チャレンジを迷う人の後押しになりたい
渡辺 華奈選手
FIGHTER’S FLOW所属 総合格闘家
幼いころから柔道に励み、学生時代には日本の頂点だけでなく、アジアの頂点にも立った。しかし実業団に入ってからはケガに苦しみ、一度は選手生活を引退。それでもアスリートであることにこだわった渡辺華奈さんは、総合格闘家に転向して戦いの舞台へカムバックを果たした。真剣勝負のリングで意識するのは、かつての自分のように新たなチャレンジをすることに迷う人への後押しとなる姿を見せることだ。
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2017年12月の総合格闘家デビューから7戦無敗(2019年9月時点)の成績[写真]兼子愼一郎
護身術も兼ねて始めた柔道
———渡辺選手は柔道から総合格闘技に転向しましたが、まずは柔道を始めたきっかけを教えてください。
柔道は家族みんなでやるスポーツとして、小学1年生のときに父と兄と一緒に始めました。なぜ柔道だったかというと特別な理由はなく、友達が柔道をやっていたことや、「最近物騒だから護身術も兼ねて」という両親の思いもあったみたいです(笑)。最初のころは週に1回、見学する母も一緒に家族4人で道場に通っていました。
———当時から強かったんですか?
体が大きかったので、そこそこ強かったと思います。ただ、当時はまだ遊びの一つというか、友達と会うのが楽しくて道場に通っているという感覚でした。それが変わってきたのは小学5年生くらいのことで、そのころから2つの道場に通うようになり、稽古も週4回に増やしました。区民大会で優勝したり都大会で入賞したりと結果も出始め、やっぱり勝てるようになると競技自体もより面白くなってきたんです。
———中学校には柔道のスポーツ推薦で入ったそうですね。
そうですね。だから中学からは部活で柔道漬けの毎日でした。全国大会優勝を目指すような強豪だったので、入学当初は部の中で一番弱くて、毎日泣いていました(笑)。けれど、やっぱり大会で成績を残せるようになると意識は変わっていって。中学2年生のときの関東大会では、当時の全国大会3位だった選手に勝ったんです。そこで「あれ、ちょっと強くなってるかも」と思って、より柔道にのめりこんでいきましたね。
———高校も柔道漬けの毎日だったかと思いますが、印象的な思い出は?
高校時代にはたくさんの思い出があって、アジアジュニア・ユース柔道選手権大会(現アジアオセアニアカデ・ジュニア選手権大会)の個人戦で優勝したこともありますが、より思い出深いのは国内の団体戦です。個人的には、同じ目標に向かってチーム一丸となる団体戦のほうが個人戦よりも好きでした。
中でも金鷲旗高校柔道大会という5対5の勝ち抜き方式で戦う大会は強く印象に残っています。柔道の団体戦の多くは総当たり方式だったので、勝ち抜き方式の大会というルールに燃えましたし、すごく楽しかった。高校2年生のときにその大会で決勝戦まで勝ち上がったのが一番の思い出です。
———大学は柔道の名門である東海大学に進学されました。高校と大学ではどのような違いがありましたか?
高校時代は基本的に受け身の姿勢で、コーチから指示された練習をひたすらやっていました。けれど東海大学はどちらかというと放任主義というか、選手それぞれが自主性を高めることが求められました。
東海大学には世界大会に出場するOGの方々も練習に来ていて、その先輩方の練習への取り組みを見ていると、やはり受け身の姿勢だけでは上のレベルには行けないと感じました。それまでは自主性が欠けているほうだったので大変でしたけど、慣れないながらに試行錯誤しながら練習に取り組む日々は、すごく自分の成長につながったと思います。
———実際、大学1年生のときには全日本ジュニア柔道体重別選手権大会の63kg級で優勝されています。技術だけでなく、精神的な面での成長も大きかったんですね。
そう思います。あと、意識が変わった大きなきっかけがあって。私が大学1年生だったときに練習パートナーだった先輩が亡くなってしまったんです。本当に突然のことで、私もこの先何が起きてもおかしくないと感じて。常に目の前の物事に全力で取り組んで、悔いのないように過ごそうと改めて思うようになりました。
東海大学では心身ともに大きく成長したという[写真]兼子愼一郎
後悔だけはしたくなかった
———大学卒業後はJR東日本に就職し、実業団選手として柔道を続ける決断をされました。
私の中では柔道を続ける以外の選択肢はありませんでした。大学時代はずっと世界大会を目指していながらもかなわなかったので、実業団で柔道を続けて、引き続き世界を目指そうという思いでした。
———学生時代と実業団に入ってからはどのような変化がありましたか?
実業団によって違うとは思いますが、私が入った当時のJR東日本は大学時代以上に放任主義でした。練習場所やメニューさえも自分で決める形だったので、最初は戸惑いましたね。でもそれ以前に、私は実業団に入ってすぐに右ひざの前十字じん帯断裂という大ケガをしてしまいました。手術をして1年ほどリハビリをして復帰したんですけど、復帰してから2戦目でまた右ひざの前十字じん帯を痛めてしまい。結局、ほぼ2年間をリハビリに費やすことになってしまいました。
———精神的にもつらい時期だったかと思います。
そうですね。全日本強化指定選手からも外れてしまい、周りはどんどん活躍していくので、すごく焦っていました。ただ、やはり自分は柔道をもっとやりたいし、やらせてもらえる環境があった。その中で、もっと活躍したいという自分自身の目標を見失わなかったので、つらい時期も乗り越えられたんだと思います。
———ただ、復帰してからもなかなか結果がついてこない時期が続きました。
今振り返ってみれば改善できるところはたくさんあったと思いますが、当時はなかなかうまくいかず。2016年の10月ごろに「これからはコーチとしてチームを支えてほしい」と言われました。当時の柔道部では私が最年長でしたし、年齢と大会成績を見た上でのいわゆる戦力外通告です。個人的にはまだまだ選手でいたかったのですごくショックでしたね。
それまで柔道しかやってこなかったので、柔道ができなくなったらどうすればいいんだろう、そんなことを考えていました。それでも「チームのためになるなら」と一度は納得して、2017年の4月からコーチになったんです。
———その後、どのようにして総合格闘技への転向という決断に至ったのですか?
一度は引退を受け入れたものの、やはり自分の中にモヤモヤした気持ちがあって、そのせいかコーチとしての忙しさやつらさに耐えきれなくなったんです。そこで考えたのが、総合格闘技への転向でした。競技自体は以前から知っていて、いつかはやってみたいと思っていました。もう一度選手としてがんばるにしても、柔道は一度引退したので、それなら競技を替えて自分の可能性に挑戦してみたいなと。
今所属しているジムの上田貴央代表とはもともと面識があって、いろいろと相談していく中で「一緒にやろう」と言ってくれたので、そこで会社を辞める決断をしました。その時点では総合格闘技を始めていたわけではありませんし、所属ジムも正式に決まったわけではなく、もちろん試合も決まっていなかったんですけど、自分の中の衝動を抑えきれませんでした(笑)。
先ほど話した大学時代の経験からも、何事も後悔したくないという思いが強くて。ここでチャレンジせずに、あとになって「あのときチャレンジすれば良かった」なんて思うのだけは絶対に嫌だったので。
選手という立場にこだわり、新たな競技へのチャレンジを決断した[写真]ⒸRIZIN FF
今は毎日が充実している
———総合格闘技に転向するにあたってはどのような苦労がありましたか?
柔道とはまるで違う競技なので、ルールや戦い方をイチから覚えるのは大変でした。あとは両親の説得です。やはり柔道と総合格闘技では両親の反応も全然違って、殴って殴られての競技なので、親としてはあまり見たくないと感じていたと思います。
家族は一番の理解者なのですごく迷いましたけど、それでも私は選手という立場にこだわりたかったので、こちらの道に進みました。今では両親も理解してくれていて、試合にもたくさんの応援を引き連れてきてくれます(笑)。
———総合格闘家になるとお客さんを意識した振る舞いも求められるかと思います。
自分に自信を持って発言することが最初はできなくて、そこは一番苦労しましたね。昔は人前で話すことも苦手で、引っ込み思案でしたから。また、試合内容も面白くしなければいけないと意識しています。実際はなかなか難しくて、まだまだできていないんですけど(笑)。
やはり見に来てくださるお客さんに楽しんでもらいたいので、入退場のシーンも含めてプロとしての振る舞いを意識したいと思っています。どちらも最初のころと比べたら少しずつ成長していると思います(笑)。
———渡辺選手が感じる総合格闘技の一番の魅力は?
お客さんとしては、選手によって全然ファイトスタイルが違うことは魅力だと思います。寝技もあれば打撃もあり、ルールの幅が広い分、繰り出される技も多いので見ていて飽きないんじゃないかなと。選手としても、どれだけ時間を費やしてもすべてを習得するのは無理なんじゃないかなと思うほど技が多いので、それにチャレンジするのが面白いです。
———お客さんには渡辺選手のどんなところを見てほしいですか?
まず柔道着を着た入場シーンを見てほしいです。試合中に見てほしいのは、投げや寝技の技術。柔道家が総合格闘技のリングでどう戦うのかに注目してください。女子総合格闘技界には柔道出身の選手も多いんですけど、私ほどガッツリやってきた選手はあまりいないと思うので。
———総合格闘家としてこだわりを持っている部分はありますか?
自分に自信を持つことです。「勝てるか分からない」とか「もしかしたら負けちゃうかもしれない」とか思っている選手をお客さんは見たくないと思います。だから私は絶対に勝つという自信を持って、自信満々でリングに上がることを意識しています。
———今後の夢や目標を教えてください。
競技的にはチャンピオンベルトを巻くことが目標です。また、総合格闘技を始めたときからの理想の選手像として、何かを迷っている人の後押しになれる選手を目指したいと思います。
私は柔道のコーチという安定した立場から、すごく迷いながらも総合格闘技へのチャレンジを決断して、今は毎日が楽しいし充実しています。スポーツに限らず、どんなところにも同じような悩みを持った人がたくさんいると思うんです。
そういう人たちに、「渡辺だってもう一回がんばっているんだから、自分もがんばってみようかな」と思ってもらえたり、本当にやりたいことへの後押しをしたりできるように、試合でカッコいい姿を見せたいと思います。
同じ悩みを持った人たちの助けになることを目指し、リングに上る[写真]ⒸRIZIN FF
interview & text:dodaSPORTS編集部
photo:兼子愼一郎
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。










