という徳永さんだが、スポーツ界には何らかの形で貢献していきたいと話す[写真]清水真央

     

    加地 それだけいろんなことに興味を持って行動できる悠平なら、今後も仕事の広がりもあるだろうし、いずれ、さっきの話に出てきたようなセカンドキャリアに悩む元Jリーガーを迎え入れていっしょに仕事をするのも面白いかも。

    徳永 ウエルカムですよ。引退した選手同士で仕事をしている人もいると聞くので、興味がある方はぜひ声をかけてほしいです。そのためにもまずはマルトクの経営をしっかり安定させていきたいし、それと並行して、自分がお世話になったサッカー界やアスリートに恩返しができるようなサポートを、長崎の人たちとのつながりを大事にしながら広げていければいいなと思っています。

    加地 セカンドキャリアを始めてから、現役時代にもっと準備をしておくべきだったって思ったことはある?

    徳永 いや、ないです。性格もあると思いますけど、ぼくは器用ではないので、もしサッカーをしているときにほかのことをしていたら、きっとそこで生まれるストレスがサッカーに悪影響を及ぼしていたと思います(笑)。なので、サッカーはサッカーでやり切って、セカンドキャリアを始めたのは今でも良かったと思っています。

    加地 スイートコーンづくりも、本業に差し障りがあると思ったらスパッとやめたくらいやからね。いずれにしても、その行動力は才能やと思うから、本業を頑張ることはもちろん、それ以外にもどんどん楽しみを見つけて、新しいことに取り組んでいってほしいなって思う。

    徳永 そうですね! そうなったら……というか、とりあえず甘酒ができたら報告します!

    本社前で記念の一枚。現役引退後もそれぞれ“自分らしい”キャリアを歩む二人は、互いに健闘を称え合った[写真]清水真央

    text:高村美砂
    photo:清水真央

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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