サッカーも農業も“つなぐ” 石川直宏の現在地
ゲスト:石川 直宏さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん
FC東京クラブコミュニケーター/元サッカー日本代表
スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、同じくサッカー元日本代表選手で、2017年に現役引退後もFC東京クラブコミュニケーターとして活躍する石川直宏さん。
クラブコミュニケーターになるまでの経緯や、現在の活動、自分の役割として意識していることなど、2つ年上の“播戸先輩“がじっくりと聞きました。
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現役時代、爆発的なスピードと突破力を武器にFC東京の看板選手として活躍した石川さん。2017年12月2日、J1最終節のガンバ大阪戦にスタメン出場を果たし、引退の花道を飾った[写真]Getty Images/Christopher Jue
クラブコミュニケーターとしての再出発
播戸 今日は対談企画ですが、いつもどおり「ナオ」と呼ばせていただきます。ナオは2000年、18歳で横浜F・マリノスの育成組織からトップ昇格してF・マリノスで2年半、そして2002年シーズン途中から2017年の引退までの約15年間、FC東京でプレーしました。現役中、引退後のキャリアのことは考えていた?
石川 いや、まったく(笑)。今の時代は自分のビジョンを持っている人が多いけど、ぼくはまずサッカーをやり切ることしか考えていなかったし、当時はそういう人が多かったと思うんですよ。ただ、語学は多少なりとも勉強していましたよ。英語と、あと、サッカーのキャリアのなかでスペインに行きたいというのもあってスペイン語も。
播戸 2017年シーズン限りで引退したけど、その前の2015年には左ひざ前十字靭帯断裂という大きなけががあり、約2年半の長期離脱を乗り越えて再起した。
石川 最後にちゃんとピッチに立つことを目標にしていて、これをやり切らないと次のキャリアもないと思っていました。120%そこに注ぎ込んで、チームメートやファン、サポーターにも示そう、と。
選手時代は何度もけがに見舞われながらも立ち上がってきた石川さん。2017年に現役を引退し、18年間の選手生活に幕を下ろした[写真]野口知里
播戸 やり切って次に何か見えたものはあった?
石川 最初はやり切ったっていう安心感でした。ひざも痛いし、これからどうしようかなって(笑)。ちょっと充電したいなとも思ったんですけど、いや、待てよと。FC東京でずっとプレーさせてもらってきて、ぼくのいる時代にリーグ優勝はできなかったけど、このクラブをもっと強くさせられるんじゃないかって思ったんです。からっぽになった状態でオフを過ごしていたから、あれがやりたい、これがやりたいという思いがたくさん出てきたんです。
播戸 引退する前に、クラブとは次のキャリアについて話し合っていた?
石川 何かしらの形では残ってほしいとは言われていました。ただ、話といってもそれくらい。正直、自分の中ではすぐにコーチや監督という指導者に進むビジョンはなくて。
播戸 もっと違う形でクラブを強くさせていきたい、と。
石川 トップチーム、育成や普及、ホームタウン活動などいろんなものをひっくるめてサッカークラブじゃないですか。クラブがもっと良くならないと、トップチームだって良くなっていかない。これは現役のときから感じていたことです。
播戸 何をやるか具体的なことは決まってないけど、クラブとの話し合いを通じてクラブコミュニケーターに就任することが決まったわけやね。あれがやりたい、これがやりたいという思いがあるなかで、まず何をやろうと思ったの?
現役当時はJリーグのピッチで何度も石川さんと対戦してきた播戸さん。同世代の元選手として理解を寄せる[写真]野口知里
石川 まずは、横から“串”を刺したいと思いました。
播戸 と言うと?
石川 ぼくが加入したころのFC東京はまだ会社的に規模が小さかったから、いろんなことをみんなでやる文化があったんですよ。でも会社がどんどん大きくなる中で、専門的な知識を持つ人も増えてきて「縦割り」になってきた。そうなると昔のような一体感が出しづらくなっていたので、横から串を刺せる役割になれないかなと考えたんです。小平のクラブハウスにある総務部にぼくの席をつくってもらって、総務だけじゃなくて例えば広報やプロモーションの人たちともコミュニケーションを取って、それぞれに今どんなことが起こっているかを把握しようとしました。
播戸 まずはいろいろと知っておかなければ串を刺せないと。
石川 そうです。お互いの“関係の質”を高めていくことが結果につながるのはサッカーで学んできたこと。みんなそれぞれ見ている景色って違うじゃないですか。ぼくがいいと思っても、ほかの人がいいと思うとは限らない。横でつながって協力して「いっしょにやってお互いよかったね」というところまでの一歩をどう踏み出していけるかが難しい。
どういうふうにすれば相手が納得してくれるんだろうってちょっとずつつかんできて、クラブコミュニケーターとして丸4年終えてようやくその広がりが出てきているのかなって感じます。あとは現役時代にファン、サポーターの方に支えてもらったので、地域とクラブをつなぐ機会を増やしていきたいと思ってきて、自分なりにやってきました。
2018年1月にFC東京クラブコミュニケーターに就任し、クラブとステークホルダーをつなぐ存在として幅広く活動を続けている[写真]Getty Images /J.LEAGUE
播戸 ナオはクラブコミュニケーターと併行して、石川直宏個人としての活動もやっているよね。
石川 クラブに入ってガッツリやる良さはあるんですけど、ぼくはFC東京で15年間プレーしてきて外の世界をあまり知らない。もっと視野を広げたいとクラブにも了解を取って個人的な活動もやらせてもらっています。肩書に「元サッカー日本代表」と入ることでサッカー教室や講演など全国的に仕事ができたり、2004年のアテネ・オリンピックの出場もあって、ありがたいことにいろんな声が掛かります。ただ大事なのは「元サッカー日本代表」の肩書じゃなく、何をやるかなんですけどね。
播戸 確かに、講演活動をよくやっているイメージがある。
石川 「講演おじさん」とよく言われました(笑)。引退したすぐ後だと、リアルだから伝わりやすいところもあると思います。講演は難しさもありますが、年代、場所、立場によって反応も違ってくるので面白いですね。どうしても一方通行になるので、そこはちゃんと双方通行できるように問い掛けてみるとか、いろいろと工夫してきました。
農業にチャレンジした理由
播戸 最近のナオといえば農業。長野で『NAO’s FARM』という農園を手掛けているとか。きっかけは?
石川 コロナ禍になってサッカー選手を含めてアスリートがプレーできなくなったときに、きっとスポーツ以外で自分にどんな価値があるんだろうと思ったはず。スポーツに関わる者としてぼくもそうでした。講演活動などもなくなって、自分にやれることって何だろう、と。
播戸 分かる、分かる。
石川 そんなときにサッカー選手のマッチングサイト『PLAY MAKER』などを手掛ける三橋(亮太)くんと、そういったアスリートの現状を共有できるような機会をオンラインでつくれないか、という話になったんです。Jリーグ、JFL、地域リーグ、大学生、女子のサッカー選手などカテゴリーを問わず、やっぱりみんな不安を抱える中で、自分の価値をほかの方から聞けたり、見つけられたりして、こういうふうにパッとオンラインでも集まれるコミュニティって大事だな、と感じました。その折に、三橋くんが奥さんの実家で農業を始めていると聞いて、自分もやりたいなと思ったのがきっかけでした。
長野県で石川さんが農場長を務める『NAO's FARM』にて。PLAY MAKER代表の三橋亮太氏らとともに、アスリートのキャリアづくりの一環としてスタートした[写真]本人提供
播戸 いやいや、普通そうなる?(笑)
石川 実は前から農業には興味があったんです。3年前、FC東京のホームタウン活動で三鷹市の都市農園を応援するイベントがあったんですね。そこで取れた野菜でバーベキューをして、サポーターや地域の人たちといっしょに食べるっていう。そのときの雰囲気がすごくよくて、作るところからやってみたいとは思っていたところにちょうどその話が来て。
播戸 クラブコミュニケーターの仕事と、個人の活動がうまくつながっている感じがする。そして地域や社会を含めて、いろんなところと積極的につながろうとしている印象を受けますね。
石川 現役時代に大けがをして、サッカーができずに悶々としていたときに、いろんなコミュニティに助けられたというか。趣味のサーフィンやファッション、音楽にしても、そこのコミュニティに入ると、サッカーだけじゃない自分がそこにいるから心地いいんですよね。
播戸 ナオは新しいところにグイグイ行くよね。趣味も多い。俺は趣味に深くはいかないタイプだから、すごいなって思う。
石川 引退してスノーボードもやり始めましたし、釣りにもハマってますよ。
播戸 新しいことをやりたい、いろんな人に会いたいっていうところがあるんだろうね。
石川 そこは絶対にありますね。サッカーのポジションは攻撃的な右サイドで、相手がいようがガンガン突破していくスタイルでしたけど、今はタイプ的にボランチ(守備的ミッドフィルダー)ですよ。周りを見ながら、興味があるところに行くっていう。
播戸 いやいや、今もガンガン行ってるって(笑)。
神奈川県横須賀市出身の石川さんの趣味はサーフィン。ほかにもスノーボード、釣りなどアクティブな趣味が多い[写真]野口知里
石川 でもぼくから言わせれば、バン(播戸)さんこそいい意味で「コミュニケーションおばけ」ですよ。人脈が広くていろんなつながりがあって、その人の距離にグッと入っていける。
播戸 人への興味があるのはナオと同じかな。この人とこの人がつながったらどうとか、こういうつながりがあったらサッカー界、スポーツ界がよくなるんじゃないかとか、常にそういうことは頭にある。
石川 つながりの先にワクワクがあるじゃないですか。バンさんのその感覚は、ぼくもいっしょなんです。FC東京と地域や社会がつながって、それがひいては「FC東京を応援していこう」という気持ちにつながりますから。そういった役割を選手出身者が担うことが各クラブでも多くなってきたとは思います。
サッカー界のキャリアを広げる
播戸 クラブコミュニケーターの役割としては選手とのつながりも当然あると思うんだけど、そういった「つながり」において今の選手に対して何か感じることはある?
石川 今取り組んでいるのが、そのつながりを感じてもらうためのきっかけづくりです。例えば、若手選手を対象にしたオンラインの「グローアップミーティング」というものを、多いときは週1回くらい強化部といっしょにやっているんですね。そこでクラブスポンサーさんをお招きして、スポンサーになった経緯だったり、選手にやってもらいたいことなどを話してもらったりして。
播戸 確かに、選手もクラブと外とのつながりを分かっていたほうがいい。
石川 クラブのビジョンと選手個人のビジョンを共有する取り組みとして、ぼくも選手たちに話をする機会を設けてもらっています。ビジョンシートというものをもとにして、個々の選手がどういう考えを持っているかそれぞれ話をするので、周りも知ることができる。そういったことを繰り返してやっています。これ、クラブのビジネススタッフでもやっているんですけど関係の質を高めるうえでもすごくいい。ぼく自身、クラブに関わる全員と話をして、ビジョンを共有してみたいなと思います。
FC東京クラブコミュニケーターとして、地域連携やファン・サポーター、スポンサーとの交流を始め、現役選手とのコミュニケーションにも注力しているという[写真]野口知里
播戸 FC東京は株式会社ミクシィが経営権を取得して新しい展開に入っている。ここで働きたいと思っている人だって結構いるはず。ナオはどういう人といっしょに仕事がしたいなって思う?
石川 やっぱり「熱」がある人じゃないですか。ちょっとやそっとじゃへこたれないというか。そういう人たちが集まると、いろんなムーブメントが起こると思うので。首都東京にあるクラブとして、これまで積み上げてきた伝統をベースに置きながら、突き抜けていくチャレンジをしなくちゃいけないと思っています。
播戸 じゃあ、これからの日本サッカー界はどんな人材が必要だと?
石川 ぼくが思うのは、吸収力があって、自分なりの行動に移せる人。そのためには感度が高くなくちゃいけないと思うんです。自分のことで言えば、いつもとは違うコミュニティに身を置くことで感度を高めていくことができました。吸収力を持って自分なりの行動に移すというのは自分自身のありたい姿でもありますが、そういった人が多く出てくるといいんじゃないですかね。
播戸 サッカー界だけでも過去引退した選手はのべ5,000人にのぼるといわれている中で、これから引退後のキャリアとして指導者やメディア活動だけじゃ収まりきらないし、いろんなところに広げていかなきゃいけない。俺やナオの世代は「もっとほかのところを見よう」と思ってチャレンジしている最初の世代なんじゃないかな。そうしていけば今の選手たちも、「もっと勉強しておかないと」とか「もっとつながりを持っておかないと」という意識を持てるようになると思う。次のキャリアはサッカー界に限らなくてもいいとなれば、いろんな意味で広がりが生まれると思う。
石川 まったく同感ですね。日本サッカー界だけじゃ狭いって感じている選手も多くなってきていますから。
播戸 今はまだ「サッカー村」という感じだけど、いずれは町、市にしていきたいね。そういったことをナオたちといっしょにやっていければいいなと思っています。
石川 ぜひぜひ、これからもよろしくお願いします!
引退後、それぞれのスタイルでセカンドキャリアの新境地を切り開く二人。そのチャレンジが次代のアスリートのキャリアの可能性を広げていくはずだ[写真]野口知里
text:二宮寿朗
photo:野口知里
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










