アスリートの持続可能な未来をつくる
嵜本 晋輔さん
バリュエンスグループ グループCEO/デュアルキャリア株式会社 代表取締役社長/元プロサッカー選手
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、 “スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣に迫る「SPORT LIGHT Academy」。2021年5月24日に行われた第18回のゲストは、バリュエンスグループ グループCEO/デュアルキャリア株式会社 代表取締役社長の嵜本晋輔さん。かつてJリーグ・ガンバ大阪に所属するプロサッカー選手だった嵜本さんに、ビジネスの世界で上場企業の経営者となった経緯や、今後の展望について語ってもらった。
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元Jリーガーでは史上初の上場企業の経営者となった嵜本さん。リユースビジネスを軸に、近年ではスポーツ界でのビジネスも展開している[写真]本人提供
戦力外通告からの再出発
嵜本さんは現在、ブランド品などのリユースを中核事業とするバリュエンスグループのグループCEOを務めている。2011年12月、前身となる株式会社SOUを設立し、わずか6年で東証マザーズ上場を達成。売上高は379億円(2020年8月末時点)、従業員数は804名(2021年2月末時点)を超え、業界トップクラスの規模を誇る。
その経営の才覚と手腕から“リユース業界の革命児”と称され、ビジネスの世界で注目を集める嵜本さんだが、彼のキャリアの出発点は、プロスポーツの世界だった。
1982年生まれ、大阪府出身。小学4年生からサッカーをはじめ、スポーツ推薦で関西大学第一高校に進学し、ミッドフィルダーとしてプレーした。高校在籍時の活躍がスカウトの目に留まり、卒業後の2001年、Jリーグ「ガンバ大阪」に入団を果たす。
ガンバ大阪在籍当時の嵜本さん[写真]本人提供
しかし、当時の日本代表選手がひしめく熾烈なレギュラー争いの壁を打ち破れず、2003年のシーズン終了後に戦力外通告を受ける。その当時を回想して嵜本さんはこう語る。
「高校を卒業してガンバ大阪に入団した当時は、ここからレギュラー争いに勝って日本代表を目指す、という意気込みでしたが、プロの壁というものは想像以上に高く、技術もフィジカルも高校レベルと比べると圧倒的な差がありました。
それでも1年目は出場機会もいただいていいスタートを切れた部分もありましたが、徐々に出場機会が減り、3年目に戦力外という形になりました。
当時は自分なりに努力したつもりだったので、『なんで俺が』という思いもありましたが、あらためて振り返ると、トレーニングにおいても私生活においてもプロフェッショナルというものを追求できていなかったし、客観的に見たときに自分はクビになって当然だと思ったんです」
入団2年目以降は出場機会に恵まれず、J1公式戦通算4試合(リーグ戦2試合)出場に留まった。21歳だった2003年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた[写真]本人提供
ガンバ大阪を退団した翌年の2004年、当時大阪市を拠点にJFLで活動していた「佐川急便大阪SC」に移籍。当時J1の2つ下のカテゴリに位置したJFLでの再出発だったが、ここでも厳しい現実の壁に直面し、1年後のシーズン終了後に現役を引退することとなる。
「正直、JFLなら通用するだろうと高をくくっていたのですが、実際には想像以上にJFLのレベルも高くなっていて、それまでの3年間で自分は周囲よりも成長できていなかったことも痛感しました。そこから自分が日本代表に上り詰めるまでの成功確率を俯瞰的に考えると、あまりにも低すぎた。
そのときに、『せっかくここまで続けてきたのだから』という感情論でサッカーにしがみつくことのほうが、自分のキャリアにとってリスクだと思ったんです。大好きなサッカーを離れるつらさはありましたが、これは逃げの撤退ではなく、“前向きな撤退”だと考えて、引退を決意しました」
当時22歳だった嵜本さんは、現役引退後、父親が経営していたリサイクルショップで働きながら経営を学んだ。「最初は新入社員として一番下からのスタート。初任給は20万円で、とにかく与えられたことをがむしゃらにやることを考えた」という。
「3,000円で買い取った冷蔵庫を磨いてきれいにすれば、1万2,800円で売れる。なるほど商売というものはこうやって成り立っているんだと知った」と話す嵜本さんは、サッカー界から離れ、自ら“天職”と言い切るほどリサイクルやリユースのビジネスにのめり込んでいく。
2007年にはブランド買取専門店「なんぼや」をオープンし、2011年には株式会社SOU(2020年にバリュエンスホールディングス株式会社へ社名変更)の代表取締役に就任。その後、ブランド品・美術品の買取事業や販売事業を軌道に乗せると、オークション事業、アプリ事業、不動産事業など次々に新ビジネスを展開し、急成長を遂げていった。
バリュエンスグループの買取事業を代表するブランド買取専門店「なんぼや」は、現在国内に100店舗以上を展開している[写真]バリュエンスグループ
リユース業界の革命児となる
嵜本さんがブランド買取専門店「なんぼや」の1号店をオープンさせたのは、まだ父親の下で経営を学んでいた2007年のことだ。2021年5月現在、なんぼやの直営店舗数は国内100店舗以上、業界トップクラスの売り上げを誇っている。なぜここまでの急成長を実現できたのか。そのヒントは、独自のビジネスモデルにあった。
バリュエンスの特徴のひとつに、店舗などで個人から買い取った商品を、同業のリユース事業者へオークション形式で販売するという独自のビジネスモデルがある。多くのブランドリユース企業は一つの店舗で買取と販売を同時に行うが、嵜本さんは「創業時からブランド品の売買において重要なのは一般消費者からの仕入れだと考え、販売にリソースを割かず買取専門にフォーカスしてきた」と話す。
また創業当時のリユース業界は、繁華街に路面店を出店し、折り込みチラシ等の紙媒体広告で集客を行う手法が一般的だったなか、業界に先駆けてデジタルマーケティングを導入してきた。現在、Webを経由する顧客は9割を占めるという。WEB上で集客を行い、実店舗へ送客。買い取った商品の検品・メンテナンスを行った後に複数の販路で販売する。この“CtoBtoB”のビジネスモデルによって、業界で確固たる地位を築き上げてきたのだ。
バリュエンスグループは自社一貫の“CtoBtoB”ビジネスモデルにより事業を拡大してきた[写真]バリュエンスグループ
そんななか、嵜本さんはスポーツ界においても新しいチャレンジを仕掛けている。そのひとつが、「アスリートのためのデュアルキャリア採用」プロジェクトだ。
2020年9月、バリュエンスグループはアスリート100人の採用を打ち出した。アスリートに対し、バリュエンスグループで働きながら競技活動を継続できるサポートを提供する。採用後の職種は、買取専門店のコンシェルジュ、カスタマーサポート、品質管理スタッフ、商品管理スタッフなど多岐にわたる。このプロジェクト発足のきっかけは、新型コロナウイルスの感染拡大によってもたらされた、スポーツ界への打撃だった。
「コロナ禍で各クラブや球団、団体が経営危機にさらされ、アスリートはスポーツに専念できない状況に陥りました。企業の収入が悪化したとき、最初に手を付けられるのが人件費やスポンサー費などの広告宣伝費です。コロナのせいでアスリートが夢を手放さなければならない状況をなんとかできないかと考え、このプロジェクトを発足させました。
もともと私自身、アスリートの目標達成能力はビジネス界に行っても間違いなく通用する力だと思っているので、デュアルキャリアを通じてアスリートがそのポテンシャルを最大化し、新たなキャリアを見い出すきっかけになればと考えています」
また、2020年にはスポーツオークション「HATTRICK(ハットトリック)」をリリースした。これは、アスリートが着用したユニフォームやスパイクなどのアイテムをオークション形式で販売するプラットフォームだ。
クラブ・選手から出品されたすべての商品はデジタルデータ化された後、本物であることを証明する鑑定書が発行され、落札者に届けられる。デジタルデータ化は、米国のIT企業と提携し、数万倍の画像解析が可能な最先端の物体指紋認証技術を用いるという徹底ぶりだ。
このチーム・アスリート公認のプラットフォームを通じて、スポーツ界に新しいファンの獲得や収益源を生み出すことを目指す。
「これまで、オークションサイトに流通しているアスリートのサイン入りグッズなどは、本物か偽物か分からない形で出回っており、責任の所在がはっきりしない状態で長らく放置されてきました。HATTRICKは、そうした状態を是正し、スポーツ界やアスリートの “価値” を守りたいという思いでスタートしました。今後はオークションだけではなく、スポーツに特化したさまざまなビジネスによって、各クラブや球団、団体、アスリートに収益が還元されるような仕組みをつくり、私自身がお世話になったスポーツ界に少しでも貢献していきたいと考えています」
「アスリートのためのデュアルキャリア採用」やスポーツオークション「HATTRICK」など、スポーツ界に特化した取り組みやビジネスにも力を入れる[写真]バリュエンスグループ
スポーツ界への恩返し
所属チームから戦力外通告を受け、22歳の若さでサッカー界を引退。一転して主戦場をビジネスの世界に移し、起こした会社を時価総額300億円を超える大企業に育て上げた嵜本さん。まるでジェットコースターのようなストーリーと、その稀有なエピソードの数々に盛り上がりを見せたトークセッションの後半は、イベント参加者からの質問が次々と寄せられた。
最初にあがった「同業他社がいるなかで、なぜバリュエンスはここまで急成長できたのでしょうか」という質問には、嵜本さんの創業時からのこだわりと思いがこもった回答が返された。
「ひとつは、“他社が右を見たら自分たちは左を向く”という差別化によるポジショニング戦略。あとは徹底的に顧客と向き合うことです。例えば、私たちは創業時から『買取価格で勝負しない』という戦略をとってきました。一般的に買取ビジネスは“いかに高い買取価格を提示して勝つか”が注目されがちなのですが、一番重要なのは、“お客さまが満足する価格であったかどうか”です。
私たちが重視するのは、来店時のごあいさつから名刺をお渡しする所作、質問に対する明確な回答など、接遇も含めた顧客体験であり、そういった人間力の部分で差別化を図ってきました。当社はリピーターが多いことが特徴ですが、そうしたサービスにご満足いただいている証しなのかなと思っています。
私自身、“革命児”と呼ばれることもありますが、実は革命的なことは何もしていなくて、それまでのリユース業界が未整備だったところを毎日改善してきただけ。その積み重ねが今のバリュエンスの土台になっていると思います」
次にぶつけられたのは、「今後、スポーツ界で実現したいことはなんですか?」という質問。この回答には、嵜本さんのアスリートとしての経験を通じた、スポーツ界の未来への思いが垣間見えた。
「今、サッカーでいうとJ1リーグの平均年俸は約3,000万円、選手が引退する平均年齢は25歳と言われています。血のにじむような努力をしてプロになっても、これではあまりにも夢がないと思うんです。日本ではアスリートのセカンドキャリアというものがまだネガティブに取り上げられがちで、その環境への不安が、選手の育成やスポーツ界の未来を閉ざしている部分もあると考えています。
だからこそ、アスリートのキャリアをポジティブに変換していきたいし、競技活動の持続を支援していきたい。また、私自身もサッカークラブの経営を虎視眈々と狙っています。単にサッカーだけで収益をあげるのではなく、その付帯ビジネスも含めてクラブが自立自走できる状態を作り、貢献してくれた選手に対して還元していくような経営のモデルをつくりたい。そうしてアスリートとクラブの持続可能な未来をつくることが目標です」
一度はスポーツ界から退き、ビジネスの舞台で確固たるポジションをつかんだ嵜本さんは、ふたたびスポーツの世界で大きな夢を見ようとしている。次に描くのは、“アスリートの持続可能な未来”という青写真だ。『らしく、生きる。』というバリュエンスの理念を、スポーツ界全体で実現できる日も遠くないはずだ。
サッカークラブの経営参画への意気込みを語ってくれた嵜本さん。アスリートとクラブの持続可能な未来を目指して走り続ける[写真]本人提供
text:芦澤直孝/dodaSPORTS編集部
photo:本人提供
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










