選手から「経営」の道を選んだ中田浩二のキャリア戦略
ゲスト:中田 浩二さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん
鹿島アントラーズ C.R.O/元サッカー日本代表
スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなって迎える今回のゲストは、同じく元日本代表で、現在は鹿島アントラーズでクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)を務める中田浩二さん。現役引退後から現在の活動に至るまで、かつて世代別代表でともに戦った“黄金世代”の盟友・播戸さんがリアルな本音を引き出します。
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引退後の第一歩は「メールの書き方」から
播戸 今日は、浩二のキャリアや鹿島アントラーズのクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)としての仕事について話を聞かせてもらおうと思います。まずは簡単に、浩二の現役時代のキャリアを教えてください。
中田 珍しくスタートからまじめだね。いつもYouTubeやラジオ番組では脱線しまくっているのに(笑)。
播戸 脱線が持ち味と思っていたけど、脱線しすぎたら周りに迷惑をかけると気づいたから(笑)。
中田 やっと気づいた!? じゃあ今日はまともに話せるね(笑)。
キャリアは……1998年に帝京高校から鹿島アントラーズに加入してプロキャリアを積み、2005年1月にフランスのオリンピック・マルセイユに、2006年1月にスイスのFCバーゼルに移籍して、2008年6月に再び、鹿島に戻った、と。その後、2014年で現役を引退し、2015年からC.R.Oに就任して今に至ります。
2014シーズン限りで現役を引退した中田浩二さん。現在は鹿島アントラーズのC.R.Oとしてクラブを支えている[写真]渡邉彰太
播戸 素晴らしいキャリアを築いてきた中で、引退後の自分やセカンドキャリアを考えることってあった?
中田 鹿島に戻って30歳を過ぎたころから、先のキャリアのことは気になりだしたけど、すぐにこれをしよう、と思うことが見つかるわけもなく……。だから、とりあえず2012年に指導者B級ライセンスを取りに行くことにした。バン(播戸)とはそこでも同期だったよね?
播戸 そうね。しかもそのときの浩二の指導者としての振る舞いというのかなあ。話し方にすごく説得力があったし、将来はすごくいいコーチ、監督になっていくんだろうなって思っていたらC.R.Oに就任したんよね。どんな経緯だったの?
中田 当時は、引退した選手は指導者になるのが王道だったから、正直ぼくも漠然とその流れに乗っていくのかなと思っていたんだよね。ただ、2008年に日本に戻ったころからスポンサーパーティーやイベントなどに呼ばれてアントラーズに関わるいろんな方と話をすることが増え、いろんな世界、考え方に触れることが楽しくなっていった。そうした伏線があった中で、2014年の終わりに引退を決めた際に、事業部長から「浩二のイベントなどでの振る舞いを見ていると経営側の立場になるのも向いていると思う」と言われて、そっちだな、と気持ちが動いた。
播戸 C.R.Oという肩書は誰が決めたの?
中田 肩書は何でもよかったんだけど、クラブの「ステークホルダーとクラブをリレーションする役割を担ってほしい」という意向もあり、最終的にC.R.Oになった。といっても最初はほかの社員と同じように9時に出社して18時まで仕事をするという環境の中で、それこそメールの書き方からパソコンのワード、エクセル、パワーポイントの使い方などを覚えつつ、いろんな部署を回って研修を重ねて、仕事を覚えていった感じ。それから、2015年にJリーグが将来のプロスポーツクラブの経営人材の育成を目指してJリーグヒューマンキャピタル(JHC)を立ち上げた中で、そこに通うことも業務の一環として認めてもらっていたから、週2回はJHCに通っていろんな勉強をさせてもらった。
播戸 経営側の仕事に就くことへの戸惑いはなかった?
中田 最初はあった。そもそも一日中クラブハウスにいることにも慣れなかったしね。知らないことを学べる面白さを感じながらも、イチからいろんなことを覚えていく大変さは感じていた。ただ、いろんな部署で研修を積めたことで、選手時代には見えなかったクラブスタッフの苦労というか……単純に「クラブにはこんなにいろんな仕事があるんだ」「試合はこういう人たちに支えられて成立していたんだ」と知れたことは本当によかった。
播戸 正直、引退を聞いたときは同期として「まだプレーできるやろ!」と思っていたけど、浩二の仕事ぶりを見てきた今は逆に「ああ、だから引退したのね」と納得したところもある。
2019年まで現役を続けた播戸さんは、同期の引退に寂しさを感じていたと話す[写真]渡邉彰太
中田 引退するときは正直ぼくも、悩んだよ。当時は「鹿島の同期の中で最初に引退するのは嫌だな」って思いもあったしさ。でも、ある日、帝京高校時代の恩師・古沼貞雄先生にあっさり「やめればいいんじゃないか」と言われて。「選手のキャリアには必ず終わりがある。長い人生、セカンドキャリアを過ごす時間のほうが長いんだから、この先は同期の小笠原(満男)や本山(雅志)より先にセカンドキャリアを始めたほうがアドバンテージになるぞ」という言葉がすっと腑に落ちて引退を決められた。今となっては、次に向かう余力を残して引退してよかったと思っている。
播戸 今でこそ元選手のフロント入りは珍しくなくなってきたけど、当時のC.R.O就任は先駆け的だったよね。
中田 ぼくのC.R.O就任を機に、サンフレッチェ広島の森崎和幸がC.R.M(クラブ・リレーションズ・マネージャー)になったり、河合竜二がC.R.C(コンサドーレ・リレーションズチーム・キャプテン)になったり、石川直宏がFC東京のCC(クラブコミュニケーター)になったり、いろんな肩書で仕事に就く選手も増えたしね。そんなふうにセカンドキャリアの可能性を広げられたのはよかったし、だからこそ自分ももっと頑張らなきゃいけないって思う。
「元選手は経営でも活躍できる」
播戸 今は具体的にどんな仕事をしているの?
中田 C.R.Oになって最初の1年間は、とにかくいろんな部署を回って仕事を覚えることがメインで……スタジアムの運営サポート、お弁当の発注業務、レフェリーのサポートを始め、AFCチャンピオンズリーグでは多少英語ができるからとレフェリーのリエゾン業務をしたり……といろんな仕事に携わった後、マーケティンググループで集客やイベントに関わり、2020年からはセールスチームで主にパートナー(クラブにおけるスポンサー呼称)営業を担当しています。
播戸 アントラーズのレジェンドとしての実績や経験は、営業に活きている?
中田 活きる部分もあるし、そうじゃないところもある。でも、ぼく自身は自分のバックグラウンドはそんなに気にしていない。もちろん、ぼくが営業で訪問したことをすごく喜んでくれてそれが契約につながった企業もあるけど、自分からそれを武器にしようとは考えていない。ただ選手をしてきたのは事実だから、それを隠す必要はないと思っているけど。
クラブでのさまざまな業務の経験を経て、「元選手が経営側に進んでいくことは重要」と話す[写真]渡邉彰太
播戸 筑波大学大学院に進学したのはいつだっけ?
中田 2018年。アントラーズと筑波大がアカデミーアライアンス契約を結んでいる縁もあったし、筑波大がリカレント教育に力を入れ始めた中で声をかけてもらって、チャレンジすることにした。もともと数字というか、データの知識への物足りなさも感じていたから、社会工学を専攻したんだけど。
播戸 どんなことを学んだの?
中田 ざっくり言うと「社会の環境問題をどう解決していくか」みたいな感じ。それをアントラーズが抱えるさまざまな課題とリンクして考えられるのもいいなと思った。たとえば、MaaS(Mobility as a Service)の観点から「渋滞緩和をいかに軽減するか」というテーマで論文を書いたんだけど、それをアントラーズに当てはめると「今は観客が車1台につき平均1.8人乗ってカシマスタジアムに来ているが、車をシェアリングしたらこうなる、バスを使えばこんな利点があって渋滞も緩和される」ということを数字で示していくような感じかな。
播戸 そうやっていろんな経験を積んできた中で、元選手が経営側の立場で活躍できる可能性はどう感じてる?
中田 ぼくは、元選手は意外と経営の世界でも活躍できると思ってる。プロアスリートって常にギリギリの世界で生きているし、その都度、究極のジャッジを迫られてきたと考えても、いろんなことを見極め、判断するスキルはあるんじゃないかと。ただ現実的には、そこに至る過程を論理的に説明するプレゼン力を備えていない人が多いのは事実だと思うから、それを示せるスキルさえ身につけられれば意外と即戦力になれるんじゃないかと思う。
播戸 その言葉は現役選手にも励みになるね! あとはそのスキルをいつ備えるか、よね。現役時代って引退のことを考え始めた時点でキャリアのカウントダウンが始まるような気がするから、あまり次のことを考えたくないって選手も多いだろうけど、ぼくの経験からも、選手時代のうちに準備できることはしておいたほうが、セカンドキャリアの進み方も速くなると思う。
播戸さん自身も現役中に会社を設立するなどビジネスを経験してきた一人として、アスリートのセカンドキャリアの難しさも知る[写真]渡邉彰太
中田 それもあって、アントラーズでも2021年からパートナーさまの協力のもと、現役選手を対象にした『Antlers Life Design Program』というプロジェクトを立ち上げて、資産運用や英会話を学ぶ場所を提供するようになったし、いずれはパソコン教室などもやろうと思ってる。学びたいことがあっても、どうやって学べばいいのか分からない選手も多いはずだし、そういう場をクラブ側が提供することでセカンドキャリアに広がりが持てるようになれば理想的だと思う。
播戸 海外のプロサッカー選手なら、一般社会での認知度も高いから引退後も現役時代の功績で仕事ができるだろうけど、Jリーガーはまだまだ認知度が低いから。日本代表経験者ですら一般社会では知られていないことも多いし、最近はますますサッカー、Jリーグの露出が減ってきていると考えても、セカンドキャリアはまだまだ各自で考えなければいけない状況にある。だからこそ、先にセカンドキャリアを歩き始めたぼくらは、Jリーグの認知度をもっと高めることも考えなければいけないというか。
実際、ぼくらが中学生のときにJリーグが始まってすごいサッカーブームが起きたことで爆発的にサッカー界が発展したように、この先、サッカーの認知をもっと高めていくことを考えないとサッカー界も進化しないし、ひいては選手のセカンドキャリアも広がらない。そう思うからこそぼくもいろんな人に会って、地域や個人のサッカー熱を高めるための働きかけをしている……つもりなんやけど。
中田 ドイツのバイエルン・ミュンヘンの社長にオリバー・カーンが就任したけど、素晴らしいキャリアを築いた元選手がJクラブの経営者になるとか、要職に就く流れができていけば理想というか。近年でこそJクラブでも元選手が要職に就く例も出てきたけど、その数はまだまだ少ない。そこが増えていけば、また日本のサッカー界もまた少し変わる気がする。
経営者、そしてチェアマンへ
播戸 浩二もゆくゆくはクラブ社長になりたいと思う?
中田 自分が育ったアントラーズの社長になって、もっと強くて愛されるクラブにしていきたいと思っているし、さらに言えば、その先にはJリーグのチェアマンになることも描いてる。まあ、そうなると同じくチェアマン就任を目標にしているバンともライバルになるけど(笑)。サッカー教室で指導するときに子どもたちに「夢に向かってチャレンジしてほしい」と伝えているように、自分もきちんと目標を描いて進むべきだと思うしさ。それを設定することで物ごとの見方や、仕事での目の配り方が変わる部分もあるしね。
実際、以前なら営業に行っても目の前の人と話すことで精いっぱいだったけど、今はアントラーズのセールスチームとしての動き方も意識しながら発言するようになったり、どうすればクラブ全体がうまく回っていくのかを俯瞰して見られるようにもなってきた。まだまだ、やらなくちゃいけないことはたくさんあるけど。
将来的に経営者を目指すことを明言。その先にはJリーグチェアマンというビジョンも描く[写真]渡邉彰太
播戸 鹿島は2019年夏からメルカリが経営に参画しているけど、それによる変化は感じる?
中田 そうね。良くも悪くも縦社会だった部分が取っ払われつつあるとか、マーケティング面が強化されたり、プラスの変化はたくさんあるよ。
播戸 近年はJクラブの経営にいろんな企業が参画するようになってきたけど、ぼくはそんなふうに新しい血が入ってくるのはすごくいいことだと思う。それによって活性化することもあるはずだし、変化も起きやすくなると思うから。単純にサッカー界を良くしようというマインドを持った人間がこの世界に増えるのもいいことだしね。ただ、経営面が変わるだけでは絶対にダメというか。サッカークラブって、チームが強くなることで起きる変化がたくさんあるからこそ、結果は常に求め続けてほしいと思う。
中田 間違いない。鹿島は「常勝クラブ」としての姿があって生き残ってこられたチームだと思うから。やっぱりチームの結果にはこだわるべきだし、メルカリの参画でより強化された部分を、今後はいかにフットボールにコミットさせて、結果につなげていくかということを求めなければいけない。特にアントラーズのある鹿嶋市の人口や場所の利便性を考えても、結果を求めながら経営していかないと、人離れも起きかねないと思うしね。
播戸 2022年はアントラーズ史上初のヨーロッパ人監督も就任するし、いろんな変化がありそうやから。浩二にもさらにステップアップしてもらって、ぜひアントラーズの社長、チェアマンに上り詰めていってほしい。「中田さんは引退後、こういうキャリアを踏んで社長になったんだな」というロールモデルができるのはサッカー界にとってもいいことだし、今後も引退した選手がいろんなロールモデルを示せていけたらいいなと思う。サッカー界の発展のための、それぞれの動きがいつか、どこかで融合して1つの道になるのも面白いと思うしね。
中田 そうだね。ぼくは引退して7年が経ったけど、C.R.Oとしての活動や仕事を通して、あらためてどれだけたくさんの人がアントラーズを応援してくれているのか、好きでいてくれているのかを感じられるようになったから。地域貢献じゃないけど、本当の意味でその方たちに届く活動をもっとやっていきたいし「この街にアントラーズがあってよかった」と思ってもらえるクラブにもしたい。そのために自分もしっかり力になれるように、中長期的にいろんなことを考えながら仕事をしていきたいと思う。
播戸 今日は楽しい話がたくさん聞けてうれしかったです。ありがとう。
中田 脱線少なめで時間内に取材が終わってよかったよ(笑)。こちらこそ、ありがとう。
79年生まれの同期として10代からともに戦ってきた二人。現役引退後の今も切磋琢磨し合う関係は続く[写真]渡邉彰太
text:高村美砂
photo:渡邉彰太
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










