横浜に掲げる『SHOW THE BLUE.』どこよりもクールなグッズを
五十嵐 洋太さん
株式会社横浜DeNAベイスターズ 事業本部 MD部 MD戦略グループ
DeNAが経営に加わった2012年以降、大きな変貌を見せている横浜DeNAベイスターズ。2017年春、その一員に加わった五十嵐洋太さんはアパレル業界で培った知見を最大限に活かし、持ち前のバイタリティーを発揮しながら、現在は事業本部のMD部メンバーとして、人気プロ野球チームを側面から支えている。横浜スタジアムを、横浜の街を徹底的に青く染めたいという熱き思いを抱いて、日々業務に取り組んでいる。
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アパレル業界から横浜DeNAベイスターズのMD担当へ[写真]兼子愼一郎
取り組みに魅力を感じて
———アパレル業界から横浜DeNAベイスターズへの思いきった転職。何かきっかけがあったのですか?
生まれも育ちもハマっ子ですから、ベイスターズは常に身近な存在でしたし、親会社がDeNAになってから、面白い取り組みを行っている、アグレッシブなチャレンジを仕掛けている会社だなとより存在を大きく感じていました。アパレルの専門学校卒業後、アパレル業界で6年間働きましたが、その世界で培ってきた経験や知識を違った分野で生かせないだろうかと模索していたころ、転職先としてベイスターズをより強く意識するようになりました。
———転職するにあたり、どんなアクションを起こしたのですか?
転職活動を行う際、エージェントサービスを活用する方法もありますが、ぼくの場合はたまたま球団の公式ホームページ内の採用情報をチェックしたら、応募フォームがあったので、そこに熱い思いを綴ってダイレクトに申し込みました。社内の転職組に聞くとエージェントを活用した人が多く、ぼくのようなホームページから真っ向勝負での入社組は比較的少ないようです。
———すんなりと入社に至ったのですか?
いえ、内定をもらうまで5回ほど面接を受けたと思います。大きな緊張感を味わいましたが、ぼく自身を会社側に知ってもらえると同時に、ぼくもまた会社のことをよく理解できた貴重な場だったと思います。面接を重ねることによって会社に対する信頼感がより高くなっていくのを感じました。2016年10月ごろに応募して年内に内定が出て、2017年春に入社しました。
———そもそも野球とはつながりがあったのですか?
叔父がプロ野球選手(五十嵐英夫投手。1968年から1977年まで近鉄バファローズ在籍)だったこともあり、物心ついたころから身近に野球を感じながら育ちましたし、少年野球にも熱中しました。小学生のとき、ベイスターズの選手が学校訪問でやってきて、“ヒゲ魔神”こと五十嵐英樹投手(1993年から2001年まで横浜ベイスターズ在籍)に触れ合えたこともぼくにとっては忘れられない大切な思い出です。ハマっ子で野球となれば、やっぱりベイスターズですからね。
豊富な商品を誇る横浜スタジアム「DREAM GATE」横の『BAYSTORE PARK』[写真]横浜DeNAベイスターズ
貴重な経験となった新店舗立ちあげ
———入社後は、どのような仕事を担当されたのですか?
1年目は球団が展開している店舗の現場責任者となりました。野球のイメージを取り入れた雑貨や洋服を扱ったライフスタイルショップ『+B』、野球をテーマにした飲食店『&9(アンド・ナイン)』と『ボールパークコーヒー』。この3店舗を任されました。
『+B』に関しては、アパレル時代の小売りの知識を活かして取り組むことができましたが、飲食に関しては初めての経験で戸惑いも大きかったです。ぼくはスタッフとのコミュニケーションや接客スキル、ブランドの打ちだし方などをメインに行い、フード提供やメニュー開発は経験豊富なスタッフに担当してもらいました。結果、野球同様、チームとして役割を分担し、カバーし合いながら動くことを学ぶことができました。
とはいえ、現場責任者の指標として売り上げはとても重要です。売り上げアップのための施策を練らなければなりません。イベントの開催、商品の入れ替え、プロモーションの打ちだし方など苦戦しましたが、ベイスターズに転職したのも新しいことをやりたいという気持ちが強かったから、入社早々チャレンジする機会をもらい、人間的にも成長ができた1年間だったと感じています。
———2年目以降の取り組みは?
2018年には新しい店舗の立ちあげといった出店戦略の業務にも携わりました。今ある5つの店舗(BAYSTORE ランドマークプラザは2020年8月23日をもって閉店)は、ぼくが中心になってリニューアルしたりして、立ちあげた店舗なんです。グッズの付加価値を上げるためにも店舗の内装、雰囲気作りなどを意識しクオリティーにこだわりました。お客さまにとってお店に入った瞬間の高揚感はとても大切ですから。
2018年3月には横浜駅西口の地下1階に関内エリア以外では初の店舗となる『BAYSTORE横浜ジョイナス』を出店しました。横浜という巨大なマーケットを持つターミナル駅近くにふらっと立ち寄れるようなベイスターズの拠点を築けたことはぼくらとしても大きなターニングポイントになったと思います。全国や海外から横浜に観光などで訪れたお客さまに横浜土産の一つとしてベイスターズグッズをお買い求めいただければ……そういったコンセプトの店舗です。
『BAYSTORE横浜ジョイナス』は、自分にとってゼロベースから立ちあげた初めての店舗で、とにかく大変だった記憶しか残っていないのですが、オープン初日、入店待機の長い行列を見て、苦労が報われた思いを実感しました。当日、すべての業務を終え帰宅する深夜のタクシーの中で自然と涙があふれ出てきて……そんなこともありましたが、苦労した分だけ本当にうれしかったです。
———仕事の面白さをどんなところに感じますか?
商品企画で言えば、自分が面白いと思う情報をキャッチし、それを具体的に商品にしてお客さまに届け、喜んでいただき、満足していただいたときに、仕事の喜びを感じますね。ベイスターズグッズは本当にバリエーションが豊富で、これほど多岐にわたるグッズを製作している球団はほかにないと思います。
商品企画を担当している人間が、ぼくのようなアパレル出身以外にも、食品会社に勤めていたり、商社マンだったりさまざまで、各人のアンテナが全方位に向いているので、常にフレッシュで飽きない商品をお客さまにお届けできるのだと思います。
通常の応援アイテムのほか、日常でも使えるアイテム『+B』など豊富なグッズをそろえる[写真]横浜DeNAベイスターズ
どのチームよりもクールでありたい
———現職のMD部MD戦略グループでは、どんな仕事に取り組んでいるのですか?
MDはマーチャンダイジングの略ですが、担当業務としては主に出店戦略、外商営業、商品分析とその戦略策定の3つです。出店戦略は、どの場所に出店し、どんなターゲット層にリーチするのか、どんな雰囲気の店舗にするのか、さまざまなポイントを踏まえた上で店舗を作りあげ、実際のオペレーション周りまでをチェックする業務で、『BAYSTORE横浜ジョイナス』はまさにそういう手順を踏んでオープンさせた店舗です。
外商営業については、売り上げ収益はもちろん大事ですが、横浜だけでなく、もっと広いエリアで、ベイスターズというブランドの知名度を高めて浸透させていくためには、さまざまな商業施設や店舗にグッズを取り扱っていただけるようにアプローチしていかなければなりません。
商品分析と戦略策定は、シーズン中、ベイスターズは毎週のように新商品を売りだしているのですが、売り上げの結果、分析にも力を入れています。予想以上の反響を呼んで即完売となるグッズもあり喜ばしいことなんですが、一方で買えなかったお客さまもいるわけですから、商品の数量は適正だったのか、そういったところを分析しデータを集積していく。そうやって今後の販売計画に役立てるようにしています。
———MD部のメンバーとして心がけていることはありますか?
2017年、『SHOW THE BLUE.』というキャッチフレーズを掲げ、選手名タオルをスタンドに掲げて応援しましょう、というプロモーションを大々的に展開しました。ぼくらがグッズを手がける上で大事にしているのは『SHOW THE BLUE.』、つまり徹底的に青くということです。みなさん、ハマスタを青く染めましょう、と強く打ち出しました。
今ではハマスタ名物の一つですが、試合終盤、Zombie Nationのメロディに乗って山﨑康晃投手が登場する場面での「ヤスアキジャンプ」。スタジアム全体が青いタオルを掲げ、一体になって揺れ動くシーンは、球団全体で取り組んできたことがファンに届き、実を結んだ代表的な例だと思います。今では選手名タオルは人気商品の主軸になっており、どの店舗も目立つところに掲げてあります。
ぼくらが注力しているのは、グッズを売るだけでなく、いかに熱量のこもったグッズをファンのみなさんに届けられるか。単に応援のアイテムとしてだけでなく、日常生活の中でも活用してほしいですし、グッズにはファンのみなさんと感動体験を共有したいというぼくらの思いが込められています。
———この仕事ならではの大変さ、難しさはありますか?
チームの成績によって出す商品アイテムが変わりますし、量感も変わってきます。チームの調子のいいときは喜んでいただけても、逆に調子を落としている時期、売りだすタイミングを見誤ってしまうとマイナスイメージになりかねませんからね。そのあたりの見極め、読みは難しいです。
———仕事をする上で選手との接点はあるのですか?
チーム付のスタッフを介してコミュニケーションを取ることがほとんどで、選手と直接やり取りをする機会はそれほど多くありません。ただ、店舗でのイベントに出席してもらったり、ノベルティグッズを作る際、アイデアを出してもらったり、選手プロデュースでグッズ開発を行う際などは常に協力してもらっています。
———今後、思い描いている夢や目標を教えてください。
2つあります。広い意味では、野球というスポーツが子どもたちにとってもっと身近な存在になるために働きかけていきたい。ぼくらのころと比べても野球少年は減っています。ベイスターズの事業に携わっていく上でも、野球人口が減れば、おのずと野球に対するタッチポイントが減っていくわけで、野球人口をもっと増やしていけるような試みを行っていきたいと考えています。野球ができるような環境を整えたり、プレーできる場を増やしていけるような活動に取り組んでいきたいです。
また、MD部の観点で言えば、ぼくらが提供しているグッズやイベントコンテンツなどが、ほかの球団よりも、ほかのスポーツのどのクラブよりも、一番クールだと思っていただけるようになっていければ、と考えています。ベイスターズグッズを身につけることによって、誰よりも誇らしい気持ちになってもらえたら、そういった思いで今、仕事に取り組んでいます。
子どもたちにもっと野球ができる場を将来的に提供していきたい[写真]兼子愼一郎
interview & text:dodaSPORTS編集部
photo:兼子愼一郎
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










