“ミスターセレッソ”森島寛晃に聞く 人を活かす「育成型経営」とは
ゲスト:森島 寛晃さん × ナビゲーター:播戸 竜二さん
株式会社セレッソ大阪 代表取締役社長/元サッカー日本代表
スポーツ業界で活躍する「人」を通じて、“スポーツ業界の今とこれから”を考える対談企画『SPORT LIGHTクロストーク』。サッカー元日本代表・播戸竜二さんがナビゲーターとなる今回のゲストは、同じく元日本代表で、現在は株式会社セレッソ大阪 代表取締役社長を務める森島寛晃さん。現役引退から社長就任までの経緯、現在の取り組みや今後の展望など、セレッソ大阪OBでもある播戸さんが深く掘り下げます。
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現役時代はセレッソ大阪一筋で活躍し、“ミスターセレッソ”の愛称で親しまれた森島さん。社長就任までの経緯やクラブを背負う思いについて聞いた[写真]J.LEAGUE/Getty Images
“セレッソ一筋”を貫いた現役時代
播戸 シーズン終了直後のお忙しい中(2021年12月15日取材)、お時間をいただいてありがとうございます。
森島 本当は天皇杯準決勝・浦和レッズ戦に勝って、この取材をお受けしたかったです。(準決勝結果は2-0で浦和レッズが勝利)
播戸 ルヴァンカップも決勝で敗れていただけに、OBとして天皇杯こそは!と応援していたのですが……ぼくも残念です。
森島 思い出すだけでもまだ悔しいです。シーズン中にレヴィー・クルピ前監督から小菊昭雄監督にバトンタッチをして、いいスイッチを入れていただいたのですが、優勝と2位、3位では全然違いますからね。選手、スタッフはしっかり戦ってくれましたが、サポーターの皆さんにタイトルの報告をできなかったのは悔しく思います。
播戸 今日は森島さんの現役時代や引退後のキャリアについて、また経営者の立場から見たスポーツ業界で求められる人材像など、たくさん伺いたいと思っています。森島さんがセレッソの前身であるヤンマーディーゼルサッカー部でプロキャリアをスタートされたのは何年ですか?
森島 1991年です。当時はJリーグ開幕に向けてどの企業も選手を集めている時期で、ぼくもいろんなご縁からヤンマーに声をかけていただきました。これは余談ですが、実はヤンマーとはかなり昔から「縁」があったんじゃないかと思っているんです。というのも、小学生のころは毎週日曜日に決まっておばあちゃんの家に遊びに行って、18時ごろから食卓を囲んでいたんですけど、必ずテレビから『ヤン坊マー坊天気予報』(ヤンマー一社提供の気象情報を伝えるテレビ番組)が流れていて。それを見ながら「将来はプロサッカー選手になる」と夢を語るぼくに、おばあちゃんはずっと「そんな簡単にプロにはなれんよね~」って言っていました(笑)。
のちにJリーグ通算408試合113得点を記録し、セレッソ大阪を象徴するレジェンドとなった森島さん。2度のW杯を経験しゴールを決めるなど日本代表でも活躍した[写真]フォトレイド
播戸 森島さんはセレッソ一筋で2008年まで在籍し、引退されましたが、ほかのJクラブや海外への移籍を考えたことはなかったですか?
森島 そうですね。在籍中には3回、J2に降格しましたが、そのときもほかに移籍しようという考えはなく、「落としたのは自分だからもう一回頑張って昇格させよう」というマインドでした。それに、ぼくはセレッソで「この試合に勝てば優勝」という経験を5回もしていて。その「あと一歩」を積み重ねていくにつれて、セレッソで優勝したいという思いがどんどん強くなっていたのもありました。
ただ、引退後の2010年にテレビ番組の仕事でドイツに取材に行かせてもらったときに、香川真司選手が所属していたボルシア・ドルトムントの試合を見て、初めて「ぼくもここでやってみたいな~!」とは思いました。
播戸 引退後に初めて思われたんですね(笑)。2010年といえば、セレッソのアンバサダーをされていたときだと思います。アンバサダーにはどんな経緯で就任し、どんな仕事をされていたのでしょうか。
森島 引退した翌年の2009年にクラブから「アンバサダーとしてチームの広報活動に力を貸してほしい」と言っていただいてお受けしました。仕事としては、『JFAこころのプロジェクト』の『夢先生』の講演をしたり、サッカーの普及の現場で子どもたちと触れ合ったり。ほかにもメディア出演やクラブ内でのさまざまな活動にも参加させてもらいました。ぼくとしては何か一つ決められた仕事をするのではなく、いろんなところに顔を出して、いろんな人たちと触れ合い、いろんな世界を知れたことはすごく勉強になりました。
播戸 ぼくは2010年から3シーズン、セレッソでプレーさせてもらいましたが、当時、子どもやサポーターの方からサインを求められると、必ず、持っているフラッグやシャツに森島さんのサインが入っていたんです。それを見て「すごいな!」と思ったし、そういう森島さんの姿を見てきたからだと思いますが、乾貴士やシャケ(酒本憲幸)、(柿谷)曜一朗ら後輩選手も、みんながていねいにファンサービスをしていて……そのことにすごく心を打たれたのを覚えています。
森島さんがアンバサダーを務めていた当時、セレッソ大阪の選手だった播戸さん[写真]フォトレイド
森島 それはぼくというより、クラブとしての姿勢だと思います。セレッソができたばかりのころは本当にサポーターが少なかったですしね。だから一人ひとりに対応できた部分もあったと思いますが、ぼくが引退して以降は、選手人気が高くなり、驚くくらいたくさんの人が練習を見に来てくれるようになりましたからね。そうした状況でも選手が変わらずにサポーターとの距離を大事にしてくれてきたから、今も歴史が受け継がれているんだと思います。
播戸 チーム強化の仕事に携わるようになったのはいつですか?
森島 アンバサダーと兼任でチーム統括部のフットボールオペレーショングループに配属されたのが2016年です。スカウト活動をしながら、チームを外から観察することが増えた中で、チームマネジメントの難しさを目の当たりにして考えさせられることも多かったし、ここでの経験もすごく新鮮で、勉強になりましたね。
社長4年目も勉強の連続
播戸 そして、2018年12月に代表取締役社長に就任されます。経緯を教えていただけますか。
森島 現役引退を決断したときにはいつか「監督」としてピッチに戻ってくることも描いていた中で、2016年以降は、より現場に近いところで仕事をするようになっていた分、自分の気持ちとしては正直、現場に傾きかけていたんです。でも玉田稔さん(セレッソ大阪 前社長)が2018年限りで退任されるという話が持ち上がり……次は誰が?という話になったときにヤンマーと日本ハムの幹部の方が何を間違ったのかぼくの名前をあげてくださったらしく、ヤンマーの人事の方から「会って話をしたいので時間をとっていただけませんか」と連絡をいただきました。
播戸 そこで社長就任を打診されて、即決した、と?
森島 開口一番に「来年、森島さんにセレッソの社長を務めていただきたいと思っています」と言われ、「はい、分かりました」と……なるはずがないですよ! 「すごくありがたいお話ですけど、これは勢いでお返事はできません。経営も学んでいないし、素人のぼくには無理です」とお伝えしたんです。そのあとも熱心に声をかけてくださって、結果的に4回くらいそういうやりとりをしました。
もちろん、玉田さんや鬼武健二さん(セレッソ大阪 初代会長)にも相談しましたしね。その中で最終的には現役時代と同様に、セレッソをもっといいチームにしたい、強くしたいという思いで覚悟を決めました。
社長就任のオファーに「驚いた」という森島さん。悩み抜いた末、Jリーグでも数少ない選手出身の社長となった[写真]フォトレイド
播戸 社長に就任されて、どんな仕事から始められたんですか?
森島 組織表をもとに、どんな人がいて、どんな役割を担ってくれているのかを知ることから始めました。その中でどれだけ多くの人が尽力してくださって一つの試合が成立するのか、クラブが運営されているのかを知り、あらためてチームとしても感謝の気持ちを持てる集団になろうと決意を新たにしました。
播戸 社長になられてからも現役時代の自分と照らし合わせて物事を考えたり、周りの意見を参考にされることは多いですか?
森島 参考にするもなにも、社長就任から3年が経った今も、勉強することばかりです。実際、今の立場になっていろんな企業の社長さまと話をさせていただく機会も増えましたが、どの方も穏やかで優しく、謙虚であるという人間性はもちろん、仕事に向き合う姿勢や情熱から学ぶことは多いですし、その一つひとつの出会いがぼく自身の財産にもなっています。と同時に、そうして皆さんとの出会いによった得た財産をしっかりとこのクラブのために使っていけるようにしたいと思っています。
播戸 森島さんが経営者として描く、理想のクラブ像を教えてください。
森島 毎試合、スタジアムを満員にすることです。その実現には、チームがワクワクするような試合をすることも一つだし、クラブとしてもスタジアムに行くのが楽しいと思ってもらえる仕掛けを増やしていかなければいけないと思っています。正直、ぼくの「セレッソが好きだ」という思いは誰にも負けていないと思っていますが、それを上回るほどの思いで皆さんに愛してもらえる、魅力あるクラブづくりを目指したいと思います。
播戸 そのために求めている人材や、強化したい部署はありますか?
森島 実は今、スタジアム外のところでも、吉本興業さまとタッグを組むなどしながら新たな取り組みを始めているんです。それによって応援してくださる方の数が増えれば、必然的にスタジアムに足を運んでくださる方の数も増えるんじゃないか、と。そのためのマーケティングには力を入れていきたいですし、イベント一つとってもやって終わりではなく、そこにあるパワーや元気が伝わるような発信も不可欠だと感じています。
現時点で、関西のスポーツといえば、阪神タイガースさんがメジャーですが、セレッソもそこに割って入るというか……「ヨドコウ桜スタジアムに行くと楽しいよね」「関西のスポーツといえばセレッソよね」と思ってもらえる存在になっていきたいです。
2021年、セレッソ大阪は吉本興業株式会社との「エンタメパートナーシップ契約」を締結。スポーツとエンターテインメントの融合による新たなシナジーをねらう[写真提供]セレッソ大阪
元選手を営業にもする「育成型クラブ」
播戸 取材前にオフィスを案内していただきましたが、オフィス内もセレッソカラーをふんだんに使って明るく、働いている方たちもすごく楽しそうでした。オフィスをフリーアドレス化したのは森島さんの提案ですか?
森島 違います。スタッフがみんなで話し合って決めたことで、最後、ぼくは「社長室はなくてもいいですか?」という確認だけされました(笑)。部署の垣根を越えてコミュニケーションを取りながら働いているのはすごくいいことだし、それが社内の活気にもつながっているように思います。
播戸 『なんかせなあかん!プロジェクト』もネーミングがいいですね!
森島 あれも、昨年(2020年)6月にコロナ禍という危機をなんとかみんなで乗り越えていかなきゃいけないという思いでスタートしたプロジェクトです。そんなふうに浮かんだアイデアをすぐに行動に移してくれるスタッフが多いのも助かっています。
播戸 スタッフの皆さんの意見は基本、前向きに検討されるんですか?
森島 検討というより、ぼくもすぐにその波に乗って一緒に動き出します(笑)。
播戸 社長自ら行動に移す、ということですね! スタッフの中には、転職されて現職につかれた方も、元選手もいらっしゃいます。しかも、元選手が現場スタッフではなく営業に配属されているのも珍しいと思います。それはご本人たちの意向ですか?
森島 そうですね。もともとは現場に近いところで仕事をしてもらっていたのですが、本人の希望で今は営業で頑張ってもらっています。実は彼らのように従業員のスキルアップも不可欠だと考えていることの1つなので、定期的にキャリア面談も行っています。クラブが目指す「育成型クラブ」というのは選手に限ったことではなく、クラブ全体で目指すべきことですしね。だからこそ、スタッフの向上心、新たなチャレンジもどんどん後押ししていきたいと考えています。
社長になった今も「いろいろな人の意見を聞く」ことを心がけているという。オフィスでもスタッフとのコミュニケーションは欠かさない[写真]フォトレイド
播戸 森島さんが考える、この業界に必要な人材、スキルを教えてください。
森島 もちろん、部署ごとに必要な知識があるのは大前提ですが、やっぱり向上心を持っている人材はこの仕事に向いているんじゃないかと思います。選手時代、「こうしたい、あれをしたい」という向上心が能力を伸ばしてくれたように、それはスタッフも同じだな、と。実際、うちのスタッフを見ていても、「将来的にこんな仕事をしたいから今はこの部署でこれをする」というように、目標がある人ほど積極的に仕事に向き合い、行動に移している気がします。
播戸 今回のインタビューを読んで、「我こそは」という向上心を持った人がいたら……森島さんに面接をしていただいてセレッソの一員になれる可能性もありますか?
森島 そういうご縁もあると思います。これをしたい、セレッソで自分のやりたいことを形にしたい、という強い思いがあれば、いろんな形でつながっていくと思うので、そういう方がいれば、ぜひお会いしたいと思います。ちなみに、OBである播戸さんの目に今のセレッソはどう映っていますか?
播戸 いろんな部分で「攻めているな」と思います。サッカースタイルとしても、かつての楽しく、ワクワクするサッカーを取り戻そうとしているのがうかがえますし、森島さんが社長になられてからはクラブ経営のところでも、先ほど話に出た『なんかせなあかん!プロジェクト』や営業面でも攻めているのが伝わってくる。それはすごくいいなと思うので、あとはそれを勝利やタイトルにつなげてほしいなと思っています。
森島 やっぱりそこですよね。結果って、待っていて後からついてくるものではなく、常にタイトルを獲ることを意識しないと獲れないものだと思いますしね。ここ数年は、クラブ経営とチームの強化を並行してパワーアップしていけるように、しっかりとした仕組みづくりをしようと取り組んできましたが、それを今後も継続しながら、とにかくタイトルを獲りたい。先ほどもお話ししたようにぼくは現役時代に5回、社長に就任してから1回、計6回、タイトル獲得のチャンスを逃していますからね。セレッソに関わる全員で、そこに向かって戦って歓喜の瞬間を迎えられたら最高だと思っています。
播戸 これからも楽しみにしています! 今日はありがとうございました!
現役当時は「日本一腰の低いJリーガー」と呼ばれた森島さん。おごらない姿勢は今も変わらず、チーム一丸でリーグタイトルを目指す[写真]フォトレイド
text:高村美砂
photo:フォトレイド
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










