最初からすべてうまくいく人なんていない
鵜久森 淳志さん
元プロ野球選手/ソニー生命保険 ライフプランナー
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、“スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣に迫る「SPORT LIGHT Academy」。2021年2月25日に行われた第15回は、元プロ野球選手の鵜久森淳志さんが登場した。愛媛の野球強豪校・済美高校の4番打者として甲子園で春夏計5本の本塁打を記録し、北海道日本ハムファイターズと東京ヤクルトスワローズの選手としても活躍。選手時代のことはもちろん、ソニー生命保険の営業マンとして一般企業に勤める現在について、たっぷりと語っていただいた。
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鵜久森さん(写真右)とパーソルキャリア執行役員・大浦(写真中央)は以前から親交があり、トークセッションでは楽しい野球談義も繰り広げられた[写真]鵜久森さん提供
人間には“旬”がある
「済美の鵜久森淳志」と言えば、高校野球ファンにとっては忘れられない名前だ。
男女共学として生まれ変わった“新生・済美高校”の1期生として、高校3年時の甲子園に出場。春の選抜大会では2本の本塁打を放って母校の「甲子園初出場・初優勝」の原動力となり、続く夏の大会では3本の本塁打を記録して2大会連続となる決勝進出の立役者となった。決勝では惜しくも敗れ、春・夏連覇を逃したもののチームの準優勝に貢献した。高校3年間の通算本塁打はなんと47本。「将来の4番候補」としてドラフト8位で日ハムに入団し、プロ野球選手として11年のキャリアを積み上げた。
SPORT LIGHT Academyのナビゲーターを務めるパーソルキャリア株式会社執行役員の大浦征也も、かつてはプロを目指したこともある“野球人”だ。鵜久森さんの現役引退直後から交流を重ねてきた2人の“野球トーク”は大いに盛り上がり、参加者からも興味深い質問が多く寄せられた。それらに対する鵜久森さんの答えは、ビジネスパーソンのキャリア形成においても参考になるものばかりだった。
まずは、高校時代を振り返って。文字どおり甲子園のスター選手だった鵜久森さんは、意外にも当時の自身については「プロに行けるかどうか微妙な実力しかなかった」と振り返る。では、なぜプロの世界に飛び込むことを決断したのか。
「人間には“旬の時期”というものがあると思っています。大学に行ったとしても、実力が飛躍的に高まる保証はない。人間は常に決断をしなければなりません。当時、プロになることだけを考えて高校3年間を過ごしてきた自分にとって、あのタイミングこそが“旬”であると考えました。だから、もしドラフトにかかることがあれば、どんなチーム、どんな順位でもプロの世界に行こうと思っていました」
野球ファンが喜ぶサービストークも次々に飛び出した。ドラフト1位で同期入団したダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)、所属チームこそ違うがやはり同期入団の涌井秀章(東北楽天ゴールデンイーグルス)には特別な思い入れがあり、チームメイトとして間近にそのすごさを感じた中田翔(日ハム)や大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)についても話題が及んだ。「対戦して最もすごかったピッチャーは?」との問いかけに対しては、「藤川球児さん」と即答。「こちらを弱気にさせるほどすさまじかった」と振り返った。
2020年、済美高校野球部の後輩に当たるお笑いコンビ・ティモンディとの野球対決企画に出演。ライフプランナーとなった現在も「スポーツの力を引き出す活動を行っていきたい」と語る[写真]本人提供
セカンドキャリアは生命保険の営業マン
野球選手に限らず、アスリートとしてのキャリアを長く続けることは簡単ではない。鵜久森さんは8年間在籍した日ハムから2015年に戦力外通告を受け、トライアウトを経てヤクルトに入団。“自己分析”の結果として、野球を続ける道を選んだ。
「ファイターズから戦力外通告を受けたことで、改めて自分自身について考えました。その結果として、まだ行ける、まだプロ野球選手として勝負できるという感覚があったので、トライアウトを受けてみようと思ったんです。それでダメだったら引退しようと考えていました」
ヤクルトではファンの間で語り継がれている「代打サヨナラ満塁本塁打」をはじめ、貴重な代打として活躍。2018シーズン終了後に戦力外となり、2度目のトライアウトを受けたが声はかからず、このタイミングで11年のキャリアにピリオドを打った。引退後のキャリアとして「球団職員」を選択する選手も多いなか、鵜久森さんは野球界から離れて一般企業に就職する道を選んだ。
営業マンとして入社したのはソニー生命保険だ。「保険が苦手だった」と笑いながら振り返る鵜久森さんは、なぜセカンドキャリアのスタートに生命保険会社を選んだのか。
「ソニー生命のことは、トライアウトの会場で知りました。そもそも保険は難しくて苦手だったのですが、『自分に何ができるか』を考えたときに、やはりアスリートのために、難しいからこそ金融についてのお手伝いができるのではないかと。そういった可能性をポジティブに考えて、入社試験を受けさせていただくことになりました」
ナビゲーターの大浦が「約2年間働いてみて、いかがですか?」と問いかけると、鵜久森さんはこう答える。
「野球よりも好きかもしれません(笑)。野球も、それからどんな仕事も同じかもしれませんが、やはり最初からすべてうまくいく人なんていないと思います。一つずつ段階を踏んで、自分に何ができるようになったのかを確認していく。そうやって積み上げていくことは、すごく面白いですよね。とても充実しています」
ソニー生命は元スポーツ選手を人材として積極的に活用しており、元プロ野球選手も多数在籍している。鵜久森さんは会社の野球チームの一員として、再び甲子園の土を踏んだことも[写真]本人提供
2つのキャリアを経験した意味
キャリアについてのひととおりのトークが終わると、改めて視聴者からの質問タイムへ。プロ野球球団における選手とスタッフ、監督やコーチとの関係について、日ハムの人材育成について、さらに鵜久森さんが関わった監督それぞれの違いについて……野球に関する鋭い質問がいくつも飛び、鵜久森さんはその一つひとつに真剣に答えていく。
さらに、生命保険会社の営業マンとして過ごすセカンドキャリアについても次々に質問が飛ぶ。「プロ野球選手からサラリーマンになって、仕事に対する考え方は変わったか?」という質問に対しては、こう口にした。
「変わりました。責任感が増したと思います。プロ野球選手だったころは自分自身と家族のことを中心に考えていましたが、今は、お客さまとその家族のことも真剣に考えている。金融商品を扱うので、間違いがあってはいけません。そう考えると、野球選手は3割打てば『いいバッター』と言われるわけですから、“重み”が違いますね(笑)。現在の私の仕事は、一人ひとりのお客さまに対して絶対に間違えられないという責任があります。そういう意味で、仕事に対する考え方は大きく変わりました」
現在の職業に関する質問が続く。「未経験から周囲との差を埋めるために特に意識したことは?」「キャリアを変えることに対する不安をどう乗り越えた?」との問いが寄せられると、率直な答えが返ってきた。
「もちろん不安だらけでした。大浦さんとは引退後すぐにお会いする機会があったのですが、話していても、最初はまったく“言葉”が分からなかった。いわゆるビジネス用語を、まったく知らなかったんです。それ以来、分からない言葉があればすぐに調べるようになりましたし、そうやって少しずつ不安を取り除いていきました。
周囲との差を埋めるために意識したのは、自分自身を見失わないことです。この仕事について何も知らない自分は、とにかく一人でも多くの人に会って、話をして、それを自分らしさとして勝負するしかないと思っていました」
もっとも、引退後の鵜久森さんを見てきた大浦が抱いた印象は、「元アスリートとは思えないほどビジネスのことを理解している人」だったという。プロ野球時代の鵜久森さんを支えてきたという「適応力の高さ」は、どの世界でも武器になる大切な資質の一つだ。
甲子園のスターとして、11年のキャリアを重ねたプロ野球選手として、そして、生命保険会社の営業マンとして、それぞれのキャリアについてたっぷり話した90分間はあっという間に終わり、最後に、スポーツ業界への転職を目指す参加者へ鵜久森さんからメッセージが寄せられた。
「今、僕自身もアスリートの価値を高めたいと思っていますが、そのためには元選手だけではなく、これからスポーツ業界を良くしようという皆さんの力も必要になってくると思います。今、野球人気は低迷しているといわれていますが、みんなで一緒になって、どんどんスポーツの力を引き出す活動を行っていきたい。またこういう機会がありましたら、ぜひ呼んでください。僕で良ければ、いつでもお答えします」
表舞台に立つアスリートとしてプロスポーツの世界に身を置いたファーストキャリアと、スーツを身にまとって営業に奔走するセカンドキャリア。その両方の視点を持っている鵜久森さんは、スポーツ界とビジネス界にとって、今後さらに重要な役割を担っていくに違いない。
ライフプランナーの仕事について「最初は不安だらけだった」と明かしながら、今では「野球よりも好きかもしれません」と笑顔で話す[写真]本人提供
text:dodaSPORTS編集部
photo:本人提供
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










