上村愛子・元モーグル日本代表はセカンドライフも“雪”に生きる
ゲスト:上村 愛子さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん
元フリースタイルスキー・モーグル日本代表
スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、フリースタイルスキー・モーグル元日本代表の上村愛子さん。
5大会連続での五輪出場、日本人史上初となるワールドカップ年間総合優勝などの実績を残し、日本モーグル界のエースとして長年活躍してきた上村さんに、現役当時の思いや、引退後の現在の活動に至るまで、たっぷりと語っていただきました。
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1998年、高校3年生のときに出場した長野五輪でいきなり7位に入賞。以来、日本のエースとして世界の舞台で戦い続けてきた上村さんに、現役時代から現在までを振り返ってもらった[写真]YATABE
先は考えなかった現役時代
播戸 実はモーグルに触れるのは今回、初めてです。正直、よく分かっていないので、お話しする中で「何も分かってへんやん」となったら本当にすいません(笑)。
上村 まったく問題ないです(笑)。私も昨年(2021年)、東京五輪の際にテレビ番組に出させていただいたんですが、そのときは内心「夏の五輪?どうしよう?」と思って……。知らない競技のことを知ったかぶりして話はできないので、五輪に懸ける気持ちとか、そういうところに集中して話をするしかないなって思って、けっこう緊張しました(苦笑)。
播戸 確かに知らない競技について話をするとき、何を話したらいいんだろうってなりますね。でも、そうならないように今回はいろいろ調べてきました(笑)。上村さんは現役時代、全部で5大会の五輪に出場されていますが、1998年の長野五輪が最初になります。自国開催で初の五輪は、プレッシャーを感じたりしましたか。
上村 長野のときは、プレッシャーとかはあまり感じなかったですね。五輪に出ている緊張よりも自分のパフォーマンスを日本の皆さんが見て応援してくれて、盛り上がっている雰囲気を感じることができたので、むしろすごく楽しかったです。このあと、ほかの五輪を経験していくんですけど、やはり会場の雰囲気とか、盛り上がりが自国開催は全然違うんですよ。一番最初に最高の大会を経験しちゃったなぁって、あとで思いました。
弱冠18歳にして出場した長野五輪は地元開催ということもあり、不安より楽しさが勝ったと語る[写真]中野賢太
播戸 あの舞台で緊張しないというのはすごいですね。5大会連続で五輪に出場していく中で、モーグルが自分の仕事という意識は持っていましたか。というのも、ぼくは1993年にJリーグが開幕したとき、サッカーを仕事としてやっていきたいと思ったんです。
上村 モーグルはプロスポーツではないので、何かの大会で優勝してすごい賞金をもらえるとかがないんですよ。ですから競技者としてプロ選手になる、モーグルが仕事という感覚は全然なかったです。スキー以外のことを求めていなかったですし、スキーをやりたい気持ちだけだったので、スキー連盟や所属先の会社が支えてくれて競技をやらせてもらっているという感覚でした。自分の中で、スキー以外ということで気持ちに変化が生じたのは2006年のトリノ五輪が終わってからですね。そこからスキー以外の仕事をするようになりました。
播戸 トリノ五輪以降に、セカンドキャリアを考え始めたということですか。
上村 いえ、現役のときは、セカンドキャリアは度外視してやっていましたね(笑)。モーグルは有名な競技ではないので、自分が結果を残さないと、その先はないだろうなって思っていました。その先のことを考えてしまうと競技に対する熱量というか、濃度が薄まってしまう気がして、それがすごく嫌だったんです。不器用なタイプかもしれないですけど、選手をしながらほかのことを考える余裕がなかったですね。
播戸 その気持ちは引退するまで変わらなかった?
上村 そうですね。私は34歳で引退したんですが、本当は30歳でメダルを取ってやめようと思っていたんです。その前年の29歳で結婚して、選手と家庭を両立するのが難しいと思っていましたし、年齢的に世界を目指す上での挑戦は2010年のバンクーバー五輪が最後かなって思っていたからです。でも、そのバンクーバーで結果を残せず、モヤモヤしていたんですよ。
上村 その後、1年間お休みしたのですが、いろんな方から励ましや応援の声を聞くことができましたし、自分もまだ動けるので、1年1年、金メダルを取れるところまで戻れるかを確認しながらラスト3年をやろうと決めました。そのとき、34歳でやめようと思いましたけど、先のことはまったく考えていなかったです。実際、引退した後、私はスキーを一生懸命にやり過ぎてすごく疲れていたので、最初の数年は旦那さん(元アルペンスキー選手の皆川賢太郎氏)に甘えて、のんびりさせてもらいました(笑)。
2014年のソチ五輪出場後、上村さんは女子モーグル選手からの現役引退を表明。地元白馬で開催された第34回全日本スキー選手権大会フリースタイル競技で見事優勝を果たし、ラストランで有終の美を飾った[写真]YATABE
人に伝えることの難しさ
播戸 サッカー選手の場合、引退した後は指導者の道に歩む人が多いんです。自分のやってきたことを活かしていきたいのもあるし、若い世代を育てていくという夢があるからです。上村さんは、指導者という道は考えたりしませんでしたか。
上村 私は、たぶん合わないと思うんですよ(笑)。今のナショナルチームには、ヤンネ・ラハテラという外国人のコーチがいるんですが、私は彼のスタンスに似ていると思っていて。彼は必要とあれば何でも提供するんですけど、自分から選手に押し付けるような指導はしないんです。聞いてきた選手に必要なことを教えていくんですね。日本人のコーチ陣も、若い選手をしっかり伸ばせる力のある人ばかりなので、自分が出る幕はないかなと思います。
播戸 北京冬季五輪では堀島(行真)選手が銅メダルを獲得しましたが、モーグルのナショナルチームと接点はなかったんですか。
上村 コーチや選手と個々でつながっている感じですね。「愛子さんと話がしたいな」って選手が家に遊びに来たり、そういうのがあるのでチームのサポーターという形で十分かなと思っていました。
播戸 今は、解説やコメンテーターなどいろんな仕事をされていると思いますが、仕事をする上で大切にしていることは何かありますか。
上村 基本的に私は自信がそんなにある人じゃないんですね(苦笑)。スキーは自信を少しずつ積み重ねていけたのですが、お仕事は毎回、会う人も違いますし、やらないといけないことも違うのでスキーのように自信を積み重ねられないんですよ。
播戸 それは本当に同感です。サッカーでも練習と試合で自信は積み重なっていくけど、仕事は一つひとつ違いますもんね。
テレビやラジオ、YouTubeなど、多方面のメディアで活躍する播戸さんだが、上村さんと同じく、伝えることの難しさを感じていると話す[写真]中野賢太
上村 そうなんです。だからお仕事をさせてもらうときは、自分ができる精いっぱいのことをやろうと常に思っていますし、これは選手のときもそうだったのですが、終わったあとに「一緒に仕事ができてよかった」と周りに思ってもらえるように取り組んでいます。
播戸 仕事をする上で不安になったりすることはありませんか。
上村 毎回、不安ですよ(苦笑)。私は、皆さんが番組を作っている場に自分を選んで呼んでもらっていると思っているのですが、そこで毎回何かを返すことができているのかなっていつも不安になります。終わったあとにマネジャーさんに「大丈夫だった?」と毎回聞くんですけど、「よかった」と言ってもらえたり、皆さんのそういう声が聞けるとホッとしますね。
播戸 意外でした。テレビでは、めちゃくちゃ落ち着いているように見えますよ。
上村 自分では精いっぱいの熱量でやっているんですよ。でも、わりと静かな話し方ですし、テンションがポンと上がるタイプではないので、落ち着いているように見えるだけです(笑)。だから、民放の番組に出るとすごく緊張します。まじめに伝えたいんですけど、視聴者の皆さんを楽しませようとする空気を私自身、つかみ切れなくて(笑)。播戸さんのような瞬発力はないんですが、これが私のスタイルなのかなぁって思います。
播戸 自分は瞬発力があってもその持続力がないんで、まだまだやなって思います(笑)。でも、番組を含めて、人に何かを伝えるというのは難しくないですか? 自分は、やればやるほど難しいなって思うんです。
上村 難しいですね。自分がやってきたモーグルの解説はできますけど、ほかの競技は解説しようとは思っていないです。でも、アスリートの気持ちは分かります。五輪に向けて長い時間をかけて積み重ねてきたこと、どんな気持ちで五輪を戦うかなど、共通する部分で選手の心境を考えてお話しさせてもらっています。あとは、選手のがんばりや感動も伝えるけど、日本の皆さんと一緒になって「すごかったね」「惜しかったね」とか、同じ感情で見ることも大事にしたいと思いますし、それを自分の言葉で伝えられたらと考えています。
「専門外の競技では解説はしない」という上村さん。スポーツの楽しさや魅力を同じ目線で伝えることを大事にしている[写真]中野賢太
播戸 昨年(2021年)の東京五輪では、サッカーの取材もされていましたよね。
上村 東京五輪で、私がお話しをしていて一番緊張したのがサッカーでした(笑)。女子サッカーの現場に行かせていただいたんですが。見ることはできますし、ルールも分かるんですけど、戦術や選手個々の細部まで分かっていたわけではないんです。でも、現場でレポートすると、分かっているふうなセリフを言ってしまいそうなので、細かいことはお話ししなかったです(苦笑)。
播戸 伝える側としてはそう思うのかもしれないですけど、ぼくらサッカーをやってきた人間からするとモーグルを続けてきた上村さんが、女子サッカーから何を感じているのかなとか、どういうことを話すのかなっていうことにすごく興味があるんですよ。
上村 なるほど。次は、失礼にならない程度に自分が思うところを伝えていきますね(笑)。
“雪”から考える環境問題
播戸 上村さんがこれから取り組んでいきたいことは何かありますか。
上村 今、取り組んでいるのが、地球温暖化など環境問題を改善する活動です。私はずっとスキーをやって雪の上に立ってきたんですけど、雪国の景色はこれからも残るべきですし、雪が降らなくなると温暖化で環境破壊につながります。雪という視点から環境問題に取り組んでいくストーリーはあまりないので、私たちが何かを伝えることでできることがあると思っていますし、SDGsとして環境問題に取り組んでいきたいですね。
播戸 JFA(日本サッカー協会)は、「環境、人権、健康、教育、地域」の5つを重視していて、社会活動やSDGsの達成につながる活動を明日へのパス、『アスパス!』と称して取り組んでいます。それぞれのスポーツがそれぞれ目標を持って達成していく中で、つながりが出てくるといいですよね。
JFAのSDGs推進チームメンバーの一員として社会貢献活動に取り組んでいる播戸さん。上村さんの環境問題への思いに深く賛同した[写真]中野賢太
上村 サッカー界は、ひとつの目標にまとまって、そこにパワーを結集しているので、すごくすてきですね。雪の世界では、みんな感じていることはだいたい同じなんですけど、思いに違いがあるので、なかなか同じ方向に定まり切れないんです。でも、私は40年以上も雪の上に立っているし、5大会五輪に出ていた身として、前に立ってSDGsの環境問題に取り組んでいきたいです。それを形にして活動していくのが、自分のライフワークになってくるのかなと思います。
播戸 それは楽しみですね。ちなみに、仕事以外では、何かしたいことがありますか。
上村 私は、健康でいつまでもスキーがしたいんですよ(笑)。今でも、冬は長野で過ごして、雪が降ると滑って、いい景色の写真を撮るという生活をしているんですけど、そういう生き方を大事にしたいなって思っているんです。今、はっきりと分かりやすい大きな目標が人生にあるのかというと五輪ほど大きなものはないんですけど、だからこそ個人としての人生を大切にしたいと思っています。
引退後の現在も、自身が育った白馬村でスキーを楽しんでいる上村さん。3歳からスキーを始め、雪上で遊ぶのが大好きだったという子どものころから、雪とスキーへの思いは変わらない[写真]YATABE
播戸 いつまでもスキーをするために何かしていることはありますか。
上村 選手時代、ものすごくストイックにやってきたので、34歳で引退してからはもうその生活は無理だって思ったんです(笑)。それでもスキーをするために最低限、体を整えておきたいと思うので、よく食べて、睡眠を取って、ストレッチぐらいはしています(笑)。体を動かす目標が人生に一つあるのはいいのかなって思いますね。
播戸 めちゃ同感です。ぼくも選手時代、キツいことをずっとやってきたんで、引退したら「何もやりたくない」と思ったんですよ(笑)。それから今まで3年間、そういう時間が続いたんですけど、そろそろ遊びと仕事のメリハリをつけていこうかなって思っています。
上村 私は、もう6年ぐらい、そんな時間を過ごしています(苦笑)。選手のときって、競技と遊びの時間のメリハリをつけようと思ってもなかなか難しいですよね。引退した後は、自分の楽しみを大事にしてもいいと思いますよ(笑)。でも、北京冬季五輪が終わったらサッカーはW杯があるので、また忙しくなりそうですね。
播戸 W杯は11月ですが、自分も楽しみにしています。サッカー、モーグルでそれぞれやれることは違うけど、同じスポーツ。冬季五輪とサッカーのW杯は同年にやりますし、これから一緒になってスポーツを盛り上げていきたいですね。
上村 そうですね。スポーツには力があるなって東京五輪であらためて感じたので、そのパワーやポジティブさを活かして日本のスポーツを盛り上げていきたいです!
ストイックに走り続けてきた現役生活を退き、新しい生き方やライフワークを広げる二人。フィールドは違っても、スポーツの価値を伝えていきたいという思いでつながっている[写真]中野賢太
text:佐藤俊
photo:中野賢太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。











