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ハンドボールをメジャー競技に

東 俊介さん

琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 取締役/元ハンドボール日本代表

スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、大浦征也doda編集長とのトークを通じて“スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣をひもといていく「SPORT LIGHT Academy」。2020年1月14日に行われた第10回のゲストは、元ハンドボール日本代表主将で、現在、卓球Tリーグ所属、琉球アスティーダスポーツクラブの取締役などを務める東俊介さん。選手時代から現在に至るまでの経緯や、自身の経験を踏まえたスポーツ業界への転職のアドバイスなどを語ってもらった。

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    中1でハンドボールを始め、日本代表まで上りつめた[写真]松田杏子

    2009年に現役を退く

    アスリートや経営者などの豊富な人脈を活かし、企業におけるスポーツ事業のコンサルティングも行っている東俊介さん。ハンドボールプレーヤーとして10年以上にわたって活躍した後、40歳のときに会社を退職し、新たな道を歩み始めた。アスリートからビジネスマンへ。今回のイベントにもスポーツ業界を目指す社会人が数多く参加。スポーツ業界で働くためのヒントを聞き逃さないよう熱心に耳を傾けていた。

    もともと本を読んだり絵を描いたりすることが好きだったという東さんは、唯一得意だったスポーツ、ドッジボールに似ているからと、中学1年生でハンドボールを始めた。高校は地元石川県内の強豪校に進学したが、当初、練習にはまったくついていけなかったという。入学時に「日本一の選手になる」と豪語していたため、友達に冷やかされることも多々あった。「バカにされるのが大嫌い」な東さんは、それが悔しくてハンドボールと真剣に向き合い、高校日本代表に選ばれるまでになった。

    国際武道大学時代も東日本インカレ準優勝、全日本インカレベスト8など輝かしい成績を残し、卒業後は実業団の大崎電気入りを果たした。入団当初、チームは弱かったというが、東さんが所属していた11シーズン中9度、日本一に輝いている。さらに、日本代表として数々の国際試合に出場し、主将も務めた。2009年に現役を引退すると、指導者の道を打診されたが、断った。ハンドボールをメジャーにしたかったからだ。

    「ハンドボールはマイナーなんですよね。そもそも、スポーツはメジャースポーツとマイナースポーツとに分けられますが、ぼくは“食べられるか食べられないか”の違いだと思っているんです。スポーツのマーケットがあるかどうかというところで。例えば、国際大会でメダルを取ったらメジャーかといったら、そういうことにはならない。『強い=食べていける』ではないので」

    ハンドボールをメジャー競技にするためビジネス界へ[写真]松田杏子

    多方面で活動を続ける

    選手生活を通じ、さまざまな問題点を解決する必要があると痛感した。現役時代に東さんはこんな苦い経験も味わっている。

    「ぼくが大崎電気に入ったのは1998年のシーズンでした。大崎電気は男女それぞれチームを持っていたのですが、2年後、景気が悪くなり、当時は女子のほうが強かったのですがなくなってしまいました」

    マネタイズできる仕組みを作らなければ、結局はマイナースポーツのままだと感じた。そこで、東さんは早稲田大学社会人大学院のスポーツ科学研究科で元読売巨人軍の桑田真澄氏らとともにスポーツマネジメントを学び、人脈も作った。

    また、その間の活動を通してできた縁で再びハンドボールに関わることになった。日本ハンドボールリーグ機構のマーケティング部新設に尽力し、初代部長に就任。Jリーグを立ちあげた際に事務局長を務めていた木之本興三氏に協力を仰ぎ、ハンドボールをビジネスにするため、試行錯誤を繰り返した。

    「4年前にハンドボールリーグがちょうど40周年を迎えたんですが、これはハンドボールが変わるチャンスだと思い、プロジェクトを提案しました。でも、50周年に向けたプロジェクトにしようと言われてしまって」

     組織内部における立場に限界を感じた。ただ、一方で自身の力のなさが原因だとも反省し、ビジネスパーソンとして力をつけようと誓ったという。

    「よくよく考えて気づいたんですが、当時は意見を通すほど力もなかったですし、納得してもらうような説得力もなく、財力もなかった。それらを手に入れるためには、このままサラリーマンをやっていてはいけないと思い、何も決まっていなかったのですが会社を辞めました。

    そこで、プロフェッショナル人材のシェアリングサービスを提供する株式会社サーキュレーションに入ってコンサルタントをやることになりました。スポーツ界にはビジネスのプロフェッショナルが必要だと考えていたので」

    独立後は、独自のアイデアや人脈を活かして、多方面からハンドボールをメジャーにする活動を続けている。卓球Tリーグ、琉球アスティーダスポーツクラブの取締役を務めるほか、株式会社サーキュレーションのバリューアップ推進室のパートナーなど数社の事業を兼務している。

    さらに、早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員、日本スポーツ産業学会運営委員、老若男女、健常者、障害者の区別なくみんながスポーツを楽しめる世界ゆるスポーツ協会理事、日本財団HEROsアンバサダーなどの活動にも従事。本業の合間には全国各地でハンドボール教室や講演会の講師、試合の解説も務めている。

    40歳で会社を辞め、競技を問わずさまざまな活動を始めた[写真]松田杏子

    ハンドボールに恩返しを

    こうした活動を通じてスポーツ業界で求められる人材を東さんはどう捉えているのか。

    「大きく言えば、価値を出せる人。スポーツチームのあるあるとして、“子どもたちに夢を与えられる”というような、見えないものを提示してくることが多いですが、明確なものを見いだせる人こそが必要で。そういう意味では自分の強みを、例えばソート分析などをしてみたり、自分自身を評価していくことがすごく大事かもしれないですね」

    コンテンツ自体をマネタイズさせられるか、コンテンツをより価値のあるものにできるかは普通のビジネスと変わらないと大浦編集長も同意する。その上で、特にプロスポーツは観客の感情や試合における勝敗など、不確定要素を含むものであるため、収益を予測することが難しい。

    「アーティストのライブやミュージカルは、みんな幸せそうに帰って行くじゃないですか。でも、スポーツはお金と時間を使って見に行っても、応援しているチームが負けることもある。例えば、代打逆転ホームランで負けるなんてこともある。スポーツの一番の強みであり弱みでもある点は勝ち負けだと思いますが、アメリカで勝ち負けやゲームに関係なく楽しめるボールパーク化戦略が取られているように、それ以外のところで儲けていかなければならないんです」(大浦)

    近年、スポーツ界ではフェンシング協会の太田雄貴氏や全日本スキー連盟常務理事の皆川賢太郎氏のように、ビジネス感覚に優れ、組織を変革しようと取り組むアスリート出身の若手リーダーが台頭している。現在44歳の東さんも、いずれはそうした未来を視野に入れているのだろうか。

    「もちろんありますよ。実績やキャリアを積み、最後はリーグや協会に関わっていきたいと考えていたので、会社も辞めたんです。ハンドボールがなかったら、ぼくの人生は真っすぐ進んできたかどうか分からない。だからこそ恩返しをしたいという気持ちも強い」

    さまざまな経験を積んだ東さんのエピソードは尽きないが、1時間を過ぎたあたりで出席者からの質問に直接、回答する時間が設けられた。ハンドボール経験者からはハンドボール協会で東さんが行ったこと、また、日本におけるギフティングが発展する可能性についても言及された。

    こうしてイベントはあっという間に終了。最後に、あらためてスポーツ業界への転職のヒントを聞かれた東さんはこう締めくくった。

    「ぼくが会社を辞めたのは40歳のとき。妻がいて、子どもがいて、家を買ったばかりで、辞めない理由、できない理由を探すと山ほど見つかる状況でした。でも、もしも、スポーツ業界で働きたいとか、少しでも転職したいと思っているときは、できない自分を探すのではなく、どうすればできるかを考えてほしいですね。どうすればできるのかを考えて、ちょっと足りないぐらいであれば、飛び出してみるのも面白いと思います。

    ぼく自身は会社のことは好きでしたが、辞めて本当に良かったと思っていますし、新しい世界に出てみて良かったなと心底感じています。何か勝負しに行って、自分がしっかり取り組んでいれば、見てくれる人は必ずいます」

    イベント終盤には、東さんと大浦編集長が質問に答えた[写真]松田杏子

    text:dodaSPORTS編集部
    photo:松田杏子

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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