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B.LEAGUE 島田慎二チェアマンの“困難を選ぶ”成長哲学

ゲスト:島田 慎二さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん

B.LEAGUE チェアマン/日本バスケットボール協会 副会長

スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、現在B.LEAGUEチェアマンを務める、島田慎二さん。

かつて経営していた企業を売却し30代で旅人になるも、その後経営不振の千葉ジェッツの再建を託され、驚異的なV字成長を実現。そしてコロナ禍の中でのB.LEAGUEチェアマン就任——そんな波瀾万丈な島田さんのキャリアから、スポーツ業界で活躍し、成長するためのヒントまで、本音でたっぷりと語っていただきました。

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    2021年、『2026 NEW B.LEAGUE』の将来構想を発表し話題を呼んだBリーグ。島田さんがその旗手となるまでの道のりや、リーグの未来に向けた思いを語ってくれた[写真]Takashi Aoyama/Getty Images

    引退生活から千葉ジェッツの再建へ

    播戸 「スポーツを仕事に!」をテーマにした企画です。スポーツ界での仕事に関する話についてお伺いできればと思います。相変わらず、お元気そうですね!

    島田 今51歳ですが、30代、40代と年を重ねるにつれてどんどん元気になっていく気がします(笑)。

    播戸 いいですね! そのパワフルさの源を知るために、まずは島田さんのこれまでのキャリアから教えてください。

    島田 プロフィール的にざっとお話ししますと、大学卒業後、海外旅行専門の旅行会社、マップ・インターナショナル(現エイチ・アイ・エス)に就職しました。そこに3年間勤めた後、1995年に仲間とともに独立し、法人向け旅行会社を運営していたのですが、2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロの影響で業績が傾いたんです。また独立を考えていた時期でもあったため、それをきっかけに役員を辞任し、新たな会社を設立してスタートしたのが2001年12月、31歳のときでした。そこからがむしゃらに働いて、それなりに会社も成長したのでM&Aでリログループに売却し、39歳で旅人になりました。

    経営していた会社を売却し、家族の理解を得て「世界中を旅する自由な生活」を手に入れたと話す[写真]渡邉彰太

    播戸 確か島田さんはもともと「30代でリタイア」を考えられていて、世界中を旅するという夢をかなえられたんですよね。

    島田 すでに妻子がいたので、今になって思えばよく旅人になったな、という感じでしたけど(笑)。そこから2年くらい経ったころに、過去の起業の際にお世話になった千葉ジェッツのオーナーから「フラフラしているなら、恩返しのつもりでちょっと手伝ってよ」と言われ、週1回のアドバイス程度なら、とお引き受けしたんです。

    播戸 会社を売却して夢の引退生活を送られていた中、どうして引き受けられたんですか?

    島田 人生80年時代で、残りの人生がまだ半分も残っているのに、いつまでも旅人生活をやっていられないと思ったこと。また、旅の最中にそれまでの自分の人生を振り返ってみたら、自己実現一辺倒の40年だったことにひどくショックを受け、これじゃあいい死に方はできないから今後は己ではなく社会のため、世の中の人のために、という人生にしようと思っていたタイミングだったことが理由です。そしたら1カ月後の2011年12月に千葉ジェッツの運営会社である株式会社ASPEの社長になってくれと頼まれ、千葉ジェッツに愛着が芽生え始めていたこともあって、「1年で良ければやります」とお引き受けしました。

    播戸 千葉ジェッツの社長に就任された翌年の2012年6月には、加盟していたbjリーグを脱退し、’13-’14シーズンからのNBL(日本バスケットボールリーグ)への参加を表明されました。どんな狙いがあったのでしょうか。

    島田 当時のバスケットボール界にはエンターテイメント性やファンサービスを追求するbjリーグと、日本代表の強化やそのための選手の強化に重きを置いたNBLの2リーグが併存していたんです。バスケットボール界の発展を願うなら、エンターテイメント性と強さの両方が必要なはずだし、単純に1つにならなければマーケットも拡大しないのに、です。

    そこで、どうすれば弱小クラブである我々が、両リーグがくっつくために一番近道の打ち手ができるかを考え、エンターテイメント性を大切にしながら強さを求めるクラブになれば最強だと思い、籍を移すことにしました。そういうスタンスのクラブがスタンダードになれば両リーグは自然とくっついていくだろうという算段もありました。

    約8年半にわたって千葉ジェッツの経営を担い、リーグトップの集客力を誇るチームに成長させた島田さん。2019年には富樫勇樹選手が日本人選手初の1億円プレーヤーとなるなど注目を集めた[写真]Takashi Aoyama/Getty Images

    「どう考えてもキツい」チェアマン就任の理由

    播戸 実際、島田さんの狙いどおり、2015年4月には翌年のBリーグ発足に向けて運営法人のJPBL(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)が発足しました。島田さんも1年にとどまらず、以降も千葉ジェッツの社長として、入場者数でもバスケ界では初のレギュラーシーズン入場者数10万人、1試合平均3,574人を達成したり、天皇杯でも3連覇を実現したり、チャンピオンシップにも進出するなど、強くて事業力のあるクラブに成長させました。もともとスポーツビジネスには興味があったのでしょうか。

    島田 いえ、まったくです。チケットは販売しているし、スポンサーも存在するんだから、何かしらビジネスが成立しているだろうとは思っていましたが、個人的に興味を持ったことはなかったです。

    播戸 そうした中で、スポーツビジネスに着手するにあたっては、あらためてスポーツビジネスを学ぼうと思ったのか、あるいはそれまでやってきた異業種のビジネスを横展開するようなイメージでスタートされたのでしょうか。

    千葉ジェッツ時代から島田さんとの交流があった播戸さん。白熱する対談の中で島田さんの経営手腕とリーダーシップの本質を探った[写真]渡邉彰太

    島田 後者ですね。というのも、当時は今の時代のようにスポーツビジネスを学ぶ機会もなかったし、そもそもプロ野球やJリーグとは対照的に、バスケットボールはどう見てもマイナースポーツでしたから。経営を含めてうまくいっていないからマイナーなのに、その業界から学んでも仕方がないのかなと思っていたし、“井の中の蛙”の理論に翻弄されたらまたうまくいかないものをつくり上げてしまうという危機感もありました。だからこそ、これまでやってきたビジネスを横展開するようなイメージで仕事に取り掛かりました。

    播戸 その後、2020年には現職であるBリーグのチェアマンに就任されました。それも描かれていたことだったのですか?

    島田 描いてはいませんでした。実は、Bリーグ2シーズン目の2017年にも、初代Bリーグチェアマンである川淵三郎さんからチェアマンの話をいただいたのですが、当時は千葉ジェッツの社長をしていたのでお断りさせてもらったんです。最終的には川淵さんの推挙もあり、千葉ジェッツの社長と兼任で副チェアマンになりましたが、あくまで1年限定でBリーグに身を投じるか、千葉ジェッツに残るかを判断する猶予期間をいただいた形でした。でも最終的にはBリーグに残らず、千葉ジェッツに戻ったんです。千葉ジェッツを他の追随を許さない最強クラブにしたほうがバスケ界でのインパクトは圧倒的に大きいと思ったからです。

    播戸 最強クラブへの成長を目指して千葉ジェッツに戻られたのに、再びBリーグチェアマンを引き受けようと思ったのには何か理由があったのですか?

    島田 千葉ジェッツに戻ってからの時間において、ある程度、クラブが自分の目指す方向性に成長を遂げられたこともあり、実は2019年7月には社長を退いて会長に就任していたんです。30代後半から40代にかけて千葉ジェッツを介して社会に還元する仕事も少しできましたし、50代は少し自由に生きたいな、という考えもあってのことでした。そしたらコロナ禍の中でチェアマン就任のオファーをいただいて。そのときは前回のオファーとは違って、差し迫る仕事もなかったので即答で分かりました、とお引き受けしました。コロナ禍の中での就任はどう考えてもキツいし難しいことですが、私にとっての“キツい”は、“おいしい”んです。株と同じで、いいときに引き受けてもあとは下がるだけですが、悪いときに引き受ければ上がるだけですから。

    播戸 キツいがおいしいというマインドは、ビジネスの過程で培われたものなのか、あるいは学生時代に得た気づきなのでしょうか。

    島田 経験の中で培われてきた部分もありますし、単純に底の状況ならあとは楽になっていくという原理原則もあると思います。また、私自身が常に「パワーアップしていきたい」という成長意欲が強いことも大きいと思います。より成長を求めればこそ、楽をして生きるより、しんどい思いをしながら生きることを選びたいというか。しんどければしんどいほどメンタリティ、経験値、人間性は鍛えられますし、結果的にうまくいかなかったとしても自分の成長の肥やしにはなりますから。

    岐路に立つたびに、島田さんがあえて困難な状況を選ぶ背景には、自己成長への強い欲求があると話す[写真]渡邉彰太

    播戸 Bリーグが目に見える成長を続けている中で、リーグ構造改革の『2026 NEW B.LEAGUE』構想を掲げられたのは、いい状態をさらに良くしていこうという思いからだったのでしょうか。

    島田 根本的にBリーグをもっと良くしていかなければいけないということは、組織としても私自身もずっと考えてきたことでしたが、何も派手なことをしようとしているわけではありません。社会的なメッセージとして、バスケで日本を元気にすることや、クラブを通して地域創生に貢献するということは掲げていますが、それを実現する打ち手としてやることはトリッキーなことではない。ファンを大事にするとか、お金をいただいているスポンサーさまが満足するサービスを提供するというように、大事にすべきものを当たり前に大事にしていくことが大切だと考えています。

    「スポーツ界に“合う・合わない”は必要ない」

    播戸 チェアマンの仕事をする上で心がけていることを教えてください。

    島田 千葉ジェッツ時代のように30人くらいの組織であればコントロールもしやすいですが、全国50を超えるクラブを俯瞰して束ねていくチェアマンとなればそうはいきません。一つひとつに目を配るというより、みんなが頑張りやすい仕組みをどうつくるか、世の中全体に可能性を感じてもらえるPRをするか、が大事になってきます。そのために、ときには現場で支援することや自治体やスポンサーを回って応援してくださいと頼み込むこともありますが、正直なところ、変数が多すぎていまだに何がベストなアプローチなのか分かりません。

    でも、だからこそ必要だと思ったことにはスピード感を持って取り組む、うまくいかなかったらやめるというように、アクションのスピードを上げていくことは常々心がけています。失敗したらやり直せばいいだけの話ですし、動かないでじっとしていることが一番のリスクだと思うので。

    チェアマンとして限られた任期の中で、失敗を恐れずアクションのスピードを上げていくことを心がけているという[写真]渡邉彰太

    播戸 島田さんはこれまで、クラブ、リーグで仕事をされてきた中で、スポーツ界にはどんな能力を持った人材が適しているとお考えですか?

    島田 正直私は、スポーツ界に“合う・合わない”という基準は必要ないと考えています。スポーツ界や芸能界って、どうしてもきらびやかで派手な特殊産業と捉えられがちですが、実はそう考えること自体がナンセンスじゃないか、と思うんです。もちろん、試合の感動、会場の熱狂など、特別な感情が生まれるシーンはありますが、仕事となればそういったスポーツのいいところだけを見ているわけにはいきません。裏方は意外と地味で大変な仕事も多いし、ある種、裏の嫌なところも見ながら働かなければいけない。「スポーツが好きだからこの業界で働きたい」というバイアスが前提にあるのは悪いことではないですが、現実はもっとドロドロしていて大変だと覚悟してこなければミスマッチが起きてしまうとも思います。

    そういう意味では、スポーツ界だからこの人材、ということではなく、他業種と同じように、仕事で結果を出すための勉強、努力、人間関係、社内コミュニケーションをきちんと構築でき、利益を生む構図をつくれる人材が必要だと思いますし、それに対して雇用側も、頑張っている人には給料で報いるとか、当たり前のエコシステムをつくっていくことが大事だと思っています。

    播戸 では最後に、島田さんご自身が今後、Bリーグで実現したいと思っていることや描いている目標があれば教えてください。

    島田 チェアマンは通算で4期までという任期がある特殊な仕事ですから、一企業の社長とは違って自分の代で何かを築くことはまずできないと思うんです。実際に今も、バスケ界のあるべき姿を『JAPAN BASKETBALL STANDARD』と定義し、2030年までにその世界観にクラブやリーグ、協会がたどり着くためのロードマップ作り、事業計画などに一つひとつトライしている最中ですが、現実的に2030年に私はチェアマンの座を退いているはずです。

    そういう意味では、2030年に向かってアシストできるように、ちょっとやそっとのことではスポンサー離れが起きないとか、応援の体制が元気をなくすことのない、骨太で足腰の強いリーグにしていくのが私の役目なのかな、と。言うなれば、徳川幕府が代々さまざまな大名によって260年もの政権を築いたように、Bリーグのチェアマンの一人として、自分の担うべき役割をまっとうして次代に渡すことが今の目標です。確か、播戸さんも「Jリーグのチェアマンになりたい」と公言されていましたよね? 何か参考になる話はありましたか?

    播戸 めちゃめちゃありましたし、あらためて自分はまだまだ勉強しなければいけないと痛感しました。今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました!

    対談後、「播戸さんはクラブ経営を経験したほうがいい」とアドバイスを送る島田さん。成長意欲あふれる二人の熱いトークは笑顔で幕を閉じた[写真]渡邉彰太

    text:高村美砂
    photo:渡邉彰太

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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