クラブの基礎を築きあげ、この先50年、100年とつなげる
土田 英二さん
株式会社栃木ユナイテッド 取締役兼H.C.栃木日光アイスバックス チームディレクター
日本で唯一のプロアイスホッケーチームであるH.C.栃木日光アイスバックスで、現役時代にキャプテンとして、チームだけでなく経営難にあえいだクラブを支えた土田英二さん。引退後はフロントスタッフに転身し広報を担当。現在は取締役兼チームディレクターと立場を変えながら、クラブのさらなる発展のために尽力し続けている。
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地域の方々が温かく支えてくれる雰囲気が移籍の決め手となった[写真]松田杏子
実業団からクラブチームへ
———現在の業務内容を教えてください。
会社経営の統括という立場にいますが、自分で営業や企画などもしますし、さまざまなことをやっています。チーム周りではゼネラルマネジャーのような形でチーム編成を中心に担当しています。
日々の業務でいうと7割ほどが会社の仕事で、スポンサー営業やあいさつ回りに行くこともあれば、試合のときの放送原稿を書いたりもしています(笑)。
ホームゲームのときは、当日は会場の責任者という立場で会場全体を管理していますが、前日は私も含めスタッフ総出でほぼ丸一日かけて会場の設営をしています。
———チーム編成はスカウティングなどもされているのでしょうか?
ほかのチームの試合もそうですし、大学生の試合にもスカウティングに行っています。基本的に選手編成についてはまずはコーチングスタッフの意見を聞いて、あとはバジェットの問題があるので、その中で最大値を出せるように私が交渉をします。私は選手経験もあるので、選手側に寄り添える部分もあるのかなと思っています。
———現役時代にアイスバックスに加入された経緯を教えてください。
もともと西武鉄道アイスホッケー部に在籍していて、2003年にチームがコクドアイスホッケー部と合併することになりました。そのタイミングでバックスからオファーをいただいて、最初は1年間のレンタル移籍で加入しました。
翌年にコクドから戦力外通告を受けてしまいましたが、バックスからはオファーをいただけたので正式に加入することになりました。
———実業団からプロクラブに移籍する際、怖さはありませんでしたか?
正直怖かったです。鉄道業は公共事業の側面が強いので安定していますよね。そういうところでキャリアを重ねていきたいと思ったので、大学卒業後に西武鉄道に入社しましたが、そこから一転して、いつなくなるか分からないクラブチームに移籍するのはとても不安でした。
それでも、バックスにはファンの方々や協賛していただいているスポンサーの方々がいらっしゃって、地域の方々に温かく支えられていて、その雰囲気が新鮮だったんです。応援してくれている人たちのためにがんばろうと思い、それが一番の決め手となりました。
選手キャリアを続けるためクラブチームへの移籍を決断した[写真]松田杏子
将来も見据えていた現役時代
———現役時代はどのようなプレースタイルだったのでしょうか?
ポジションはセンターFWで、試合をコントロールするような役割を担っていました。味方のゴールをアシストしたり、自分でも点を取る。ディフェンスからは「もっと守れ」と言われますし、FWからは「もっと攻めろ」「早くパスを出せ」と言われて、その間でバランスを取っていました。いわば中間管理職ですね(笑)。
若いころは運動量も多く、フィジカル的にも大きいほうでしたので、コンタクトプレーもガンガンやるようなプレースタイルでしたけど、バックスに加入したくらいから、試合をコントロールするほうが面白くなってきて、どれだけパスをさばいて試合を組み立てられるかみたいなタイプになっていましたね。
———バックスではキャプテンも務められました。
監督からキャプテンに任命されて、迷うことなくすぐに「分かりました」と答えました。それまではキャプテンの経験は高校生のときにやったくらいでしたが、チームを強くしたいと思っていたので、自分にできることや期待されていることがあるならがんばりますと受けさせていただきました。
当時のチームは経営がすごく難しい状況で、給料の支払いが遅れることもある状態でしたので、そういった競技以外の問題をどうまとめるかというところもすごく意識していましたね。
———選手時代から経営やチーム運営のことを意識されていたのですか?
西武鉄道を退社するときに、自分の将来を考えて、何かしらの形でスポーツに関わりたいと思い、大学の教授にお願いしてビジネス研究会に参加させていただきました。そこで経営まではいかないですが、スポーツビジネスの基本を学びました。
学生時代にもスポーツビジネスには触れてはいたのですが、当時はJリーグができたばかりでしたし、まだまだ未成熟の学問だったので、その研究会で初めてクラブチームを経営、発展させていくことの基礎を勉強しました。
———クラブの仕事もやられていたのでしょうか?
バックスに入った直後からやっていました。スポンサー営業やイベントの企画から実施まで担当したり、あとはグッズの開発にも関わりました。アイスホッケー選手の中では日本で一番営業していたと思います(笑)。
当時は本当にクラブに人がいなくて、選手が営業活動をするのは当たり前のことだったんです。ほかのクラブでは、営業についていくことはあると思いますが、選手が自ら企画書を書いて提案をすることはないと思います。
現役時代はセンターFWとして活躍し、37歳で引退[写真]H.C.栃木日光アイスバックス
内定を辞退してフロントスタッフへ
———2010-11シーズン限りで引退されました。
そのとき自分は37歳で、自分のイメージどおりに体が動かなくなったというのが一番の理由です。もちろんまだやりたい気持ちはありましたし、できることなら一生選手としてプレーしていたいと思っていましたが、若くて実力のある選手も出てきていたので、そろそろ引き際かなと感じました。
———引退されてからクラブに残られた経緯を教えてください。
実は転職活動をしていて内定をいただき、2011年4月からは広告系の会社で働く予定だったんです。ただ、直前の3月に代表取締役を務めるセルジオ越後から、「会社に残って、一緒に立て直してほしい」と言われました。
さらに、東日本大震災があった翌日に、今度はその会社を紹介してくれた方から電話がかかってきて、「自分が推薦した立場ではあるけれど、チームに残ることが君の人生にとっていいのではないか」と言っていただきました。私もセルジオから言われたことをその方に伝え、2時間ほどの話し合いの末、クラブに残ることを決めました。
セルジオはチームの経営が厳しく、つらいときに、身銭を切って存続するための活動をしてくれて、そのおかげでぼくたちは選手を続けることができましたし、その恩を返したいという思いが一番の決め手でした。
———クラブのスタッフとして最初に担ったのはどんな業務だったのでしょうか?
最初は広報でした。元選手であれば選手時代のイメージもありますし、その強みを活かして営業をやることが多いと思うのですが、当時、会社の組織が少し変わり、メディアの方々との付き合い方を見直そうとしていたタイミングだったんです。そこで選手時代の関係性があった私が選ばれたのかなと思います。
———フロントスタッフに転向されてから一番大変だったことは何ですか?
フロントスタッフになって2年ほど経ち、「役員にならないか」という話をもらったときですね。それまでは広報活動をやりながら、経営側にも少しずつ関わっていましたが、「現場は土田がまとめてくれ」と言われたときは、圧倒的に経験が足りていなかったので、本当に手探りで、特に会社として組織を作っていかなければいけないところで苦労しました。
アイスホッケーやバックスへの強い思いを持っている社員がそろっているのですが、一人ひとりの方向性が少し違っていたり、経済的にも良くはなかったので、どこかで少しずつストレスを抱えている人間もいました。そういったものを少しずつすくいながら、方向性を決めるのが難しくて最初はどうしていいか分からなかったですね。
———では逆に一番うれしかったことは何でしょうか?
2014年に全日本アイスホッケー選手権大会で優勝したことです。そのときは私がチーム編成を担当し始めて2シーズン目で、一つの成功じゃないですけど、その経験を積めたということは非常にうれしかったですね。
バックスになってから初めての優勝で、試合終了とともに氷上に選手、スタッフ全員が集まって、みんなで泣いて、応援に駆けつけてくれたファンの方々もみんな泣いていました。私個人としては選手時代に何度か優勝を経験していましたが、それ以上にうれしくて号泣しましたね。その試合はNHKで中継されていたので、私が号泣しているシーンが全国に放送されてしまいました(笑)。
チーム編成を担当して2年目に全日本アイスホッケー選手権大会で優勝[写真]H.C.栃木日光アイスバックス
クラブの基礎を作りあげる
———この業界で働く一番の魅力は何でしょうか?
一つ言えるのは、整備しきれていない業界なので、いろいろなチャレンジができると思います。与えられた業務以上のものが求められますし、そこにはいろいろなチャレンジが必要なので、そういった機会やチャンスは多いと思っています。
私自身がチャレンジした経験で言えば、日本のチームで初めて海外クラブと提携したことですね。アイスホッケーは北米やヨーロッパでは盛んで人気があるスポーツです。そういった国々では情報を共有しながら成長していますが、日本は取り残されている状況がありました。なのでまずは海外のチームがどういうことをしているかという情報をクラブに取り入れたいというのが一つ。
あとは、我々は市民クラブなので、もちろんチームも大切ですが、地域の方々や地域の子どもたちも大切なので、そういった子どもたちに早い段階で本場のアイスホッケーを見せたいという思いがあって、舵を切りました。
———この仕事における夢や目標はありますか?
日本のアイスホッケー市場は観客動員数が伸びておらず、残念ながら縮小傾向にあると思います。ただ、我々のチームはその中でもファンクラブの会員数が増えていたりと、地道に積み上げることができていると思います。
さらにクラブを発展させて、ファンの方々に喜んでいただき、さらに選手がより良い環境でプレーでき、社員もより良い環境で働けるようにすることが一番の目標です。そうすることでこの先50年、100年とつなげることができると思うので、その基礎を早く築きあげたいというのが夢というか、必ずやり遂げなければいけないことだと思っています。
———一緒に働きたいと思うのはどんな方でしょうか?
スポーツビジネスのコースがある大学なども増えて、学ぶ環境も整ってきています。さらにスポーツ業界はプロ野球やJリーグ、Bリーグなどさまざまな競技で盛りあがりを見せていて、さらに国際的な大会も控え、今すごく注目を浴びていると思います。そういっ
た華やかに見える業界の中で、知識やスポーツへの愛を持ちながら泥臭くがんばれるタイプが向いているのかなと思います。我々のような地域のクラブは、地域の方々との向き合いが大切です。人間関係を作っていくのがすごく大事になるので、その思いを持ってていねいにできる方と一緒に働きたいなと思います。
一緒に働きたいのはていねいに人間関係を構築できる人材[写真]松田杏子
interview & text:dodaSPORTS編集部
photo:松田杏子
※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。











