格闘家人生を支えた“描く”力で突き進む
大山 峻護さん
元総合格闘家/企業研修講師兼トレーナー
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、 “スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣に迫る「SPORT LIGHT Academy」。2021年7月29日に行われた第20回のゲストは、元総合格闘家で、現在は企業研修講師兼トレーナーを務める大山峻護さん。プロ格闘家として数々のドラマを繰り広げた現役時代の話や、引退後に取り組んでいる事業の話、アスリートのセカンドキャリアへの思いにいたるまで、たっぷりと語ってもらった。
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キャリア通算33戦。PRIDE、K-1 HERO’S、パンクラスなど、さまざまなリングを渡り歩き、戦い続けてきた[写真]本人提供
波乱に満ちた現役時代
2014年に総合格闘家としての現役を引退した大山さんは現在、格闘技とフィットネスを融合したトレーニングプログラム「ファイトネス」を主宰し、学校や企業向けに「心と身体の健康維持」を目的としたトレーニング指導や講演を行っている。
大山峻護という名を聞けば、かつて“格闘技界最強”とうたわれたグレイシー一族を相手に激しい戦いを繰り広げた姿を思い起こす方も多いだろう。総合格闘家としてPRIDEやK-1 HERO’Sなどのリングで活躍した大山さんだが、その格闘家人生は波乱に満ちたものだった。
大山さんの競技者としての出発点は、5歳から始めた柔道だった。中学2年で、古賀稔彦や吉田秀彦らを輩出した名門私塾・講道学舎に入門。のちのシドニーオリンピック金メダリスト・瀧本誠ら同期のライバルたちと青春の汗を流した。大学卒業後は京葉ガスに所属し、全日本実業団個人選手権優勝を果たすなど実績を残したが、実業団4年目に大きな転機が訪れる。
2000年5月、『PRIDE GRANDPRIX 2000』を東京ドームで観戦した大山さんは、桜庭和志とホイス・グレイシーの一戦に衝撃を受け、格闘家への転身を決意したという。
「全身に鳥肌が立つほど感動したと同時に、『自分も絶対あのリングに立つんだ』と直感的に思ったんです。柔道も会社も辞めてすべてを失うリスクがありましたが、不安よりもワクワクが止まらなかった。挑戦したいという気持ちが勝ったんです」
かくして26歳で格闘技の世界に飛び込んだ大山さんは、2001年2月にアメリカの総合格闘技大会でプロデビューを果たし、同年4月にPRIDEに初参戦することとなる。デビュー戦の相手となったヴァンダレイ・シウバは、それまで連戦連勝中だった桜庭和志を破り、次の対戦相手に注目が集まっていた。当時まったくの無名選手だった大山さんがこの一戦に指名された背景には、不思議な巡り合わせがあったという。
桜庭和志の戦いに衝撃を受け、総合格闘技の世界に飛び込んだ。PRIDEデビュー戦の相手はその桜庭を打ち破ったヴァンダレイ・シウバだった [写真]本人提供
「あの桜庭さんがシウバに負けて、『次は誰がリベンジするんだ?』となっていた時期に、たまたまアメリカの大会で勝っていたぼくに白羽の矢が立ったんです。東京ドームで桜庭さんの試合を見て『あのリングに立つんだ』と決意してからわずか1年で、本当にPRIDEデビューが決まった。ぼくは昔から、頭の中で想像したり何かを思い描くことを大事にしているんですが、この出来事は本当に“描く”ということの力を感じましたね」
大山さんはプロデビュー以来、ヴァンダレイ・シウバ、ヘンゾ・グレイシー、ミルコ・クロコップ、ピーター・アーツなど、格闘技界のビッグネームたちと拳を交えてきた。その壮絶な戦いのなかで、2度にわたる網膜剥離の発症、右腕骨折、そして1年以上にもおよぶリハビリ生活など、さまざまな苦難も経験している。イベント参加者からの「強敵との対戦は怖くなかったのですか?」という質問に対し、当時を回想しながら回答してくれた。
「やっぱり怖いですよ。最初は『この相手を倒せば自分の人生がどれだけ変わるだろう』と想像してワクワクしているんですが、いざ対戦が決まって試合日が近づいてくると、恐怖心が湧いてくる。ワクワク感と恐怖心は常に共存していた感じですね。今自分の戦績を振り返っても、本当に“怪獣”たちと戦ってきたなと思います。普通、そういう強敵との試合はみんな嫌がるんですが、ぼくはチャンスが欲しくて全部オファーを受けていたんです。
すると、『大山はどんな相手でもやる』と定評になり、どんどん強敵とマッチメイクされていった(笑)。でも、引退後にそういう戦績が評価されるようになったんです。現役中はただただ苦しくて、もがき続けた日々でしたが、引退してから評価がひっくり返った。今となっては、あのとき戦い続けてよかったなと思いますね」
柔道家から格闘家に転身し、キャリアを全力で駆け抜けた大山さん。写真は引退試合となった2014年12月6日、桜木裕司戦[写真]本人提供
40歳、引退後の再出発
2014年、大山さんは格闘家としての現役生活に幕を下ろした。引退を決意したきっかけは、試合中に感じた体の異変だったという。
「それまで、頭部や体にダメージを受けながらもだましだまし試合を続けていたんですが、ある試合で不自然な倒れ方をしたときに、自分の体が『もういいだろう』と言っているような気がしたんです。そのときに、『ああ、もうここで終わりなんだな』と感じて、引退を決めました。計画していたわけではなく、ある日突然にという感じでしたね」
現役当時、「引退後のことはまったく考えていなかった」という大山さんは、引退後間もなく“セカンドキャリア”の壁にぶつかることになる。格闘技一筋で生きてきた男が、40歳という年齢で突然社会に放り出され、大きな喪失感を味わったと話す。
「引退して初めて、子どものころからずっとあった“目標”を失ってしまい、『あれ、どうやって生きていくんだろう』と思いました。現役中は周りにいた人たちも、引退した途端にさーっと引いていくのが皮膚感覚で分かるんですよ。目標もなく、何をすればいいかも分からないまま。多くのアスリートがぶつかるセカンドキャリアの第一関門は、この環境のギャップなんじゃないかなと思います」
華々しい現役生活に幕を下ろした後に待っていたのは、「目標を失う」という初めての経験だった[写真]本人提供
しかし、転んでもただでは起きない男は、ここである行動にでる。携帯電話に登録されている知人や関係者に片っ端から電話をかけ、キャリアの相談をしたという。
「幸いだったのは、ぼくは現役当時からいろんな人と交流することが好きだったことです。格闘技だけでなく、サッカーや野球の関係者、アスリート、企業の経営者や教育関係者など、いろんな人に『ノープランなんですが、アドバイスください!』と直球で相談をしました」
そんなあるとき、「厚生労働省が企業に対してストレスチェックを義務付けるらしい」という情報に出合った。日本におけるメンタルヘルスの社会課題を知り、今のファイトネスの事業アイデアが浮かび上がったという。
「世の中にそれだけメンタルダウンしている人がいるなら、ぼくの経験を活かして元気にできるんじゃないか、と思ったんです。そこから格闘技とフィットネスを融合させたプログラムの構想を練り、まずは知人の会社で実施させてもらいました」
初のプログラム実施後、その企業がファイトネスの様子をSNSで公開したところ、それを見た別の企業から「うちでもやってほしい」とオファーが届いたという。以来、反響が反響を呼び、IT企業や大手百貨店など、さまざまな業界の企業や教育機関でファイトネスを実施することになる。
とりわけ企業研修プログラムとして人気を博し、これまで100社以上で実施されてきたファイトネスだが、その内容は一般的な企業研修のそれとは趣が違ったユニークなものだ。
「ファイトネスのプログラムは、運動したことがない人でもゲーム感覚で楽しめて、チームビルディングやメンタルタフネスに活かせる内容になっています。例えば、二人一組でのミット打ち。これは、パンチを打つ、ミットで受ける、という動作そのものがチームワークになるんです。ほかにも、複数人で風船を落とさないように膝蹴りでパスし合ったり、うちわを両手に持って対面の人と触り合ったり、格闘技の動きを応用しながらチームで楽しめるプログラムを取り入れています」
格闘技を応用したトレーニングプログラム「ファイトネス」は、企業研修としてのべ100社以上で実施されている[写真]本人提供
企業がファイトネスを導入する理由の多くに、「メンタルヘルス対策」や「コミュニケーション不全の解消」があげられると大山さんは話す。職場の人間関係やコミュニケーションがうまく機能せず、社員のメンタル不調や離職を招くケースが増えているという。
「ファイトネスの目的は、“心と体の健康増進”、そして“喜びの共有体験”なんです。心と体はつながっているので、体を動かしながら同じ喜びを共有することで信頼関係やコミュニケーションをつくっていきます。例えば、二人一組のミット打ちでは、パンチをミットで受けたほうが相手に『ナイスパーンチ!』『いいね!』と声をかけてあげる。こうやってポジティブな言葉をかけ合うと、ポジティブなエネルギーやコミュニケーションが生まれるんです」
研修中、「ジャブ!」「ストレート!」「ワンツー!」と大山さんの声に合わせて、参加者たちはミットにパンチを打ち込む。社員から経営者まで一緒に汗を流しながら笑顔で声をかけ合う姿は、まさに“喜びの共有体験”という表現がしっくりくる。ファイトネスを実施した企業からの満足度やリピート率も高く、コロナ禍以降ではオンラインプログラムのオファーも増えたという。「テレワークで運動不足やメンタル不調になるケースが増えたことから、オンラインではストレスリリースを目的にすることが多い」「心と体はつながっているので、体を使って心を高めていく」と大山さんは話す。
ニーズに合わせて非対面のオンラインプログラムも実施。「ファイトネスの特長のひとつは場所を選ばないこと」と話す[写真]本人提供
描いて、信じて、行動する
SPORT LIGHT Academy トークセッションの後半では、イベント参加者との質疑応答も行われた。
そのなかであがった、「アスリート時代の経験は、ビジネスの世界でも活きると考えられていますか?」という質問に対して大山さんは、「これは、スポーツをたくさんやってきた人は自信持ってください」と前置きしたうえで、「スポーツでの経験はビジネスでも存分に活かせます」と力強く語ってくれた。
「アスリートの中には、『競技を終えたら自分は終わりなんだ』と考えている人もいますが、自分の経験を通じて言えば、それは間違った思い込みです。“目標を立てて、戦略を立て、行動する”。このサイクルは、スポーツでもビジネスでも同じです。どんな競技でも、スタートは一番下から始まって、そこから上に向かって努力していくんです。ビジネスというフィールドに移ったとしても、競技のときと同じマインドを持って臨めば、どこに行っても力を発揮できると断言します」
続いて、「これからの目標について教えてください」という質問に対しても、元アスリートの大山さんならではの答えが返された。
「ぼくの一番の目標は、アスリートが活躍できる場をつくり、“セカンドキャリアの新しい選択肢”をつくっていくことです。今後はファイトネスも、トレーナーとして参加してくれているファイターたちに任せていこうと思っています。
また、ぼくの周りの元アスリートの中にも、ファイトネスのようなスポーツを応用した研修コンテンツを持っている人もいるんですが、ビジネスの場でうまく営業できている人は少なかったりする。なので、ぼくが彼らのコンテンツを応援するための準備も進めているところです。
アスリートは、人生を懸けて競技に打ち込める才能を持っている。だからこそ、そのメンタルやマインドをセカンドキャリアでも活かせるようにサポートできればと考えています」
多くの現役アスリートがトレーナーとして参加しているファイトネス。「アスリートが活躍できる場をつくっていきたい」と話す[写真]本人提供
「人とつながることが好き」と話す大山さんだが、「人と人をつなぐ」ことにも並々ならぬこだわりがある。自身にいい出会いがあったときは、真っ先に「このご縁は次に誰につなげばいいだろう」と考えるという。
「すべては循環だと思ってるんです。お金も、血液も、運もそう。健康でいるためには、滞らせちゃいけない。ご縁を人につなぐと、喜ばれるじゃないですか。そうすると、その渦が大きくなって自分のところに返ってくるんです。好きだからやってるだけではあるんですが、やっぱり誰かに喜んでほしいという気持ちは根っこにありますね」
「それほどまでに前向きに行動できる秘訣は?」と聞かれると、大山さんの過去にさかのぼったエピソードが紹介された。きっかけは、高校生のころに心理学の本で読んだ「行動は動機を強化する」という言葉だという。これは、人間がある動機に従って行動を起こすとき、もとの動機となる考え方や感情が強化されるという考え方で、自身の体験も通じてその言葉をずっと大事にしていると話す。
「ここで大事なのは、頭で思い描いたことを “どんな小さなことでもいいから行動に移す”ことです。人が何か新しいことを始めようとするとき、たいてい最初から大きなことをやろうとして失敗します。最初はネットで検索するとか、友達に連絡するとか、本屋に行くだけでもいい。小さなことでもいいから行動する習慣をつけると、モチベーションが大きくなって、あとは止まらなくなる。ぼくは現役時代からずっとそれを繰り返してきました」
そしてイベントも終盤に。最後は、大山さんから参加者に向けたエールで締めくくられた。
「ぼくは、格闘技センスがないまま格闘技界を走ってきました。なぜそれができたかというと、頭で描いたことを信じて、行動してきたから。大人になるとどうしても賢くなってしまって、過去の実績で自分を見てしまうと思うんですが、頭で描くことは誰にも見られないし、お金もかからない。描いた未来から今の自分を紐付けることはできると思うし、小さなことからなら行動することもできる。一度リミットを外して自分の可能性を信じてみれば、きっとすてきな未来が描けると思っています」
ファイトネスの活動を通じて、アスリートのセカンドキャリアの支援にも動き出した大山さん。その挑戦は始まったばかりだ[写真]本人提供
text:芦澤直孝/dodaSPORTS編集部
photo:本人提供
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










