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「ハンドボールを稼げるリーグに」葦原一正が選んだ“狭き門”の挑戦

ゲスト:葦原 一正さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

一般社団法人日本ハンドボールリーグ代表理事/株式会社ZERO-ONE代表取締役

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、日本ハンドボールリーグ代表理事を務める葦原一正さん。

これまでオリックス・バファローズ、横浜DeNAベイスターズを経てB.LEAGUEの立ち上げに携わるなど、スポーツ業界で長年活躍されてきた葦原さんが、なぜハンドボールを選んだのか。スポーツビジネスに懸ける思いや今後の展望まで、播戸さんとの対談の中で語っていただきました。

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    B.LEAGUEの立ち上げに参画し、初代事務局長を務めた葦原さん(写真右)。2021年4月、日本ハンドボールリーグの一般社団法人化に伴い、初代代表理事に就任した[写真]中野賢太

    15歳の決断

    播戸 葦原さんは2024年にプロ化される日本ハンドボールリーグの初代代表理事に就任されたわけですが、その話を伺う前に、まずはどんなキャリアを経て現職に就かれたのか、お話を聞かせてください。

    葦原 大学を卒業した後、アーサー・D・リトル(ジャパン)という外資系コンサルティング会社に入社したんですが、本当はスポーツ界で仕事をしたかったんです。中学3年のとき、ぼくは野球小僧だったんですが、とてもプロになれるレベルじゃなかった。あるとき、『週刊ベースボール』を読んでいたら、アメリカにはトレーナーという職業があって、選手じゃなくても野球の仕事ができると書いてあったんです。それならできるかもしれない。ぼくも将来、スポーツ界でご飯を食べていこうと決めたのが、15歳のときでした。

    播戸 15歳で自分の将来の仕事を決めたんですか。

    葦原 そうです(笑)。今思えば、44歳の現在まで運と縁でうまく来ているなと思うんですが、大学卒業時は就職氷河期でスポーツの仕事はなかったんです。だったら自分のスキルセットをつけるためにバリバリと仕事ができるところはどこだろうと思って決めたのがコンサルティング会社でした。そこで5年間、みっちり仕事をさせてもらいました。

    アーサー・D・リトルでは経営コンサルタントとして、主に大手製造業の事業戦略立案やR&D戦略立案に従事した[写真]中野賢太

     

    播戸 その後、どういう経緯で野球界に入られたのですか。

    葦原 当時は、今みたいにチームの職員募集とか、あまりオープンにされていなくて、オリックスの話も内々に社長室のスタッフを募集しているという情報を得たんです。応募が数百人あって、合格者がひとりという宝くじみたいなもので、どうせ落ちるだろうって思っていたら受かったんですよ(笑)。でも、受かったのはいいですけど、逆に困ってしまって……。

    播戸 転職の際、何か問題でもあったんですか。

    葦原 会社の問題ではないんですが、オリックスの話が来たのがちょうど結婚した翌月だったんです。外資系コンサルティングは給料がいいのですが、球団にいくと激減するんです。それで妻に、球団に行きたいことを伝えたら、「結婚詐欺だ」と(笑)。最終的に5年間我慢してもらって、その後東京に戻ることにしたんです。妻にはいろいろ我慢してもらったので、感謝しています。

    播戸 でも、東京に戻ってから、また野球の横浜DeNAベイスターズに行くわけですよね(笑)。

    葦原 そこは、本当にスポーツの神様に感謝ですよね(笑)。東京に戻ってきて、転職活動をしていて、コンサルティング会社に決まりかけていたのですが、OKする直前にDeNAがプロ野球に参入するということで話が来たんです。それで声をかけていただいて、「行きます」と二つ返事でしたね。

    播戸 オリックスとベイスターズでは、どんな仕事をされていたんですか?

    葦原 オリックスは20代で年齢的に一番下だったので、最初はほぼパシリですね(笑)。試合のときに花火を打ち上げるんですが、その際、裏山に登って球団職員が「点火」と言わないといけないんです。それで試合のときはいつも山を登っていました(笑)。それ以外は普通の会社と同じで、市場調査してPDCAを回すような仕事。もっと特殊な世界かなと思っていたのですが普通すぎて、それが逆に新鮮でしたね。ベイスターズでは中間管理職のポジションだったので、事業計画を立てた中でスピーディーにいろんなことが経験できました。

    スポーツビジネスの入り口となったオリックス・バファローズ時代を回想。横浜DeNAベイスターズでは社長室長として、主に事業戦略立案、プロモーションなどを担当した[写真]中野賢太

    「川淵さんの頭の中を知りたかった」

    播戸 野球の次は、バスケット(Bリーグ)に行くわけですよね。2球団で仕事をすれば、今度は違う球団とか、大好きな野球界で仕事を続ける選択肢はなかったのですか。

    葦原 オリックスで5年、ベイスターズで3年、好きにやらせてもらい、その後コンサルティングの仕事をしていました。あるとき、「Bリーグの事務局長を探しています。どなたか紹介してください」という話が来たので、「こういう人はどうですか」と年上の知人を紹介したんです。そうしたら「葦原君はどうなの?」と聞かれて(笑)。もっと経験のある方がいいと思ったのですが、ある人といっしょに仕事できるのならと思って、行くことに決めました。

    播戸 コンサル業界に戻ることを考えていた中で、仕事内容や給与ではなく、“人”で転職を決めたんですか?

    葦原 ぼくが新しい仕事を決断する上で重視しているのは、人です。誰と働くか、なんですよ。仕事は長い時間をともに過ごすことになるので、誰といっしょに時間を過ごすのかということがすごく大事なのです。ベイスターズのときは、前沢(賢)さん(現・北海道日本ハムファイターズ取締役)がいたので決断しました。彼は、もともとファイターズで働いていて今は新球場の責任者なんですけど、ぼくがオリックスにいたときからいっしょに働いてみたいと思っていたんです。Bリーグでは、川淵(三郎)さんですね。

    播戸 ぼくも川淵さんとは何度もごいっしょさせていただいていますが、影響力のある方ですよね。

    現役時代から川淵氏との交流がある播戸さん。Jリーグ初代チェアマンである川淵氏のリーダーシップを目の当たりにしてきた[写真]中野賢太

     

    葦原 そうですよね。ぼくは、川淵さんの頭の中を知りたかった。メディアではかなり率直にお話しされていましたけど、頭の中ではどういうことを考えていたのか、どういう順序で物事を決めていったのか、それをお金をもらって知ることができるのは、本当にありがたいと思いました。

    播戸 実際、川淵さんといっしょに仕事をされて、どんなことを学びましたか。

    葦原 まず、所作ですね。例えば会議では、川淵さんは基本的に何も言わないんです。最後に「分かった」という確認だけ。最後は会議室を出るとき、「ありがとうな」とスタッフの目を見て、出ていくんです。その「ありがとうな」の一言で、みんな、「ははぁー」となります(笑)。

    それに仕事をしているとき、川淵さんは「俺に報告しろ」とは言わないし、そんな空気も出さない。ただ、「困ったことがあればなんでも俺に言ってこい」と言うんです。そう言われると、困ったときに助けてもらわないといけないので、定期的に情報を入れるようになります。そして本当に困ったとき、川淵さんのところに相談に行くと、その場で関係者に電話をして「事務局の話を聞いてくれ」と言うんです。

    そういうのってすごく大事なんですよ。よくロジックで人を動かすというけど、最後はロジックでは動かない。川淵さんはロジックもあるけど、気遣いや言葉の力、所作で人を動かすんです。そういうところを学ばせてもらいました。

    播戸 川淵さんの影響を大きく受けていますね。

    葦原 そうですね。ハンドボールの話が来たときも実は川淵さんの言葉がずっと残っていて、それが決断のひとつになりました。

    播戸 川淵さんは、どんな言葉を残していたんですか。

    葦原 ひとつはBリーグ立ち上げのころ、ずっと「バスケの次はハンドボールが来る」と言っていたんです。あとはBリーグを辞めるとき、川淵さんに報告のメールをしたんです。そうしたら「狭き門より入れ」という言葉だけが届いたんです。あえて厳しい道を選んで行け、ということですが、それをふと思い出して、川淵さんの言う狭き門ってハンドボールのことを言っているのかなって思ったんですよ。そこからハンドボールの競技人口やチームの状況を調べていくうちに、ポテンシャルの大きさを感じ、最終的に引き受けることに決めました。周囲からは「次はラグビーかと思っていた」と言われましたけど(笑)。

    岐路に立ったときは“人”で選択するという葦原さん。川淵氏からの言葉はハンドボールを選んだ決断にも影響した[写真]中野賢太

    3年間で稼げるリーグに

    播戸 日本ハンドボールリーグの事務局をスタートするにあたって、理事の選出が必要になりますが、何か基準を設けたのですか。

    葦原 理事については、4つのポイントを意識して選定させていただきました。まずは、人数を減らして10名程度にする。外部理事の比率を高くする。女性理事を多く選出する。そして、若さですね。それに沿って理事が選ばれている感じです。

    播戸 初代代表理事になられて、職員の採用などもあったと思いますが、今の時代に葦原さんが求める人材とは、どういうものですか。

    葦原 気にするのは、マインドセットです。どこに問題意識をもって、日々をどう生きているのかというのは面接で最後に必ず聞きます。スポーツ業界の面接になると、多くの人が「スポーツ大好き」をアピールしてくるんですが、その瞬間、ぼくはバツ印をつけます。一番聞きたいのは、あなたの「やりたいこと」ではなく、この世界で「何ができるのか」ということ、もっといえば「何をしないといけないのか」ということ。

    それから、基本的に同じ競技出身者は優先しません。物事をがらりと変えたいとき、派閥にとらわれず公正に判断できるのは外部から来た人だと思うんです。そして、今のフェーズにおいては若さですね。変革期はスピード感とパワーが大事なので、年長と同じ能力なら若い人を取ります。

    日本ハンドボールリーグの理事は自身を含め10人。他競技団体と比べてコンパクトな体制は「スピード感を持った意思決定のため」と話す[写真]中野賢太

     

    播戸 改革が人事面から進んでいるのが感じられます。自分は、これだけのメジャースポーツのビジネスを経験してきた葦原さんが、日本ハンドボールリーグの初代代表理事として、まだマイナースポーツと言われているハンドボールの世界をどう変化させていくのか、すごく興味があります。

    葦原 やりがいはありますね。これまで各チームと10回以上打ち合わせをして、選手・ファンにもアンケートをとり、解決すべき優先順位を考えました。チームや理事会と議論して出てきたのが昨年(2021年)12月に発表させていただいた、次世代型の「シングルエンティティ」(リーグが全チームのあらゆる収益事業を一括管理する制度)でした。

    播戸 自分は正直、初めてその言葉を聞きました。アメリカの事業モデルらしいですが、それを日本にどう落とし込んでいくのか、楽しみですね。選手は、やはり専業プロを望んでいるのですか。

    葦原 そう望んでいる選手が多いですね。やっぱり野球、サッカー、バスケがうらやましい気持ちが根底にあるようです。全員がプロになれればいいですが、そうなるとコストも上がっていきますので、ぼくは兼業プロがあってもいいかなと思っています。

    播戸 いわゆるデュアルキャリアですね。

    葦原 そうです。専業プロでやると、引退したときにどうしたらいいのか立ち止まってしまうんですよ。でも、デュアルキャリアだと、社会人としての仕事を覚えながら好きなスポーツにも打ち込める。引退しても仕事に困ることがない。今の時代は、会社員も兼業をしていますし、メジャーではないスポーツ選手はデュアルキャリアで働きながらプレーしている人が多い。でも20代の選手などは、スポーツだけで勝負したいと思いますよね。

    播戸 ぼくらがプロになったときは、まさにそう思っていました。「プロはこうあるべき」というものを上の人から見て学んだりしていました。でも、今はもちろんプロとしてサッカーを第一に考えてプレーするけど、いろんなビジネスに関わっている人も多くいますし、ほかに何かしたいことがあるならやればいいかなって思います。

    時代の変遷とともに「プロアスリートのキャリアも多様化している」と播戸さん。現役時代からビジネスを経験することは引退後のキャリアにも活きると話す[写真]中野賢太

     

    葦原 選手を同じ競技だけに縛るのはどうかなと思うし、リーグが経済的に潤ってくれば、選手に還元できるものも変わってくると思うんです。でもスタートは、リーグとして「試合は週末に入れるので、平日は働いてください」というスタンスで行こうと思っています。

    播戸 どのくらいの期間で全体の利益を上げていくことを考えているんですか。

    葦原 3年ですね。その間に“稼げる”リーグにしていきたい。今までハンドボールのチームは2億円規模で運営されていて、会社の業績によって良くなったり悪くなったり、安定しないんですよ。だから、まずは稼げる体質にしないといけない。ハンドボールの世界を選手やファンのために変えていかないといけないですが、課題は山積みです。大変なことが90%で、たまにいいことが10%あるぐらいで……でも、それが仕事かなって思いますけどね。

    播戸 その言葉、身に染みます(笑)。葦原さんがハンドボールのリーグを盛り上げていければ、野球、サッカー、バスケットボール、ほかのスポーツとも連携をとって、いろんな取り組みができそうです。

    葦原 実現したいですね。ただ、まだ競技間の壁がすごく高いのが現状なので、そこは壊していかないといけないと思っています。スポーツの力は、われわれ関係者が思っている以上にすごく大きいものなので。

    播戸 楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました!

    将来的な競技・リーグを超えた連携への意欲を語った二人。スポーツ界全体の発展に向けて挑戦は続く[写真]中野賢太

    text:佐藤俊
    photo:中野賢太

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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