棺桶に入るときに幸せだったと思える選択肢を
加藤 誉樹さん
JBA公認プロフェッショナルレフェリー
2020-21シーズンのBリーグ最優秀審判賞は加藤誉樹さんに贈られた。これで5年連続5回目となる受賞だ。2017年、JBA(日本バスケットボール協会)初の公認プロフェッショナルレフェリーとして話題を集め、2019年にはワールドカップでもコートに立った。
学生時代にプレーヤーの道をあきらめ、銀行に勤めながらレフェリーの腕を磨く日々を経て、加藤さんはレフェリー界の第一人者として日本のバスケを支えている。
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Bリーグが発足した2016-17シーズンから5年連続でリーグの最優秀審判賞を受賞。写真は2018-19シーズンのもの[写真]B.LEAGUE
24時間365日、バスケットに時間を費やす
———加藤さんは2017年、日本バスケ界では初となるプロフェッショナルレフェリーとなりました。「プロのレフェリー」というのは、それ以前の立場と何が違うのでしょうか?
私はJBAと契約していますから、表現としては「JBA公認プロフェッショナルレフェリー」です。土日に試合で笛を吹くだけでなく、平日もJBAの審判グループに関するデスクワークを行っています。毎日バスケットに関わる仕事をして、JBAから収入を得て、24時間365日、バスケットに時間を費やす。その点がほかに仕事をお持ちのレフェリーの方との大きな違いですね。ただ、JBAから割り当てられて試合を担当するという意味では、レフェリーとしての立場は対等です。
———Bリーグ以外でも笛を吹いていらっしゃるんですね。
基本的に担当できるのは男女のトップリーグに当たるBリーグとWリーグ、Bリーグと別の組織になるB3リーグ、あとは国内で開催される日本代表関係のゲームです。それから国際審判員のライセンスもありますので、海外での国際ゲームも担当します。JBAが主催する天皇杯、皇后杯も担当できますね。ただ、私の場合は妹(加藤優希選手)がWリーグのトヨタ紡織(サンシャインラビッツ)に所属していますので、Wリーグと皇后杯については担当していません。私の判定に対して「妹だから」という見え方になることは避けなくてはいけません。もちろん、そんな笛の吹き方は一切しませんが、ミスでなくてもミスのように見られてしまうのが私たちの仕事ですから。
———平日のデスクワークはどういった業務をされているんですか?
JBAが配信する映像コンテンツを作ったりしています。これはトップリーグの担当審判員や、審判登録してライセンスを持っている方々に向けてJBAが配信しているものです。あとは、FIBA(国際バスケットボール連盟)によってルールが改定されたときなどに、英語のルールブックを日本語に翻訳する作業をしています。最終的には日本語になった文章をJBAの中で推敲して世に出すことになりますが、その一番下地の作業ですね。
———レフェリーのライセンスを取って、JBAに登録されている方がたくさんいらっしゃるわけですよね。Bリーグを担当できるレフェリーは何人くらいですか?
審判ライセンスは一番上のS級からA級、B級、C級、D級、E級まで6つあり、すべて合わせると5万人以上いらっしゃいます。BリーグとWリーグを担当しているレフェリーは主にS級で、人数は延べでおよそ160人。Bリーグのみの担当に限れば、およそ120人という規模感です。
———そのなかで、JBA公認プロフェッショナルレフェリーは加藤さんと漆間大吾さんの2人。ほかに大勢いらっしゃるレフェリーの方々をフォローしたり、支えたりする役割を担っているわけですね。
結果的にはそうなります。ただ、立場としては上下関係ではありません。プロだから特別ということではなく、レフェリー同士はあくまで対等な仲間という立ち位置のなかで、JBAが配信する映像の実務をお手伝いしている、というニュアンスが近いと思います。
2020-21シーズンのBリーグチャンピオンシップでの一枚。トップレベルの試合では3人の審判がコートに立って判定を行うため、細やかなコミュニケーションが欠かせない[写真]B.LEAGUE
選手としての挫折が人生の転機に
———バスケとの関わりについてうかがいます。ご両親がバスケットボールの日本代表選手だったと聞きましたが、子どものころからバスケ一色という環境だったんですか?
そうですね。ちょうどJリーグができたころに少年時代を過ごしたので、周りはサッカーや野球に夢中な子がたくさんいました。でも私の場合は、バスケ以外の選択肢は考えていなかった。両親に強制的にやれと言われたことはないですが、バスケに打ち込める環境を作ってくれたことは間違いないです。七夕の短冊には必ず「バスケの選手になる」と書くような子どもでした。
———中学卒業後は地元の愛知県を離れ、福岡大附大濠高校に進学します。
大濠高校のチームメートは中学時代から全国大会上位の選手たちでしたから、県大会もギリギリ出られなかった私には劣等感しかなかったですね。最初の1カ月は毎日泣いてましたし、半年後には胃潰瘍になりました。ケガに悩まされたこともあって、最終学年ではユニフォームを着てコートに立つことはできませんでした。プレーヤーとしては自分の力不足を感じることが多かったですね。
———その後、慶應義塾大学に入学します。大学でもバスケを続けようと思っていたのですか?
カッコ悪いんですが、高校時代は活躍できなくても「大学こそ」と思っていました。でも、大学でもヒザの痛みに苦しみ、リハビリを繰り返していたんです。そんな状況で、チームから学連(全日本大学バスケットボール連盟)の役員を出そうという話になり、白羽の矢が立ったのが私でした。そこで選手を引退して学連に行き、初めてレフェリーを体験することになったんです。
———選手を辞めて学連に行くと決めるまでには、かなりの葛藤があったのでは?
最初は猛反発しました。プレーヤーを続けたかったし、それができないなら体育会にいる意味がないと思いました。ところがある日、大学に向かうバスのなかで、ふと考えが変わったんです。好きなバスケに今後も長く携わりたいと思ったら、学連で経験することは必ずしもネガティブではないかもしれないと。それまではプレーヤーをやりたい一心でしたが、学連を軸にして考え直してみたとき、絡まっていたものがすっとほどけたような感覚がありました。バスを降りたときには父に電話して「今までサポートしてくれたのにごめん、選手を辞めようと思う」と話していました。もちろん選手を辞めるのは悔しかったですが、そこからは二度とこんな思いはしたくないという気持ちで、学連の仕事を精いっぱいやろうと切り替えましたね。
———大学2年生で選手生活に区切りをつけて運営側に回ったことが、ある意味で人生の転機になったわけですね。
そうですね。学連では審判部という部署に所属して、自分で笛を吹くだけでなく、事務作業も担当していました。一緒に運営する仲間も総務部、競技部、広報部と分かれていて、学生団体ではありますが、組織としては企業のような感じです。スポーツの運営を実体験として学ぶにはすごく貴重な場所でした。その経験を通じて「バスケはどうしてこんなに人気がないのか」という問題意識が生まれ、大学3年からは村林裕さん(FC東京の元代表取締役社長)のゼミに入ってスポーツビジネスを専攻していました。
Bリーグ初年度となった2016-17シーズンは、銀行員として働きながらBリーグの審判を務めた。本人は「とにかく時間がなかった」と当時を振り返る[写真]B.LEAGUE
「1日が48時間あったらいいのに」
———大学卒業後は大学院に進み、一度はメガバンクに就職されます。大学院までスポーツの勉強をされたのに、どうして銀行に?
村林さんのアドバイスが大きかったですね。大学院に進んだあと、村林さんのゼミをお手伝いしていた時期がありまして、こう言われたんです。「大学でスポーツビジネスを勉強しても、実際のビジネスを経験しないと身についたとは言えない」と。社会に出てお金の流れを学んでからスポーツに戻ればいいと言われ、なるほどと思って銀行を受けることにしました。あと一つは、レフェリーの活動を続けていくうえで、カレンダーどおりに土日・祝日が必ず休みになる職場が好ましかったという理由もあります。
———つまり、銀行員として経験を積んだ先に、いつかはスポーツと思っていたわけですか。
具体的に何年で辞めようとか、そんなに先々のことまで計画してはいませんでした。銀行に入ったからには、そこで頑張ってみようと思っていましたね。ただ、学連に入ったころからの問題意識として、バスケは誰もが知っている魅力的なスポーツなのに、なぜこんなに人気がないのかというテーマはずっと根底に持ち続けていました。
———平日は銀行の仕事、土日はレフェリーという生活をされてきたわけですが、プロになるきっかけはどういうものでしたか?
とにかく時間がなかったんです。金融の仕事は勉強することが多く、土日が休みとはいえ、自分の余暇時間をどれだけ平日のために使えるかが求められます。一方で、トップリーグのレフェリーも片手間でできる仕事ではありません。私にとってはどちらも本職で、100パーセントの力を注がないとやっていけないものだった。「1日が48時間あったらいいのに」とずっと思っていました。両方を本職としてやっていく難しさを感じているときに、JBAがプロフェッショナルレフェリーの制度を作るという話が出て、興味はありますかと。それが2017年のことです。
———タイミングよくプロという仕組みができたのはご縁のようなものだと思いますが、それまで加藤さんが土日を使って一生懸命レフェリーに取り組んできたからこそ、オファーが来たとも言えますね。
もしそう思っていただけてのことならうれしいですね。人は自分だけの力で何かを成すのは不可能だと思うんです。生きていくなかでいろいろな出来事があり、環境の変化があり、その都度考えて選択したことの結果が今だという気がします。高校時代に選手としてうまくいかず、勉強だけは負けないように頑張って大学に進みました。大学では選手として悩んでいたときに学連という選択肢が見えました。学連で感じた問題意識を解決するためにスポーツビジネスを学び、それが金融の世界につながり……その次の選択をどうするか、という局面だったと思います。客観的にはメガバンクを辞めてレフェリーを選ぶなんて馬鹿じゃないかと言われたこともありますが(笑)。
———難しい選択ですよね。葛藤されたと思います。
悩みました。安定した生活を捨てて、誰もやったことのないバスケのプロレフェリーという仕事に挑むわけですから、馬鹿だと思う感覚は分かります。知り合いにそんな人がいたら、私でも「一回考え直しなよ」と言います(笑)。ただ、私の場合はバスケとともに生きてきて、選手として挫折した悔しさがあり、それなら運営やレフェリーでどこまで行けるのか、という気持ちがありました。根底にはバスケの世界で何かを成し遂げたいという思いがずっとあったんです。あとは、家族が賛成してくれたことも決断を後押ししてくれました。
「ずっと続けてきたバスケ人生の選択が今につながっている」からこそ、審判は「簡単には手放せない仕事」だと加藤さんは言う[写真]B.LEAGUE
いろいろな決断があって今がある
———一般的に、スポーツ業界に飛び込みたいけれど、生活のことを考えると転職に踏み出せないというパターンは多いと思います。加藤さんの場合はどうやって考えを整理されたのか、聞かせていただけますか。
「スポーツの世界に飛び込まない」という選択肢が必要だと思います。私もそうでしたが、好きなことに飛び込みたいときは周りが見えないものですから。ポジティブな要素だけでなく、自分にとってネガティブになるかもしれない要素を洗い出して、考え抜く必要があります。そのとき考え方のベースになるのは「死んで棺桶に入るときに、幸せだったと思える選択肢は何か」ということです。今の自分が考えられる材料を全部出して、考え抜いて、これが自分にとってベストだと思えれば、死んで棺桶に入るときにも後悔はない。常にそう思っています。これはスポーツ界に限った話ではなく、自分の人生をあらゆるところから、いろいろな要素を引っ張ってきて結論を出す作業が必要だと思うんですね。
———考え抜いた末に、バスケを選ばない道もあり得ると。
そうです。自分はバスケに両足を突っ込んでいますが、バスケ以外の世界を知っている人もすごく魅力的に見えます。例えば自分は引退するまで、今の定年制度で言えば、あと22年間同じことを繰り返すわけです。プロのレフェリーとして、あと22回シーズンを迎えて引退する。それは価値のあることですが、単純に22回同じことを繰り返す以上の価値を、自分の人生に見いだしたいとも思います。
———大学院でスポーツビジネスを勉強されて、金融の実務経験もある。将来はクラブの経営側に進むことを考えていらっしゃるのでは?
それはないです。契約を更新してもらえる限り、今の仕事は絶対に続けていきたいと思っています。自分自身が悩み抜いて飛び込んだ世界ですから、レフェリーという仕事にはすごく価値や魅力を感じています。ここを離れてクラブの経営に回るという発想はまったくありません。将来、何か変化が起こって違う選択肢が生まれる可能性はありますが、今の段階ではどんな人間になるとしても「レフェリーの仕事を続ける」という条件は外せません。
———スポーツビジネスではなく、あくまでレフェリーなんですね。それだけレフェリーという仕事が好き、ということでしょうか。
「好き」は間違いなくパワーになりますが、それだけではないでしょうね。プロの仕事は失敗と向き合う作業の連続ですから、どういう状況でも仕事に打ち込める、もう一つのフックのようなものが必要になってきます。好きなことで行き詰まったとき、それでもやり続けるためのフックを持っているかどうか。スポーツに限らず、新しい世界に挑戦するときはそこが大事になると思います。
———加藤さんの場合、その「フック」は何ですか?
自分が積み上げてきたバスケ人生そのもの、だと思います。もともとバスケの選手を夢見て、紆余曲折がありながら競技を続けてきました。高校時代は最終学年で試合のメンバーに入れず、自分から先生のところに行って「マネジャーをやらせてください」と言いました。大学2年でプレーヤーをあきらめ、運営に携わりました。いろいろな決断があって、経験があって今があるわけですから。これは簡単に手放せません。その気持ちが、どんなにつらくても踏ん張って前に出ようというエネルギーになっていると思います。
———学生時代から持っていた「なぜバスケットは人気がないのか」というテーマについては、今はどう感じていらっしゃいますか。
少しずつ良くなってきていると思いますが、今後バスケが野球やサッカーと同じような位置までレベルアップするには、日本代表がもっと強く、魅力のあるチームになる必要があると思います。それは私たちレフェリーにも言えることで、日本代表が海外でもしっかり戦えるように、私たちも世界基準にならなければいけません。JBAは今、「日常を世界基準に」というフレーズを掲げて強化に取り組んでいますから、私もバスケに関わる一人として責任を果たしていきたいと思います。
interview & text:dodaSPORTS編集部
photo:B.LEAGUE
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。











