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「GMとして再出発」インタビュー後編

岡野 雅行さん

株式会社SC鳥取 代表取締役GM/元サッカー日本代表

浦和レッズで輝かしい時を過ごして香港へと渡り、ガイナーレ鳥取での5年間を経て選手キャリアに終止符を打った。東京に戻ろうと思った。だが鳥取をJ3に落としてしまった責任も感じていた。そして出した答えは鳥取のGM就任だった。第二の人生を歩む岡野雅行さんは今の仕事を「天職かもしれないです」と語り、白い歯を見せる。

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    「奇跡の県4強入り」インタビュー前編

    後に“ジョホールバルの歓喜”の立役者としてスターダムにのし上がったサッカー元日本代表の岡野雅行さんは、幼いころからサッカー選手になる夢を描きながらも、その道は苦難の連続だった。選手権出場を目指して入学した県外の高校は、全国の不良が集う武闘派高校。サッカー部もないどん底の状況から、岡野さんは“奇跡”を起こした。

    ゲスト参加を機に香港へ

    ———浦和の“黄金期”を経験した後、香港に新天地を求めました。

    08年に浦和との契約が満了になってオファーを待っているときに、香港のサッカー大会にゲストで呼ばれました。3チームの対抗戦で、ぼくは香港選抜のゲストプレーヤーとして参加したんですけど、試合後に天水圍飛馬(ティンスイワイ・ペガサス)のオーナーから残ってくれと言われて、そのまま所属することになりました。

    ———待遇も良かったのですか?

    J1並みのサラリーだったので結構良かったと思います。オーナーがすごく裕福な方で、一度家に招待されて行ったんですけど、すごいところに住んでいました。ぼくは足が速いのでピッチ上で目立つんですよね。ぼくが走るとお客さんが盛り上がって、それでオーナーからも認められて。活躍したときにもらえるボーナスは考えられないほど高額でした(笑)。

    ———サッカーのスタイルはいかがでしたか?

    ものすごく激しいです。外国籍選手が8人出られるので、香港でプレーしているというよりヨーロッパでやっているような感覚でした。3試合続けて結果を残せないと契約を切られるから、みんなすごくハングリーでチャージも強烈でしたね。飛び蹴りみたいなタックルでもファウルを取られないし、ホントに『少林サッカー』みたいでしたよ(笑)。

    JFLからJ2に昇格

    ———そして09年7月、当時JFLだったガイナーレ鳥取に移籍しました。

    香港から帰ってきたときに、塚野(真樹・ガイナーレ鳥取代表取締役社長)が東京に来て「ガイナーレはまだアマチュアだけど、Jリーグを目指している。力を貸してくれないか」と誘ってくれました。それで一度見に行って、すごくいい雰囲気だったので、妻に相談したら「好きなようにやれば」と後押ししてもらい行くことを決めました。それから、移籍して2年目にJ2に昇格することができました。

    ———施設などの環境はいかがでしたか?

    ひどかったです(苦笑)。河川敷で練習して、シャワーを浴びるところもないし。でも高校時代に比べればマシだったので(笑)。あの経験があったので、あれぐらい何ともなかったです。

    ———選手のレベルはどう感じましたか?

    低かったですし、勝っても負けてもヘラヘラ笑ってるんです。だから塚野からは嫌われ役をやってくれと。最初はぼくも様子を見ていましたけど、ちょっと経ってから、練習中にミスして笑っていたやつがいたら怒っていました。そうやってほかの選手からも少しずつ厳しい声が飛ぶようになり、緊張感も生まれるようになって強くなっていきました。

    ———最終的に5年在籍して引退しました。鳥取に骨をうずめる覚悟だったのでしょうか?

    そういうつもりはなかったです。クビにならなかったので残っていたという感じです。ぼくはあまり先のことは考えないんですよ。今を一生懸命やらないと先はないと思っているので。だから目標は立てないんです。ただ毎日を大事に生きようと思っています。

    ガイナーレ鳥取ではJFLからのJ2昇格、J3降格を経験[写真]ガイナーレ鳥取

    悩んだ末にGMに就任

    ———2013年に引退しました。決断した理由は?

    J3に降格したからです。それで塚野に言ったんです。タレントとか解説とか、サッカー選手以外の話がいくつか来ていたので「東京に帰ろうと思う」と。20年戦い続けたので、もう嫌になったのもありますね。プレッシャーが掛かる勝ち負けの世界で、もうやりたくないなと。

    そしたら塚野に「J3に落ちて分配金もなくなり大変になる。つぶれるかもしれないから助けてくれないか。GMをやってほしい」と言われました。「できるわけがない」と返答したんですけど、「情熱を持ってやればできないことはない」と言われ、知人に相談したら「GMなんてなかなかできない。やってみたほうがいい」と勧められました。

    塚野からは「チームを強くしてくれればいい」と一言だけ言われて、結局引き受けることにしました。J3に落とした責任も感じていましたし、ここではいろいろな方にお世話になりましたし、ちょうど浦和が降格したときと似ているなと感じて決意しました。

    ———GMとして最初に何をしたのでしょうか?

    何をすればいいか聞いたら、「監督を探してくれ」と。それでふさわしい監督を見つけて契約し、選手との契約も進めました。長く選手としてプレーしていていろいろなつながりがあったので、意外とそこは苦労せずにできました。

    それとスポンサー営業にも行きました。最初は塚野と一緒に行って4社ぐらい回ったんですけど、毎回同じ話をするんですよね。それでコツみたいなものを学んで、自分1人で初めて行ったのがトガノ建設でした。そこは高校時代、一緒にサッカー部を立ちあげた先輩のお兄さんが社長を務められている会社だったんです。そのトガノ建設にスポンサーになっていただけることになり、初めての営業で結果を残すことができたのですごく自信になりました。

    それからは自分でアポイントを取っていろいろな企業に訪問に行きました。それまではサッカー漬けだったので、ほかの世界を知っている方々とお話ができて、すごく勉強になりましたね。

    ———先輩とはずっと連絡を取り合っていたのですか?

    取っていました。それで「応援してくださいよ」って言ったら、「一回来てみれば」と言われて営業に行かせていただきました。そのほかにもいろいろなところを回り、鳥取がどういうところかも分かってきました。

    都道府県で一番人口が少ない鳥取にJリーグクラブがあること自体、奇跡だと思うんですよ。世田谷区より人口が少ないですからね。娯楽が多くあるわけではないので、ある意味ガイナーレで町おこしをしている感じもありますし、県内での注目度はすごく高いです。だからぼくは、サッカーの力で鳥取をもっと元気にできたらなと思うんです。それがここでのやりがいですね。

    だから何でもやりましたよ。魚を売ったり、肉を焼いたり、テレビに出たり、講演に行ったり、サッカークラブの仕事じゃないかもしれないですけど、全部楽しいです(笑)。

    引退後にGMとしてリスタートを切り、5年目を迎えた[写真]ガイナーレ鳥取

    強化プロジェクトを推進

    ———「魚を売る」と言えば、「野人と漁師のツートッププロジェクト!」が話題になり、その資金を元手にフェルナンジーニョ選手などを獲得し、以降もこうしたプロジェクトを継続しています。

    初めて境港に行ったときに「支援できるお金はないけど、うまい魚とカニならたくさんあるよ」と言われたんですよ。じゃあその魚とカニをどうにかできないかと思って始めたんです。

    ちょうどふるさと納税がはやっていて、同じような仕組みで支援者を募りました。1口5,000円で、お礼に魚やカニなどの海産物をお届けするんです。その支援金を選手獲得の資金に投じました。

    最初は300口ぐらい来ればいいなと思っていたんですけど、この企画を始めるとき、ぼくが漁師の格好をした写真が出回り、岡野が漁師になった、と思った方も結構いたみたいで、『Yahoo!』のトップニュースにもなり、1日で1,200口集まりました。それをきっかけに今度はテレビ番組でも取りあげていただき、結局2カ月で5,000口を超える申し込みがありました。

    その資金でフェルナンジーニョ、ハマゾッチ、それと安田晃大に来てもらい、3人とも活躍してくれました。魚が売れ、いい選手が加わり、チームが強くなる。関わった人みんなが幸せになれるいい企画だと思っています。

    ———こうしたプロジェクトを実施した理由の一つはクラブの資金難もあると思います。選手からフロントに入ったとき、クラブの台所事情はかなり苦しかったのでしょうか?

    想像以上でしたし、これは何とかしないといけないなと思いました。J2に上がれば分配金が入るんですけど、J3だと入らないのでやっぱり苦しいですね。チームの強化が後回しになってしまいますから。

    サッカークラブは本来、チームを強くしなくてはいけないんですけど、まずは運営費など絶対に必要な部分にお金を投じて、余ったお金を強化に充てる感じなんですよ。だからぼくは強化費を少しでも増やせるように、と常に考えています。

    それもあって3年目からチーム編成から外れて、営業のほうに力を入れています。チームのことも営業のことも、全部やっていたらさすがに体が持たないので(笑)。チームのことを任せるようになってからは気分的にも楽になりましたね。

    ———2017年4月には代表取締役GMに就任しました。

    ぼくは鳥取出身ではないので、「鳥取出身者がいないクラブにお金は出せない」とか、「そのうち東京に帰るんだろ」とか以前から言われていたんですよ。そういう中で株主総会のときに、代表取締役になるよう皆さんから推されて就任させていただくことになりました。

    覚悟を決めてこの立場になりましたけど、営業はすごくやりやすくなりました。もう完全に広告塔ですよね(笑)。ガイナーレを全国に知ってもらうことがぼくの仕事ですし、呼ばれればどこでも行きます。それで隙あらば「スポンサーになってください」と売りこみます(笑)。

    とにかく今はきっかけ作りですね。足を運んできっかけを作って、お話をさせてもらう。ぼくは営業に行くときに資料を持っていかないんですよ。まずお話しさせていただいて興味を持っていただいたら、今度はしっかりとした資料を用意してもう一度足を運ぶようにしています。

    まだ小さなクラブで、試合時は岡野さんも設営を手伝う[写真]ガイナーレ鳥取

    ファンを喜ばせたい

    ———フロントに入ってサッカーの見方は変わりましたか?

    全然変わりましたし、視野が広がりました。クラブスタッフの皆さんがいたから、自分はピッチでプレーできたんだ、周りの方々のおかげだったんだというのを感じました。サッカーは選手だけではできないということを知りましたね。

    ぼくも試合のときは設営もやりますし、選手のときにこういうことを知っていたら、もっとみんなのためにいいプレーができたのかなと。だから今は周りの方々に感謝しながら毎日を過ごしています。自分の周囲にいる人たちのおかげで仕事ができているので。

    ———サッカー業界に長く身を置いていますが、この業界に欲しい人材は?

    これはもう単純で、元気がないとダメです。とにかく動かないと。うちで言えば、試合時の設営、片付け、それに営業、何でもやりますから。勝ち負けがありますけど、負けた後でもお客さんには元気に対応しないといけません。明るくないスポーツクラブは応援してもらえないですからね。負けても、それを笑い飛ばせるぐらいじゃないと。

    ガイナーレのフロントスタッフも最初は暗かったんですよ。だからみんなには「元気にやろう」とそればかり言っていました。鳥取だとガイナーレはすごく有名で、ぼくなんかは必ず気づかれるんですよ。だから元気にあいさつします。

    あいさつは基本ですし、当たり前のことですけど、だからこそしっかりできないとダメです。サッカークラブはみんなのあこがれでもありますし、いつも見られているつもりで、元気に笑顔でいないといけません。

    ———必要なスキルは?

    営業目線で言えば、しゃべりと愛嬌、それと分からないことを「分からない」と言う謙虚な姿勢です。完璧にできるやつはあまり好かれないんですよ。向き合うスポンサーの社長からしたら、何でも知ってるとすごく生意気に映るんでしょうね。相手に合わせるしゃべりと愛嬌は世の中を生きていく上で大事だと思います。

    ぼくも話す相手によって、しゃべる内容や接し方を変えます。それにぼくは知らないことばかりなので、営業先でも「お前それ知らないのにGMやってちゃダメだろ」と笑われますけど、それはキャラクターとして認めてもらえているということなんです。

    うちの社員はすごく仕事ができるんですよ。人数が少ないからいろいろなことをやらないといけないのに、全部ミスなくこなしてくれるんです。でも接待ができる人は本当に少ない。相手に合わせるのが苦手、雰囲気が嫌いなど理由はさまざまですけど、ぼくは逆にそういう場が大好きなんですよね。天職かもしれないです(笑)。

    もちろんしっかりやることはやる。どんなときでも元気にあいさつをしたり、食事に行った翌日にお礼の電話を入れたり。カッコつけずに一生懸命、相手のためにできれば認めてもらえます。完璧である必要はないんです。でも意外とこういうタイプの営業がいないので、ぜひそういう人に来てほしいですね。

    最後に、岡野流“営業の極意”を明かしてくれた[写真]兼子愼一郎

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    「奇跡の県4強入り」インタビュー前編

    後に“ジョホールバルの歓喜”の立役者としてスターダムにのし上がったサッカー元日本代表の岡野雅行さんは、幼いころからサッカー選手になる夢を描きながらも、その道は苦難の連続だった。選手権出場を目指して入学した県外の高校は、全国の不良が集う武闘派高校。サッカー部もないどん底の状況から、岡野さんは“奇跡”を起こした。

    interview & text:dodaSPORTS編集部
    photo:兼子愼一郎

    ※人物の所属および掲載内容は取材当時のものです。

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