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高さだけに頼らない世界で通用する選手に

渡嘉敷 来夢選手

JX-ENEOSサンフラワーズ

日本の女子バスケットボールのトップリーグ、Wリーグで、現在10連覇中のJX-ENEOSサンフラワーズ。渡嘉敷来夢さんは、その名門チームで不動のエースとして君臨し続ける。身長193センチという恵まれた体格と生まれ持ったポテンシャルを武器に、これまで3度アメリカへ渡った27歳は、今、2020年の東京での大舞台を見据えさらなる進化をもくろむ。

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    渡嘉敷さんは、JX-ENEOSで不動のエースを担う[写真]新井賢一

    走り高跳びで全国1位

    ———バスケットを始めたきっかけを教えてください。

    とにかく小さいころから運動が大好きでした。小学生の時は水泳や野球などいろいろな競技を習っていましたね。あと、小6の時に陸上大会で全国1位にもなりました。そういった中、中学生になって球技の部活に入ろうかなって思った時に、仲のいい友達や兄がバスケットをやっていたこともあって、じゃあバスケでいいかなと思ったのがきっかけです。

    ———何の競技で一番になったのですか?

    走り高跳びです。はさみ跳びで138センチ跳びました。

    ———バスケを始めた時の身長はどのくらいでしたか?

    170センチです。周りに(身長が)同じくらいの先輩や同級生はいましたね。みんなはもうそこで身長が止まっている感じでしたけど、自分はそこから卒業までに15センチ伸びたんです。

    ———渡嘉敷選手でもやはりバスケを始めた当初は苦労しましたか?

    自分で言うのもなんですけど、昔から運動神経が良かったんですよ。結構何でもやれちゃうタイプだったので、最初から周りについていけましたね。

    ———中学時代に苦労したことや挫折はありましたか?

    あまりなかったですね。最後は全国ベスト8まで行けたんですけど、そもそも、当時はここまで本気でバスケットをやるなんて考えていなかったので。プロを目指すわけでもなく、青春の一つという感じで毎日楽しくやっていました。

    幼いころから運動神経の良さはピカイチだった[写真]新井賢一

    たくさんの高校からオファー

    ———そこから名門の桜花学園高校に進学したきっかけは?

    すごくありがたいことにたくさんの学校からオファーをいただいたんです。まさかそんなに来ると思ってなかったですし、高校に行くと同時にスポーツを替えようかな、くらいの感覚だったので「みんな何言ってるんだろう?」という感じでした。

    でも、あまりにもオファーが多かったので、「これ続けなきゃいけないのかな?」って自分自身も思い始めて(苦笑)。そんな時に桜花の井上(眞一)先生がすごく熱心に声を掛けてくださって、本気でバスケをやるからには、親元を離れて逃げ道のないところでやろうと思いました。

    ———井上先生にはどんな言葉を掛けられましたか?

    「100年に一人の存在だ。ぼくが育てたい」って熱心に気持ちを伝えてくれました。それと、井上先生はセンターポジションを教えるのがすごく上手ということも人づてに聞いていたので。親からは近くにいてほしいと言われたんですけど、「いや、行く!」って決意して桜花に決めました。

    ———高校3年間はチームとして8つのタイトルを獲得しました。その時からJX-ENEOSの存在は知っていましたか?

    はい。Wリーグのチームは中学時代から知っていました。JXの練習施設には、寮もあって日本代表の合宿ができる環境なんですよ。アンダーカテゴリーの日本代表の時からそこを使わせてもらっていたのでJXの存在は知っていました。

    ———中学生ながらJX-ENEOSがトップレベルのチームということは感じていましたか?

    そうですね。日本代表選手も多かったですし、当時から何回も優勝していたチームだったので。

    桜花学園時代はチームに8つのタイトルをもたらした[写真]新井賢一

    1年目に新人賞とMVP

    ———渡嘉敷選手がJX-ENEOSに入団した理由を教えてください。

    普段から日本代表クラスの選手たちと練習できる環境にあこがれていましたし、一番世界に行くのに近いかなと感じて入団しました。

    ———高校卒業時もたくさんのチームからオファーがあったと思います。

    ありましたけど、その時は全然迷わなかったですね。自分がうまくなること、日本代表で活躍すること、その先のアメリカに一番近いのは間違いなくこのチームだと思い決めました。

    ———実際に入団してみて、チームにはすぐなじめましたか?

    いや、最初は高校生とレベルが全く違かったのでなじめなかったですね。それこそ吉田(亜沙美/JX-ENEOS)さんのパス一つ取るにも、威力が強いですし、タイミングも合わなくて苦戦しました。あとは自分より身長が低くても、みんな体の当たりが強くて負けてしまったり。そういったところでレベルの差はすごく感じましたけど、やっぱり来て良かったなって思えました。

    ———でも、Wリーグ1年目から新人賞とMVPを取りましたよね?

    はい。実はリーグのMVPと新人賞を同時にいただいたのは今でも私だけです(笑)。

    ———1年目から活躍できる自信はありましたか?

    いやー、あまりなかったですね。1年目で言えば、「できてるな、自分」というよりも先輩たちのインパクトが強かったです。吉田さんとか、大神(雄子・現トヨタ自動車アンテロープスディベロップメントコーチ)さんなど代表クラスの選手が多かったので、そのお姉さんたちに迷惑を掛けないようについていこうという気持ちのほうが強かったですね。

    Wリーグ1年目で新人賞とシーズンMVPを獲得[写真]WJBL

    バスケに打ちこめる環境

    ———シーズン中、1週間のスケジュールは決まっていますか?

    シーズンが始まったら月曜日がオフ。火、水、木は午前と午後の2部練習です。基本、土日が試合なので金曜日に移動して会場で練習、また月曜日オフ、というサイクルですね。

    ———JX-ENEOSの練習施設『ひまわり寮』はどういう面が優れていますか?

    練習コートとトレーニングルーム、寮には食堂、お風呂もあって24時間バスケに打ちこめる環境がそろっています。自分は今、一人暮らしなんですけど、寮生だった時はその日の外の天気が分からないくらいずっとここで過ごしていましたね。勝つための準備がすべて整っていますし、会社としてもバスケットに対してすごく熱いんですよ。

    ———具体的にどんなところが熱いのですか?

    例えば、優勝報告で本社に行くと、社員の方たちが「おめでとう。試合見たよ!」って喜んでくれて。製油所にも報告に行かせていただくんですけど、そこでも応援幕を作って待っててくれていたりとか。地方での試合の時、会社関係の皆さんも見に来てくれますし、すごく応援してもらえているなと。

    ———ヘッドコーチやトレーナー以外に、サポートしてくれるスタッフさんはいますか?

    寮には食事を作ってくれる寮監のご夫妻と掃除のおばちゃんがいるのでいつもきれいです。自分の部屋は自分で掃除しなきゃいけないですけど、ほかの場所は全部やってくれるので、本当にバスケットに集中できる環境です。

    ———スタッフ陣も含め、チーム全体の雰囲気はいかがですか?

    自分が入団した時から、選手がコーチ陣に対して言いたいことを言える雰囲気はできあがっていましたし、スタッフもちゃんと選手の意見を聞いてくれるので、雰囲気はとてもいいと思いますね。寮監さんや掃除のおばちゃんたちも、いつも遠征出発の時に「いってらっしゃい」と見送りをしてくれるので、本当にチームが一つになっているなと感じています。

    ———こうして話を聞いていると、そこにもリーグ10連覇の強さの秘訣があるなと感じます。

    やっぱりコミュニケーションがしっかりと取れることもそうですし、本当にいろいろな人がサポートしてくれるから選手はやるだけ、という環境も勝因の一つだと思います。

    ———選手から見て、どんなスタッフと一緒に仕事をしたいですか?

    技術や知識も大事ですが、しっかりとコミュニケーションが取れる人です。意見を持っていても、それが言えない環境だとうまくいかないと思っているので、年齢や立場に関係なく意見交換がしっかりとできたほうがいいですね。

    今季でJX-ENEOS在籍9シーズン目を迎えた[写真]新井賢一

    “プロの世界”アメリカへ

    ———JX-ENEOS入団以降も個人、チームで数々のタイトルを獲得してきましたが、今振り返ってみて順調でしたか?

    そうですね。途中ケガで試合に出られない時期もありましたけど、特に不安などはなく順調だと思っています。

    ———2011年からは継続的にフル代表にも選出されています。選ばれた当時、チームと代表の両立で苦労した部分はありますか?

    あまりなかったですね。それはやっぱりJXでいつも練習しているメンバーが4、5人ごそっと代表に入っていたので。吉田さんとは入団してからずっと代表でも組んでいますし、そこがしっかりしていれば大丈夫だと思って代表でもプレーしていました。

    ———2015年にはJX-ENEOSに所属しながらも、WNBAに初挑戦しました。アメリカ行きを決意した理由は何でしたか?

    世界のうまい選手たちともっと戦ってみたかったですし、さらにうまくなりたかったからです。やっぱり日本代表の試合で戦うだけじゃ物足りなかったですし、ただ映像で見るのではなくて肌で感じたいなと。あとは、今の自分のレベルがどのくらいなのかっていうのを確かめようと思って行きました。

    ———ちなみに語学の部分はアメリカに行く前から準備していましたか?

    いえ、何もしてないです。行くって決めてからちょっとかじるみたいな(笑)。今も全然しゃべれないですけど、もう分かんなかったら恥ずかしがらずに知っている単語を並べて、積極的に思いを伝えるよう食らいついていくというスタンスでした。あとはもうプレーで見せるしかないので、そういう感じでやっていました。

    ———2015年から3年間、ご自身のプレーはアメリカで通用しましたか?

    1年目は割と良かったんですけど、2年目、3年目になったら同じポジションに“怪物”が入ってきたのでプレータイムが減っちゃいました。

    ———“怪物”!?

    大学時代からのスーパースターで、つい最近のワールドカップ(FIBA 女子バスケットボールワールドカップ2018)でもMVPを取ったブリアナ・スチュワート(シアトル・ストーム)という選手です。今シーズンのWNBAでもMVPを取りました。

    でも、こういう言い方は良くないですけど、試合に出られないことって日本では経験できないんですよ。なので、ベンチから出る大切さ、ベンチから出て何ができるか、ということを学べました。正直2年目、3年目はしんどかったですけど、何か違うところをポジティブに考えながら挑戦していました。

    ———アメリカ生活で困ったことなどはありましたか?

    アパートで一人暮らしだったんですが、家賃、光熱費とかも全部チームが支払ってくれていたので、特に困ったことはなかったです。食事も近くのスーパーで、できあがっているものを買って食べていました。でも、コミュニケーションの部分は大変というか、もっとできたらいいなって思う時はたくさんあります。

    ———日本と比べて一番の違いは何でしたか?

    向こうはプロの世界で、昨日まで一緒だったチームメートが次の日にカットされていなくなるということが一番ショッキングでした。日本では味わったことのない経験なので、そこはちょっとメソメソしました。

    ———アメリカ挑戦中は、日米を行き来してほとんど休みがなかったそうですね。

    一年中オンシーズンみたいですごく大変でした。大体5月から9月はWNBAで、10月から3月がWリーグ。4月、5月あたりはアメリカでトライアウトやキャンプが始まるので、日本のシーズンが終わったら、すぐに向こうの練習に入る感じでした。

    ———そんなタフな生活を続け、成長を感じる部分はありましたか?

    1年目はさすがにきつかったですけど、2年目、3年目になると慣れてきた自分がいましたね。そこもやっぱり考え方なのかなと思っていて、「嫌だな」と思うより「よっしゃ! シーズンが始まる」というポジティブな気持ちでいつもやっていました。

    特に3年目は、試合に出たくても出られない経験をしたので、日本に帰ってきたら早く練習したいという気持ちも強くなっていましたし、毎日の練習をもっと大事にしようと思えましたね。

    2015年からはWNBAに所属するシアトル・ストームでプレー[写真]Getty Images

    今シーズンの目標は2冠

    ———今シーズンは日本代表としての活動やケガの影響もあり、アメリカ行きを見送ったそうですね。

    はい。6年前に手術した足首が痛くなってしまって、それをごまかしなからプレーしてたんですよ。この際、2020年の東京での大舞台も迫っているので、体を大切にしなければならないなと。来シーズン、またアメリカに行くとなった時に行けなくなるのも嫌だったので、そういった意味では心と体を整えられましたし、いい選択だったと思います。

    ———現時点で掲げている目標を教えてください。

    今シーズンも皇后杯とリーグ優勝の2冠です。周りはリーグ11連覇を期待していると思いますけど、あまりそこは考え過ぎずに一戦一戦、しっかりと自分たちのバスケットをしたいなと。それが結果的に優勝につながればいいなと思っています。

    ———個人的な目標はありますか?

    チームをしっかりと勝ちに導くことが、今の自分にとって一番大事なことだと感じています。今、先発の中で自分が一番経験があるので、コート上でみんなをどれだけ引っ張っていけるかを考えながらやっています。

    ———女子バスケ界全体としての盛り上がりはどう感じていますか?

    もっとリーグ自体が盛り上がってほしいですね。男子はBリーグができて一気に変わったので、それに乗っかるじゃないですけど、もっとメジャーになればなと。あとはやっぱり世界大会でのメダル獲得には男子より近いと思うので、2020年にしっかりとメダルを取ることが大事だと思います。

    ———男子よりも女子のほうが世界で結果を残していますからね。

    ごめん、男子(笑)。でも、やっぱり国内のリーグは男子の盛り上がりのほうがすごいので、正直うらやましいですね。自分もリーグを代表する選手の一人としてしっかりとバスケットを広めていけたらなといつも考えています。

    ———世界ベスト3に入ってメダルを獲得するには、何が必要だと思いますか?

    まず、リーグにいる選手の中で「2020年は自分に関係ない」と思う人は一人もいないでほしいです。誰でも日本代表に選ばれるチャンスはあるので、そこに向けてがんばっていると言ってもいいくらい、一人ひとりが向上心を持って日々を送ることが必要だと思います。

    日本は世界に出たら個の力じゃ何もできないので、本当にチームで戦うしかないんですよね。高さがない分、スピードを意識したり、一人で守れない分、チームみんなでカバーしてディフェンスすることだったり。そこをもっと追求していくためには、みんながレベルアップする必要があると思っています。

    ———女子バスケ界全体で2020年、東京で行われる世界大会に臨みたいと。

    そうですね。Wリーグにいるみんなで日本代表を作るわけなので。とりあえず一回Wリーグの選手全員でご飯を食べたいですね!

    ———2020年までに、どういった選手になっていたいですか?

    一番は世界で通用する選手になることですね。世界では私の身長でも外のシュートを打てる選手がいっぱいいるので、高さだけに頼らず3ポイントなどのアウトサイドシュートも磨いていきたいと思っています。あと2年ですが、世界レベルの選手になれるようがんばります!

    Wリーグ全体で、2020年、東京で行われる世界大会でのメダル獲得を目指す[写真]WJBL

    interview & text:dodaSPORTS編集部
    photo:新井賢一

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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