女子サッカーに「プロ」という夢を たどり着いたWEリーグという出発点
小林 美由紀さん
WEリーグ理事/理念推進部 部長
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、 “スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣に迫る「SPORT LIGHT Academy」。2021年12月15日に行われた第22回のゲストは、日本女子サッカーの礎を築いた一人であり、2021年秋に発足したWEリーグで理事を務める小林美由紀さん。日本女子サッカーの発展に身を投じることになった経緯から、WEリーグ発足の背景、これから目指していく姿まで、たっぷりと語ってもらった。
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なんで女子はサッカーをやっちゃいけないんだろう?
「なでしこジャパン隆盛の礎を築いた立役者であり、WEリーグの理念を推進する第一人者です」という司会者の紹介とともに登壇した小林さん。はじめに、今の仕事にかける思いにも繋がる、大学で女子チームを立ち上げた当初に受けた批判と、アメリカ留学で受けた衝撃について話してくれた。
「私がサッカーを始めたのは大学のときでした。中学、高校ではバスケットボールをしていたのですが、特別強くも上手くもありませんでした。ただ、大学でも何かスポーツはやりたいなと思っていたときに、一緒に女子サッカーチームを立ち上げた友達と出会ったんです」
奇しくも同じ“みゆき”という名前だった友人は、当初から女子サッカー部に入るつもりで筑波大学に入学したものの、当時の大学には女子の部は存在していなかった。「じゃあサッカーやろうか」そんな勢いで、ともに女子サッカーチームを立ち上げ、「サッカーの“サ”の字も知らなかった」という小林さんのサッカー人生が幕を開ける。しかし、その道のりはいきなり逆境に直面する。
筑波大学在籍時の小林さん(前列左から3番目)。友人とともに女子サッカーチームを立ち上げたが、初めて11人揃ったのは4年生のときだった。[写真]本人提供
「女子チームを立ち上げたとき、男子サッカー部の関係者から『なんてことをしてくれたんだ!』といった感じで怒られたんです。当時通っていた筑波大学蹴球部は、日本で一番古いサッカーチームの一つと言われていました。そんな伝統のある大学で、ちゃんとボールも蹴れないような私たちが女子のチームを作ったことで、すごく怒られた記憶があります」
そのとき小林さんに芽生えた、「なんで女子はサッカーをやっちゃいけないんだろう?」という思いは、留学で訪れたアメリカでの経験を経て、いまの仕事を支える揺るぎない信念へと繋がっていく。
「当初は英語の先生になるためにアメリカに留学したのですが、その留学が女子サッカーにはまるきっかけになりました。留学先の大学にたまたまサッカー部があって入部したところ、日本とはまるで環境が違いました。監督がいて、グラウンドがある。遠征費用もすべて出してもらえて、ユニフォームの洗濯までお願いできる。そんな充実した環境にすごくショックを覚えました」
さらに1991年にアメリカで開催されたFIFA女子ワールドカップが小林さんの心を突き動かした。当時訪れた満員の開会式の写真を見せながら、「本当にすごいでしょ」と言う小林さん。
「アメリカでは、サッカーは女子スポーツの中でもトップの人気を誇ります。この光景に本当に感動して、日本でも女子サッカーを前に進めたい、女の子が自由にサッカーをできるようにしたい、と思いました」
1999 FIFA女子ワールドカップの様子。アメリカ留学で目の当たりにした女子サッカーの盛り上がりは、小林さんに大きな衝撃を与えた。[写真]David Madison/Getty Images
留学を経て「サッカーが本当に面白くなっちゃった」という小林さんは帰国後、関東の6つの大学チームとともに、『関東大学女子サッカーリーグ』を立ち上げ、本格的にサッカーにのめり込む。「サッカーをやるためには学生を続けるしかない」という思いで進学した大学院には30代中盤まで在籍。
得意な英語を活かして、非常勤講師や通訳をしながら、サッカーを監督や選手として楽しんでいた。サッカーとの関わりは年々深まり、次第にJFA(日本サッカー協会)の女子サッカーの普及活動や、アジアサッカー連盟のマッチコミッショナーなども担うようになっていく。
そんなキャリアの最中で関わった、ある民間企業のキャリア支援プロジェクトも、小林さんのキャリアに影響を与えた。
「例えばカヌーのようなスポーツだと、遠征が多いことで、すごくビジネス能力が高い方でも一定の職につけず、お金に苦しんでいるような状況がありました。そんなスポーツとも両立できる仕事を紹介する支援をしていました。当時200名ほどのアスリートの方々と面談をしましたが、すごくいい経験になりましたね」
この経験から、小林さんはスポーツの世界において“プロ”であることの重要性を感じた。
2011年W杯優勝。そして、10年を経て発足したWEリーグ
2001年頃から小林さんは、日本サッカー協会が主催する女子サッカー普及のための活動で、かつてトップリーグで活躍した選手たちと47都道府県を回っていた。子ども向けのサッカー教室だったが、同時に教える役の元選手たちにとっても、将来を考える機会となってほしいという思いがあった。
「大学時代にアメリカで出会った選手たちには夢があって、それがすごく羨ましかったんです。日本の女子選手も選手生活を終えたあとに指導者になる夢を持って欲しいと思っていました」
ときを同じくして、2008年北京オリンピックの頃から『なでしこジャパン』という呼び名が、メディアを通して広まり始めていた。そして、2011FIFA女子ワールドカップでの日本代表の優勝が、女子サッカー人気に火をつける。
2011FIFA女子ワールドカップ優勝を境に、日本女子サッカーへの注目は大きく高まった。[写真]Martin Rose/Getty Images
「ワールドカップは1991年からほぼすべて現地に観に行っていますが、唯一行かなかったのがあの2011年なんです(笑)」
言葉では嘆きつつも、小林さんは笑顔で当時の喜びを話してくれた。全国で接する子どもたちからは「澤選手みたいになりたい!」といった夢が語られるように。そして、テレビから聞こえた「今度は男子のサッカーのニュースです」という何気ない紹介で、“男子の”という枕詞が初めて付いた報道を耳にして、女子サッカーが認められたような嬉しさを覚えたと言う。
しかし、女子サッカーへの関心が増すなか、選手たちの厳しい生活にも注目が集まることになった。当時メディアでも取り上げられたように、W杯出場メンバーの中にもアルバイト生活を送る選手がいたことは衝撃を持って受け止められたが、それは少なくない数の女子サッカー選手が置かれた状況でもあった。
その頃、小林さんはジェフユナイテッド千葉のレディース部門に、じきに定年を迎えるマネージャーの後継者として迎えられることになる。中学生・高校生部門のコーチを経てマネージャーへ就任すると、「なるべく女性コーチや、ジェフと千葉にゆかりのある指導者を呼びたい」という思いのもと、女性指導者の積極的な登用を進めていく。男性指導者がほぼすべてを占めていたコーチ陣は、小林さんが在籍した10年間で、男女半々の体制へと変わっていった。
ジェフの仕事と並行して、小林さんは日本女子プロサッカーリーグの準備委員会にも名を連ねていた。そのリーグこそ、2011FIFA女子ワールドカップ優勝から10年を経て発足した、『WEリーグ(Women Empowerment League)』のことである。
小林さんは女子プロリーグの発足について最初は疑念もあったという。
「選手たちは働きながらサッカーをやっていましたが、それはそれで大きなメリットがありました。プロスポーツ選手と比べても、社会人としてのマナーや振る舞い方を身に付けていて、所属企業の方々からの評価も高かったですし、仕事をしながらサッカーをやることにも意味があると考えていました」
ワールドカップでの優勝から時が経つに連れて、なでしこリーグの観客数は年々減少していった。メディアに取り上げられることも少なくなる一方で、世界では新たな潮流が生まれていた。ジェンダーイクオリティ(男女平等)に対する社会の要求が高まるなかで、元より人気の高いアメリカに続き、フットボール文化の根付くヨーロッパでも、クラブが女子チームを有することが重要性を持つようになっていく。そして、積極的な投資に後押しされて各国のナショナルチームが力を付けていくとともに、なでしこジャパンは国際舞台での勝利から遠のくようになっていった。
U17・U20世代の女子代表チームが世界一になるくらい、日本には沢山の逸材がいる。それなのに職業として夢を見られないような環境を変えたい。日本で活躍できる環境をつくって、「なでしこジャパンをもう1回世界一にしたい」その思いが小林さんをWEリーグでの挑戦へと導いていった。そして2021年9月、WEリーグは開会のときを迎えた。
2021年9月WEリーグ開会式の様子。「アンセムが流れたときは感動的でした」と小林さんは語る。[写真提供]WE LEAGUE
女性だけじゃなく、誰もが活躍できる社会を目指して
WEリーグは、“Women Empowerment(=女性の活躍促進)”リーグという名の通り、日本の女性活躍社会を牽引することを第一義に掲げている。参入にあたっては、「役職員の 50 %以上を女性とする」「意思決定に関わる者のうち、少なくとも 1 人は女性とする」などの条件が定められた。これは国やスポーツ業界が定めた女性登用の目標をはるかに上回る基準である。
まだ完全に達成できている状況ではないものの、各クラブの体制は着実に変わりつつある。時折寄せられる、“女性に役職を打診しても断られてしまう”といった相談に対しては、小林さんはケアの重要性を伝えるという。
「多くの女性は、組織の中で上に立つことに慣れてはいません。まずは安心して取り組める環境を作って、自信を育むことが大切です」
JFAとWEリーグは2021年から、『JFA女性リーダーシッププログラム』を開講し、女性役員・経営層の育成にも主体的に取り組んでいる。
WEリーグは全11クラブにより構成されているが、実はこの少しキリの悪い“11”という数が、WEリーグに唯一無二の価値を生み出している。
「試合が開催される日にも、必ずひとクラブは試合をやらないチームがあります。そのクラブが試合の代わりに行うのが、『WE ACTION DAY』という取り組みです」。
WE ACTION DAYとは、WEリーグが掲げる理念である「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する。」を推進するために、選手とクラブ、パートナー企業がともに行う活動(=WE ACTION)を実施する日のこと。これまですでに、フードバンクの仕分け作業や、児童養護施設の子どもたちとの交流会、千葉市初の女性副市長との対談など、各チームでさまざまな取り組みが行われてきた。
WE ACTION DAYのほか、選手たち自らがWEリーガーとしてのクレド(行動指針)を考えるミーティングや、パートナー企業で働いている選手たちと同世代の人たちとの交流イベントなどを通じて、WEリーグの理念を推進することが、現在小林さんが「理念推進担当」として担っている役割だ。
WEリーグ選手および理念推進担当者とパートナー企業の社員が、ジェンダー課題について意見を交わし合った『WE ACTION MEETING』の様子[写真提供]WE LEAGUE
WEリーグの根幹をなす“理念”だが、じっと読み返してみるとある違和感に気づく。実はこの理念の中には、“女性”という言葉は一切含まれていない。
「“女性の輝く社会”ではなくて、“一人ひとりが輝く社会”であることがポイントなんです。女性だけでなく、男性やLGBTQの人たちも、あらゆる人が心地よく生きられるような社会にしたいという思いがこの理念に込められています」
イベントの後半、参加したゲストから寄せられた「小林さんのようにやりたいことで道を切り拓いていくには、どうしたらいいですか?」という質問に対して、小林さんはこう答えた。
「“なんで女子はサッカーをやっちゃいけないんだろう?”と感じた違和感に向き合ってきたことが、今に繋がっているように思います。誰もが気軽にサッカーをできる社会を作りたいという思いはずっと変わりません」
最後に、「いまは理念に注目が集まっていますが、やっぱりメインはサッカーです。テクニックの高さやフェアプレーの精神、試合の面白さをもっと知ってもらえるように頑張っていきたいですね」と語った小林さん。WEリーグが描こうとしている新しい社会に“自分も何か貢献したい”と思わせられる。そんな、小林さんの持つエネルギーに“エンパワー”されるような1時間半だった。
text:川端優斗/dodaSPORTS編集部
photo:本人提供
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










