選手育成のカギは自発性。理想は「ぼくがいなくても困らない組織」
里 隆文さん
埼玉西武ライオンズ メディカル・コンディショニンググループ S&C
元高校球児が志したトレーナーの道。大学、大学院と勉強や研究に打ち込み、さまざまな経験を積み重ね、現在は埼玉西武ライオンズのS&Cとして選手の育成、そしてチームの勝利に心血を注ぎ込む。まばゆいスポットライトを浴びるヒーローたちの活躍の陰には、地道にサポートを続けるスタッフの存在がある。
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トレーニングの準備から試合後の選手のトレーニング、身体のケアまで、S&Cとしてさまざまなサポートを行う[写真]埼玉西武ライオンズ
高校時代に目指した夢の職業
———現在、埼玉西武ライオンズの二軍でストレングス&コンディショニングを担当されていますが、里さんのシーズン中の1日のスケジュールを教えていただけますか?
プロ野球がほかのスポーツと大きく違うところが一つあって、それはシーズン中、ほぼ毎日のように試合があることなんです。二軍は試合だけでなく、練習もハードにやっていかなければなりません。ホームゲームの場合はCAR3219(カーミニーク)フィールドに朝早く来て、まずは練習の準備に取りかかります。
その後、スタッフミーティング、ウォーミングアップを経て、ランニングや補強系のトレーニングなどを行います。試合前練習後はビジターチームがグラウンドを使いますので、その間はトレーニングルームで、登板のない投手や中継ぎとして試合に参加する投手のトレーニングなどを行い、シートノック前に行う野手のセカンドアップを施して試合開始となります。
試合中はデータ入力、試合に出場していない選手のトレーニング、試合後は出場した選手のトレーニングなどを行って1日が終了。ざっとこんなスケジュールで進行します。とにかく朝から晩まで誰かしら選手は動いていますから、彼らをサポートしていくことがS&Cの役割になります。
———里さんの主な役割としてはどんなものがありますか?
ぼくは選手のトレーニングやコンディショニングを主に担当しています。コンディショニングといっても意味合いは広いですが、最も力を入れているのは障害予防です。ケガをしない身体作り。ストレッチや障害予防のエクササイズなどの準備を十分に行い、同時にフィジカルも強化していく。それがメインの仕事になります。
そのために各測定結果を細かく分析し、ほかのスタッフやコーチ、選手とコミュニケーションを取りながら、選手個々の能力を伸ばすためのプログラムを作成します。個人的に気をつけているのは、その日どの選手にどういったトレーニングを行ったのかを記録してデータベース化していくこと。これは継続して毎日行っています。
———そもそも里さん自身の野球との関わりは?
高校時代まで野球をやっていました。ただ、ケガをしたこともあり、上のレベルで続けるのは難しいなと感じ、そのころから漠然と将来はスポーツに関わる仕事に就きたいと考えるようになりました。進学した福岡大学スポーツ科学部(スポーツ科学科)ではトレーナーになりたい一心で勉強に打ち込み、もっと専門的に学びたいと考え、卒業後は大学院進学を決めました。
当時から将来は競技スポーツのアスリートをサポートしていきたい夢を持っていたので、その分野で高い専門性を持つ筑波大学大学院を目指しました。ゼミの教授からは、「トレーナーの世界は小さなパイを大人数で奪い合う厳しい世界だぞ」と忠告を受けたんですけどね。
———大学院ではどのような研究を行ったのですか?
体育研究科スポーツ科学専攻(当時)に入学後はスポーツ医学研究室に所属し、整形外科医の先生のもとで研究や実習に取り組みました。学内の施設には世界大会レベルの選手、プロのボクサーやゴルファーといったトップアスリートからごくごく普通のアマチュア選手まで、さまざまなレベルのアスリートが治療やリハビリ、トレーニングを受けるためにやってきていたので、研究と並行してメディカルスタッフとしてリハビリなどの実習を行いながらトレーナーとしての経験を積んでいきました。
このときのさまざまな体験が後々大きく役に立ったと思います。修士論文は『大学野球投手の体幹部の筋力および筋横断面積の検討』で、MRIで体幹の筋の断面積を測り、選手個々にどのような特徴があるのかといった内容の研究に取り組んでいました。
———大学院を修了した後はどのような道を選択されたのですか?
約1年間、群馬県の関東学園で大学や高校の運動部の非常勤のトレーナーを担当した後、自分の学んできた知識や経験をしっかりと一つのチームで生かしていきたいと考えていたときに独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスから声をかけていただきました。
創設したばかりのチームでスタッフも少なく、トレーナーとしての仕事以外にもノックをしたり、雑用をこなしたり、プロ野球を目指す若い選手と一緒に汗を流し、とても密度の濃い時間を過ごしました。4年の在籍期間中に2人がドラフト指名を受けプロ野球チームに入団しましたが、ステップアップしていく過程を間近で見ることができたことも貴重な経験でしたし、とても刺激になりました。
所沢にあるメットライフドームと同じ敷地内にあるグラウンド。かつての西武第二球場は2020年、全面改修によって「CAR3219(カーミニーク)フィールド」として生まれ変わった[写真]埼玉西武ライオンズ
30歳で迎えた大きな転機
———群馬ダイヤモンドペガサスでの4年間を経て、里さん自身も埼玉西武ライオンズに活躍の場を移します。どのような経緯があったのですか?
ぼくを呼んでくださった監督が退かれたのを機にぼくもダイヤモンドペガサスを辞めたんですが、新たな職場を探そうとしていた矢先、いきなり携帯電話に登録外の番号から通知があったんです。それが埼玉西武ライオンズでした。翌日の午前中に面接を受け、その日の午後には入団とトントン拍子に決まりました。
ライオンズとはまったくつながりはなかったので本当に驚いたのですが、推薦してくださった方がいたと後で聞きました。「頑張っていれば、きっと誰かが見ているよ」と周りの方々によく言われていたのですが、まさかライオンズから声をかけていただくことになるとは。ちょうど29歳のときでした。
———プロ野球と独立リーグでは野球のレベル、球団のスケールも違うのではないかと思います。戸惑いはなかったですか?
いえ、それはなかったですね。トレーニングコーチとしての仕事の流れ自体はそれほど変わりません。これはどんな職種にも共通することだと思うのですが、重要なのは今、自分は何をするべきなのか絶えず考えて周りを観察することだと思うんです。そういった意味でダイヤモンドペガサスでの4年間の経験は大きかったと思います。次に何をやらなければならないか、常にアンテナを立てて動き回っていましたから。
———プロ野球の選手と接し、何か違いを感じました?
プロ野球の世界は桁外れの能力を持った選手の集まりで、独特の感覚、感性を持った選手が大勢いるなと感じました。ある選手に練習日記をつけてみればとアドバイスしたことがありました。その選手は文章ではなくノートに絵を描いてきたんです。絵に描くことによって、そのときのイメージをしっかりと頭に植え付けようと考えたんですね。
これはぼく自身も新たな発見でした。文字ではなく、ビジュアルでイメージする。そういった感覚もまた大事にしながらコーチングするように心がけています。総体的に見て、結果を残している選手はしっかりと考えて練習しますし、自分の体のことや今何をするべきかをよく分かっていると感じますね。
———ライオンズ入団後、二軍で長くトレーニングコーチを務められていますが、2017年から2年間は一軍のコーチにも就かれています。一軍と二軍では何か役割の違いはありましたか?
かなり違いますね。一軍は勝ち負けがすべての世界なんです。選手のコンディショニングを担当するとなると、シーズンは長いので、勝つためにいかに選手のコンディションを良い状態でキープしていくのかが重要になります。主力選手を負傷などで欠くと勝敗に直結しますから。
一方、二軍は試合での勝ち負けよりも5年後、10年後を見据えて戦力となる選手をいかに育てていくかがポイントになります。新人や若い選手には毎日のトレーニングを通して、身体の仕組み、セルフケアのやり方や障害予防のプログラムなど、プロ野球選手としてのベースの部分を教え込むことが重要になってきますね。
二軍のコーチは「5年後、10年後を見据えて戦力となる選手をいかに育てていくかがポイント」。選手の観察とコミュニケーションが重要になるという[写真]埼玉西武ライオンズ
世代を超えたトレーニングの指導
———この仕事のやりがい、達成感はどんなところに感じますか?
入団以来、2018年に初めてリーグ優勝を経験したときは格別な喜びがありましたし、翌年は二軍を担当したのですが、一軍に上がった若手がリーグ連覇に貢献したときもまた特別な達成感がありました。
それとは別に独立リーグに在籍していたころに野球教室で教えた子どもたちが甲子園に出場したり、プロ野球チームに入団したり、そんなニュースを聞くと本当にうれしいですね。もちろん甲子園やプロ野球がすべてではありませんが、いろいろな場所で活躍している知らせを聞くと改めてやりがいを感じます。
———現在の仕事に従事するうえで大事な要素は何だと思いますか?
気配り、目配り、心配りだと思います。大学や大学院時代、先生方にはこの仕事に必要な要素はこれなんだよとよく言われました。今現場に立ち、改めてこの言葉の重みを痛感しています。気配りし、目配りし、心配りしながら考えることで、先を読んだ行動を取ることができるようになるんだなと。
また、ぼくらの仕事は現場で突発的なことが起こりますし、その場で瞬時に判断しなければならないことも多いんです。研究室で学んだ知識も重要ですが、実戦や経験に裏打ちされた知識こそが良い判断を生み出すと感じています。ぼく自身、コーチの経験は十数年とまだまだです。この分野は日進月歩でどんどんと研究が進んでいますし、常に新しい情報を取り入れてアップデートしていかなければなりません。勉強を怠れば、ついていけなくなる業界なんです。
ただし、新しいものを取り入れながらも、自分の芯となる部分はしっかりと持っていなければならないと感じています。新しい情報ばかりに飛びついて、芯がぶれるとそれは選手たちにも伝わりますし、信頼関係を損なってしまうこともありますから。
———里さんが目標としているコーチ像はありますか?
大学時代、大学院時代、独立リーグ、プロ野球とさまざまな方に出会い、いろいろなアドバイスを受けてきました。この世界で長く活躍されているコーチの方々を見ていると、調子のいいときもそうでないときもしっかりと選手に寄り添い、お互いの信頼関係が厚いんです。そういった方々にたくさん出会ってきました。
一人を挙げるのはとても難しいですが、今年9月に急逝された福岡ソフトバンクホークスのコンディショニングを担当されていた川村隆史さんと山川周一さんには学生時代からとてもお世話になり、いろいろと相談したり、悩みを聞いていただいたりしました。選手に対しての声かけがとても上手な方々で、川村さんや山川さんだったら、今このような状況のとき、どんなふうに選手に接するだろうか、どんな声をかけるだろうか、とよく考えます。ぼくにとってとても大きな存在でした。
———最後になりますが、将来の目標、ビジョンをお聞かせください。
チームに携わるうえでの目標は、ぼくがいなくても困らないような組織になること。それが理想ですね。選手自身が考え、「こういうとき、里さんはこんなふうに言っていたな」「こんな予防の仕方を里さんに教わったな」と選手自身が自発的に考えて行動してくれればいいなと。つまりそれはぼくの考えが浸透していることでもありますから、こんなにうれしいことはありません。自分でプログラムを組んでトレーニングを行えるような、そんな選手を多く育てていきたいです。
もう一つは個人的な目標になりますが、トレーニングをもっと多くの人に活用できるようにしていきたい。プロ野球とアマチュアの世界にはまだまだ隔たりがありますが、そういった壁を越えて、大学生、高校生、中学生、小学生といろいろな世代に向けてトレーニングの指導をやっていきたいという思いがありますね。幅広い世代の皆さんにもっとアプローチしてきたいと考えています。
プロ野球とアマチュアの壁を越えて、さまざまな世代にトレーニングを広めたいと語る[写真]埼玉西武ライオンズ
interview & text:dodaSPORTS編集部
photo:埼玉西武ライオンズ
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










