バレーボール界を変えるために
大山 加奈さん
元バレーボール女子日本代表
スポーツ業界で活躍する著名な方をお招きし、大浦征也doda編集長とのトークを通じて“スポーツ×ビジネス”で成功する秘訣をひもといていく「SPORTS LIGHT Academy」。2019年9月3日に行われた第6回は、元日本代表女子バレーボール選手の大山加奈さんをゲストに迎え、現役引退後の日々やスポーツビジネスの視点から考えるバレーボール界の改革案について語ってもらった。
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小中高で日本一を経験し、17歳のときに日本代表にも選出された[写真]山口剛生
負傷により26歳で引退
過去5回の「SPORTS LIGHT Academy」はすべて男性ゲストが登壇していたが、今回は初の女性ゲスト。会場にはスポーツビジネスに興味を持つ方々、スポーツ業界への転職を望んでいる方々はもちろん、バレーボールファンや大山さん自身のファンの方々も集まった。
まず語られたのは、大山さんの現役時代の話。小学校入学時からすでに身長が138センチあり同級生より頭ひとつ大きかった。小学2年のときにバレーボールを始めた大山さんは、妹(元バレーボール選手、元ビーチバレー選手の大山未希さん)という身近なライバルの存在もあって一気に頭角を現し、小学6年次に全国制覇を達成。中学、高校でも日本一に輝き、2001年、17歳のときに日本代表に初選出され、翌年から2009年まで数々の国際大会に出場し第一線で活躍したが、2010年6月に引退を表明した。
バレーボールを始めたころ、実はぜんそく気味で体が弱かったというが、大山さんは競技に打ちこんだ学生時代について「バレーボールをやめたいと思ったことは一切なかったです。背が高いのに体が弱く、運動が苦手なのがコンプレックスだったんですけど、バレーボールをやっていればみんなに認めてもらえるし、ほめてもらえる。チームに必要としてもらえる。それが原動力になりました」と語った。
東レ・アローズでV・プレミアリーグ制覇を経験し、日本代表でも活躍した大山さんだが、社会人としての現役生活は7年間と意外なほど短く、26歳の若さで引退した。
『メグカナ』として一世を風靡した同学年の栗原恵さんが34歳の今年5月まで現役生活を続け、高校の同級生で、東レ・アローズでも一緒にプレーした荒木絵里香選手が今も日本代表で活躍していることを考えるとあまりにも早い引退だったが、大山さんはその要因を「小学生のころから腰に負担がかかるフォームでスパイクを打ち続けた結果、ヘルニアと脊柱管狭窄症を発症してしまった」ためと明かし、「手術をして痛みやしびれから解放された瞬間は本当に幸せだったんですが、痛みが再発したときに心がポキッと折れてしまいました」と振り返った。
トーク内容はここから、大山さんのセカンドキャリアに転じていく。26歳で第二の人生を歩むことになった大山さんだが、現役時代は引退後のキャリアについて「一切、考えなかった」という。
社員として東レに残ることになり、その段階になってパソコン教室に通ったり、研修に行ってビジネスマナーを学んだりしたそうだが、「そういったことは現役のうちにやっていてもいいことだな、と思った」そうで、現在は現役選手もセカンドキャリアを見据えてパソコンや英会話の教室に通うようになっているという。
「現役のころからセカンドキャリアを考えるようになったのはいいことだと思う」と、大山さんはこの変化を歓迎しているようだった。
引退からしばらくは所属先の東レに残り、広報も務めた[写真]山口剛生
バレー界を変えたい
ここで大浦編集長が「ほかのバレーボール選手の方々は引退後、どのようなセカンドキャリアを送られるのですか?」と尋ねると、大山さんはバレーボール界の現状と照らし合わせながらこのように答えてくれた。
「東レの選手たちは正社員なので、引退後はそのまま会社に残っています。女子選手は引退と同時に退社して地元に帰る選手が多かったんですけど、今はほとんどが会社に残って働いています。バレーボールもプロ化を絶対にするべきだと言われていますけど、そういうメリットもあるので、一概にプロ化が最適だとも言えないと思います」
大山さん自身は当初「保育士になりたい」という気持ちがあったそうだが、腰痛を抱えていたこともあって断念。「東レに恩返しをしたい、バレーボール界に自分の経験を還元したい」と考えて東レに残り、2010年8月に日本バレーボールリーグ機構に出向してデスクワークなどをこなす1年間を過ごした。
その後、東レに戻って広報室の所属となり、バレーボールの普及活動などに従事するようになる。そして2014年5月に東レを退社し、現在はより幅広い活動を行っている。
企業向けの研修、学校を訪問しての講演やバレーボールの体験授業、そしてメディアへの露出、試合の解説など、精力的に活動している大山さんだが、一方でバレーボール界の未来には不安を抱えているようで、「私、日本のバレー界を変えたいんです」という大胆な発言が飛び出した。
「バレーボール界の現状として、この競技を選んだことで不幸になってしまっている子が大勢いるんです。そういう子をゼロにしたい。そのためには子どもの周りにいる大人を変えなければいけないので、自分ができる行動を起こさなければと思っています」
では、大山さんはどのような人たちと一緒にバレーボール界を変えていきたいと考えているのだろうか。大浦編集長が「その改革のために、どんなビジネスパートナーを連れてきますか?」と尋ねると、大山さんは次のように答えた。
「バレーボールのことを何も知らない人に来てほしいですね。柔軟な発想を持っていて、私たちが思いつかないような提案をしてくれる人に来てほしいです」
バレーボール界の現状を危惧し、変革の必要性を訴えた[写真]山口剛生
心強い盟友の存在
イベント開始から1時間が過ぎ、後半には参加者からの質問に大山さんが答える場が設けられた。
新卒で教員になり、今年3月に一般企業に就職したという男性からは「バレーボール界を変えていきたいと思うきっかけになった指導者の方は?」と尋ねられ、大山さんは自身の体験をもとにこう答えた。
「高校時代の恩師が本当に素晴らしかったんです。『監督は黒子でいい。選手の成長の邪魔をしないのが監督の役割なんだ』という考えで、私たちを尊重しながら接してくれました。高校生の私たちを一人前の人間として見てくれて、『お前たち』とか『あいつら』と呼ぶことは一切なかったですし、成長をほめてくれる方でした。自分もこうありたいと思わせてくれる指導者でした」
「大山さん以外に、バレーボール界を変えたいという考えを持っている方は?」という女性からの質問に対しては、高校時代からの盟友である荒木選手の名前を挙げた。
「そういう話は荒木絵里香とはよくします。彼女は学ぶ意欲が強く頼れる存在なので、お互いの相乗効果で変えていければいいな、と思っています」
ほかにもさまざまな質問が投げかけられ、大山さんはその一つひとつにていねいに答えていく。中には「バレーボールを題材にしたアプリゲームがあれば、若い子たちにとってバレーボールがより身近な存在になるのではないか」という提案をする参加者もいて、大山さんは「すてきな提案ありがとうございます! どこか実現させてくれないかな」と、アプリゲームの登場に期待を寄せていた。
約2時間のイベントはあっという間に終了。大山さんは最後にこのように語りかけてイベントを締めくくった。
「皆様のお役に立つお話ができたかどうかは分かりませんが、私の思いは皆様に伝わったと思います。ぜひ皆様のお力を貸していただいて、バレーボール界だけではなく、スポーツ界、そして日本が変わるような活動をしていきたいと思っています」
約50人の参加者は大山さんと大浦編集長の話に熱心に耳を傾け、メモを取り、さまざまな表情を見せていた。トップレベルのプレーヤーだった大山さんの口から語られたバレーボール界の現状、そして「変えたい」という強い意志。参加者たちはそれぞれの立場から多くを考え、スポーツビジネスに関するヒントを持ち帰ったはずだ。
質疑応答では、恩師や盟友について語ってくれた[写真]山口剛生
text:dodaSPORTS編集部
photo:山口剛生
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










